ピカソ・マニマニア

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作為と真情

2022-11-30 21:58:52 | ピカソ



阿修羅展に行ってきました。

その日は 雨の火曜日の 午後3時 だったので 並ばずに入館できました。

戦っても戦っても 帝釈天に 負けてしまう、 勝利を祈念する正面、 唇を噛みしめて 天の重みに耐える左面、 対象を凝視し 時を逃さずに かき抱こうとしている 右面、 一人の少年の肉体を借りて 成就には 踏ん張りと 適時(グッドタイミング)もつきものと 教えてくれます。 

734年の作 作者不詳、 運慶の450年前、 ミケランジェロは さらに
350年ほど 後になります。

いづれにしても 祈りが芸術を高めていくのだと 1300年の時間が 教えて
くれるようです。


で、 ピカソです。
ピカソの作品に 祈りはあるのでしょうか?




ピカソについて語らせて 



1891年 ラ・コルーニャに赴く前に 父ホセは パブロに マラガで小学校の卒業試験を受けさせる。 算術の全く駄目な パブロは 見かねた試験官に こっそり答えを教えて貰い ようやっと 免状を手に入れた。 やれやれ やっと勉強から開放される・・・     パブロは まだ10才になっていません。

ラ・コリューニャでは パブロは父の教える 美術学校に入学 たちまち天分を認められる。 けれどこの地で 金髪巻毛の可愛い妹が死に その悲しみと マラガ地方とは全く異なる どんよりとした天候の悪さ 気質の違いに 家族中が馴染めないのとで 3年間の滞在で バルセロナに 転居。  
パブロは ラ・コルーニャで 初恋をするが 貴族の血を引く相手の親に 引き裂かれる。 この経験が 家柄のある最初の妻 オルガとの結婚に繋がるのだろう。




        
          作為と真情


     父ホセは考えた

     英才教育の賜物の息子に
     何としてでも栄誉を与えたいものだ

     美術学校の教師の彼には
     秘策があった

     先ず題材だ
     重病の婦人の臨終の場

     近所の物乞いの女を病人役に
     パブロの友達の少年を修道女役に雇った
     自分は脈を取る医者に扮する

     そして題名だ
    『科学と慈愛』 これで完璧

     父のお膳立てした様を
     パブロは見たまま忠実に描く 
     描き進む内に二年前に死んだ妹を想い
     まだ癒えない悲しみと共に
     修道女に抱かせる

     ホセの周到な根回しもあって
     この絵はマドリッドの国展で佳作
     故郷マラガでは金賞を受賞

     天才少年を支援する親類達の
     期待も膨らむ

     けれど
     何か違うとパブロは思う
     違う違う!と心の中で叫んでいる

     面と向かっては
     父親に反抗できない
     16才のパブロがいる





末娘を失い 望郷の思いつのる 父ホセは 年齢のせいもあり だんだんと生気を
失って行きます。 思春期になったからか パブロは 憧れだったそんな父と 距離を置くようになります。 自分の天分は 父あってのものなのだと 否定しても否定しても 心の奥底で解っていたのです。   

ところで 『科学と慈愛』の絵ですが 生きたモデルより 死んだ妹が一番 生き生きと 描かれていると思いませんか? (絵が載せられなくて御免なさい)




         風呼 でした 






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