エディ・ヒギンスはヴィーナス・レーベルの看板アーティストだ。アルバムもピアノ・トリオをメインにして沢山出ている。だからといって、これがアメリカでもそうなのかというと、どうもそうでないなさそうなのである。同じくヴィーナスでニュー・ヨーク・トリオをやっているビル・チャーラッブなんかは、アメリカではブルー・ノートで別のトリオでやったりしているし、テビッド・ヘイゼルタインもシャープ・ナインとかかいろいろ出しているが、彼の場合、リリースしているのはほぼヴィーナス・レーベルだけ、つまり人気が高いのは、主に日本だけということになるんじゃないだろうか。
こういう現象は昔もあった。例えば70年代中盤以降、グレイト・ジャズ・トリオで復活したハンク・ジョーンズなどは、典型的な先例になると思うが、ある意味両者はとても似ていると思う。大向こう受けするスタンダードをあまりくずさず割とストレートに演奏する、カクテル・ピアノ風な軽さと上品さがある、ビル・エヴァンスほど理知的ではないが、オスカー・ピータソンほどアグレッシブでもないという中庸の美みたいなバランスが絶妙、長いインプロをやらない....といったところだろうか、まっ、これは制作会社の意向とミュージシャン自体の資質の兼ね合いという問題もあるので、一概に断定できないけれど、ともあれ、日本人のジャズ観みたいなものがよく出ていると思う。つまりこのふたりは「日本人が考える典型的なジャズ」みたいなものを体現しているんじゃないかと思う。
さて、このアルバムはヒギンスがヴィーナス・レーベルで出したは97年の作品で比較的初期のものとなると思う。「マイ・ファニー・バレンタイン」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「イスラエル」、「アイ・シュッド・ケア」といったビル・エヴァンスの愛奏曲が並び、特にトリビュート云々のクレジットはないが、おそらくエヴァンス絡みで選曲されたことは間違いないと思われるアルバムになっている。演奏はビル・エヴァンス的なモードっぽいところや、音楽の温度感が低目なところを、よりオーソドックスなジャズ・スタイルに少々シフトして演奏しているという感じで、美しいピアノ・タッチと良く歌うフレージングが選ばれた素材ととてもあっている。
というワケで、このアルバム「日本人の考える最大公約数的ジャズの良質な見本」ともいえるのではないだろうか、個人的には大好きなアルバムだ。
こういう現象は昔もあった。例えば70年代中盤以降、グレイト・ジャズ・トリオで復活したハンク・ジョーンズなどは、典型的な先例になると思うが、ある意味両者はとても似ていると思う。大向こう受けするスタンダードをあまりくずさず割とストレートに演奏する、カクテル・ピアノ風な軽さと上品さがある、ビル・エヴァンスほど理知的ではないが、オスカー・ピータソンほどアグレッシブでもないという中庸の美みたいなバランスが絶妙、長いインプロをやらない....といったところだろうか、まっ、これは制作会社の意向とミュージシャン自体の資質の兼ね合いという問題もあるので、一概に断定できないけれど、ともあれ、日本人のジャズ観みたいなものがよく出ていると思う。つまりこのふたりは「日本人が考える典型的なジャズ」みたいなものを体現しているんじゃないかと思う。
さて、このアルバムはヒギンスがヴィーナス・レーベルで出したは97年の作品で比較的初期のものとなると思う。「マイ・ファニー・バレンタイン」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「イスラエル」、「アイ・シュッド・ケア」といったビル・エヴァンスの愛奏曲が並び、特にトリビュート云々のクレジットはないが、おそらくエヴァンス絡みで選曲されたことは間違いないと思われるアルバムになっている。演奏はビル・エヴァンス的なモードっぽいところや、音楽の温度感が低目なところを、よりオーソドックスなジャズ・スタイルに少々シフトして演奏しているという感じで、美しいピアノ・タッチと良く歌うフレージングが選ばれた素材ととてもあっている。
というワケで、このアルバム「日本人の考える最大公約数的ジャズの良質な見本」ともいえるのではないだろうか、個人的には大好きなアルバムだ。