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マーラー交響曲第4番/バーンスタイン&NYP 他

2005年09月02日 23時25分37秒 | マーラー+新ウィーン
 交響曲第3番が夏の入り口から晩夏へかけての交響詩的な作品だとすると、続く4番は初秋から収穫の秋へ向けての移り変わりを現したなどといったら、反論がドカーンと来るかもしれませんけど、別に私自身なんらかの根拠があってそういっている訳ではなくて、なんとなく3番から連続したイメージでそんな風に思って聴いているうちに、そうに違いないと思っているだけですし、別に聴く度に秋を意識するようなこともないんですが、いちおうこじつけておくと第一楽章冒頭の木管と鈴がユニゾン奏でるメルヘンチックな旋律とか、ファンタジーっぽさとグロテスクが紙一重で交錯する第2楽章なんかはいかにもドイツの森というイメージだし、第3楽章はゆるやかなパースペクティブは、なんか紅葉を山をみているような気持ちになります。第4楽章は秋祭りですかね。

 さて、この交響曲について知ったかぶりして書いておくと、これはマーラーの初期型交響曲の締めくくりに位置する作品となりますが、同時にその後の作曲活動を予見したものともいえます。古典的なフォーマットの追求とそれにともなって音楽に抽象性が増してきているというあたりがそうですが、聴いていてボヘミア風な旋律だとか、童話風なムードだとかは、確かにまぎれもない初期のマーラー的特徴があるんですけど、1~3番のようなほとばしる創作意欲の結果できた作品という感じが何故かしなくて、割とこうした要素を素材に使って練達の腕でまとめた職人的作品という感じがしなくもないんですね。
 邪推すると心は既に5~7番みたいな古典なフォーマットに準じたもっと抽象度を高い作品の方に行っていたものの、これだけはやり残した宿題だったということなのかもしれません。ともあれ、結果的にこの曲は初期型マーラーの諸要素を非常にコンパクトに古典的フォーマットに封じ込めたものの、次の第5番を彷彿とさせるような響きもまた随所に聴こえるという作品になったのでした。

 今夜、聴いた演奏はバーンスタインがニューヨーク・フィルを振った60年の録音で、おそらく初めて聴く演奏です。私はこの曲のクーベリックとバイエルン放送響の演奏で知り、その後、カラヤン、テンシュテットを始めとしていろいろ聴きましたが、このバーンスタインの演奏は荒っぽいところはありますが、とにかく色彩的で、情緒豊かなでわかりやすい演奏なのが魅力です。ただし、この曲のモーツァルト的な軽さとか古典的なフォーマットみたいなところはあまり感じられません。おそらく、バーンスタインにとってこの曲で導入された古典的なフォーマットというのは、割とどうでもよいもので、初期型のマーラーという視点でもって押し切るべきと判断したんでしょうね。
コメント
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