昨日の「ChapterII」と同セッションによりつくられた1980年の作品である。昨日も書いたとおり、私は第二期のグレイト・ジャズ・トリオといえばカクテル・ジャズ風な「再訪」が断然好きだったので、コンテンポラリーな目配せが強い「ChapterII」や本作にはあまり魅力を感じなかったのだが、久しぶりに「ChapterII」を聴いてみたところ思いの外いい感じで聴けたので、本作も併せて楽しんでいるところである。
なにしろ「ChapterII」と同じセッションで構成されたアルバムだから、当然といえば当然だが、こちらも非4ビート系なフュージョン的なところが随所に入った仕上がりである(おそらくTV番組などで音楽ディレクターをしていたハンク・ジョーンズのそれなりの計算だったのだろう)。いや、むしろ「ChapterII」では「星影のステラ」を筆頭にそれなりにスペースが割かれていたオーソドックスな4ビートによるスタンダード演奏は、本作では更に少なくなっていて、そのかわりラテンやボサノバなどの作品が収録されているという格好であろうか。
冒頭のタイトル曲は、いかにもH.ジョーンズらしい作品だが、ややメランコリックな楽想をラテン的なリズムで処理しているし、2曲目の「Another World」もミディアム・テンポの中、さまざまなリズムを交錯させたこれまたH.ジョーンズらしい作品になっていて、作編曲者としてのH.ジョーンズらしさを感じさせる。3曲目の「My Cherie Amour(スティービー・ワンダー作)」では、エレピをフィーチャーしたボサノバ作品としてアレンジしている。この曲は途中4ビートの部分などもいれて、GJTらしいところも見せるが、ほぼラテン・フュージョンといってもいい仕上がりだ。オーラスの「Pauletta(アル・フォスター作)」はイントロこそ「処女航海」風なリズムだが、基本的にはラウンジ風なラテン作品になっている。
オーソドックスな4ビート系な演奏といえば、4曲目に収録されたエリントンの「Just Squeeze Me」、そして5曲目パーカー作の「Scrapple from the Apple」になるだろうか。前者はエリントン的なアクを非常にソフィスティケーションして上品なアレンジで演奏しており、後者はまさにGJTの常なるペースで軽快に演奏している。7曲目の「Phasar」は、H.ジョーンズのオリジナルだがちょいとひねりを効かせたビバップ風な作品、6曲目の「Aurora's Voice」はエディ・ゴメスをフィーチャーしたモダンで温度感の低い美しいバラード演奏になっている。
なにしろ「ChapterII」と同じセッションで構成されたアルバムだから、当然といえば当然だが、こちらも非4ビート系なフュージョン的なところが随所に入った仕上がりである(おそらくTV番組などで音楽ディレクターをしていたハンク・ジョーンズのそれなりの計算だったのだろう)。いや、むしろ「ChapterII」では「星影のステラ」を筆頭にそれなりにスペースが割かれていたオーソドックスな4ビートによるスタンダード演奏は、本作では更に少なくなっていて、そのかわりラテンやボサノバなどの作品が収録されているという格好であろうか。
冒頭のタイトル曲は、いかにもH.ジョーンズらしい作品だが、ややメランコリックな楽想をラテン的なリズムで処理しているし、2曲目の「Another World」もミディアム・テンポの中、さまざまなリズムを交錯させたこれまたH.ジョーンズらしい作品になっていて、作編曲者としてのH.ジョーンズらしさを感じさせる。3曲目の「My Cherie Amour(スティービー・ワンダー作)」では、エレピをフィーチャーしたボサノバ作品としてアレンジしている。この曲は途中4ビートの部分などもいれて、GJTらしいところも見せるが、ほぼラテン・フュージョンといってもいい仕上がりだ。オーラスの「Pauletta(アル・フォスター作)」はイントロこそ「処女航海」風なリズムだが、基本的にはラウンジ風なラテン作品になっている。
オーソドックスな4ビート系な演奏といえば、4曲目に収録されたエリントンの「Just Squeeze Me」、そして5曲目パーカー作の「Scrapple from the Apple」になるだろうか。前者はエリントン的なアクを非常にソフィスティケーションして上品なアレンジで演奏しており、後者はまさにGJTの常なるペースで軽快に演奏している。7曲目の「Phasar」は、H.ジョーンズのオリジナルだがちょいとひねりを効かせたビバップ風な作品、6曲目の「Aurora's Voice」はエディ・ゴメスをフィーチャーしたモダンで温度感の低い美しいバラード演奏になっている。
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