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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ジャック・ルーシェ/バッハ・トゥ・ザ・フィーチャー

2009年11月29日 16時04分19秒 | JAZZ-Piano Trio
 「デジタル・プレイ・バッハ」に続く、復活ルーシェの第2作。前作がデッカ時代の「プレイ・バッハ」の再演ばかりを収めていたのに比べると、今回は新レパートリーばかりで構成されているのが特徴だ。多分、前作の成功にルーシェ自身が大いに気をよくしていたのだろう、再演を潔しとせず、3楽章からなる協奏曲を3曲も収録し、かつ随所にコンテンポラリーなアレンジも盛り込んでいるところに、彼の本気を感じさせた。もっとも、発売当時「ちょいとやり過ぎなんじゃないの」みたいな意見は当然あっただろうし、かつてバッハをやりつくした後の「落ち穂拾い」みたいなところがなくもない、いささか地味な選曲ではあるが、個人的にはけっこう好きなアルバムである。内容をざっと見ていこう。

 冒頭に収録された「協奏曲ニ長調、BWV.1054」の第1楽章は、フュージョン風のシンコペした現代風のリズムで料理している。第3楽章ではジャズ・ワルツをベースにしながら、ファンクっぽい味付けがあり、とにかく新しいセンス(特にリズム面で)を導入してやろうという意欲が感じられる仕上がりになっている。「小フーガ」はロック風な8ビートで演奏されており、更にピアノは多重録音してかなり作り込んだアレンジになっている(さすがにこれはちと違和感を覚えたものだが)。8ビートといえば、続く「協奏曲ハ短調、BWV.1060」の第1楽章もその線でアレンジされていて、この上にピアノとベースがかなりモダンな感じで絡んでいるのがおもしろく(インタープレイといってもいい)、とても聴き応えがある。第2楽章はあまり旋律線は追わずに詩的なインプロを主体にしたジャジーな演奏で、いつもとは違った美しさがある。

 3つの大作である「協奏曲ヘ長調、BWV.1056」だが、これはアレンジ的には一番冒険している作品といえそうだ。第1楽章はもろにロック的なリズムを使いつつ、随所にひっかけを用意したり、途中ムーディーな4ビートにリズム・チェンジしたりとかなり、凝ったアレンジになっている。第2楽章はいつものルーシェ節だが、第3楽章は再びかなり凝ったリズム・アレンジとなる、途中、スウィンギーな4ビート、そしてピアノとベースの4バース・チェンジ、無伴奏ピアノ・ソロと、いろいろな聴き所が用意されているのが地味にうれしい。残り5曲はいずれも小品だが、個人的には「パストラーレ ハ短調、BWV.590」 と「メヌエット ト長調(アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳 BWV.追加114より)」が従来のルーシェの路線を感じさせるエレガントさがあって楽しい。
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ジャック・ルーシェ/デジタル・プレイ・バッハ

2009年11月29日 14時42分46秒 | JAZZ-Piano Trio
 ジャック・ルーシェといえば、60年代はデッカ、その後、復活してから近年はアメリカのテラークでアルバムを出しているけれど、80年代中盤にスタートというマイナー・レーベルからプレイ・バッハの取り直しをしたアルバムが、実は復活のはじまりだったことを、そろそろみんな忘れてきていると思う。誰の発案だったのか、かつてのプレイ・バッハ・シリーズから十八番の曲をデジタル録音で取り直すというアイデアは、すぐさま続編が続いたくらいだから、けっこう受けたはずだ。思えば、この時期の活動がその後の90年代に、今度はテラークで収録されることになる新バッハ・シリーズ、その他に繋がっていくことになるのだ。

 そえいう経緯で、このアルバムはおそらく単発企画として製作されたものだから、選曲的にはまさにプレイ・バッハ・グレーテスト・ヒッツである。私はこのアルバムを、確か今はもうない千葉市新星堂で、「イタリア協奏曲」がプレイバックされているを一聴して購入したように記憶しているが、この「イタリア協奏曲」のいささか権威主義的な第1楽章をスポーティーかつカジュアルな形で崩して演奏するセンス、いささか辛気くさい第2楽章ここまで洗練されたブルージーなアレンジする垢抜けた感覚、そして第3楽章を豪快なスウィング感と達者なテクニックにいたく感心したのだった。当時の私はオイゲン・キケロは知っていたけれど、多分、ジャック・ルーシェについてはほとんど知らなかったと思う。なので、このオイゲン・キケロより数段洗練されたルーシェの演奏を聴いて、「へー、こんなにお洒落なクラシックのジャズ化があるんだね」と、一聴、惚れ込んでしまったのだ(まぁ、オイゲン・キケロには彼なり良さがあることに後年気がつくのだけれど)。

 という訳で、このアルバム、80年代から90年代にかけてはずいぶん聴いたものだった。一曲目は「G線上のアリア」からスタートするが、この静謐なイントロからしばらく続いた後、あの有名な旋律が登場するアレンジがあまりに印象的だったので、テラークでの「プレイ・バッハ」シリーズのベスト盤が、前奏曲第1番ハ長調から始まることに大きな違和感を覚えたくらいなのである。もちろん、他も曲もいい。「イタリア協奏曲」と並ぶ十八番の「トッカータとフーガ」も、デッカ時代のオリジナルよりコンテンポラリーなセンスを取り入れて、良いアレンジ演奏だと思うし、 このふたつほど有名ではないが、「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」も、あまり有名でないからこそ、従来のバッハ的世界を心地よく裏切るインプロビゼーションを楽しめる。また、「主よ、人の望みの喜びよ」「コラール前奏曲第1番~目ざめよと呼ぶ声あり」といった小曲は、この人らしい実にセンスの良いお洒落な演奏で実に心地が良い。

 という訳で、このアルバム、自宅で、車で、結婚式の会場で....と、あのバブル最盛期の頃にはずいぶん活用させてもらったが、今ではそれもずいぶん昔の話となってしまった。今時、結婚式に絵に描いたようなフランス風のルーシェなんか気取って使ったら、ガチすぎて引いてしまう人も多いことだろうな(笑)。ついでにいうと、音質はデジタル録音初期であるものの、ルーシェ諸作ではこれが一番自然だと思う。その後のテラークはちと低音(特にバスドラ)がエゲツなさ過ぎで、その迫力感はさすがテラークという感じ凄いのは認めるが、あまりにスットン、バッタンした音質には少々違和感があった。やはりルーシェにはこういうシルキーな音質が良く似合うと思う。
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ニューヨーク・トリオ/星のきざはし

2009年11月12日 00時10分48秒 | JAZZ-Piano Trio
 2004年のスイング・ジャーナル誌で「ニューヨーク・トリオで聴きたいベスト10」を読者から募り、そのリクエスト結果を元にレコーディングした作品。ヴィーナスにはエディ・ヒギンスによって同様の企画のアルバムが作られたりしているが、いつぞやのジャズ・ポリスではないが、どうもこういうアルバムには「どうせお仕事でやっつけたのだろう」的な警戒心を抱いてしまったりする。アルバム発売順としては「ラブ・ユー・マッドリィ」の次がこれなのに「ビギン・ザ・ビギン」を先にレビュウしたのは、ひょっとすると「チャーラップのアーティストの本音はこっちの方だろう」みたいな警戒心が無意識に現れかも知れない(笑)。ちなみにこの作品、収録は「ビギン・ザ・ビギン」と全く同じセッションだから、両者は実のところ双子のようなものであるが....。

 で、肝心の選曲的だが、リクエストした人のチャーラップに対する見識の高さを物語っているのだろう、それほど日和っているものでは。「マイ・ファニー・バレンタイン」、「ラウンド・ミッドナイト」、「枯葉」、「スターダスト」といった、いかにもいかにもといった作品がないのにはほっとした(まぁ、既に取り上げてしまっている作品が既に多々あるという事情もあるか-笑)。アルバムはまずアップテンポで進む「恋人よ我に帰れ」からスタート、オスカー・ピーターソンばりにスウィンギーなプレイで実に快調である。このところバラード・プレイのチャーラップに惚れ直しているところではあるが、こういうスウィンギーなプレイももちろんいい。マイルスで有名なタイトル・チューン、そして「煙が目にしみる」はレッド・ガーランド風にエレガントなプレイをフィーチーしたバラード演奏の典型だ。「木の葉の子守歌」は切れ味を感じさせる洗練されブルージーな演奏、「アイル・ビー・シーイング・ユー」はきらめくような都会調のピアノ・ソロ、....といった具合に、全編に渡ってこのトリオらしい手練手管を過不足なく開陳していると思う(まぁ、どちからといえば本作はスロー・バラード主体の構成という気がするが)。

 この作品が「ビギン・ザ・ビギン」と双子のような作品であることは、先にも書いたとおりだが、演奏のテンションや佇まいのようなものは当然ながら全く共通、リクエストだから「やっつけ仕事で済ませた」みたいなところはほとんどないのは、さすが才人チャーラップというところだろう。もちろんゴリゴリしたレオン・ハートのベース、メカニカルでモダンなビル・スチュアートのドラムスも、チャーラップのレギュラー・トリオで見せる一体感とは別の意味でのスリリングさ、ユニークさは相変わらずで楽しめるが、前回も書いたけれど、こうしたミスマッチングなおもしろさもこのアルバムでは一皮むけて、ある種の阿吽の境地に入ってきたような深化を感じさせるのもいいところだ。個人的には「マン・アイ・ラブ」の意表を突いたアップ・テンポさ、あとキース・ジャレットにはかなわないけれど、ムーディなバラードに仕立てた「星影のステラ」が良かったかな。
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ニューヨーク・トリオ/ビギン・ザ・ビギン

2009年11月09日 01時04分08秒 | JAZZ-Piano Trio
 先日取り上げた「ラブ・ユー・マッドリィ」の二作あとのアルバム。もっともこの間に入る「星へのきざはし」はリクエストに応えて作られた一種の「企画物的なお仕事」っぽいから(同じ2005年に発売されているし)、これがニューヨーク・トリオの第4作というべきなのかもしれない。で、こちらはチャーラップお得意の作曲家シリーズで、前作のエリントンに対し、今度はコール・ポーターである(ちなみにこのあとはリチャード・ロジャース、ブルーノートの方ではガーシュウィンをとりあげることなる)。コール・ポーターといえばジャズ・ミュージシャンに好んで取り上げられるスタンダード・ナンバーの大御所であり、当方もかつてエラ・フィッツジェラルドのソング・ブック集をけっこう聴き込んでいるおかげか、聴き染みのあるナンバーがずらりと並んでいるせいで、こちらは気負いなく素直に楽しめた。

 冒頭は特に有名な-とりわけ日本で好まれていそうな-「帰ってくれたらうれしいわ」にはじまる。ニューヨーク・トリオとしては「過ぎし夏の想い出」以来の再演となるが、長目のピアノ・ソロからシャレたフックを経由してトリオへと移行するプロセスや後半のピアノとドラム8バース・チェンジなど前とほぼ同じパターンであるものの、前回に演奏に目立ったテクニカルなメリハリを後退させ、落ち着きやムーディーさ表にだしたでかなり深みを感じさせるのが、このトリオのほどよい熟成を感じさせる。チャーラップらしくゆったりとしたテンポで解釈された「ソー・イン・ラブ」もいい。この曲はコール・ポーターの作品でも個人的に特に好みの曲なのだが、ミディアム~アップ・テンポで演奏されることが多いこの作品をぐっとスローに演奏してしまう手管はチャーラップらしいところだし、また中間部移行の変幻自在なテンポの変更も楽しいところだ。前作のバラード路線を再現したようなムーディーな「ビギン・ザ・ビギン」もじっくり楽しめる。

 また後半はスウィンギーな「フロム・ジス・モーメント・オン 」、「イー・ジー・トゥ・ラブ」がフィチャーされ、その間にはピアノ・ソロでたっぶりと歌った「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」も聴かれる。ラストは私の大好きな「エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ」 で、これまた星空を見るようなきらめくような感覚としっとりしたムーディーさがあって、実に「聴かせてくれる」。
 そんな訳で、このアルバムはとても楽しめる内容だと思う。また、以前のアルバムに比べて個々の曲のクウォリティが一段上がっているような気もしないでもない。かつてはチャーラップのスウィンギーなところに惹かれたものだが、気がついてみたら彼のバラード演奏の巧みさに聴き惚れてしまっているというのも、そういうところが作用しているのかもしれない。
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ニューヨーク・トリオ/ラブ・ユー・マッドリィ

2009年11月06日 23時58分27秒 | JAZZ-Piano Trio
 10月24日の「ビル・チャーラップの盤歴」のところで、躓きの石的なアルバムとしてあげたものだが、いい機会だから改めて聴いてみた。もう一度紹介しておくと、このアルバムはビル・チャーラップがビル・スチュアート、ジェイ・レオンハートと組んでで出している一連のニューヨーク・トリオ名義の作品のひとつで、2003年の第三作となる。ビル・チャーラップは父親がミュージカルの作曲家、母親が歌手という、多分スタンダードやミュージカルを子守歌替わりに聴いて育ち、この分野の音楽が血肉化しているに違いない人らしいので、その造詣の深さを見込まれて(?)、作曲家シリーズのようなアルバムを沢山だしているが、これはエリントン集である。

 アルバムは「スター・クロスト・ラヴァーズ」というスロー・バラードだ。私はこの曲自体には全く馴染みがないが、甘さと苦みがほどよくバランスし、ラウンジ風にシャレたセンスと都会的ムードはいかにも「大人のジャズ」といった風情でなかなかいい。「あれ?、このアルバムこんなに良かったっけ」という感じである。さすがに私も知っている大スタンダード作品「イン・ア・センチメンタル・ムード」「ソフィスティケイテッド・レディ」「プレリュード・トゥ・ア・キス 」も、陶然とするようなロマンティクさでなく、酒でいささか体温が上がったような温度感にある種の苦みが見え隠れしていて、「スター・クロスト・ラヴァーズ」と-ついでにラストの「ウォーム・ヴァレー」も-同じようにいい。
 あと、超スローにアレンジした「Cジャム・ブルース」は、ビル・チャーラップらしい絡め手で演奏していて、前作の「夜のブルース」を思わせる洗練されたブルース感覚がこれがまた楽しい。なんだ、このアルバムは凄くいいじゃないか。

 一方、 「ジャンプ・フォー・ジョイ」「ラブ・ユー・マッドリィ」「ジャンプ・フォー・ジョイ」といった、ジャズのルーツがぷんぷんと匂うアクの強い作品はやはり今一歩な印象である。数年前にチャーラップに夢中になった時、私は彼のレッド・ガーランドばりの洗練されたスウィング感やメロディックさにKOされていて、このアルバムにはそうした曲が「スイングなければ意味ないね」くらいしかなかったのが、結局躓きの元になって、もっさりとしたバラード風な作品に、ちとエキセントリックな作品が点在するちと座りの悪い作品と感じてしまったようだ。今回はその「もっさりとしたバラード」の演奏に得も言われぬ魅力を感じたのだから、やはり音楽は繰り返して聴いてみないとわからないとつくづく感じた次第。久しぶりに「スターダスト」でも聴いてみようかな。
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坂本龍一/BTTB -international version-

2009年11月03日 20時59分36秒 | JAZZ-Piano Trio
 20代、30代の頃には我が家には主に音楽を聴きに、けっこう沢山の知人や友人達が訪れて、音楽についてあれやこれや話込んだものだった。しかし、結婚すると子育てだのなんだのできっと忙しくなってしまうのだろう。音楽などに費やす時間などは欲しくても手に入らないせいで、40代も過ぎる頃になると自宅への来客もめっきり減ってしまい、音楽はもっぱらひとりで聴くことが多くなった。もっとも、私の場合、調度そのあたりからパソコン通信だの、ネットだので、今度は「ネットの向こう側にいる誰か」に向かって、あれこれと音楽談義をするようになったから、「音楽について誰かに語ること」について、あまり強烈な飢餓感を感じたことはないが、それでもたまに自宅に誰か遊びに来て、久方ぶりに音楽談義に花が咲くのは、昔に戻ったようでやはり楽しい。

 さて、本日、大昔に打ち込みだのなんだので、よく「一緒に遊んだ」知人が自宅に久方ぶりに現れて、前述のようにあれやこれやと音楽談義に花が咲いたのだが、途中で話題に出たのが、「病院のBGM」ということだった。病院のロビーだの待合いコーナーなどでかける音楽である。話によれば、その病院では有線などに頼らずお手持ちもソースを持ち寄ってBGMに使っていたらしいのだが、ありがちな癒しがどうしただの、マタニティなんとかという安直な出来合のCDを導入したものの、繰り返して聴くにはさすがに勤務している方が飽きてしまい、こういう環境向けに他にもっと何かいい音楽はないか....みたいな話になったのである。そこで私がちょっとの間、黙考して推薦した音楽は、クラシックではロッシーニの弦楽ソナタ、メンデルゾーンの弦楽交響曲、ダウランドのリュート音楽、ジャック・ルーシェの「プレイバッハ」シリーズ、ユーロピアン・ジャズ・トリオのビートルズ集などなのだが、そのうちの一枚がこの「BTTB」なのであった。

 坂本龍一のピアノ音楽といえば、ごく初期のソロ・アルバムから度々度々収録されていたけれど、ほとんど全編ピアノ・ソロで構成されたアルバムというのは、考えてみると83年の「戦場のメリー・クリスマス」のピアノ以来、実に16年振りだったように思う。当時の坂本は室内楽風なサウンドやオーケストラなど確実にアコースティックな楽器に比重を置いていた時期だったので、ピアノ・ソロというのも必然的な成り行きだっただろうと思うのだが、とにかく出来上がった音楽はアンビエントと呼ぶにはもう少し音楽主義的、だが、とげとげしさの全くない瞑想的なもので、こうした坂本の音楽を待っていた人には待望のものだったのではないだろうか?(私もそのひとりだったハズなのだが、記憶によれば、私は「スムーチー」以降坂本に対する関心が相対的に低下していたようで、このアルバムも実はあまり印象に残っていない)。

 ともあれ、病院用のBGMということで、久々に聴いてみたこのアルバム。実はこのアルバム、一聴して放置してあったもので、ほとんど初めて聴くようなものだが、病院用のBGMとしてはちと瞑想的すぎるような気もするが、私の大好きな「ピアノ・ワン」をひとりでやってしまったような内容で、なかなかの仕上がりだ。私のもっているのは「BTTB」と「ウラBTTB」を併せたようなインターナショナル版だが、「ウラBTTB」の3曲を頭にもってきて、比較的メロディックに始まり、次第に難解な音楽(プリペアド・ピアノを使った曲なども登場)?になっていく構成は、商品としてはいい仕上がりになったと思う。個人的にはコラールの一番、二番、ブラームス風なインテルメッツォあたりが良かったかな。でも、こういう曲を流している病院....って、普通の人にとってはどうなのだろう?。
 
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ビル・チャーラップの盤歴

2009年11月02日 23時44分32秒 | JAZZ-Piano Trio
 「現代のトミー・フラナガン」、ビル・チャーラップは私の大のお気に入りのピアニストであるが、ここ数年なんとなくピアノ・トリオ自体から遠ざかったいるようなところもあり、ブルーノート・レーベルのビル・チャーラップ名義のもの、本邦ヴィーナス・レーベルからのものなど、一応、気がつけば新作は購入しているのだが、大分未聴盤がたまってしまい、もはやリリースの順番すらおぼつかなくなってきたので(笑えねー)、とりあえず分かる範囲で彼のこれまでのディスコグラフィを整理してみた。リストは下記のとおりだが、これでもデュエット物などは勘定にいれていないので、総数はおそらくもっと増えるはずである。

 うーん、だいたい2003,4年くらいから、未聴になっている。どうもこれは「ラブ・ユー・マッドリィ」というエリントン集とバーンスタインのポップス作品を集めた「Somewhere」が、今一歩だったことに起因しているようだ。前者は私がエリントンがあまり好きでないというのが大きいし、後者はそもそもバーンスタンの歌物など知らないのがネックになったのかもしれない。とにかく、それ以降の作品は、いつか聴こう....と思いつつ放置状態になっている訳だ。最新の2作はまだ購入もしていないのだが、いい加減聴かないとなぁ....。

●Souvenir (1995, Criss Cross)
●Distant Star (1997, Criss Cross)
●All Through the Night (1998, Criss Cross)
■ス・ワンダフル(1998,Venus)
●Written in the Stars (2000, Blue Note)

■夜のブルース(2001,Venus)
●Stardust (2002, Blue Note)
■過ぎし夏の想い出(2002,Venus)
■ラブ・ユー・マッドリィ(2003,Venus)
●Somewhere -The Songs of Leonard Bernstein- (2004, Blue Note)
●Plays George Gershwin (2005, Blue Note)
●Bill Charlap & Sandy Stewart: Love Is Here To Stay (2005, Blue Note)
■星へのきざはし (2005,Venus)
■ビギン・ザ・ビギン-Plays Cole Portor-(2005,Venus)

●Live at the Village Vanguard (2007, Blue Note)
■君はすてき -Plays Richard Rodgers- (2008,Venus)
■オールウェイズ(2008,Venus)
■スターダスト(2009,Venus) with ケン・ペプロフスキー
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デヴィッド・ヘイゼルタイン・トリオ/不思議の国のアリス

2009年08月29日 16時21分25秒 | JAZZ-Piano Trio
 ヴィーナス・レーベルでデビッド・ヘイゼルタイン・トリオはかなりの数のアルバムを出しているが、この作品は確か2004年にリリースされた3作目である。第1作は2年ほど前に取り上げた、ビル・エヴァンス縁の曲を演奏した「ワルツ・フォー・デビー」だったが、今回はそれと同じベースにジョージ・ムラーツ、ドラムスがビリー・ドラモンドというリズム隊を従えたフォーマットによる、やはりエヴァンス絡みの曲を演奏集だから、ほぼあれの続編といってもいいと思う(ちなみに2作目の「パール」はワン・フォー・オールのメンツからピアノ・トリオだけ抽出したような作品だった)。
 演奏スタイルは、ほぼ「ワルツ・フォー・デビー」と同様で、ビル・エヴァンスのような印象派風な色彩、耽美的なムードはないけれど、往年のエヴァンス・トリオ的なベースをフィーチャーしたインタープレイも随所に取り入れたオーソドックスな演奏である。なにしろ、相方がムラーツとドラモンドだからしてリズムは安定感抜群、そこにヘイゼルタインのフレージング、リズムの切れ、ブルース的な香りなどなど、ジャズ的感興には事欠かないプレイがのるから、全体は非常に聴きやすい仕上がりになっている。いずれにしてもヴィーナス・レーベルらしい「日本人が好む最大公約数的ジャズ」趣味がよく出た作品だ。

 タイトル曲や「星に願いを」は上品でエレガントな曲で、アルバム中でももっともエヴァンス・トリオ的な作品になっているが、これがヘイゼルタインらしいのかといえばちょっと躊躇するところもないでもない。また耳タコの「枯葉」はいきなりベース・ソロに始まる絡め手のアレンジ。さしあたって「ビューティフル・ラブ」「愛は海より深し」「テンダリー」3曲あたりが、演奏のテンションといいアルバム・コンセプトからいっても聴き応えある作品のような気がした。また、ピアノ・ソロで演奏される「ダニー・ボーイ」の抒情もなかなかである。
 それにしてもデビッド・ヘイゼルタインという人、音楽のシチュエーションや製作サイドの狙いや要求に応じて、とても的確、かつ過不足のないプレイをする人である。従ってこういう「日本発洋楽ジャズ」にはまさにぴったりの人選だとは思うのだが、極上のBGMたり得るが、スタンダローンなジャズとして聴くには、今ひとつ「決め手に欠く」ような気がしないでもない。器用さをセールスポイントにするのではなく、たまには「いきりたったヘイゼルタイン」が聴ける、例えばライブ盤を企画してみるというのも悪くないのではないか。
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ルイス・ヴァン・ダイク・トリオ/バラード・イン・ブルー

2009年08月10日 00時11分29秒 | JAZZ-Piano Trio
 先日気まぐれで購入したアルバム。ルイス・ヴァン・ダイクというオランダ人のピアニストを中心としたトリオが2004年に製作したアルバムだ。レーベルは日本のM&Iだから、ヴィーナスとかアルファ・ジャズなんかと同様、「日本発の洋楽ジャズ」的作品なんだろうと思う(女性の曲線をあしらったジャケットなどヴィーナス・レーベル的でもある)。さて、ルイス・ヴァン・ダイクというピアニストだが、60年代にアン・バートンの伴奏者として有名になった人というから、キャリア的には大ベテランのはずだが、ヴィーナスでのエディ・ヒギンズなど同様、日本でこうして再発見されるまではほとんど無名な人だったのだろうと思う。

 さて、ルイス・ヴァン・ダイクだが、さすがにオランダ人のピアニストだけあって....といっていいのだろうか、軽量級ではあるが泥臭いところが全くなく、時のクラシカルな風情すら漂うエレガントで、実に美しいシングル・トーンを持ったピアニストである。オランダという国のことはよく知らないが、こと音楽に関する限り、ロックでも、ジャズでも、クラシックでさえもそうなのだが、軽快で女性的、スケールはこじんまりしているが、洗練されていてまとまりが良い....みたいな特徴があると思う。そして、このルイス・ヴァン・ダイクという人も典型的にそうした特徴を兼ね備えている人のように思える。まぁ、ミもフタもな言い方をしてしまえば、ユーロピアン・ジャズ・トリオの先輩格といったら、当たらずともなんとやらといったところだと思う。。

 収録曲は「日本発の洋楽ジャズ」だからして、日本人好みのものばかりであるが、「いそしぎ」、「捧ぐるは愛のみ」、「エスターテ」、 「ラウンド・ミッドナイト」、「おもいでの夏」「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド」「春の如く」と選曲からして多少は渋いといえるかもしれない。前述のように典型的なヨーロッパ的な透明感と上品な感触のピアノを弾く人なので、アップテンポで豪快にスウィングしたりとか、元のテーマがなんだったのか分からなくなるようなアドリブとかはなく、かといって、実体のないお洒落なムードだけが取り柄みたいな、この手の音楽にありがちな陥穽にハマるぎりぎりところで、格調高く全体をまとめているのは、さすがベテランの妙味といったところだうか。

 個人的には時季も時季なだけに、大好きな「いそしぎ」や「エスターテ」が含まれていたのはうれしかった。ただし、どちらもありがちボサ・ノヴァ風なアレンジではなく、ゆったりとしたバラードで演奏されているのが逆に「いい感じ」である。また、これまた私の好きな「春の如く」は、ややピアノ・ソロでつづったやや散文的な演奏だが、詩的情感というか、うっすらとしたロマンティシズムのようなものも悪くない。数曲収録されたオリジナル曲は、いずれもクラシカルな趣が強いが、これなどもオランダらしい感性を感じさせる曲であり演奏である。
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ティエリー・ラング・クインテット/リフレクションズ2

2009年03月28日 23時06分27秒 | JAZZ-Piano Trio
 ずいぶん長いこと放置してあったアルバム。なにしろ、ラングの「リフレクションズ1」を取り上げたが一昨年の6月だから、ずいぶんと間が開いてしまった。様々なフォーマットにラングが取り組むこの「リフレクション」シリーズだが、前作は一応自らの基盤を確認するかのごとくピアノ・トリオで収録されたが、こちらはテナー・サックスとトランペットを加えたクインテット編成で演奏されている。2年近くもほったらかしにしてあったのは、きっと「ECM的な透明感がラングの持ち味だとすると、2本のラッパを加えた音楽はどうなんだろう?」などと訝しげな気持ちがあったからだと思う。ヨーロッパ的なピアノ・トリオというのは、けっこう明確にイメージできるが、管楽器の入ったヨーロッパ・ジャズというのは、どうも確固たるイメージが結びつかないのだ。

 さて、実際聴いてみると、なんのことはない、例のティエレー・ラング・ワールドであった。確かにサックスやトランペットが入っているせいもあるし、いわゆるジャズ・スタンダードなども取り上げているところからも、一聴するとモード前後の王道ジャズみたいな聴こえ方もあるのだが、このゆったりとしたのびやかな音楽の流れ、ホットだとか熱狂だとかいう言葉とは、ほとんど無縁な音楽の温度感の低さのようなものは、やはりラング特有なものだ。1曲目の「コラール」にただよう静謐なムードにゆったりとしたグルーブ感は彼らしい世界としかいいようがないし、ミュート・トランペットに始まるアルバム2曲目の「レ・プチ・ジュ」などイントロこそマイルス風(というよりティーブ・レイシー的というべきか)だが、サックス・ソロをフィーチャーした本編の方は優雅なワルツのリズムとクラシカルといいたいようなラングの伴奏が、独特の軽みやひんやりとした感触を感じさせて、「あぁ、ヨーロッパのジャズを聴いてるな」という気分にさせる。

 また、ブルース・ナンバーである3曲目「アン・プチ・ブルー」も、「死刑台のエレベーター」を彷彿とさせるハードボイルドさがあっていいし、新主流派+ブラジル風味みたいな曲も数曲あり、これもけっこう楽しめる。なお、4曲目の「テンダー・アウェィキング」、6曲目の「ワカ・フォー・フォーチ」、8曲目の「モンマルトル」あたりは、メランコリックでちょっと湿ったいつもラング・スタイルを味あわせてくれる作品だ。
 という訳で、特に心配するまでもないラングらしい作品だったのだが、考えてみればサックスやトランペットが入って、なおかつ音楽全体がラングらしいとしかいいようがない感触になっているのは、よぼと緻密に編曲したような音楽ならそれもありだと思うが、こういうインプロ主体の音楽でこうなるということは、けっこう凄いことなのかもしれない。
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TOMMY FLANAGAN / Sunset and the Mockingbird

2009年03月20日 19時45分42秒 | JAZZ-Piano Trio
 トミー・フラナガンの最晩年のライブ、確か彼自身の67歳(1997年)のバースデイ・コンサートで(最後にはオーディエンスによってフラナガンへのバースデイ・ソングが歌われる)、かのヴィレッジ・バンガードで収録されたものだったハズだ。フラナガンといえば、この時期、既にヴァップ期の生き証人として存在そのものがヴィンテージ化してたように思うが、それに呼応するかのように沢山のCDがつくられていたように記憶する。私がもっているのは「Sea Changes」「Lady Be Good for Ella」とこのアルバムだけだが、この時期のフラナガンの作品が他にどんなものがあるか、私は寡聞にしてよく知らないのだが、どれも良質な作品である。「Sea Changes」は名作「Overseas」の再演的アルバム、「Lady Be Good for Ella」はエラ追悼にちなんで、彼女の愛唱曲をピアノ・トリオで演奏、そしてこれがバースデイ・コンサートという、それぞれ違った趣でつくられていて、さながら彼の全活動をレトロスペクティブするかのようですらある。

 とりわけて、このアルバムはバースデイ・コンサートということもあって、当時のフラナガンが一番良く現れている作品ではないか。フラナガンという人は歌判は巧いし、数々の名盤のクレジットをみても、どちらかといば脇で渋く光る類の名演が多い人だから、そもそもアーティスティックなエゴを発散するタイプではないのだろう。なので、リクエストに応じてどういう風にでも立ち回えしまえるのだろうが、このアルバムは奥方のプロデュースだし、彼としてもリラックスして「やりたいことをやった」というか、なにはともあれインティメートな演奏だと思うからである。
 まぁ、そんな意図でつくられたアルバムなせいだろう、曲目は同世代のジャズ仲間がつくったジャズ・スタンダードばかりが選ばれているようで、私のようなジャズ初心者にはそのほとんどが未知な曲ではあるが、フラナガンの滋味あふれるピアノを楽しむにはかえって有名曲でない方が、かつての「Moodsville #9」同様、フラナガン的世界がビビッドに感じられて楽しめる(ちなみに、ベースはピーター・ワシントン、ドラムスはルイス・ナッシュである)。

 収録曲の中では4曲目の「I Waited for You」が素晴らしい。まず冒頭のソロで演奏されるパートの、ほのかに明るくそれでいて少し瞑想的なムードが良いし、続いてトリオに入ってからもピアノをよく歌わせつつ、ジャズ的なメリハリとリラクゼーションがほどよくバランスしているところがいい。6曲目の「Sunset and the Mockingbird」も、同様にスローでよく歌ったロマンティックな作品で、途中ブルージーになるところなど、その職人芸に思わず聴き惚れてしまう。ちなみに続くメドレーの前半「The Balanced Scales」はソロ演奏である(というか「The Cup Bearers」への長いイントロと考えるべきなのかも)。また、こうしたスローな作品にサンドイッチされて演奏されるアップテンポな作品はどれも長尺な演奏で、「Overseas」みたいなテンションはないけれど、快調にスウィングしていて、こちらももちろん楽しめる。
 という訳で、このところクラシックばかり、耳をそばだてて-少し緊張して-聴いていたせいで、ちと気分転換にこれを聴いてみたら、なかなか楽しめたの取り上げてみました。
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キース・ジャレット病

2008年01月31日 23時32分38秒 | JAZZ-Piano Trio
 キース・ジャレットの音楽って、けっこうな音楽好きなら誰もが一度はハマるものだと思う。ジャズ的な黒っぽさとは無縁なヨーロッパ的な透明感、ロマンティックな情緒、そのくせインプロヴィゼーションの奔放な流れはジャズ以外の何者でもない....という、王道ジャズというにはやや特殊なタイプであるにもかかわらず、実は本質そのものなのみたいなところが、妙に人をハマらさせてしまうのだと思う。こういうのを「キース・ジャレット病」というらしいのを昔どこかで読んだことがあるのだが、実は身近なキース・ジャレット病患者が我が愚兄である。
 しばらく前に突然、夜に電話がかかってきて、いきなり「キース・ジャレットっていいなぁ、おい」みたいなことを言ってきたのだ。我が愚兄は大昔多少ジャズとかを聴いたせいで、チック・コリアあたりは今でも聴いていたりもしたのだが、キース・ジャレットというと「ケルン・コンサート」あたりの自己陶酔型長尺ピアノ・ソロというイメージがあって、敬遠していたらしいのだが、ここ四半世紀のオーソドックスなピアノ・トリオ・スタイルの演奏はいたくお気に召したらしい。

 私はとりあえず、キース・ジャレットのピアノ・トリオは、延々と続いたピアノ・ソロ時代の後くらいに始まったもので、キース・ジャレットがオーソドックスなピアノ・トリオでしかも大スタンダードを取り上げ、しかもその演奏がビル・エヴァンス・トリオに匹敵する高い評価を得たこと。そして、当初は一時的と思われたこのスタイルがその後四半世紀に渡って永続していることから、このピアノ・トリオはけっこうなアルバム数があることなどあれこれ説明してあげた(ついでにピアノ・ソロも断続的に続いていることも付け加えた)。
 話を聴くと愚兄の聴いた作品は「アット・ザ・ブルーノート」だったらしいのだが、私は電話しながら、「あの長大な作品がそんなに楽しめるもんなのか」と、すこしばかり首を傾げてしまった。「アット・ザ・ブルーノート」はCDで6枚組の超大作である。一応、レコーディング前提としてライブ・バフォーマンスだったのだろうから、曲のダブリこそないけれど、私にはこのアルバム、全体をせめて2枚組くらいに圧縮していたら、素晴らしい仕上がりになったはずなのに、こんなコンプリート盤にしたせいで、いささかだらだらとして、これといった焦点のない、やや緩慢な超大作になってしまった....ように感じたからだ。また、この時期特有な妙にバップににじり寄ったところも個人的にはキース・ジャレットに似つかわしくないと思ったりもしていたが、愚兄は軽くBGM的に流すもよし、ふと聴き耳を立てるもよし、という聴き方だったらしく、逆にこのあたりゆるいところ新鮮だったのかもしれない。我が愚兄が出会ったのが、私が大好きな「星影のステラ」だったら、同じようにハマっただろうか、ふと考えてしまった。
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エディ・ヒギンズ・トリオ/クリスマス・ソングスII

2007年12月20日 23時36分53秒 | JAZZ-Piano Trio
 昨年の調度今頃レビュウしたエディ・ヒギンスのクリスマス・アルバムの続編です。確かあれをレビュウした前後に購入したはずですが、あれこれクリスマス・アルバムを聴いているうちに、こちらまで手が回らず来年のクリスマス・シーズンまで持ち越しになっていたものです。メンバーはベースのジェイ・レオンハートに変わってジョージ・ムラーツ、ドラムのジョー・アシオーネからベン・ライリーに替わって、2曲入ったボーナス・トラックにはスコット・ハミルトンのサックスがはいるという構成になっています。ライナーにも書かれていますが、本作では賛美歌系のトラディショナルな作品が沢山収められているのが特徴でしょう。この種の作品は前作でも何曲か入っていましたが、あの時はどちらかといえばいわゆるクリスマスのスタンダード作品がメインでしたから、本作ではあえて前作でやり残した沢山のクリスマスのスタンダードを手がけず、もっぱらトラディショナルな作品をやっているのはエディ・ヒギンスの趣味だったんでしょうか?。

 まぁ、そういう選曲がなされたアルバムなので、ディアム~スロー・テンポでアレンジされた曲が多く、全体としてはミかなり落ち着いた雰囲気が強いですが、1曲目の「もろびとこぞりて」の中間ではヒギンスらしいスウィンギーなアドリブが展開されますし、5曲目の「われら3人の東の王」では、かつての「魅せられし心」を思わせるハードボイルドな雰囲気でアレンジされたり、前回もあったボサノバ風なアレンジの作品としては、8曲目の「あめにはさかえ」があったりもしますから、まぁ、ヒギンスらしいところは十分感じさせるものの、やはり全体にちと地味かな....という気がしないでもないです。なお、スコット・ハミルトンが参加した2曲は「きよしこの夜」と「ジングルベル」というとてつもなく有名なクリスマス・ソングですが、けっこう直球なアレンジでもうひとひねり欲しかったところです。
 という訳で、こちらの続編ですが、酒場でBGMとして流しておくならいいかもしれないけれど、どうもひとりで音楽に耳を傾けるにはちと食い足りないという感じですかね。まぁ、ヒギンスもクリスマス・ミュージックという機能性に割り切ったアレンジ&プレイで、ここでは職人に徹しているのかもしれませんが。
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ミッシェル・ルグラン/パリジャン・ブルー

2007年11月24日 22時15分40秒 | JAZZ-Piano Trio
 ミッシェル・ルグランのピアノ・トリオ・アルバムはちょっと前に「シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン」というアルバムを取り上げたが、あの作品はルグランがオスカー・ピータソンになれることを披露したアルバムという意味ではおもしろかったけれど、「映画音楽家ミッシェル・ルグラン」というイメージからすると、けっこう居心地の悪い作品ではあった。この作品は「シェリーズ・マン・ホールの」から四半世紀近くたって発表されたもので(92年に発表で、ジャケの気取ったデザインなど、当時まだまだ残っていた日本のバブリーな雰囲気が色濃く出ているのが懐かしい)、きっとアルファ・レーベルで制作されたせいもだろう、日本側の意向が強く反映された結果だろう、「映画音楽家であるミッシェル・ルグランがジャズ・ピアノを弾いたら」的なイメージを全く裏切らない作品になっている。

 なにしろ「これからの人生」「おもいでの夏 」「ワンス・アポン・ア・サマータイム 」「華麗なる賭」といったスタンダートが目白押しだし、演奏の方もヨーロッパ的に洗練された雰囲気をベースに、ミディアム~スロー・テンポのゆったりとしたものが多い。「シェリーズ・マン・ホール」のような豪快にスウィングするような曲はなく、実にエレガントにテーマを演奏した後、それとなくスウィンギーな4ビートととなり、ジャズ的雰囲気が濃厚に漂い始めるといったパターンが多いのは、まさにはルグランとジャズの幸せな融合といった感じである。たた、ルグラン最大の名曲?「シェルブールの雨傘」は、まっとうに演奏するのが気恥ずかしいかったのか、テーマこそオリジナルのムードに忠実だが、インプロ・パートになるとスウィンギーな4ビート、ワルツ、ボサノバ、タンゴとめくるめくような演奏を展開して、ルグランの才気を感じさせるアレンジと演奏になっていて、全体に聴き流しされやすい作品の中にあって、異彩をはなった仕上がりになっている。
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ビートル・ジャズ/ア・バイト・オブ・ジ・アップル

2007年11月16日 22時56分57秒 | JAZZ-Piano Trio
 ビートルズの楽曲ばかりをジャズのピアノ・トリオで演奏するというのは、多分いろいろあるハズで、このブログでもヨーロピアン・ジャズ・トリオの「メモリー・オブ・リバプール」という作品を取り上げたことがあるけれども、これもそんな1枚である。おそらく企画色の強い、オシャレにジャズを聴きたい人向けに作った日本発の舶来ジャズとして作られた作品で、集められたメンバーはデイヴィッド・キコスキー(ピアノ)、チャールズ・ファンプロー(ベース)、ブライアン・メルヴィン(ドラムス)だが、私には全く未知の人たちである。この手のアルバムというとヨーロッパ系のミュージシャンでやりそうだが、どうやら3人ともアメリカ人のようである。

 さて、内容だが、この手のアルバムというと、楽曲の良さに音楽的な価値の大半を依存したしまったようなものを想像しがちだが、これはなかなか良い仕上がり思う。基本的には60年代のビル・エヴァンス・トリオと90年代のスタンダーズの中間くらいのスタイルで、有機的に組み立てれたソロのインタープレイ、詩的でエレガントなムードが横溢しているあたり、いかにもそれ的である。また楽曲はあくまでも素材、インプロビゼーションのトリガーとして使うというジャズ的なスタンスをきっちり守っていているあたり、きちんとしたジャズを聴いているという感じがする(それぞれの曲は6,7分と長い)。また、選曲もいきなりポールの「ジャンク」ではじまり、「イッツ・オンリー・ラブ」、「恋に落ちたら」、「マザー・ネイチャーズ・サン」といった微妙な陰影感がもった曲を選んでいるあたりも、センスの良さを感じさせる。

 また「カム・トゥゲザー」、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、「ウィズイン・ユー/ウィズアウト・ユー」といったいささかダークで、アーシーな曲も選んでおり、これらは調度これらの楽曲がリアル・タイムでレコーディングされた頃のジャズの雰囲気でもってアレンジしているようであり、このあたりもこのトリオのおもしろさがけっこう出ていると思う。まぁ、あえて望むならこれでもう少し全体にメリハリがある音楽であったら、もっと良い仕上がりになっただろうとは思ったりもしたが....。
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