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ハイドン交響曲第8番『夜』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2005年09月21日 12時12分57秒 | ハイドン
 これも標題がどうして「晩」なのかは不明。第1楽章は先行した(創作上先行していたかどうかはわかりませんが)ふたつの作品と異なり序奏なしにスタート。私のように「交響曲の第一楽章は序奏があるのが当たり前」みたいに思っている人だと、なにやら最終楽章から始まったみたいで、かなりスピード感も手伝ってちと違和感あります。とにかく、さりげなく始まって一気に駆け抜けるという感じ。

 第2楽章は子守歌風というか安穏な眠りに誘いそうな旋律が印象的。この旋律を様々な楽器群で音色をかえて繰り返し演奏していくワケですが、静謐感あふれる曲調といい、このあたりがイメージが標題の「晩」の所以なのかもしれませんね。演奏時間も全楽章中もっとも長く、ハイドンとしてかなり力入れて作っているような感じがします。私としてもここではこの楽章が一番気に入りました。メヌエットである第3楽章は、前2作と同様さながらコントラパス協奏曲のようになったりもしますが、全体に、あまり明るく抜けるような感じではなくどことなくノクターンっぽい感じがするのは私が「晩」という標題にとらわれているからかもしれませんね(笑)。

 最終楽章は非常にダイナミックに進行します。随所に現れるトレモロみたいな音型がとても印象的で、ネットで調べてみたらこれは「雨」を表していて、全体としては「嵐」を描写してるんだとか....納得。ただし、ロマン派の曲のリストだとか、リヒャルト・シュトラウスあたりのこの手の描写を先行して聴いてしまうと、なにやら本人は家の暖炉の脇かなんかにいて、「外は嵐のようですなぁ」といっているみたいなのどかさがあるというか、のんびりとした風情を感じたりもしますが(笑)。

 というワケで、やっぱり標題の「晩」の由来ははっきりわかりません。ともあれ、標題付きなのは楽曲の内容と標題との関連から印象に残っていいです。次の9番からからはしばらく標題なし、また自分で考えるのが楽しみというか、なんというか....。
コメント (1)
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