鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

2015年を振り返って

2015年12月31日 | Weblog
2015年を振り返りたい

・新加入選手
高卒新人の久保田和音、ユースからのトップ昇格の優磨と大橋、そして、ファン・ソッコと高崎が加入した。
ファン・ソッコはナビスコ杯以降、安定感を増し、レギュラーとして風格を出しだした。
ルーキーの優磨も充分な戦力として数えられるまでに成長したと言えよう。
ただ、高崎にはダヴィとジネイの穴埋めまでの活躍は出来なかったように感じる。
夏にレンタルにて山形へ移籍しまったことでも、それが証明されているように思う。
結果的には、ジネイの負傷発覚と夏の負傷離脱が誤算だったのではなかろうか。

・NYC・茨城サッカーフェスティバル優勝
大分と福岡に二連勝し、初タイトル。
PSM水戸戦も勝利。
高崎が結果を出したこと、久保田和音やファン・ソッコも上々のデビューを飾った。
シーズンの手応えを感じさせた試合であった。

・金崎夢生加入
キャンプを終えた2月9日のキックオフパーティにて金崎夢生の獲得が発表された。
これは驚きであった。
ただ、登録ポジションはMFであり、補強ポイントではないのではという意見が散見させられたことも事実である。
しかしながら、センターFWとして起用されると、アグレッシブで泥臭いプレイにてサポーターの心を掴み、鹿島になくてならない存在となった。
間違いなく今季のMVPであろう。

・1stステージ序盤
開幕戦の清水戦に誤審絡みもあり敗戦すると、
開幕3戦勝ち無しと、躓いてしまった。
源がPSM水戸戦にて骨折、植田が五輪予選にて抜けるということもあり、CBを固定出来なかったこと、そして、ACLとの平行ということもありポジションをいじりすぎたことが好ましくない結果を招いたように感じる。
しかしながら、夢生をセンターFWに起用しだしてからは調子を維持したのではなかろうか。

・ACL
三連敗し、GL敗退が濃厚となるも、二連勝で突破の目が出た。
しかしながら、最終節にて逆転負けを喫し、今年のアジア制覇の夢は潰えた。
強い相手とは好ゲームをするが、弱い相手につまらぬ負けをするという、今季らしい試合が多かったように感じる。
GL突破出来ていれば、良い結果に繫げられたと思うので、非常に残念であった。

・ジネイ
1月のメディカルチェックにて負傷が発覚し、契約が破棄されたが、リハビリに励み5月に再契約した。
初出場した広島線ではゴールし、Fマリノス戦では圧倒的な存在感を発揮した。
しかし、このFマリノス戦にて相手選手が乗りかかって大怪我を負ってしまったことは悲しかった。
このままジネイがプレイ可能であれば、歴史は変わっておったであろう。
彼ほどのセンターFWを別に見つけることは難しかろう。
来季も契約延長のオファーをしたと聞く。
完全復活した寧波大きな戦力となってくれよう。

・引退試合
中田浩二・柳沢敦・新井場徹の引退試合が開催された。
多くのレジェンド、多くのスターが集結し、非常に盛り上がった。
彼等ほどの偉大な選手を鹿島が擁しておったことを誇りに思う。

・監督交代
1stステージの不安定な戦い、ACL敗退と結果を出せずにおったトニーニョ・セレーゾ監督であるが、2ndステージ3試合を行ったところで解任となった。
不安定な戦いは改善されず、試合内容があまりにも悪かったことが理由である。
クラブ史上二度目、そして鹿島に多くのタイトルをもたらせた名将のクビを切るのは大きな決断が必要であった。
後を継いだのは石井監督。
コーチとして長くチームに関わっており、内情を良く知るものの、監督経験のない新人であった。
しかしながら、この不安はあっという間に払拭され、6連勝で2ndステージ首位となった。
結果的には、ナビスコ杯制覇と、2ndステージの好調ということで石井監督の手腕は証明された。
来季もまた、石井采配で勝利を積み重ねてくれるであろう。

・天皇杯
過密日程を考慮した、全先発選手とっかえという采配を見せた水戸戦でPK戦で敗退。
これは無念であった。
この経験は石井監督の糧となったであろう。

・ナビスコ杯優勝
準々決勝、準決勝と危なげない戦いで決勝戦へ。
難敵・ガンバを完膚なきほどに叩きのめしての優勝は嬉しい。
MVPは小笠原満男。
老練なボランチがまだまだ大きな力を持っておることを世間に知らせしめた。
また若き選手たちは大きな経験を得たことであろう。

・リーグ戦
石井監督が率いてからは安定した戦いをしたが、2ndステージ2位に終え、タイトルに手が届かなかった。
1stステージにて星を落とさなければ、この試合にて出場停止がなければと、いくつか悔いる部分もあったが、結果を素直に受け止めたい。

・ユース選手トップ昇格
ユースから、町田くん、平戸くん、田中稔也くん、垣田くんのトップ昇格が発表された。
町田くん、平戸くん、田中稔也くんは二年生の時から二種登録されておった逸材であり、今年のキャンプにも帯同しておった。
垣田くんは今年からユースチームの1トップを担い、急成長した。
高卒・大卒の新人がない来季のルーキーはこの4人となる。
鹿島の未来を担って、更に成長していって欲しい。

・下部組織の躍進
ユース版ACLとも呼べるACTにて初優勝しアジアを制覇、プレミアリーグEASTにて初優勝、チャンピオンシップにて優勝し日本一となった。
また、ジュニア・ユースは全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会にてPK戦にて敗れベスト4。
そして、ジュニアは全日本少年サッカー大会にて準優勝。
育成世代の躍進が伝えられる。
クラブの未来は明るいと言って良かろう。

・退団選手
本山、隆雅、佐藤昭大、ダヴィの契約満了にての退団、梅鉢と豊川のレンタル移籍などが伝えられる。
また、岳には海外移籍の噂、夢生の去就は微妙と報じられておる。
戦力としては痛いが、クラブとしては受け入れて前に進むしかない。

・来季に向けて
移籍選手として永木の加入が公式発表され、また負傷離脱したジネイへの契約延長が伝えられる。
未だ報じられぬ幾人かの戦力も来年初頭には発表されるであろう。
1月12日には、新たなる顔ぶれと共に指導することとなる。
リーグ制覇、ナビスコ杯連覇、天皇杯とタイトルを総なめにすべく戦う。
楽しみな一年にしたいところ

良いお年を。

鹿島、京都橘高校・岩崎悠人くんに興味

2015年12月31日 | Weblog
複数のJクラブ注目の京都橘FW岩崎が高校サッカーを選んだ理由 “探し求めた居場所”
 昨冬の選手権を沸かせた小柄なドリブラーは、今やプロ注目の男となった。彼はなぜ、Jクラブの下部組織への誘いを断り、土のグラウンドでボールを追い掛けることを選んだのか。高校サッカーにこそ、彼が求めた成長の場があった。

忘れかけていた感覚

「最初は高校サッカーなんて全く考えていなかった」

 滋賀県で生まれ育ち、着実にサッカー選手としての階段を歩み始めた岩崎悠人にとって、目指すべき場所は『Jユース』だった。

「その方がプロへの近道だと思っていた」

 しかし、中2の冬に全国高等学校サッカー選手権大会を見て考え方が大きく変わった。

「京都橘が快進撃を続けて、決勝まで勝ち上がった。あの舞台での勝負強さや、『絶対勝つぞ!』という強い気持ちが画面からも伝わってきた。選手一人ひとりの表情がすごく闘志にあふれていて、何より楽しそうだった。『自分の居場所はここにある』と思った」

 当時の京都橘はエースのFW小屋松知哉(現・名古屋グランパス)、GK永井建成(現・ロアッソ熊本)、FW仙頭啓矢(現・東洋大)といったタレントがそろい、4年ぶり2度目の本大会出場を果たした。そして快進撃を続け、一気に決勝まで勝ち上がった。鵬翔(宮崎)に2-2からのPK戦の末に惜しくも敗れ、優勝には一歩届かなかった。だが、彼らの躍進は全国に大きなインパクトを与え、一人の中学生の人生を変えた。

「父親から『京都橘の選手たちは京都サンガF.C.やガンバ大阪のユースに上がれなかった選手たちが集まって、頑張っている』と言われて興味が湧いた。だから、今まで見なかった選手権を見たんです。そうしたら一気に決勝までいくし、熱量もすごいし…。今まで見たことの無い世界を知った」

 ちょうどその時、彼は〝サッカーにとって一番重要なこと〟に気付いた時でもあった。

 小学校時代は地元・彦根市の金城FCでプレーしていた。「プロになって、世界に出たい」という夢をつかむために、小学校卒業と同時にJFAアカデミー福島に入り、親元を離れた。だが、中2の秋、夢を持って進んだJFAアカデミーを辞め、地元の彦根市立中央中に通うことになった。

「そこで大きなことに気付いた。アカデミーの時は、どこか『やらされている感』があったと思う。監督の目を気にしながらやっていた。だけど、もう一度『サッカーって楽しい』と思えた」

 当然、周りのレベルや環境も、アカデミー時代と比べて大きな差があった。けれど、真剣な中にも楽しさがあることに気が付くことができた。そうして忘れかけていた感覚を思い出した時、京都橘のサッカーと出会った。まさに運命の巡り合わせだった。

決定的な出会い

 中3になると、当然のように彼の元には、たくさんの誘いが届いた。「jユースからは、ヴィッセル神戸、京都、アルビレックス新潟。高体連は京都橘からお話を頂いて、4つの選択肢があった」。気持ちは京都橘に傾いていたが、正直迷った。

 Jユースには群を抜く環境が整っていた。一方で、今や強豪校の京都橘だが、練習環境は恵まれているとはいえなかった。学校のグラウンドは土で、フルコートを取ることができないほど狭い。間借りをしている桃山城グラウンドは広いが土のグラウンドで着替えも屋外だ。両方とも雨が降れば、たちまちぐちゃぐちゃになってしまう。しかし、それは彼にとって大きな問題ではなかった。

「グラウンドが土でも全く気になりませんでした。どの環境でもボールは変わらない。丸いし、ピッチは長方形だし。バウンドが変わるだけなんで、真剣に楽しくできれば全く気にならない」

 環境ではなく、いかに自分らしくサッカーができて、人間としても成長できるか。彼の尺度はそこにあった。当時読んだ、日本代表DF長友佑都(インテル)の自著の中で『一流の人間でなければ、一流のサッカー選手にはなれない』という言葉が印象に残ったという。「人間的にも成長をしないといけないと思うきっかけになった」。その考えが進路の決め手の一つとなった。

「最終的には神戸と、京都橘で迷いました。神戸の練習に参加した時、ボールもすごく回るし、レベルも高くて楽しかった」

 気持ちが揺れ動く中で、決定的な出会いに突き動かされた。国体の滋賀県選抜に入っていた岩崎は、隣の京都府選抜とたびたび試合をしたという。その選抜チームを率いていたのが、京都橘の米澤一成監督だった。試合で対戦する度に、「最近どうや?」とサッカーのことはもちろん、いろいろなことを気に掛けてくれた。いつしか「この人の下でなら人間的にも成長できる」と思うようになった。

 この交流によって、初めて京都橘をテレビで見た時に受けた衝撃の在りかを知った気がした。選手の人間力が高いからこそ、あの戦いぶりとなり、その表情が画面を通して伝わってきたのだろうと。自分もあの一員になりたい。その思いが、彼を京都橘へと導いた。

 そして今、その決断が間違っていなかったことを実感している。1年生からレギュラーをつかむと、昨季の選手権ではベスト8進出に貢献。その圧倒的な突破力と打開力は、Jクラブのスカウトからも注目を浴びるようになった。2年生になった今年、すでにFC東京と鹿島アントラーズが獲得に興味を持つなど、争奪戦はヒートアップしている。

「選手権に出て人生が変わった。代表にも選ばれ、海外遠征も経験して、あらためて自分を見つめ直すことができた。選手権に向かってチームが一体となっていく。この過程に自分がいられることはすごく大きいし、成長にもつながっていると思う」

熱くなれる環境

 岩崎は高校進学後、技術面でも大きな成長を遂げた。それをもたらしたのは、京都橘の環境だった。

「土のグラウンドなので、バウンドが変わったり、来るパスの精度も低い時がある。それに対して、多少強引でもマイボールにする技術や意識は、相当鍛えられた。ロングボールもズレるので、そこでリカバーできるようになった。守備面でも前線から2度追い、3度追いすることが多くて、より献身的なプレーもできるようになった」

 グラウンドの状態が悪ければ悪いほど、彼のプレーは際立った。それは環境が鍛え上げた代物だった。パスがズレてしまうのが当たり前。普段からそういった環境の中にいれば、変化に対してストレスを感じなくなる。パスがズレたから反応しない、良いパスが来ないと良いプレーができない。それが当たり前で育った選手たちは、わずかな変化さえも不満を覚える。そういった選手が増えている中で、彼の存在は非常に希少だ。だからこそ、実際に体感した高校サッカーは、回り道などとは思わないという。

「選手権で活躍をすればプロになれる。選手権という大きな目標をチーム、スタッフ全員で共有できて、一つになれることも大きい。高校サッカーは、まずチームありき。独り善がりになってしまっては絶対にいけない」

 そして、選んだ道の正しさをかみしめるシーンもあったという。今年の高校選手権京都府予選準決勝の久御山戦。全国高校総体ベスト16の久御山を相手に、先に2点を奪うも、その後試合をひっくり返される苦しい展開となった。

「2-3になった時、『ヤバイ』という気持ちに一瞬なった。その時応援席を見たら、試合に出たくても出られない3年生たちの顔が見えた。それで気持ちが一変した。ピッチに立っている2年生の僕が、絶対に裏切っちゃダメだと思った」

 直後、ドリブルから同点ゴールを挙げた。勢いを取り戻したチームは、その後決勝点を挙げ、4-3の勝利をつかみ取った。

「僕がゴールを決めた後、スタンドの3年生が泣いていたという話を聞いて、本当に胸が熱くなった。本当にここに来て良かったと思いました」

 決断は間違いではなかった。望んでいたものがそこにはあった。彼の高校生活はまだあと1年ある。選択の正しさを実証するためにも、京都で出会った最高の仲間たちと共に、まっすぐにサッカーに打ち込み続ける。


■profile
岩崎悠人(いわさき・ゆうと)
1998年6月11日、滋賀県生まれ。彦根中央中から京都橘に進学し、1年からレギュラーとして活躍。第93回全国高等学校サッカー選手権大会ではチームの準々決勝進出に貢献。大会優秀選手に選ばれ、U-17日本代表にも選出。スピードと運動量を生かしたドリブル突破が持ち味。

安藤隆人●文
text by Takahito Ando
齊藤友也●写真
photo by Tomoya Saito



わけわけ三国志


京都橘高校の岩崎悠人くんに興味を持つ鹿島である。
現時点で高校2年生の岩崎くんは、中学時代から注目される逸材である。
スピードと運動量で勝負するFW。
中学卒業時には、多くのクラブユースや高校から引く手数多であったとのこと。
中学時に駅伝部にも所属した持久力と瞬発力を併せ持つ。
来年には鹿島入団を選択してくれるであろうか。
注目である。


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豊川、岡山にレンタル濃厚

2015年12月31日 | Weblog
U22滑り込みの鹿島豊川 来季岡山にレンタル濃厚
[2015年12月31日7時31分 紙面から]

 U-22(22歳以下)日本代表に追加選出されたMF豊川雄太(21)が来季、鹿島から岡山に期限付き移籍することが30日、濃厚となった。

 岡山がJ1昇格の切り札として獲得オファーを出しており、クラブ間の正式合意をへて年明けにも発表される。U-22代表では3月の1次予選で2戦1発と活躍したが、クラブでは負傷が続いた影響もあって6試合無得点。最終予選を突破し本大会に出場するためにも、出場機会を求めて移籍する見通しだ。



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岡山からのオファーが届いた豊川である。
2014年シーズンは開幕からレギュラーに抜擢され活躍したが、今季は出場機会が激減しておった。
豊川としては、このチャンスを活かしたいところ。
岡山のJ1昇格に尽力するのだ。
楽しみである。


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北九州・本山、チームメートと一丸になってJ2優勝とJ1昇格

2015年12月31日 | Weblog
福岡)本山選手、背番号は「43」に J2ギラヴァンツ
宮野拓也2015年12月31日03時00分


報道陣の取材に「黄色が好きなんでうれしい」と話す本山雅志選手=北九州市八幡西区

 J1鹿島アントラーズからJ2ギラヴァンツ北九州に移籍した本山雅志選手(36)が30日、北九州市八幡西区であった少年サッカー大会で新しいユニホーム姿を披露した。背番号は、東福岡高で最初に着けた原点という43になった。

 本山選手は同市若松区出身。18年間在籍した鹿島では名ドリブラーとしてチームを引っ張り、日本代表でも国際Aマッチ28試合に出場した。この日は、東福岡のOB2人と発起人を務める「第6回新春初夢若松サッカー大会」に集まった小学生約260人の前に登場し、試合にも交ざった。

 地域貢献にも積極的に参加したいとする本山選手は、「勝っていかないと盛り上がらないと思う。チームメートと一丸になってJ2優勝とJ1昇格」を来季の目標に掲げた。J2には小野伸二選手や稲本潤一選手といった同級生も多く、対戦を待ち望んでいた。(宮野拓也)


ギラヴァンツ北九州のユニホーム姿でプレーする本山雅志選手=北九州市八幡西区の星琳高校総合グラウンド


「J1へチーム押し上げる」 ギラ入団の本山、池元選手意欲 [福岡県]

2015年12月31日 00時24分


子どもたちに華麗なボールさばきを披露する本山雅志選手

 来季からJ2ギラヴァンツ北九州でプレーするFWの本山雅志選手(36)=若松区出身=と池元友樹選手(30)=小倉北区出身=が30日、八幡西区であった子どもたちのサッカー大会に参加し試合を楽しんだ。
 入団発表後、2人が公の場に登場したのは初めて。今季限りでJ1鹿島を退団した元日本代表の本山選手は「地元でサッカーができる喜びを感じている。チームをJ1へ押し上げられるよう頑張っていきたい」と抱負を語った。一方、古巣へ復帰した池元選手は「移籍するなら北九州しかないと思っていた。ピッチで結果を出したい」と意気込んでいた。
=2015/12/31付 西日本新聞朝刊=



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新しいユニフォーム姿を披露した北九州の本山である。
背番号は43とのこと。
東福岡時代に着けた番号である。
原点に戻り、サッカーを楽しむという意気込みが伝わってくる。
またワクワクさせてくれるであろう。
本山の輝きが楽しみである。


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豊川、U-23日本代表選出

2015年12月31日 | Weblog
豊川選手 U-23日本代表メンバー選出のお知らせ
2015年12月30日(水)

本日、「AFC U-23選手権 カタール2016(オリンピック・アジア最終予選)」(2016年1月12日~30日@カタール)のU-23日本代表メンバー2名が追加発表されました。

鹿島アントラーズからは、豊川選手が選出されました。



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U-23日本代表に追加招集された豊川である。
これは重畳。
得意のFK、持ち前の明るさで日本を五輪に導くのだ。
楽しみである。


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中島裕希、町田に加入

2015年12月30日 | Weblog
中島裕希選手 完全移籍加入のお知らせ
日頃よりFC町田ゼルビアをご支援いただきまして、誠にありがとうございます。
モンテディオ山形より、FW中島裕希選手が完全移籍で加入することが決まりましたので、お知らせ致します。
中島選手はファン・サポーターの皆様に対し、以下のようにメッセージを寄せております。
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来シーズンからFC町田ゼルビアでプレーすることになった中島裕希です。
自分の特徴でもあるスピードと裏への飛び出しを活かし、町田のJ2残留、そして、その先を目指して全力で頑張りたいと思います!
皆さん、よろしくお願いします!
一緒に闘いましょう!!
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以下、プロフィール
○FW中島裕希
(なかしま ゆうき)
■生年月日
1984年6月16日(31歳)
■出身地
富山県高岡市
■身長 / 体重
175cm / 76kg
■選手経歴
FCひがしJrユース→富山第一高→鹿島アントラーズ→ベガルタ仙台→モンテディオ山形
■年度別成績
2003(鹿島・J1)リーグ戦11試合0得点、ナビスコ杯4試合0得点、天皇杯4試合1得点
2004(鹿島・J1)リーグ戦10試合0得点、ナビスコ杯5試合1得点、天皇杯1試合0得点
2005(鹿島・J1)リーグ戦2試合0得点、ナビスコ杯4試合0得点、天皇杯1試合1得点
2006(仙台・J2)リーグ戦24試合5得点、天皇杯2試合0得点
2007(仙台・J2)リーグ戦47試合10得点、天皇杯1試合0得点
2008(仙台・J2)リーグ戦31試合6得点、天皇杯2試合1得点
2009(仙台・J2)リーグ戦38試合8得点、天皇杯5試合3得点
2010(仙台・J1)リーグ戦21試合1得点、ナビスコ杯4試合1得点、天皇杯0試合0得点
2011(仙台・J1)リーグ戦20試合1得点、ナビスコ杯2試合1得点、天皇杯2試合1得点
2012(山形・J2)リーグ戦41試合9得点、天皇杯2試合1得点
2013(山形・J2)リーグ戦40試合12得点、天皇杯3試合0得点
2014(山形・J2)リーグ戦36試合6得点、天皇杯2試合0得点
2015(山形・J1)リーグ戦31試合2得点、ナビスコ杯6試合1得点、天皇杯4試合1得点
☆J1リーグ通算95試合4得点
☆J2リーグ通算257試合56得点
☆ナビスコ杯通算25試合4得点
☆天皇杯通算29試合9得点
以上

中島裕希選手 FC町田ゼルビアへ完全移籍のお知らせ
2015年12月30日(水)

このたび中島裕希選手が、FC町田ゼルビアへ完全移籍することが決定しましたのでお知らせいたします。

中島裕希選手 Yuki NAKASHIMA
生年月日:
1984年6月16日(31歳)

身長体重:
175cm、76kg

出身地:
富山県

ポジション:
FW

経歴:
FCひがしJrユース→富山第一高→鹿島アントラーズ→ベガルタ仙台→鹿島アントラーズ→ベガルタ仙台→鹿島アントラーズ→ベガルタ仙台→モンテディオ山形→ベガルタ仙台→モンテディオ山形

通算出場記録:
J1リーグ戦通算95試合出場4得点
J2リーグ戦通算257試合出場56得点
カップ戦通算25試合出場4得点
天皇杯通算29試合出場9得点

中島裕希選手コメント
「4年間支えてくれたサポーターのみなさん、ありがとうございました。この度、FC町田ゼルビアに移籍することになりました。みなさんと共に闘えたことを一生忘れません。これからも応援よろしくお願いします。」



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町田に加入した中島裕希である。
山形を退団トライアウトに参加しておったが、町田の相馬監督の目に留まった様子。
相馬監督と中島は2003年に選手として鹿島に所属しておった。
この縁を大事に、今回は町田のJ2残留に尽力するのだ。
活躍の報を待っておる。


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植田、鹿島で勝負したい

2015年12月30日 | Weblog
【鹿島】U23代表・植田が残留決断「鹿島で勝負したい」
2015年12月30日6時0分 スポーツ報知

 U―23日本代表DF植田が残留を決断した。J1鳥栖などから期限付き移籍のオファーを受けていたが、「鹿島で勝負したい」とクラブに申し入れた。今季はリーグ戦12試合と出場機会が得られず、今後の成長を見据え、鹿島との話し合いの上で他クラブに出ることも選択肢に入れていた。来季は持ち味の身体能力でDF昌子、ファンソッコの牙城を崩す。



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鹿島残留を決断した植田である。
植田は、鳥栖などからレンタルのオファーを受けておったが、鹿島でのプレイを希望したとのこと。
植田自身、2014年シーズンこそレギュラーポジションを得ておったが、今季は前半こそ幾試合かチャンスをもらったが、石井監督になってからは出場機会が激減しておった。
源とファン・ソッコ、青木に加え、来季は町田くんも加入するCBは層が厚い。
来年の五輪出場を目指す植田としては、出場機会を求め、移籍することも視野に入れても良かったはず。
しかしながら、植田は鹿島での成長を目指す様子。
植田の向上心が表れておる。
是非ともポジションを奪い、活躍して欲しい。
植田の闘争心に期待しておる。


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U-23日本代表候補・豊川、紅白戦にてアシスト

2015年12月29日 | Weblog
U22日本代表2枠争いで豊川が1アシストと結果
[2015年12月29日20時41分]


右CKでFWオナイウの得点をアシストしたU-22代表候補MF豊川

 沖縄・石垣島合宿中のU-22(22歳以下)日本代表が29日、50分1本の紅白戦を行った。主力組と控え組の序列をつけた形で行われ、先発は主力組がGK櫛引政、DF松原、植田、奈良、亀川、MF遠藤、大島、矢島、中島、FW久保、鈴木。控え組がGK杉本、DF室屋、高橋、櫛引一、安在、MF川辺、三竿、豊川、前田、FW荒野、オナイウでスタート。GK牲川、DF岩波、MF原川が途中から出場した。負傷中のGK中村はピッチに立つことができなかった。

 試合は開始5分、主力組が先制する。松原の右クロスを大島が右足ボレーで突き刺した。15分には矢島の右CKに植田が頭で合わせて追加点を挙げた。控え組も反撃する。20分、豊川の右CKがオナイウの頭をとらえ、ゴールマウスに飛び込んだ。1点差に迫ったが、試合は連係に一日の長がある主力組のペース。31分、再び矢島のCKからFW久保のヘディング、37分には矢島のCKのこぼれ球を原川がゴール前に上げ、岩波が右足で豪快に突き刺した。4-1で笛が鳴り、石垣島合宿の実質最終日の練習を打ち上げた。

 主力組がまずまずの仕上がりを見せた一方、控え組では、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選(来年1月12日開幕、カタール)の未発表メンバー2枠を争っていた豊川が1アシストと結果を出した。「CKは良いところに上げられたけど、得点を取りたかった。どうなるか分からない。あとは待つだけ」と、30日の運命の発表を迎える。手倉森監督は「力をぶつけ合うゲームになり、白熱して高め合えたと思う。残り2枠については、これからコーチ陣の話も聞いて最終的に決めたい」。天皇杯では浦和MF関根が好調だったこともあり、最後の最後まで悩みそうな様子だった。

U22豊川生き残りに望み 最終メンバー今日発表
[2015年12月30日7時51分 紙面から]


紅白戦で力強いドリブルを仕掛けるU-22代表候補MF豊川。左はMF原川

 沖縄・石垣島合宿中のサッカーU-22(22歳以下)日本代表が29日、候補選手の生き残りをかけた紅白戦を実施した。リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねるU-23アジア選手権(来年1月12日開幕、カタール)の未発表メンバー2人を決める参考材料となる実戦で、控え組に入ったMF豊川雄太(21=鹿島)が1アシストと結果を残した。MF前田直輝(松本)FW荒野拓馬(札幌)も最後のアピールを行い、今日30日の運命のメンバー発表を待つ。

 望みをつなぐ放物線が描かれた。紅白戦の20分、右CK。控え組MF豊川が蹴ったボールが、FWオナイウの頭をとらえた。MF遠藤、DF植田らA代表経験者の壁を破るアシスト。鹿島でも任される正確なプレースキックで、残り2枠の決断材料を求める手倉森監督に猛アピールした。

 終盤には自陣からドリブルを仕掛けた。MF原川を右半身で押さえつけながら、力強く左サイドの敵陣深くまで運んでいく。指揮官も思わず「トヨーッ!」と声を上げた。相手DFの背後を突く動きも愚直に繰り返し、手倉森監督から「十分に体を張れることが分かった。相手のギャップに入り込んでいく動きも良かった」と認められた。

 ラストチャンスにかけてきた。故郷熊本で自主トレを重ね、東海大熊本校の練習にまじって状態を高めてきた。石垣島でも走り続け、迎えた最後の実戦。「CKは良い位置に上げられたし、ゴールへ向かう姿勢も見せられた。ただ得点を取りたかった」。“当確弾”こそ決められなかったが「あとは待つだけです」。

 ほかの候補も力を発揮した。浦和MF関根は天皇杯の柏戦で躍動し、右サイドを切り裂いた。テレビで確認した手倉森監督も「彼の持ち味が発揮できる状況だった」。紅白戦ではMF前田がドリブル、FW荒野が体を張る特長を示し、前田は「仕掛けなければ自分じゃないし、やることはやった」と完全燃焼した。

 残り2枠は今日30日、帰京後の会見で発表される。指揮官は「まだ迷うほど、みんな良い。コーチ陣の話も聞いて決断したい」。最終予選の鍵も握りそうな2人が、決定する。【木下淳】

豊川 U22生き残りへのアシスト 指揮官「常に前向く姿勢いい」
U22石垣島合宿 紅白戦 主力組4―1控え組 (12月29日)


紅白戦でボールを奪う豊川(手前)
Photo By スポニチ


 来年1月のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選(1月12日開幕、カタール)に向けて合宿中のU―22日本代表は29日、沖縄県石垣市内で調整した。予選メンバーの残り2枠の座を争うMF豊川雄太(21=鹿島)が、紅白戦で1アシストして生き残りへアピールした。

 試合開始から20分、控え組が右CKを得るとキッカーは豊川。右足で狙い済ましたボールは、ゴール前で競り合いを制したオナイウの頭にドンピシャで合った。最終予選メンバー23人の残り2枠を争い、重要な紅白戦で1アシストと結果を出し「(セットプレーが)チームの得点源になれば助けになる。やれることはやった」と充実感をにじませた。既に決定しているメンバー21人の中でキッカーは右足の矢島、左の山中がいるが、手薄な状況。メンバー入りへ大きなアピールとなった。

 終盤には左サイドのライン際を原川と競り合いながらドリブル突破。最後は止められたが、技術と強さを見せ「ああいう姿勢だったり、ゴールに向かう姿勢は出せた」と手応えを口にする。手倉森監督も「体を張れるし、相手のギャップに入っていける。常に前を向く姿勢は良かった」と評価した。残り2枠の発表は30日。やるべきことをやり、吉報を待つ。
[ 2015年12月30日 05:30 ]

U22日本代表2枠争い豊川がアピール
2015年12月30日


紅白戦でCKからアシストした豊川

 「U-22日本代表合宿」(29日、石垣市内)

 来年1月のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選(1月12日開幕、カタール)に向けて合宿中のU-22(22歳以下)日本代表は29日、沖縄県石垣市内で紅白戦(50分)を行い、主力組が4-1で控え組を下した。残り2枠の最終予選メンバーは30日に発表される。最終試験となる紅白戦で控え組に入ったMF豊川雄太(21)=鹿島=が1アシストをマークし、生き残りへアピールした。

 豊川は右CKで精密な右足を披露した。20分にオナイウの頭にぴたりと合わせた。控え組の唯一の得点をアシストした。「鹿島で練習してきた。どうなるか分からないが、後は待つだけ」と表情も明るかった。

 残された椅子は2つだけ。キッカーは右の矢島、左の山中だけと駒不足だけに印象は残した。手倉森監督は「体を張れると思った。前を取る姿勢はよかった」と評価した。強引なドリブル突破でも存在感を示した。

 一方でMF前田は得意のドリブルが不発に終わり、「難しい面はあった」。FW荒野も「簡単なミスがあった」と肩を落とした。ライバルの2人はアピール不足に終わった。天皇杯準決勝に出場した浦和の関根も有力候補だ。

 残り2枠は、センターバックを1枚削って攻撃の選手を2人入れる予定。最終試験は終了。手倉森監督は「コーチ陣の話を聞いてから決めたい」と語った。



わけわけ三国志


紅白戦にて合宿を締めたU-23日本代表候補である。
サブ組の豊川はアシストという結果を出したとのこと。
残りのメンバーへのアピールになったであろうか。
運命の発表は明日。
是非とも滑り込んで欲しいところ。
期待しておる。


わけわけ三国志

U-23日本代表候補・豊川、コミュニケーションや連係は取れているとは思います

2015年12月29日 | Weblog
豊川 U22主力組殴り込み!登録“残り2枠”へ最後のアピール

<U22石垣島合宿>練習中に水分補給する豊川(中央)
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 来年1月のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選(1月12日開幕、カタール)に向けて合宿中のU―22日本代表は28日、沖縄県石垣市内で調整した。実戦形式の練習では既に発表されている最終予選メンバー21人以外でMF豊川がただ一人、途中から主力組に入った。

 中島に代わって左サイドの位置に入り、躍動した。狭いスペースの中で久保らとコンビネーションで突破を試みた。「コミュニケーションや連係は取れているとは思います。常に選ばれた体でプレーしている」と21人から漏れたとはいえ、残り2枠を争う戦いへのモチベーションは高い。

 ライバルは多い。今合宿に参加しているメンバーでも荒野や前田、不参加組でも浦和のMF関根がいる。それでもエース候補である久保との連係についても「一番コミュニケーションを取っている。(久保は)うまいのでお互いの特長を出し合いたい」と自信。きょう29日の紅白戦で手倉森監督は2枠に入る選手を決断する方針で「頑張りますよ」と豊川。最後のアピールでカタール切符を手に入れる。
[ 2015年12月29日 05:30 ]

U22メンバー絞り込み、豊川、前田、荒野から2人
[2015年12月29日7時19分 紙面から]


U-22最終予選メンバー候補の、左から札幌FW荒野、松本MF前田、鹿島MF豊川

 サッカーU-22(22歳以下)日本代表のサバイバル紅白戦が今日29日に行われる。リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねたU-23アジア選手権(来年1月12日開幕、カタール)の未発表メンバー2人を決める沖縄・石垣島合宿。得点力不足解消のため2選手とも攻撃陣から選ばれるとみられ、MF豊川雄太(21=鹿島)MF前田直輝(21=松本)FW荒野拓馬(22=札幌)が最終試験を受ける。

 2つのイスを奪い合う選手が事実上、3人に絞られた。手倉森監督はセンターバックを削って攻撃の枚数を増やすとみられ、豊川、前田、荒野が運命の紅白戦に臨む。3月の1次予選で3試合中2試合に出場し、最終予選進出に貢献した豊川は「今回は候補だけど、常に自分が選ばれたものと思ってプレーしている」と意欲的。駒不足のキッカーとしても幅を広げられる存在で、滑り込みを目指す。

 新鋭と常連も負けていない。7月のコスタリカ戦で初めて招集された前田は今月の中東遠征にも参加。「個で打開できる部分をテグさん(監督)に見せつけたい」と、同部屋の豊川としのぎを削る。荒野は14年の手倉森ジャパンから名を連ねる古株。24日に同じ常連の金森が右太もも裏痛で離脱し「残り2枠は俺と金森で、と話していたのに」。友の分まで意地を見せる。

 ほかの候補、浦和MF関根はチームが天皇杯準決勝に進んだため合宿に参加できない。鳥栖FW鎌田は準々決勝で敗退したが、追加招集されなかった。残る2枠は関根+石垣組か、2人とも石垣組か-。個人の特長と、発表済みメンバーとの連係面の両方を紅白戦で見極める手倉森監督は「最後の最後まで悩みたい」。代表の公式戦5戦2発の豊川、3戦0発の前田、14戦3発の荒野が最後のふるいにかけられる。【木下淳】



わけわけ三国志


実践形式の練習にて主力組に入ったU-23日本代表候補の豊川である。
左サイドのポジションにて躍動したとのこと。
狭いスペースの中でコンビネーションで崩そうと試みた模様。
得意のコミュニケーションでチームメンバーと連携を深めておる。
この能力を高く評価して欲しいところ。
豊川の活躍を楽しみにしておる。


わけわけ三国志

永木、鹿島のダイナモ誕生

2015年12月29日 | Weblog
湘南MF永木 鹿島に完全移籍「タイトル獲得のため全力尽くす」

鹿島へ完全移籍することになった湘南MF永木
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 鹿島が湘南のMF永木亮太(27)が完全移籍で加入することを発表した。

 正確無比なFKと豊富な運動量が持ち味で、今月20日のハリルジャパンのミーティングに“初招集”された期待のボランチ。複数クラブから獲得オファーを受けながら鹿島に決断した逸材は「今まで培ってきた自分の全てを出し、タイトル獲得のためチームに貢献できるように全力を尽くします」とコメントした。
[ 2015年12月29日 05:30 ]

鹿島、”湘南スタイル”支えた主将永木を獲得「タイトルを獲りたい」
2015年12月28日(Mon)16時30分配信
photo Getty Images



永木亮太【写真:Getty Images】

 鹿島アントラーズは28日、湘南ベルマーレのMF永木亮太が完全移籍で加入すると発表した。

 永木は1988年6月4日生まれの27歳で、2011年に湘南でプロキャリアをスタートさせた。今季はリーグ戦32試合に出場し3ゴール2アシストを記録。守備的ミッドフィールダーとして、さらにキャプテンとして“湘南スタイル”を牽引した。

 永木は鹿島の公式ウェブサイトを通じて、「伝統ある鹿島でプレーできることを嬉しく思います。今まで培ってきた自分の全てを出し、タイトル獲得のためチームに貢献できるように全力を尽くします」とコメントしている。

 また、特別指定選手として加わった期間も含めて5年を過ごした湘南のファンに対しては、公式サイトを介して感謝の意を伝え、悩み抜いた末での決断だったことを告白した。

「鹿島という伝統ある常勝軍団のスタイルの中に入り、また新しい経験をしたいということ、また今までJ1でたくさんのタイトルを獲ってきたチームの中に自分も入り、色々なことを学びながらチームに貢献し、タイトルを獲りたいという気持ちになりました」

 さらに、湘南への変わらぬ愛情と将来的な帰還を示唆しながら、日本代表入りへの意欲を見せて別れの言葉を結んでいる。新天地で心機一転、永木は常勝軍団の一員として飛躍を遂げることができるだろうか。

【了】

鹿島、湘南からMF永木を完全移籍で獲得「1つでも多くのタイトルを」

鹿島への移籍が発表されたMF永木亮太 [写真]=Getty Images

 鹿島アントラーズは28日、湘南ベルマーレからMF永木亮太が完全移籍で加入することを、クラブ公式サイトで発表した。

 現在27歳の永木は川崎フロンターレのユースから中央大学へ進学すると、4年生時に湘南の特別指定選手として登録され、Jリーグデビューを果たした。その後、2011年から正式に湘南の一員となると、2013年からはキャプテンに就任。今季は2015明治安田生命J1リーグ32試合に出場し、3得点を記録している。また、日本代表選出経験はないものの、今月20日に行われた国内組の代表候補ミーティングに招集された。

 移籍が決まった永木はサイトを通じて、「この度、湘南ベルマーレから鹿島アントラーズに加入することになりました、永木亮太です。伝統ある鹿島でプレーできることを嬉しく思います。今まで培ってきた自分の全てを出し、タイトル獲得のためチームに貢献できるように全力を尽くします。また、カシマスタジアムでサポーターの皆さんと一緒に戦えるのを楽しみにしています。1つでも多くのタイトルを獲得できるように、共に頑張りましょう」とコメントしている。

 また、湘南のクラブ公式サイトを通じて以下のようにコメントしている。

「この度、鹿島アントラーズに移籍することになりました。湘南では、2010年の特別指定選手の時を含め、プロのキャリアをスタートさせてから今まで育ててもらい、反町監督、監督をはじめ、今まで指導してもらった現場のスタッフ、並びにフロントスタッフの皆さんにも、サッカー選手としてだけでなく、人間としても成長させてもらったことを本当に感謝しています。2013年からは監督のもと、キャプテンを3年間務めさせてもらい、良い時も苦しい時もありましたが、自分にとっては本当に素晴らしい経験になりました。鹿島からオファーをいただいて以来、移籍を決めるまでは本当に悩みましたが、一番の決め手となったのは、鹿島という伝統ある常勝軍団のスタイルの中に入り、また新しい経験をしたいということ、また今までJ1でたくさんのタイトルを獲ってきたチームの中に自分も入り、色々なことを学びながらチームに貢献し、タイトルを獲りたいという気持ちになりました」

「サポーターの皆さんには、大学生の時から本当に温かく応援してもらい、近年では湘南スタイルをサポーターの皆さんと共に作り上げているということを感じながら、サッカーができていましたし、常に声を絶やさず共に戦ってくれたことを本当に感謝しています。勝った後の勝利のダンスは本当に大好きでした。来年からチームは変わりますが、湘南ベルマーレのことはこの先、永遠に大好きだし、自分の中で湘南でタイトルを獲るというのは1つの大きな夢なので、また湘南ベルマーレに関わって、タイトルを取れる日が来るように、今まで以上に選手としても人間としても成長して帰ってこれたら幸せだと思っています。本当に今までありがとうございました。来年は、日本代表のユニフォームを着ることがでるように、頑張ります。チームは変わりますが、来年も一緒にJリーグを盛り上げていきましょう」

【J1・J2移籍動向/42クラブを網羅】鹿島が湘南のMF永木を獲得! 新潟がFW鈴木の復帰を発表
サッカーダイジェストWeb編集部
2015年12月28日


「色々なことを学びながらチームに貢献し、タイトルを獲りたい」(永木)


鹿島入りを決断した永木。12月20日の日本代表候補ミーティングにも招集されており、「来年は、日本代表のユニフォームを着ることがでるように、頑張ります」と代表入りを誓った。 (C)SOCCER DIGEST

 鹿島が28日、湘南のMF永木亮太(27歳)の獲得を発表した。

 11年に湘南に加入し、13年から主将を務めたボランチは、2年連続でのラブコールに応えて鹿島への移籍を決断。鹿島の公式HPを通して「伝統ある鹿島でプレーできることを嬉しく思います。今まで培ってきた自分の全てを出し、タイトル獲得のためチームに貢献できるように全力を尽くします」とコメントした。

 また、湘南の公式HPでは、「一番の決め手となったのは、鹿島という伝統ある常勝軍団のスタイルの中に入り、また新しい経験をしたいということ、また今までJ1でたくさんのタイトルを獲ってきたチームの中に自分も入り、色々なことを学びながらチームに貢献し、タイトルを獲りたいという気持ちになりました」。

 さらに、「来年からチームは変わりますが、湘南ベルマーレのことはこの先、永遠に大好きだし、自分の中で湘南でタイトルを獲るというのはひとつの大きな夢なので、また湘南ベルマーレに関わって、タイトルを取れる日が来るように、今まで以上に選手としても人間としても成長して帰ってこれたら幸せだと思っています」と熱い湘南愛も語った。



わけわけ三国志


複数クラブからの獲得オファーから鹿島を選んだ永木である。
これはより嬉しい。
小笠原満男を尊敬し、彼とのプレイを望んだ結果が、来季、実を結ぶ。
球際の強さとタフさで勝利に貢献してくれるであろう。
鹿島のダイナモの誕生を喜びたい。
活躍が楽しみである。


わけわけ三国志

ようこそ永木亮太

2015年12月28日 | Weblog
永木選手が完全移籍で加入
2015年12月28日(月)

永木亮太選手が湘南ベルマーレより完全移籍で加入することとなりましたので、お知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
永木 亮太(ながき・りょうた)

■生まれ:
1988年6月4日、神奈川県出身

■サイズ:
173センチ、72キロ

■ポジション:
MF

■経歴:※カッコ内は加入年
ヴェルディジュニア-FC奈良-川崎フロンターレU‐15-川崎フロンターレU-18-中央大学-湘南ベルマーレ(2011~ ※2010 湘南ベルマーレ特別指定選手)

■公式戦成績:
J1リーグ通算 76試合7得点
J2リーグ通算 108試合12得点
ナビスコカップ通算 6試合0得点
天皇杯通算 9試合0得点

■永木選手コメント
「この度、湘南ベルマーレから鹿島アントラーズに加入することになりました、永木亮太です。伝統ある鹿島でプレーできることを嬉しく思います。今まで培ってきた自分の全てを出し、タイトル獲得のためチームに貢献できるように全力を尽くします。また、カシマスタジアムでサポーターの皆さんと一緒に戦えるのを楽しみにしています。ひとつでも多くのタイトルを獲得できるように、共に頑張りましょう」

永木亮太選手 鹿島アントラーズへ移籍のお知らせ
この度、永木亮太選手が鹿島アントラーズへ移籍することとなりましたのでお知らせいたします。
尚、永木選手は完全移籍となります。

【プロフィール】
◆氏名
永木 亮太(ナガキ リョウタ)

◆ポジション
MF

◆生年月日
1988年6月4日(27歳)

◆身長/体重
173cm/72kg

◆出身地
神奈川県横浜市

◆サッカー歴
川崎フロンターレU-15 ⇒ 川崎フロンターレU-18 ⇒ 中央大 ⇒ 湘南ベルマーレ(2011年)
※2010年 特別指定選手(湘南)

◆出場記録

年度 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2010 湘南ベルマーレ(J1) 11試合0得点 0試合0得点 0試合0得点
2011 湘南ベルマーレ(J2) 36試合4得点 - 4試合0得点
2012 湘南ベルマーレ(J2) 41試合2得点 - 2試合0得点
2013 湘南ベルマーレ(J1) 33試合4得点 4試合0得点 2試合0得点
2014 湘南ベルマーレ(J2) 31試合6得点 - 0試合0得点
2015 湘南ベルマーレ(J1) 32試合3得点 2試合0得点 1試合0得点
※通算:J1リーグ…76試合7得点、J2リーグ…108試合12得点、ナビスコカップ…6試合0得点、天皇杯…9試合0得点

【コメント】
この度、鹿島アントラーズに移籍することになりました。
湘南では、2010年の特別指定選手の時を含め、プロのキャリアをスタートさせてから今まで育ててもらい、反町監督、監督をはじめ、今まで指導してもらった現場のスタッフ、並びにフロントスタッフの皆さんにも、サッカー選手としてだけでなく、人間としても成長させてもらったことを本当に感謝しています。
2013年からは監督のもと、キャプテンを3年間務めさせてもらい、良い時も苦しい時もありましたが、自分にとっては本当に素晴らしい経験になりました。
鹿島からオファーをいただいて以来、移籍を決めるまでは本当に悩みましたが、一番の決め手となったのは、鹿島という伝統ある常勝軍団のスタイルの中に入り、また新しい経験をしたいということ、また今までJ1でたくさんのタイトルを獲ってきたチームの中に自分も入り、色々なことを学びながらチームに貢献し、タイトルを獲りたいという気持ちになりました。
サポーターの皆さんには、大学生の時から本当に温かく応援してもらい、近年では湘南スタイルをサポーターの皆さんと共に作り上げているということを感じながら、サッカーができていましたし、常に声を絶やさず共に戦ってくれたことを本当に感謝しています。
勝った後の勝利のダンスは本当に大好きでした。
来年からチームは変わりますが、湘南ベルマーレのことはこの先、永遠に大好きだし、自分の中で湘南でタイトルを獲るというのはひとつの大きな夢なので、また湘南ベルマーレに関わって、タイトルを取れる日が来るように、今まで以上に選手としても人間としても成長して帰ってこれたら幸せだと思っています。
本当に今までありがとうございました。
来年は、日本代表のユニフォームを着ることがでるように、頑張ります。
チームは変わりますが、来年も一緒にJリーグを盛り上げていきましょう。



わけわけ三国志


予てから噂のあったように、湘南の永木が鹿島に加入する。
これは嬉しい。
「鹿島という伝統ある常勝軍団のスタイルの中に入り、また新しい経験をしたい」とコメントしており、タイトルに大きく尽力してくれるであろう。
力一杯声援を送り、共に戦おうではないか。
活躍を期待しておる。


わけわけ三国志

山形・當間、松本山雅へ移籍

2015年12月28日 | Weblog
當間建文選手 モンテディオ山形から完全移籍加入のお知らせ
2015/12/28

この度、モンテディオ山形より當間建文選手が完全移籍加入することが決定しましたので、下記の通りお知らせいたします。

□當間 建文選手 プロフィール

【氏名】    當間 建文(とうま たけふみ)
【ポジション】 DF
【生年月日】  1989年3月21日
【出身】    沖縄県
【身長/体重】 178cm/72kg
【競技歴】   宇栄原FC ⇒ 小禄中 ⇒ 東海大第五高 ⇒ 鹿島アントラーズ ⇒ 栃木SC ⇒ モンテディオ山形
【出場記録】
≪2015シーズン≫
【J1リーグ】22試合0得点/【リーグカップ】2試合2得点/【天皇杯】2試合0得点
《通算》

年度 チーム リーグ リーグ リーグカップ 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
2010 鹿島 J1 1 0 0 0 3 0
2011 鹿島 J1 2 0 0 0 1 0
2012 栃木 J2 29 2 – – 1 0
2013 栃木 J2 30 1 – – 0 0
2014 山形 J2 27 3 – – 5 0
2015 山形 J1 22 0 2 2 2 0
通算 J1 25 0 2 2 12 0
J2 86 6
【當間選手コメント】
『みなさんはじめまして。モンテディオ山形から移籍することになりました當間建文です。松本山雅FCはとても情熱的な多くのサポーターの方々の存在が、これまでも印象に強く残っています。そのみなさんを楽しませ、チームに貢献できる選手になりたいと思います。よろしくお願いします』

當間建文選手 松本山雅FCへ完全移籍のお知らせ
2015年12月28日(月)

このたび當間建文選手が、松本山雅FCへ完全移籍することが決定しましたのでお知らせいたします。

當間建文選手 Takefumi TOMA
生年月日:
1989年3月21日(26歳)

身長体重:
178cm/72kg

出身地:
沖縄県

ポジション:
DF

経歴:
宇栄原FC→小禄中→東海大第五高→鹿島アントラーズ→栃木SC→モンテディオ山形

通算出場記録:

J1リーグ戦通算25試合出場0得点
J2リーグ戦通算86試合出場6得点
カップ戦通算2試合出場2得点
天皇杯通算12試合出場0得点

當間建文選手コメント
「加入からの2年、サッカーでは1年でのJ1昇格、そして1年でのJ2降格と様々な経験をし、プライベートでは初めての子供が山形で生まれ、人生の中でも特に印象深い山形での2年間になりました。これから次のチャンレンジに向かって移籍しますが、引き続き當間建文を応援していただければと思います。これまで本当にありがとうございました。」



わけわけ三国志


山形から松本山雅に移籍する當間である。
出場機会を求めてとのこと。
是非ともポジションを奪い取り、後藤と共に鉄壁のDFを組むのだ。
活躍を楽しみにしておる。


わけわけ三国志

岳、海外ならどこでもいいとは考えていないし、自分が成長できるところがいい

2015年12月27日 | Weblog
【移籍マーケット最新事情】オフ返上で練習を続けた柴崎岳。欧州挑戦を望むも、現状は「あまりに(動きが)なにもなさ過ぎる」(鹿島幹部)
サッカーダイジェスト編集部
2015年12月27日


鹿島側の配慮で、来季の契約交渉を一時凍結していたが…。


欧州移籍を狙う柴崎は、オフの間も身体を動かし、コンディションを保っていた。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 チームがオフに入ってからも、柴崎は鹿島のクラブハウスで練習を続けていた。その大きな理由が、フランクフルトからの関心だ。選手としては、いつドイツに渡ってもいいようにコンディションを保つ必要がある。ただ、実際に移籍話に進展があるかと言われれば、そうとは言い切れない。

 10月に代理人を通じて「フランクフルトが柴崎に興味を持っている」という情報が寄せられたきり、現地から鹿島への接触はない。正式オファーが届いた瞬間に内定するのが海外移籍の通例とはいえ、過去の例と比べても「あまりに、なにもなさ過ぎる」(鹿島幹部)のが状況だ。

 12月半ばの段階では、鹿島側の配慮で来季の契約交渉を一時凍結。柴崎は今もオファーを待っている。

「タイミングが合えば、海外でプレーしてみたい、とは前から言ってきた。最近思ったことではなく、ずっと目標にしていること。海外ならどこでもいいとは考えていないし、自分が成長できるところがいい」(柴崎)

 2015年は武藤(マインツ)、南野(ザルツブルク)らの同世代、もしくは年下の選手が海を渡った。そんな周囲の状況も、日本を背負って立つべきMFにとって、海外挑戦への想いを強める理由になっている。



わけわけ三国志


欧州からのオファーを待つ岳である。
しかしながら、きちんとした移籍話は無い様子。
欧州の移籍ウィンドウが開くのは1月であるためであると思いたい。
とはいえ、それにしてもこれまでの例に比べて接触がないと鹿島幹部が明かす。
駆け足にてオファーが届くのであろうか。
それとも、このまま波風が立たず、鹿島に残るのであろうか。
岳の去就に注目である。


わけわけ三国志

2015喜怒哀楽

2015年12月27日 | Weblog
鹿島アントラーズ編:2015喜怒哀楽
2015年12月27日(日)

今季のJ's GOAL年末企画は“2015喜怒哀楽”。全52クラブの担当ライターが3つの視点から2015シーズンを振り返ります!

■2015クラブトピックス
2012年以来のタイトル獲得。Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝
世代交代が進められてきたなかで、新しいチームの形が見えた上でのタイトル獲得はやはりうれしいものがありました。Jリーグヤマザキナビスコカップは2011、12年と連覇していますが、そのときは過去のチームに伸び盛りの大迫勇也選手や柴崎岳選手が力を発揮することで得たタイトルでした。
しかし、今回はシーズン途中に監督交代という苦難を乗り越えながら、新たな息吹を感じさせる戦いが大会を通じてできたという意味でも、今後のチームが本当に楽しみです。



■2015私的トピックス
ファン・サポーターとチームがより身近に
12月5日の練習最終日に約2000人のファン・サポーターがクラブハウス・練習場を訪れたことは本当に驚きでした。いまのチームに対する期待の大きさや、鹿島を離れることになった選手への感謝の気持ちなど、訪れた人にはそれぞれの思いがあったなか、チームはその気持ちに応えるように最大限のファンサービスで応じていました。
ここ数年、そうした場面では硬派な対応が多かった鹿島ですが、石井正忠監督が就任してからというもの、ファン・サポーターとチームの距離がぐっと縮まったように見えます。今後、そこで生まれるパワーがさらに大きくなると楽しみです。

■2015Jリーグトピックス
驚嘆!36歳とは思えない小笠原満男の運動量と存在感
Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝の小笠原満男選手のパフォーマンスには驚嘆しました。もちろんチーム全員がすばらしいプレーをした、ということが前提になるとは思いますが、36歳にしてあれだけの運動量と存在感を見せつけられると、今後もまだまだチームの大黒柱として期待できそうです。
そうなると、次に期待されるのは若い選手たちの巻き返しです。ベテランに負けじと奮闘することで互いに切磋琢磨し、Jリーグがさらに魅力あるサッカーリーグに発展していくことを願いたいです。

Reported by 田中滋



わけわけ三国志


2015年シーズンを振り返るJ’sGOALの田中氏である。
世代交代、監督交代、そしてナビスコ制覇ということになる。
指揮官が解任されるという苦難を乗り越えて得たタイトルは、感慨深いものがあった。
この優勝にて選手は大きく成長した。
若きチームは、勢いだけでなく伸びしろも大きい。
来季は更に飛躍してくれるであろう。
楽しみである。


わけわけ三国志

夢生、ポルティモネンセ移籍報道

2015年12月27日 | Weblog
金崎夢生が鹿島を退団 ポルトガル2部に復帰へ
[2015年12月27日7時37分 紙面から]

 ポルトガル2部ポルティモネンセは25日、今季、鹿島に期限付き移籍していた日本代表FW金崎夢生(26)が復帰すると公式サイトで発表した。金崎には日本の3クラブから獲得の打診があったと公表。そのほかに中国の1クラブとポルトガルの4クラブを含む欧州の6クラブ、計10クラブが関心を示していたとしている。獲得には200万ユーロ(約2億6000万円)が必要だとも記した。

 金崎は今季、鹿島で27試合出場9得点でJリーグベストイレブンに選出された。約5年ぶりに日本代表にも復帰し、11月のW杯アジア2次予選シンガポール戦では代表初得点を挙げている。鹿島は完全移籍での獲得に向けてポルティモネンセと交渉を続けていた。

鹿島・金崎、ポルトガル2部のポルティモネンセに復帰へ
 鹿島に期限付き移籍中のFW金崎が、保有権を持つポルトガル2部のポルティモネンセに復帰すると同クラブが25日に公式サイトで発表した。日本や中国、欧州の複数クラブが獲得に乗り出しており、獲得には200万ユーロ(約2億6000万円)の移籍金がかかることも伝えている。鹿島は今季9得点したストライカーの完全移籍へ正式オファーを出していた。復帰について鹿島側は正式発表していない。
(紙面から)

鹿島痛っ!金崎ポルトガル復帰 チーム公式サイトが発表

来季はポルトガル2部ポルティモネンセに復帰する金崎
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 期限付き移籍で今季鹿島でプレーした日本代表FW金崎に関し、レンタル元のポルトガル2部ポルティモネンセが25日、チームに復帰すると公式サイトで発表した。

 クラブは「金崎の獲得に、日本の3クラブ、中国の1クラブ、ポルトガル4クラブを含む欧州の6クラブがオファーを提示している」と公表し、今冬に再び移籍する可能性を示唆。移籍金は200万ユーロ(約2億6400万円)に設定しているという。鹿島は金崎の完全移籍での獲得を目指していた。
[ 2015年12月27日 05:30 ]



わけわけ三国志


夢生の移籍問題について報じる各紙である。
しかしながら、昨日のWeb記事からの転載であり、まったく新情報はない。
鹿島への取材などを行う時間はあったはず。
メディアとしてもう少し突っ込むことこそが必要であったのではなかろうか。
残念である。


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