江戸時代の通貨は幕府の決めた貨幣であって、いわゆる大判や小判などの金や銀といった実物通貨であった。つまり、幕府は紙幣を採用しなかったのである。しかし、実態の経済は平和な時代が長く続くと、新たな産業も興り、各藩の手持ちの金や銀だけでは通貨の供給量に不足が生じる。そこで、各藩は幕府の許可を得て、藩札を発行した。特に、銀が流通していた西日本では、ひとつの藩や代官所が藩札を発行すれば、その狭い範囲を出て、他藩などでも使用されることになる。だから、各藩が競って、藩札を発行したのである。もちろん、藩札の裏づけは、その藩の所有する銀なので、当初は、何処の藩の人でも、安心できたのであるが、大飢饉の際に発行された藩札などは、今の国債のようなもので、将来の収入で、返済することを最初から決めていた。このような藩札が数多く出されるようになると、信用度を落とす藩札も増える。信用度を落とした藩札は他藩の良質な物品と交換されるという悪貨が良貨を駆逐するという例えのようなことがはびこり、不良な藩札が幾多の幕府の藩札禁止令の網を潜り抜けて、流通し続けていたのである。だから、最後にばばを引いたものは一揆などに訴える社会不安を引き起こす。そして、信用を落とした藩から、領内の裕福な商人が、その版権を買い取り、藩に変わって、発行するというものさえ現れる。これは経済的なクーデターであった。通貨発行権という為政者の最大の武器を手放したのである。
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