風塵社的業務日誌

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高尾山へ(2)

2019年03月27日 | 出版
金欠鬱で気分すぐれず。やる気わかない病が進行中である。税務署に提出する用紙を書かないといけないし、某氏に手紙を出さなければならないことにもなったのではあるけれど、一日ポケーッとしていたら日が暮れていた。ハァ~とため息が出てくる。それはともかく、久しぶりに高尾山に夫婦で行き、記し忘れたことを追記しておきたい。要するに、高尾山行きを思い出すのも一つの現実逃避であり、精神の正常さを維持する努力の一環なのだ。
まず、その日は新宿駅などで、何回か特急あずさの新型車輌に遭遇することになった。鉄道にはさほど関心があるわけでもなく、その新型がいつ投入されたのかすらも知らなかったが、昔なつかしのあのピンクとオレンジ色とを掛け合わせたようなカラーリング(なに色というのだろう?)とは打って変わった、ブルーというか紫が目立つ角ばった姿をしている。新幹線のような流線型ではないので、いささかごつく感じるけれど、武骨というほどではない。カーブの多い山間部をスムーズに走れるように設計されていることだろう。小生がガキのころのあずさは、振り子式なんていう若いころのイチローみたいなネーミングの車輌が走っていたけれど、技術が進んでいて、そんな時代じゃなくなっているはずだ。
もしかして、名古屋と長野駅を結ぶ特急しなのも新型車輌になっているのだろうか。ついでなので記しておくと、昔、しなのに乗っていると、木曽の寝覚ノ床に差し掛かるたびに「ここがかの有名な寝覚ノ床で~」なんていう車内アナウンスがわざわざかかってくる。これがうるさくて、非常に不愉快だった。こっちは気持ちよく寝てんだから、わざわざ起こすなよってな気分になるわけである。しかも、窓外の光景を眺めても、木曽川の川原が広がっているだけで、それほどの絶景があるわけではない。こんなクソつまんねえアナウンスするな、と乗るたびに感じたものであった。
そして高尾山から降りてJR高尾駅に着いたら、松本行きなんていう鈍行にお目にかかった。各駅停車で高尾から松本まで行くわけである。そこで、小生が高校生のころ、その電車に乗って東京まで遊びにいった友だちがいたことを思い出した(小生は行ってない)。そんな電車がまだ走っていたのかと、いささかびっくり。「これに乗ったら松本まで何時間かかるの?」と妻にたずねられ、「3日くらいやなかと」と適当に答えておく。しかし、各駅停車で松本に行くのはあまりにしんどすぎるけれど、新型のあずさでまた松本に行きたいなあとは思う。夏でも寒い浅間温泉でゆったりと熱い湯につかり、あの豆腐料理店の味を愉しみたいものだ。その店のご主人はまだお元気なのだろうか。
そのうえ、これまでに数回は松本に行っているというのに、天気のおかげで北アルプスの雄大な光景にしばらくめぐり合えていない。死ぬまでに一度は、ガキのころ毎日眺めていた山並を拝みたい。そこでふと思うに、北アルプスを本気で眺めたいのならば、冬に行くべきである。つまり、本気で鑑賞するのならば、雪を抱いた姿を拝むに決まっているということである。しかし、クソ寒い。眺めをとるか、寒さを回避するか、これは悩ましい問題だ。
それはそうとして話を高尾山にもどすと、次に、稲荷山コースを下っていくと、下から登ってくる人と次から次に交差することになる。そこで日本的な山のマナーとして、すれちがうときに「こんにちは」と声を掛け合うのは一般常識だろう。しかし、小生はそういうあいさつをするのは苦手な人種なので、妻を先に歩かせ、あいさつは妻に任せることにしている。そこで、日本人(らしき人)1名と白人3名(計4名)のグループが登ってきた。妻が「こんにちは」とお愛想をふりつつすれちがう。彼らと離れて数メートル進むと、「コンニチワ、コンニチワ、ウルサイヨ」という声が後ろから聞えたような気がした。
瞬間ムカッとするが、小生の認識で正しいのかどうなのかには自信がもてない。「いま、後ろからなにを言ってきたの?ウルサイって言ってこなかった」と妻に確認すると、「私もコンニチワ、ウルサイって言ったように思う」。やはりそうか。なんだ、ふざけんなと振り向くが、角を曲がってしまったようで彼らの姿は見えない。そこをわざわざ追いかけていって首根っこを捕まえてやろうかなんていう意欲は、小生にはない。死ねボケとは思いつつも、彼らはこの日本社会になじむことができない苛立ちを抱えているのだろうと考え直すことにした。
さらに下っていくと、一人歩きの40代前半かなという男性が、スマホに向かって大きな声でしゃべっている。曰く「政務官からは正確には2点でして、一つ目はG20の……」。おそらくは、霞ヶ関官僚が息抜きに高尾山に来てみれば、政治家なりその秘書なりからの電話があり、それに答えているところなのだろう。しかし、いかに山中とはいえ、大きな声で国家機密をベラベラしゃべっていいのだろうか。しかも、それを聞いているのは、反日分子である小生である。したがって、ここではっきりさせておきたい。小生はその男性の話を最初から最後までしっかり聞いているわけではない。聞いたのは、すれちがいざまのわずかなやりとりにすぎない。そのゆえに、G20でなにが起ころうと小生にはまったく関係のない話なのだ。

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