南北朝時代、後醍醐天皇の命で 十六才で陸奥守に任じられた 公家出身の北畠顕家の短くも潔い生涯が描かれています。
1318年、北畠親房の長男として生まれ、幼少時からまれにみる天才とうたわれた。奥州をまとめ、任を全うしかけるも 度々の後醍醐天皇の無理難題な要請で足利尊氏と戦うことになる。
わずか80騎を7万の敵に囲まれ20才で討ち死にします。
死を決意した1週間前に 後醍醐天皇宛に 新政の失敗を諫める ”北畠顕家上奏文” をしたためています。
南北朝時代は良く分かっていなかったので 読了に苦労しました。
北畠顕家以外の武将も敵味方を問わず魅力的に描かれていますが 新田義貞だけは良く分からなかった。
破軍の星とは 北斗七星の七番目の星で 柄杓の柄の先端に位置することから
陰陽道ではこの星の指す方角を凶とするそうです。
尊氏の擁した北朝の天皇は 歴代天皇にカウントされないのね。
by 風呼
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