ハワード・ハンソンは20世紀前半にアメリカで活躍した北欧系の作曲家で、同時期のアメリカの作曲家のほとんどがそうだったように、当時の音楽的なトレンドからすると、ほとんどアナクロとしかいいようがない、ロマン派的な大仰さをもった管弦楽曲を多数残している人らしい。これは彼が50年代にマーキューリー・リヴィング・プレゼンスに残した自作自演シリーズの一枚で、7曲残した交響曲のうち第3番が収録されている。
作品そのものは、ごくごくまっとうなロマン派的な交響曲という感じ。やや晦渋ではあるが、オーソドックスな雄大さと西部劇的な叙情が支配しているあたりは、ハリウッドの映画音楽にもかなり近いセンスを感じさせたりもする。前述のとおり当時ヨーロッパではばりばりの前衛音楽が一斉を風靡していたにも関わらず、アメリカではこういう作品が依然として幅を聴かせていたというのは同国のお国柄がわかっておもしろいし、実はヨーロッパのロマン派というは20世紀初頭に消滅したのでなくて、アメリカという地で多少毛色をかえて継続していたという見方もできるんだろうと思う。
ともあれ、この手の発表当時アナクロという烙印を押された-に違いない-、こうした作品こそ、流行だトレンドだの切り離され、時代が完全に二回りした今でこそ、その音楽面のみで再評価すべき作品だろう。ちなみに録音だが、50年代とはいえマーキューリー・リヴィング・プレゼンスによるものなので、その生々しさ、音のエグさはほとんど50年代の録音とは信じがたい鮮度の高さがある。
作品そのものは、ごくごくまっとうなロマン派的な交響曲という感じ。やや晦渋ではあるが、オーソドックスな雄大さと西部劇的な叙情が支配しているあたりは、ハリウッドの映画音楽にもかなり近いセンスを感じさせたりもする。前述のとおり当時ヨーロッパではばりばりの前衛音楽が一斉を風靡していたにも関わらず、アメリカではこういう作品が依然として幅を聴かせていたというのは同国のお国柄がわかっておもしろいし、実はヨーロッパのロマン派というは20世紀初頭に消滅したのでなくて、アメリカという地で多少毛色をかえて継続していたという見方もできるんだろうと思う。
ともあれ、この手の発表当時アナクロという烙印を押された-に違いない-、こうした作品こそ、流行だトレンドだの切り離され、時代が完全に二回りした今でこそ、その音楽面のみで再評価すべき作品だろう。ちなみに録音だが、50年代とはいえマーキューリー・リヴィング・プレゼンスによるものなので、その生々しさ、音のエグさはほとんど50年代の録音とは信じがたい鮮度の高さがある。
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