副題 小説 大津皇子(おおつのみこ)
大津皇子は 天武天皇と 天智天皇の娘である大田皇女(おおたのひめみこ)との間の 子供です。
大田皇女は 大変美しい人で 天武天皇に一番愛された妃でしたが 天武天皇との間に 大伯皇女(おおくのひめみこ)と 大津皇子を残し早逝します。
大田皇女は 同母の妹、鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ 後の持統天皇)と共に 大海人皇子(後の天武天皇)の妃だった 額田王と交換に嫁がされます。
2対1の トレードですね。 (物じゃないんだから😡)
天皇の権威は絶対でした。
鵜野讃良皇女にも 大津皇子と同年の 草壁皇子がありました。
生まれたのは 大津皇子の方が早かったと推定されるのですが、大海人皇子が天皇即位の前に母親が死んでしまったので 皇后は妹の鵜野讃良となり 皇太子は従兄妹の草壁皇子となったようです。
大田皇女は父・天智天皇にも大層可愛がられていたようで 母亡きあと姉の大伯皇女と共に大津皇子も 伯父であり祖父である 天智天皇の元で育てられます。
病弱な 草壁皇子と違い 大津皇子は父、天武天皇似で聡明で勇猛果敢、人望があったそうです。
何かにつけて 姉 大田皇女と比較されていた鵜野讃良皇女は 自分の息子を次期天皇にするためあの手この手を使って 大津皇子を潰しにかかり ついに謀反の罪で殺してしまいます。
この小説は 無念のうちに25才で縊死させられた 大津皇子の一生を描がいたものです。
身分の高い者への死刑は 血を忌み嫌い 絞首だったのです。(叔母用明天皇に謀反の罪を着せられた 有間皇子(父は孝徳天皇)も絞首だった。 中大兄皇子は用明天皇の息)
当時天皇は諸外国との外交上 30代後半にならないと天皇の位は継げませんでした。
病弱な草壁皇子は 28才で死にます。 その子 軽皇子(かるのみこ)が即位するまで 鵜野讃良皇女は 持統天皇として政します。
天武天皇の悲願だった 唐に倣った律令国家を 藤原京にひらきます。
藤原京跡。 正面は耳成山。
文武天皇(軽皇子)は 大津皇子の祟りと云われる 出火等、アクシデントの多い 藤原京を嫌い 持統天皇亡き後 都を平城に移します。
藤原京は16年の栄華でした。
by 風呼