風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

まだリハビリ中

2010年12月02日 | 出版
1ヵ月も更新をサボっていたら、文章の書き方の基本すらも忘れてしまった。ヤレヤレ、困ったものである。これまで、1日2000字を目標にしていたわけであるけれど、とてもじゃないが、今の状態でそれはどうも無理なようだ。なんとか、早く復旧したいので、とりあえずはリハビリのトレーニングを始めることにする。
というわけで、本日はなにをしていたか?から問題にしてみよう。
ウ~ム、なんにもしていないうちに陽が暮れてしまったぞ!それで、終わり。再び、ヤレヤレ、困ったものだ。
オープンにできない話も多々あるし、どうしたものかいな。そうすると、このブログを更新する意味が薄れていく。この状態をあえて博多弁に翻訳すると、どげんしたら、よかっちゃろうかねえ、ということになるのだろう。
小生の場合、博多弁を使わなければならない理由はこれっぽっちもないのであるけれど、まったくもって困ったことに、いまだに博多弁の呪縛から逃れきっていない。そういう哀しい環境にある。そのうえ、本来使うべき言葉は信州弁であるはずなのに、その信州弁をすっかり忘れてしまったという、なんとも情けないディアスポラなのだ。
しかし、アイデンティティをどこに求めるのかなんて、この狭い日本のなかで、どうでもいい話だろう。
現在、酒を飲みつつ強迫観念だけで文章を書いている途中であるが、自己のアイデンティティということでふと思い出したエピソードがある。小生も知っているある在日韓国/朝鮮人(どっちだったか忘れちゃったし、そんなことどうでもいいし、ここではA氏としておこう)のことを思い出した。10年くらい前のことだろうか、その人のことを指して、「(その人は)在日だから大変だよねえ」と某氏が酒の席で評したことがある。
その言葉を聞いた瞬間、A氏のことをものすごくかっこよく感じてしまったのだ。だって、いま時分、自己のアイデンティティそのものがドラマになる、もしくはドラマにせずにやりすごすという存在というのがあるのだよ。しかも、その人とはまったく関係のない国際問題が起きるたびに、その人にまで冷ややかな(時にはホットな)視線が降りそそいでくるわけで、そうした日常をとにかくやりすごして、生きのびていかないといけない。
こんなにドラマチックで感動的な話が、日本帝国主義本国人を生きている日本人(小生を含む)に早々あるのかいなと考えたら、A氏の飄飄とした姿に爽やかさを覚えてしまうのも致し方のないことだろう。
それにくらべこちとらは、博多弁か信州弁かに悩んでいるわけであり、人間としてのケツの穴の小ささを感じざるをえない。イカン、イカン。こういうふうにおのれを貶めるような暗示を自己にかけてはいけないのだ。AさんはAさんで素晴らしい人、そのAさんの素晴らしさをわかっている小生も素晴らしい人と自己暗示をかけないと、世の中をうまく渡ることができない。
まあ、そういうことで、明日も更新するように励むことにしよう。


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