けっこう溜め込んでしまった日本作曲家選輯シリーズ、今回は深井史郎を聴いてみた。もちろん始めて聴く人である。ライナーを読んでみると、前回取り上げた須賀田礒太郎などと同世代の明治40年生まれの作曲家で、主として戦前に活躍した人らしい。ドイツロマン派を信奉する当時の日本のアカデミズムとは距離を置いた作曲家でもあったらしく、当時の最先端モードである、ストラヴィンスキーやラヴェルに影響を受けた曲を作ったということだ。
そうした特質というか、音楽的傾向は本アルバムは冒頭に収録された「パロディ的な4楽章」によく現れていて、各々の楽章が「ファリア」、「ストラヴィスキー」、「ラヴェル」、「ルーセル」と付けられていることからも良く分かる。もっとも、実際聴いて見ると、確かに楽章毎に該当する作曲家を思わせるところはあるのだが(ファリアとルーセルは良く分からないが....)、現代の感覚からすればパロディといった印象はあまり強くなく、あくまで深井のオリジナル作品といった趣で、聴こえてきたり見えてくるのは、日本的な淡彩な抒情だったり、鄙びた田園風景だったりするのだが....。
その意味で、2つ目に収録されたバレエ音楽「創造」の方が、そのコンセプトといい、規模といい、深井史郎という作曲家の持ち味がよく出ているのではないか。この曲は須賀田の「交響的序曲」などと同様、皇紀祝典2600年にちなんだ作品らしく、日本神話のイザナギ・イナザミの日本創造をテーマにしているようだが、原始の混沌を思わせる第1景から、次々に生物が誕生するダイナミズムをリズミカルに描いた第2景、生命が誕生した後の息吹を感じさせる静かな冒頭から次第に生命の凱歌のよう発展していくのような第3景と、ある意味交響詩としても非常に分かりやすい曲になっている。
もちろん、時にストラヴィンスキーの「火の鳥」やラヴェルの「ダフネスとクロエ」を思わせるところもあるが(今も昔もオリジナルの物真似寸前になってしまうのは、日本的特性なのか-笑)、基本的に淡麗な管弦楽で、欧米のそれに比べれば、いかにもあっさりしている日本神話の風景を、その特色を生かしてストレートに描いているという感じである。こうしたモダンな管弦楽を用いながらも、そこから聴こえてくるのは、意外に健全で穏やかな知性のようで、そのあたりに深井史郎という作曲家の持ち味を感じたりもした。
なお、3つ目の「ジャワの唄声」はラヴェルの「ボレロ」風な反復を主体とした作品だ。ここでも聴こえてくるのはあくまでもトラディショナルな日本情緒で、前回とりあげた須賀田の「東洋の舞姫」と同様に、非常にポピュラリティーのある、まるで映画音楽のような仕上がりになっている(「ボレロ」のような終盤の盛り上がりはない)。そういえば、深井史郎は戦前に沢山の映画音楽を書いたようで、中でも時代劇などではずいぶん生彩のある音楽をつけていたようだが、一体どんな音楽をつけていたのだろうか。このアルバムの音楽から感じられる、意外のまっとうな感性からすれば、時代劇などさぞや明朗闊達な音楽をつけていたことだろう。興味あるところである。
そうした特質というか、音楽的傾向は本アルバムは冒頭に収録された「パロディ的な4楽章」によく現れていて、各々の楽章が「ファリア」、「ストラヴィスキー」、「ラヴェル」、「ルーセル」と付けられていることからも良く分かる。もっとも、実際聴いて見ると、確かに楽章毎に該当する作曲家を思わせるところはあるのだが(ファリアとルーセルは良く分からないが....)、現代の感覚からすればパロディといった印象はあまり強くなく、あくまで深井のオリジナル作品といった趣で、聴こえてきたり見えてくるのは、日本的な淡彩な抒情だったり、鄙びた田園風景だったりするのだが....。
その意味で、2つ目に収録されたバレエ音楽「創造」の方が、そのコンセプトといい、規模といい、深井史郎という作曲家の持ち味がよく出ているのではないか。この曲は須賀田の「交響的序曲」などと同様、皇紀祝典2600年にちなんだ作品らしく、日本神話のイザナギ・イナザミの日本創造をテーマにしているようだが、原始の混沌を思わせる第1景から、次々に生物が誕生するダイナミズムをリズミカルに描いた第2景、生命が誕生した後の息吹を感じさせる静かな冒頭から次第に生命の凱歌のよう発展していくのような第3景と、ある意味交響詩としても非常に分かりやすい曲になっている。
もちろん、時にストラヴィンスキーの「火の鳥」やラヴェルの「ダフネスとクロエ」を思わせるところもあるが(今も昔もオリジナルの物真似寸前になってしまうのは、日本的特性なのか-笑)、基本的に淡麗な管弦楽で、欧米のそれに比べれば、いかにもあっさりしている日本神話の風景を、その特色を生かしてストレートに描いているという感じである。こうしたモダンな管弦楽を用いながらも、そこから聴こえてくるのは、意外に健全で穏やかな知性のようで、そのあたりに深井史郎という作曲家の持ち味を感じたりもした。
なお、3つ目の「ジャワの唄声」はラヴェルの「ボレロ」風な反復を主体とした作品だ。ここでも聴こえてくるのはあくまでもトラディショナルな日本情緒で、前回とりあげた須賀田の「東洋の舞姫」と同様に、非常にポピュラリティーのある、まるで映画音楽のような仕上がりになっている(「ボレロ」のような終盤の盛り上がりはない)。そういえば、深井史郎は戦前に沢山の映画音楽を書いたようで、中でも時代劇などではずいぶん生彩のある音楽をつけていたようだが、一体どんな音楽をつけていたのだろうか。このアルバムの音楽から感じられる、意外のまっとうな感性からすれば、時代劇などさぞや明朗闊達な音楽をつけていたことだろう。興味あるところである。
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