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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ハイドン 交響曲 第40番「フーガ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月23日 14時15分05秒 | ハイドン
 昨年はほとんどレビュウできなかったことから遅々してはかどらないハイドンの交響曲全集聴き倒しシリーズですが、「このままではあと10年経っても最後までいかない!」とばかりに、最近では休みの午前とかゆったりとした気分の時には、努めて聴くようにしてきたおかげで、ようやく第40番に到達できました。やっと、交響曲全体の3分1ってところですかね。さてこの第40番ですが、エステルハージ家で副楽長をしていた時期の作品のようで、珍しいのは、本来別の目的に作られた楽章を組み合わせて交響曲にしたという点でしょうか。自筆譜の用紙や様式からそういった痕跡が伺えるようですが、これが本当だとしたら、まさにこの時代だからこそ、可能だった芸当としかいいようがないですね(そういえば、モーツァルトにはそういう例たくさんありますね)。

 さて、第1楽章はなだらか起伏、伸びやかな佇まいで進む快適なアレグロ楽章。第2楽章は「宮廷のけだるい午後」みたいなムードを持った緩徐楽章。ただし、アンダンテとはいえ、かなりくっきりとしたリズムをもっています。第3楽章はメヌエットですが、どうも第2楽章とかなり似た感じのムード、リズミカルさがあるところから、これなど第2楽章とは別のところから持ってきたパーツなのかもしれないですね。トリオではホルンとオーボエが活躍します。最終楽章はフーガになっています。ハイドンの交響曲の中ではきっちりとしたフーガが採用されたのは、この楽章が唯一の例なようですが、末広がりで立体感が増すような感じもなく、けっこう淡々としているところからすると、あんまりフーガという形式はハイドンのお好みではなかったのでしょうか。ともあれ、この楽章のフーガがハイドンとしては唯一ものであれば、ニックネームもそれにあやかって「フーガ」としておきましょうか。

 それにしても、ハイドンの交響曲、聴いてあれこれ感想書いてるだけでも、そろそろ書くべきことがなくなってしまいそうなのに(笑)、これを録音した方はさぞや大変だったろうな....とつくづく思いますね。フィッシャーは14年かけてこの全集をしたようですが、さもありなん。クラシックの場合はそれ譜面から曲を解釈しなくてはいけいはずで(まぁ、渡された譜面を職人的に振ってしまっているのかもしれないですが....)、今の感覚からすれば、曲が時代様式に埋もれてしまっているような曲ばかりを相手に、まずは曲を価値から定めていくのは、ものすごい研究心と根気が必要だったと思います。
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ハイドン 交響曲 第39番『the FIST』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月20日 19時02分22秒 | ハイドン
この交響曲39番はト短調です。そうです、モーツァルトの交響曲第40番、あと25番に使われた調性です(ついでにいうとバッハの小フーガもそう)。ディスクには38番に続いて収録されていたもので、ぱっと聴きで「おぉ、さすがはシュトルム・ウント・ドランク期の作品だわー」とか思ったんですが、いつも参照しているサイトで調べてみると、シュトルム・ウント・ドランク期の直前の作品に分類されています。そう考えると、余計にこの作品が珍品のように感じます(もっともWikiだと明快にシュトルム・ウント・ドランク期の作品としていますけど、大局的にみればそうなるのかな)。深刻ぶった作品を愛好する日本人としては、突如こうした作品を作った動機になにやらロマンティックな由来でもあったんじゃないかと勘ぐりたくもなったりしますが、おそらく気まぐれでしょう(笑)。

 まず第1楽章ですが、いかにもト短調したシリアスで暗い情熱に満ち満ちています。弦の細かい動きが転調を重ねて、ドラマチックにテンションを上げていく当たりは、どうしたってモーツァルトの25番を思い出しちゃいますよね。ちなみにモーツァルトが25番を作ったのは1773年、この曲は1768年頃の作曲といわれていますから、ひょっとするとモーツァルトは25番を作るにあたって、尊敬するハイドン師のこの作品を参考にしたという可能性もあるかもしれません。ただ、モーツァルトのような哀しみというより、ハイドンの場合、表だって出てくるのはベートーベン流の「悲愴」といった感情でしょうか。途中何回か休止が入りますが、これがいい効果あげます。あと、構えもきっちりかっちりしているのもドイツ流。第2楽章はかなりリズミカルなアンダンテの楽章、全体にしずしずとしていくらかユーモラスな表情で進んでいきますが、時折りフォルテで驚かすような楽句が頃合いのアクセントになってます。

 第3楽章はメヌエットですが、これはメヌエット部が短調で作られていて(かなり宗教的で敬虔な感じがします)、トリオが長調で田園的になるいつもパターンは逆の構成となっていますが、ここでは圧倒的に短調のメヌエット部の存在感が勝っている感じがします。続く第4楽章は当然ト短調となります。ここでもかなり劇的な様相を呈していますが、多少パースペクティブが開けたようなところがフィナーレに相応しい感じですね。ちなみに標題の「The Fist」なんですけど(iTunesで取り込むとこれが付いてくるんですよね)、これどういう意味合いなんですかね。直訳だと「握り拳」みたいなことになるんでしょうけど、どうも由来がわかりません。調べてみたんだけど、そもそもこの標題を採用している資料が少ないんですよね。どなたか適切な日本語訳教えてくださいませ。
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ハイドン 交響曲 第38番『こだま』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月19日 11時25分52秒 | ハイドン
 全4楽章、演奏時間が約16分という比較的こじんまりとした交響曲です。第1楽章は序奏なしにティンパニを伴っていきなり第1主題から開始されますが、多少ありきたりに宮廷風な第1主題、リズム的なおもしろさはあるものの、とりたてて印象にも残らないような第2主題を使って、主題を縦横に操作する展開部が充実していて5分半程度の規模であるにもかかわらず、大きなスケール、山あり谷ありの起伏で、ベートーベンを思わす聴き応えがあります。この曲は作品表によるとシュトルム・ウント・ドランク期の作品に分類されていますが(この曲は短調ではなくハ長調ですが)、やはりこの時期ともなると、ハイドンも交響曲という様式を完全に自家薬籠中の物としはじめたのでしょう。素材自体の価値はともかく、交響曲という器に、いかに豊富な音楽情報を盛り込み、どれだけ充実した作品に仕上げることができるか....そんな点にかなり傾注している様が、この楽章からもうかがえるような気がします。

 第2楽章はしすしずと進みつつも、多少リズミカルなところもある緩徐楽章ですが、途中第1ヴァイオリンの音型を、第2ヴァイオリンが追っかけるところがあり、このディレイのような効果がおもしろく、この曲の標題を「エコー」だとか「こたま」とするポイントになったようです。第3楽章は2分ちょいで終わる小振りなメヌエットで、オーボエがうねうねと三連で綴られるトリオが印象的ですが、ここではむしろメヌエットとトリオがきっちり対象して、小振りながらもけっこう風格ある音楽になってもいるところがいいです。最終楽章はなんとなく爆発しそうでしないところがありますが、第1楽章の精力的な感じを再現しつつ、途中でオーボエがフェイントをかけるように入ってくるところが印象的です(ブラームスの交響曲第2番の第3楽章にもこういう場面がありましたが)。この曲には前述のとおり「エコー(こだま)」という標題がついている訳ですが、自分ならここをとって「フェイント」としたかもしれませんね。
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ハイドン 交響曲 第37番「先回り」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月14日 11時57分55秒 | ハイドン
 こちらは32番と同様、緩徐楽章とメヌエットが逆に配置された4楽章作品です。作品表を見てみると、モルツィン伯爵家に居た頃の作品となっていますから、恐らく彼の交響曲でもかなり初期の作品なのでしょう。緩徐楽章とメヌエットが逆になっている特徴を除けば、全体としては、ハイドン的手練手管、交響曲的な重厚さといったものより、一気呵成に仕上げた、一筆書きみたいな潔さがある作品という感じがします。
 第1楽章はプレスト、いきなり打楽器がぶちかましてます(偶然でしょうが、前述32番もそんな感じで始まってます)。なにしろプレストなので早い、早い。くるくる回るような弦のモチーフが打楽器も交えてテンポ良く進んでいく様は、さながらシュトラウス「雷鳴と電光」ばりといったところでしょうか。第2楽章のメヌエットはやはり打楽器が冒頭から鳴っていて、一瞬ぎょっとします。ただ、このメヌエットだと、むしろ存在感があるのは短調の厳かなムードで進むトリオの方ですかね。一転して室内楽風な構成で演奏されるのもいいアクセントになってます。

 緩徐楽章は第二楽章のトリオのムードを引き継いだような、ほんの少し宗教的な雰囲気のある趣になっています。時に感情的な高ぶりを暗示させたりしつつも、基本は平穏さや厳かな気分に回帰していくというパターンは、ドイツ~オーストリア流儀の典型的な緩徐楽章という感じですかね。最終楽章は2分ちょいで終わるみじかいつくりになっています。第1楽章に呼応しているのか、こちらもプレストですが、低弦が活躍するせいか、けっこうゆったりとしています。最後に盛り上がるフィナーレというよりは、むしろコーダみたいな感じでしょうか。
 標題は第1楽章と第2楽章の冒頭でいきなりドーンと入ってくる打楽器の響きが、まずはリスナーの先手を打ってやろうみたいな、茶目っ気を感じさせるので、そのあたりからまずは「先手必勝」などという言葉も思い浮かびましたが、そこはもう少し柔らかい感じで「先回り」とさせていただきました。
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ハイドン 交響曲 第36番「迷子」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月13日 11時57分40秒 | ハイドン
 交響曲第36番は、時期的にいうと「儀典官」と私が勝手に命名した33番あたりと同じ、エステルハージ家で副楽長をやっていた頃の作品のようです。33番が雅やかなムードが横溢し、非常に明快な4楽章作品だったりに比べると、大局的には似たようなものではあるとしても、趣という点ではかなり違っています。さっそく曲を聴いてみます。
 第1楽章は交響曲第1番の同楽章をちょっと遅くしたような音楽。宮廷風に華やいだ感じ(金管も活躍)で始まりこそしますが、全体としては、その後、短調と長調を行き交いつつ、やや低回気味というか落ち着いて進行していく重厚さの印象が大きく、抜けきったような感じかないのは、ハイドン流の絡め手でしょうか。なお、展開部は途中で主題が回帰したように聴こえる部分があるので、一瞬ロンドのように聴こえたりしますね。第2楽章はアダージョとはいうものの、けっこう大男が忍び足をしているようなやや角張ったリズムが印象です。また、ヴァイオリンとチェロのソロが随所に登場して協奏曲的な風情もあります。

 第3楽章はかなりリズムの立った早めのメヌエット。この楽章の場合、印象的なのはむしろメヌエット本体より、ちょっと摩訶不思議なムードがトリオですかね。森を散策していたら、ふいに馴染みのない場所に紛れ込んだような奇妙な感覚にとらわれます。第4楽章のアレグロは、まぁ、いつもどおり快活なものといってもいいように思いますが、ここでも全体に弛緩と緊張が妙な感じでいりまじっていて、どうも座りが悪いというか、いまひとつ爽快感に欠ける感もなくはないです。
 さて、恒例のニックネームですが、これは難しかったです。どうもこの曲、これだっていう印象的な場面や印象が薄く、聴いていてもキャッチになるような言葉が浮かんでこないんですよね。自分のボキャブラリーの貧困さを痛感したりしますが、ここは第3楽章のトリオにちなんでというか、「迷子」としてみました。いや、迷子になってるのはもちろん曲ではなく、私の方になんですが....(笑)。
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ハイドン交響曲第35番「不意打ち」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月05日 11時16分42秒 | ハイドン
35番は全体に格調高い雰囲気を持っています。作曲の時期としては、34番からけっこう後、既にシュトルム・ウント・ドランクの頃とのことですから、明らかにBGM(というか機会音楽というべきですかね)を想定したような33,34番あたりに比べ、こちらはもう少し座って観賞する音楽みたいな多少スクウェアな雰囲気があります。第1楽章はしずしずと始まるものの、やがて力強いテーマに発展、そのピークでエレガントな第二主題が歌うように登場する段取りは、まるでモーツァルトのピアノ協奏曲の主題提示を思わせるようなところがあり、いつピアノが登場してきてもおかしくないような感じ。展開部で短調に転じてドラマチックになるあたりは「シュトルム・ウント・ドランク」的な特徴といってもいいようなところなんでしょうかね。

 第2楽章は弦楽のみで演奏されるアンダンテ。 これもエレガントな雰囲気がある楽章になっていますが、ちょっと不意打ちっぽくリズミカルなモチーフが随所に挿入されているところや、変ホ長調とのことなのに、どことなく短調のような雰囲気があるのが印象に残ります。第3楽章はいつも通りなハイドンのメヌエットという感じ、良くいうと安心して聴いていられるという感じで、悪く云えば曲の個性が様式やスタイルに埋没してしまっているというところがないでもないですね(トリオのヴァイオリン・ソロが目立つくらい)。第4楽章もリズム的な「不意打ち」がいろいろなところに仕掛けられている急速楽章(プレスト)で、そもそもテーマがかなり角張ったリズムがあり、動的で非常に推進力があるこの楽章の小気味よいアクセントになっています(太鼓でなく弦でやっているところがミソ)。ある意味でベートーベンの交響曲第3番「英雄」の第1楽章のダイナミックさを予見しているようなところもあります。

 という訳でこの35番、冒頭にも書いたとおり非常に格調高く、ムード的というより音楽主義なところが強く感じられ、いかにも「きちんと書きました」的な情報量の多さが感じられ、聴き応えがある音楽になっています。さて、恒例のニックネームですが、第2楽章が弦楽のみだったところから「弦楽アンダンテ」というのも考えましたが、やはり、この曲では2,4楽章であらわれるちょっと鋭いリズムの効果が印象的であり。それにちなんで「不意打ち」としました。この手のことはこれまで何度も書きましたけれど、今聴いてもそれほど驚くようなものではないですが(っていうがのんびり聴こえるくらいですけど)、当時はこの「不意打ち」、たいそう刺激的に響いたんでしょうね。
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ハイドン交響曲第34番「聖堂」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年11月28日 11時44分03秒 | ハイドン
 34番は荘厳なアダージョから始まります。アレグロ本編への序奏ではなく、アダージョのみで6分半くらいやってますから「本気で緩徐楽章を頭に配置」しています。交響曲が緩徐楽章からスタートさせるのは、後年チャイコフスキーとかマーラーが芸術的な必然から、ルール違反であることを念頭に「掟破りな構成」として試みるみとにになる訳ですが、実はハイドンは5番、11番に続いて3度目のルール違反をしていたことになります。もっとも、彼の場合、チャイコとかマーラーのように最終楽章も緩徐楽章にして構成的整合性を整えるようなことはしていませんし、なにしろ交響曲という概念そのものがまだ曖昧だった時代ですから、セレナードとかディベルティメントあたりの緩やかな構成に近づいたということでしょう。また、ハイドンらしい茶目っ気というのもあるのかもしれなません。

 ともあれ、この第1楽章は実に堂々たる緩徐楽章になっています。単一楽章で独立曲としてもいいくらいです。軽薄な言葉でいうと、「キャラが立っている」感じがします。短調で宗教的な荘厳さを漂わせて進みますが、ここまで荘厳かつスケールが大きいと、ハイドンでも90番台以降、モーツァルト最終期あたりの交響曲の第1楽章についていた、希有壮大な序奏を予見している感じもしますね。続く第2楽章は霧が晴れたようなニ長調のアレグロですが、私が今聴いているフィッシャーは第1楽章とはほぼ間を空けずに続けて演奏していますから、まぁ、リスナー的にはまぁ長大な序奏のように聴こえないこともありません。重々しい先行楽章とはうって変わって、躍動的な弦の動きやスケール感など、非常に爽快な仕上がりではあるのですが、あまりに大きく存在感がある仕上がりになってしまった第1楽章とバランスをとれるには、この第2楽章、ややハイドンの手癖というか、職人芸でまとめただけみたいなところがあって、今一歩役不足というか、もうひとつ魅力的な「つかみ」が欲しかった感じがしなくもないです。

 第3楽章はメヌエットにしてはやけにきびきびと進み、いつもの鄙びたメヌエットに比べると、トリオを含めてリズムにせよ、ムードにしても鋭角的な感じがします。最終楽章はプレスト、アルペジオみたいな三連符が全編を覆いつくし、途中、ソロヴァイオリンなども入り、かなりとっちらかったせわしない印象があります。時間的に考えてもこの楽章は第三楽章とセットで第三部みたいな考えるとしっくりとくるかもしれません。ただ、まぁ、ハイドン自身はメヌエットと最終楽章をどうおさまりよく配置するか、実験中という感じで、どうも考えあぐねているようなところも散見しますけど....。
 ちなみにニックネームですが、これは第1楽章の厳かで重厚なムードから、ごく自然に「聖堂」としました。「寺院」でもよかったかもしれません。まぁ、こちらはまた使うこともあるでしょう。
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ハイドン交響曲第33番「儀典官」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年11月25日 23時57分14秒 | ハイドン
 33番の第1楽章はヴィヴァーチェ、最初から飛ばしてます。この時期の交響曲といえば、第1楽章はたいていアレグロですが、個人的にはこのくらい性急かつ溌剌と始めた方が、現代人の私には心地よく感じられます。非常にはつらつとした勢いがあるものの、どちらかというスポーツ的な運動性とかいうのではなく、雅やかで宮廷風、絢爛で華やいだ風情が強いのが特徴でしょう。それはまるで王侯貴族の祝い事かなにかで催される盛大な宴のスタートみたいなイメージみたいな感じ。また、先の32番ほどではないにしても、ここではティンパニがけっこう活躍しますが、これがまたいいアクセントになってます。また、しっとりと落ち着いた第二主題は、この楽章の格調高さに一役買っているのもいい感じ。

 第2楽章はアンダンテでオーソドックスな緩徐楽章ですが、ハ短調のせいもあるんでしょう、夜会的というかセレナーデ的ななひんやりとした落ち着きが感じられれます。第1楽章は4分弱でしたが、こちらは5分半で全楽章中最長、じっくりと進みます。第3楽章のメヌエットも特にほぼパターン化された古典様式の音楽ですが、第1楽章と呼応しているのかティンパニがいいアクセントになってます。トリオのシンコペしたリズムはおもしろいですが、それらも含めこちらは2分半であっという間に終わります。最終楽章はほぼ第1楽章の宮廷の宴的な雰囲気に戻りますが、こちらはヴィヴァーチェでもプレストでもなくアレグロ、こういうのはハイドンらしいバランス感覚なんですかね。ここでもティンパニがドシンとかなり強烈な効果を出していますが、よく出来た第1楽章に比べると軽く流した....という感がなくもありません。

 という訳で、この曲は前半の2つの楽章の出来が良く、特に第1楽章の華やいだ雰囲気はかなり気に入りました。ニックネームについてはそれにあやかって「儀典官」。儀典官というと、現代の日本にも外務省なんかいると、こういう名の役職があるようですが、私のイメージしたのは、宮廷の宴儀で開始の時や、料理が運ばれくるとかけ声をかける、実にあの時代らしい役職の方ですね。なんか昔、映画だか小説だかで知ったんですが、調べみたら、こうした宮廷時代の儀典官は金色の鍵を首からぶら下げてそうですが、まぁ、こういう人が、気取った貴族達を尻目に宴を格調高く仕切っていたんでしょう。そういうイメージでつけてみました。
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ハイドン交響曲第32番「ティンパニ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年11月14日 10時50分56秒 | ハイドン
全四楽章、この演奏で所要時間約15分の比較的簡潔な交響曲です。このシリーズを書くにあたってよく参考にさせていただいている「The Web KANZAKI」によれば、モルツィン伯爵家時代に分類されていますから、彼の作品でもかなり初期のものになるのでしょう。素朴な疑問なんですけど、こうした古典派以前の作品はけっこうナンバリングが必ずしも創作順にならない混乱がよくありますが、ハイドンの場合、それがかなり凄いことになってますね。同サイトによると、このモルツィン伯爵家時代になんと107番とかが入ってたりしてますが、作曲者はどうしてこういうナンバリングをしたのか、そのプロセスはどうなっていたのでしょう?。まぁ、「音楽=芸術家の作品」みたいな概念がまだまだ薄かった、万事おおらかだった時代だったということに尽きるんでしょうが、それを慮って後年学者さんがつけたホーボーケン番号まで、新しい資料を基にどんどん訂正を迫られるというのは、あらたな通し番号が必要になるかもしれませんね。

 さて、第1楽章はティンパニと金管が大活躍するいかにも宮廷のお祝い行事風な賑々しさがあります。特にティンパニは随所でドロドロととした音を響かせていますが、今の耳で聴けば、このくらいは「多少のアクセント」程度ですが、おそらく当時はたいそう刺激的な響きに満ちていたのではないかと思われます。後年の「驚愕」でもそうですが、こ「こでひとつ聴いてる人を驚かしてやろう」的な茶目っ気が感じられます。第2楽章は緩徐楽章ではなくメヌエット、ベートーベン以前にこうした構成を試みていたのはちょっと驚きますが、これも「試み」とか「実験」とかそういうたいそうなものではなく、ハイドン流の茶目っ気だったんでしょうね。内容的にはやはり宮廷風なものですが(やはりティンパニが活躍)、ここではトリオの静謐な響きが印象的です。第3楽章はアダージョですが、多少リズミカルなところがあり、ギャラント風な装飾音が雅な風情を漂わせています。最終楽章は冒頭の雰囲気にもどってティンパニが大活躍します。

 恒例のニックネームですが、この32番は全体に「宮廷風」な趣が強いので、ニックネームはそれがまっさに思い浮かんだのですが、遡って読んでみたら、「宮廷風」は既に2番で使用済みであったことを発見。となると思いつくのは、両端楽章で派手に活躍するティンパニ.....ということになり、ここではあれこれ考えずにシンプルに「ティンパニ」で決めました。
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ハイドン 交響曲第31番『ホルン信号』/フィッシャー&AHハイドンPO

2009年09月05日 17時25分40秒 | ハイドン
 これもニックネーム付き。タイトルの由来は一聴瞭然、全楽章を通じて、随所にホルンが活躍する場面があるからで、その活躍振りや賑々しさはほとんど協奏曲的です。当時、ハイドンはエステルハージ家というところの楽団副楽長をやっていたようですが、偉い軍人さんでも来客として訪れるイベントでもあったんでしょうか、それともホルンの名手でも楽団に編入されたのかな?。ことに第1楽章については、機会音楽的な一種独特な高揚感ががあり、とても充実した楽章になっています。途中登場するフルート・ソロによる上昇する音階もいいアクセントになっていますし、まさに「ノリにのったハイドン」が楽しめるといったところでしょうか。

 第2楽章はホルンの他、ヴァイオリンやチェロのソロ・パートも登場し、実に優雅な仕上がり、ピチカートのリズムにのって前記ソロが展開される様は、在りし日の宮廷のけだるい午後の光景を思い起こさせます。さながら極上のサロン・ミュージックといった感じ。第3楽章のメヌエットはホルンに加えて、ヴァイオリン、オーボエ、フルートのソロが登場し、これまた典雅な雰囲気に満ちています。
 最終楽章は10分近い長大なもので、先行した2楽章と3楽章の雰囲気をそのまま引き継いだようなムードのテーマ始まり、その後7つのヴァリエーションが続く変奏曲になっているようです。各変奏ごとにソロされる楽器がことなり、多彩な音色を楽しめる仕上がり。そして聴きどころといえば、変奏が終わった後、突如プレストに転じる部分でしょう。ここで第1楽章のホルンと似たようなモチーフが登場させ、さすがハイドン芸達者なところをみせています。

 という訳で、こちらは全4楽章で演奏時間も26分、前回取り上げた30番のほぼ倍の長さがありますし。前述のとおり非常に華やいだムードがあり、ほとんど対照的な仕上がりになっていると思います。この曲が「特別なイベントのため機会音楽」だったのかどうかは、よくわかりませんが、長大な最終楽章を含め全体の長さなどからしても、全体から受ける感触としては、構築された交響曲というよりは、即興的なディベルティメントだとかセレナードに近い趣を感じさせますね。
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ハイドン 交響曲第30番『ハレルヤ』/フィッシャー&AHハイドンPO

2009年09月03日 19時25分11秒 | ハイドン
 30番は久々のニックネーム付きで、この「ハレルヤ」という名は、第1楽章にグレゴリオ聖歌の素材を使っているためそうなったようです。全3楽章で構成され、全曲がメヌエットで幕切れしてしまう構成をとっているのはめずらしいですが、どの楽章も4~5分程度、演奏時間は約13分。この時期(エステルハージ家の副楽長期)でこれに前後する作品の中では、かなりコンパクトな仕上がりといえましょう。
 全曲中では、やはり華やかで祝典的な雰囲気を持つ第1楽章が印象的です。冒頭からトランペットが活躍し、ちょっとモーツァルト風な天馬空を行く的な晴れやかなムードがいいですね。例によって第二主題が転調して短調になって翳りが見えてきたあたりで、さっと長調にもどる進行はなかなか素敵です。なお、肝心のグレゴリオ聖歌の素材というのは私には識別できませんでした。

 第2楽章はアンダンテ、しずしずと歩くようなテーマをフルートやオーボエがあれこれと話しかけるように装飾していく様は、公園を散歩している寡黙な夫と、それにあれこれ話しかけるちとおっせかいな奥方みたいな熟年夫婦のユーモラスな光景をイメージさせます。中間部で入るバロック風なフルートも良いアクセントというかワンポイントになって、このちょっととりとめない楽章をうまく引き締めてます。
 第3楽章はメヌエットです。ただしリズムはあまりきつくなく、ごくごくなだらかな感じでホルンのひなびて落ち着いた音色がいかにもドイツの田舎風な雰囲気をかも出しています。トリオはふたつありますが、最初の方はヴァイオリンとフルートを重ねたやはり穏やかな感じのもの。後の方は短調に転じてけっこうシャープなリズムを持っているのが印象的ですが、いずれにしてもメヌエット-トリオの対照はあまり際だっていない感じ、なにしろ、これがフィナーレになっちゃう訳ですから、座りを良くしたのかな?。
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ハイドン 交響曲第29番「のこぎり」/フィッシャー&AHハイドンPO

2009年04月04日 10時43分42秒 | ハイドン
 うわぁ、ハイドンの交響曲シリーズ、一年以上も空いてしまった。このハイドン交響曲命名シリーズも2005年6月スタートですから、もうすぐ満5歳なる訳ですが、そもそも古典派の音楽って得意分野ではないし、ロマン派の音楽のような「曲自体が作曲者がいいたいことを発表する場」でにもなっていないですから、曲はどれも似たような感じだし....で、どうも足遠いちゃいますね。このペースだとあと10年やっても最後まで終わらなそう(笑)。早いとこ「オックスフォード」だとか、「時計」とかの有名曲に行って、既に購入してある他の演奏と聴き比べとかしてみたいんだけど、ホントいつになることやら.....などといいつつも、気を取り直して今回は29番。

 前の番号にあたる28番はなんだか全編リズムの実験みたいなところがありましたが、この29番も割とそういうところがあります。第1楽章は快速調というよりは、メヌエットみたいなのどかなムードを持つテーマを、あれこれ操作しつつ進んでいくような感じで、そのせいかソナタというよりは変奏曲のように聴こえてます。次はおそらく弦楽のみで演奏される緩徐楽章、ただし、アダージョとかではなくテンポはアンダンテですから、こちらは緩徐楽章にしては「早い」感じがします(第1楽章は開幕の割に「遅い」の対照がおもしろい)。この楽章もだいたいのどこかに進んでいきますが、途中ギコギコと鋭く入るチェロのシャープな響きが印象的ですが、これなど当時はかなり刺激的な響きだったのかもと思ったりします。

 多少、実験的な先行2楽章に対して、第三楽章と第四楽章は普通のハイドンらしい仕上がりといえるかもしれません。前者はトリオで見せる神妙な表情がちょっとかわってますが、あとはいつもペースで進んでいきますし、後者は快活明朗、ちょっとモーツァルト的な伸びやかさも見せつつ快調にフィナーレまで進んでいきます。さながら最後で大サーヴィスといったところでしょうか。3分くらいあっさり終わらせず、たっぷり5分くらいかけているのも、全体のバランスを考えるといい感じです。
 さて、恒例のニックネームですが、これはもう第2楽章の特徴的な部分、つまりチェロのギコギコにちなんで、「のこぎり」しかないでしょう。ダメかな?。
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ハイドン 交響曲第28番「蛇行」/フィッシャー&AHハイドンPO

2008年01月06日 16時02分17秒 | ハイドン
 第28番は4楽章制の、まぁ中規模くらいの交響曲です。この曲は全曲を通じてリズムを工夫しているというか、リズムのおもしろさを追求しているようなところがあり、そのあたりが特徴になっていると思います。
 特に第1楽章はかなり入り組んだリズムになっていて、3拍子なのか4拍子なのか、よくわからないような仕掛けが随所にみられます。このあたりを楽しいと思うか、つまんないと思うかは聴く人の好みによるとは思いますが、がっちりと構築された土台の上で、リズムがあれこれと違った様相を見せるというのは、ある意味、この後のベートーベンあたりを予見したようなところを感じないでもありません。

 第2楽章もアダージョという割には、リズミックな部分が目立ちます。付点付きのリズムが多用されてており、低い弦と高い弦が交互に会話するように進んでいくあたりなかなかおもしろい趣向です。
 第3楽章は典型ともいえるメヌエットとトリオですが、他の曲と比べるとやはりリズムがより鋭く、ヴァイオリンの高い方をかなり強烈に出してくるあたり、当時はかなり刺激的な音響だったんじゃないでしょうか。ともあれかなりきりりとした風情があります。
 最終楽章もけっこう込み入ったリズムのようですが、とはいっても第1楽章ほど錯綜した感じでもなく、それなりに軽快なハイドン調で進んでいきます。まぁ、ハイドンとしてもオーラスは、いつもの彼らしく晴れやかに元気よい曲調にして、曲を「解決」させようと目論んだのかもしれませんね。

 という訳で、この28番のニックネームですが、全曲を通じてリズムが入り組んでことにちなんで、とりあえず「蛇行」としてみました。第2楽章の特徴から「会話」でもよかったんだけど、これはまた使う機会があるかもしれないので温存しときます。まだ28番だからなぁ(笑)。
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ハイドン 交響曲第27番「シチリアーノ」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年11月20日 19時11分01秒 | ハイドン
 ハイドンの交響曲も20番台となると、交響曲作家として成長感著しい構築的で大規模な構え、疾風怒濤期特有な感情表現といろいろ新しい要素を持った作品が続きましたが、この27番はどちらかというと初期のスタイルに戻った感じがする作品です(おそらく初期の作品ではあるんでしょう)。伸びやかな第1楽章、シチリアーノ・スタイルで作られた第2楽章、お決まりのフィナーレとなる第3楽章と、それぞれ緩急をきっちりとつけ、シンプルかつバランス良く全3楽章をまとめた、コンパクトな交響曲(演奏時間約13分半)という感じで、あまり深みのようなものはありませんが、初期型ハイドンの個性が良くでた軽快でスマートな作品という感じがします。

 まぁ、そうした意味で、この曲の場合それ自体の個性より、全編に渡って汎古典的なスタイルで塗りつぶされた曲....という感がなくもないですが、唯一、個性的といえるのはシチリアーノで作られた第2楽章ということななるんでしょうか。シチリアーノといえばイタリアの舞曲で、かのレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲の第3曲とか、フォーレの同曲といった、どちらかといえば回顧趣味的なセンスで後年作られた作品の方が有名だったりもしますが、短調で独特な静謐なムードを持つ舞曲という趣がこの楽章の場合、あまりデフォルメて強調されておらず、普通な感じが逆に同時代的というかリアルタイムな鮮度感のようなものを感じさせます。という訳で、この27番のニックネームは、第2楽章にあやかって単純に「シチリアーノ」としました。
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ハイドン 交響曲第26番『嘆き』/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年10月30日 23時16分54秒 | ハイドン
 26番という番号はついているものの、これまで聴いてきた21~24番あたりのエステルハージ家の副楽長を勤めた時代の後に来る、いわゆる「シュトルム・ウント・ドランク(日本語訳は「疾風怒濤」、語呂といい字句といい、実にうまい訳ですよね)」と呼ばれる時期の作品のようです。シュトルム・ウント・ドランクというは本来はドイツ文学で起こったムーブメントのようで、「若きウェルテルの悩み」あたりに象徴されるような、理性より激しい感情の表出を優先させるといったあたりに特徴があったようで、これは当然、その後のロマン派の先駆をなす試みになる訳ですが、ともあれこの時期の音楽にもそれなりに共通する特徴であることから、一緒にくくられるなったんでしょうね。

 さて、この交響曲第26番ですが、久々にニックネーム付きです。日本では「嘆き」とか「哀歌」といった訳がつくようですが、第1楽章の冒頭からそのタイトルが納得できる曲調となっています。緊張感が高く、やけにものものしいニ短調のテーマは、とりあえずこれまでのハイドンの交響曲では聴いたことがないドラマチックさがあります。第二主題ではいくらか明るく展開されますが、全体としては確かに激しい感情のようなものを感じさせるます。モーツァルトの短調の交響曲もすぐそこ....といった感じですね。第二楽章はへ長調のごくごく普通の緩徐楽章。麗しい女性がしずしずと歩くような優美さがあります。第3楽章は短調のメヌエットで、全体にバロック的、教会的な響きがありますが、時に鋭いアタック音が聴こえてくるあたりは、第一楽章のエコーでしょうか、トリオは長調ですが、ここでもするどい和音が独特の緊張感をよんでいます。
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