カラヤンが残したマーラーは第4,5,6,9番と「大地の歌」のみでした。全集にはするつもりはハナからなかったように思いますが、少なくとも2番と7番はカラヤン向きな素材だったと思うので残念です。他にも、例の新ウィーン楽派管弦楽集の素晴らしさからして、シェーンベルクの「グレの歌」とかベルクの「ヴァイオリン協奏曲」とか、このあたりの作品群をもう少し録音してもらいたかったところですね。もっとも、最晩年のカラヤンはもはやマーラー周辺の作品などほとんど眼中はなかったように思いますが....。
さて、このアルバムはカラヤンが74年に録音したマーラーの第4番です。このところ第4番のいろいろの演奏を楽しんでいるところですが、結論からいって良くも悪しくもカラヤンの流儀に塗り固められた演奏といえます。この作品の持つ子供がはね回るような独特の軽さ、躍動感のようなものをほとんど顧みることなく、ひたすら瞬間瞬間の静的な美しさみたいなものを追求した結果、まるで巨体な静止画を眺めているような気になる演奏といったところでしょうか。こういう演奏なので、第3楽章については壮絶なまで美しい陶酔的な演奏で聴いていてうっとりすることこの上ないのですが、他の動的な楽章ではかなり違和感を感じました。特に第一楽章の冒頭のテンポの遅さ、極端な弱音などは、厚化粧した子供の着飾った姿みたいな、一種異様なデフォルメ感のようなものを感じました。
さて、このアルバムはカラヤンが74年に録音したマーラーの第4番です。このところ第4番のいろいろの演奏を楽しんでいるところですが、結論からいって良くも悪しくもカラヤンの流儀に塗り固められた演奏といえます。この作品の持つ子供がはね回るような独特の軽さ、躍動感のようなものをほとんど顧みることなく、ひたすら瞬間瞬間の静的な美しさみたいなものを追求した結果、まるで巨体な静止画を眺めているような気になる演奏といったところでしょうか。こういう演奏なので、第3楽章については壮絶なまで美しい陶酔的な演奏で聴いていてうっとりすることこの上ないのですが、他の動的な楽章ではかなり違和感を感じました。特に第一楽章の冒頭のテンポの遅さ、極端な弱音などは、厚化粧した子供の着飾った姿みたいな、一種異様なデフォルメ感のようなものを感じました。