goo blog サービス終了のお知らせ 

Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ハイドン 交響曲第25番「田舎紳士」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年09月30日 20時34分40秒 | ハイドン
 この曲の第2楽章を聴いてなんとなく思い出したのが、6月に観たヒッチコックの「農夫の妻」という作品。この作品あの時も書きましたけれど、妻に先立たれた農夫が、近隣にいる未亡人達に次々に求婚するものの、次々に断られてしまうというがプロセスがストーリーの大半を占めておりまして、ジェームスン・トーマス扮するやもめの旦那が、それなりに着飾り紳士を気取って、美しいイングランドの田園風景の中、未亡人をモノにしようと闊歩していく様が妙におかしい作品でしたけれど、この第2楽章を聴いたら、なんだかそれを思い出さずにいられませんでした。

 ちなみにこの交響曲の第2楽章はメヌエットで、いつもながらハイドンらしい牧歌的、田園的なメヌエットなのですが、主部ではヴァイオリンが会話風に登場したり、トリオではホルンや木管がソロでやはり会話風に出たりして、なんだかあの映画の本人はカッコつけてカッコ良いつもりなんだけど、やはりちょいとばかり田舎クサイところが隠しきれないとぼけた男爵っぽい髭の主人公が勇躍して、山道を馬で上っていくユーモラスな風景が(別にあの時の音楽と似ていた訳ではありませんが)、この楽章のユーモラスさと妙にシンクロしたんですね。そんな訳で、これにちなんでニックネームは「田舎紳士」としました。

 さて、この曲ですが全3楽章です。第2楽章がメヌエットだとすると、緩徐楽章がないことなりますが、それは第1楽章の冒頭に3分近くかなり長目の序奏部としてアダージョがついているので、おそらく緩徐楽章はいらないと思ったか、書くのが面倒になったのでしょう(笑)。第1楽章の主部はハ長調らしい快活て、勢いのよいアレグロ、第3楽章はそれ輪をかけて快速調なプレストですが、曲そのものは特段ユニークでもキャッチーでもなく、ごくごくいつものハイドンのペースで押し切っているという感じです。やはりこの曲の個性は第2楽章のイナタくユーモラスな雰囲気ってことになるんでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第24番「フルート」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年08月25日 12時22分49秒 | ハイドン
 精力的で壮麗な第23番に比べると、こちらは全体に室内楽的でバロック風な流麗さがある作品となっているような気がします。23番のところでも書きましたけど、この時期のハイドンはどう考えても音楽的に一皮むけたような向上が感じられますが、この作品も21,22,23番あたりとほぼ同時期な作品と考えて良いらしく、すーすー流れるBGM的な雰囲気を持ちつつも、緊密な構成と淀みない緊張感の持続が心地よく感じられます。また、この曲で特徴的なのはフルートを大幅にフィーチャーした第2楽章で、静謐さが漂う落ち着いた雰囲気とフルート独特の清涼感が合わさって、さながらフルート協奏曲の緩徐楽章ような音楽になっています。毎回つけているニックネームですが、これはもうこの楽章の印象深さからして当然「フルート」しかないといったところでしょうか。

 他の3楽章も概ね良い出来で、第1楽章では管楽器の牧歌的なオープニングに始まり、アレグロというには少々ゆったりとしたテンポで進んでいきます。弦のトレモロのような動きにのって徐々に短調に転ずるあたりはハイドンらしい老獪さが感じれてこの曲のひとつとなっていると思います。第3楽章のメヌエットはこれまた第1楽章と共通するような管楽器の鄙びた音色がドイツの田園風景を思い起こさせます。トリオもほぼメヌエットと似たような雰囲気で進んでいきますので、楽章全体はとてもなだらかな印象です。最終楽章ですが、開幕はおずおずもじもじしながら始まり、やがてアレグロの主部になりますが、冒頭のおとなしめの部分は途中でも出てきますから、良くも悪しくもこの楽章のアクセントになっている感じです。ちょいと寄り道して流れがとまっているようにも感じられるし、ちょっと絡め手で遊んでみた....みたいにそこにハイドンの茶目っ気を感じるかは、人それぞれという感じでしょう。私はどちらかという前者ですかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第23番「和音強打」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年07月22日 11時04分56秒 | ハイドン
 21番あたりから突如内容が充実し始める(ように私には聴こえる)ハイドンの交響曲ですが、この23番もエステルハージ家で副楽長をしていた時期の作品らしく、なかなか充実した仕上がりとなっていってます。どこかどうだと説明するのは難しいのですが、音楽の響きが重厚になり、各楽章の個性をくっきりと対照させつつ、ひとつ交響曲として大きな構えを見せるようになったという感じがして、個人的にはこの時期、ハイドンに「エロイカ的跳躍」でもあったのかな?、と密かに思ったり、しているんですがどうでしょう。さて、
21番や22番は緩徐楽章が先行して現れる多少変則的な構成でしたが、こちらはオーソドックスな4楽章制のパターンで、特に変わったところのない、ごくこくまっとうな古典交響曲という印象です。

 第1楽章はこの曲の充実ぶりを良く伝える5分半といえます。ちょっとモーツァルトを思わせる青空のような明るさと幸福感、また、さえぎるものは何もない....といった感じの天衣無縫な伸びやかさなどがあり、聴いていて楽しくなると請け合いといった感じです。もちろんハイドン特有な職人的な精緻さのようものも随所にあり、再現部前で短調に転ずるあたりの巧みさはいかにもハイドンらしいものとえそうです。第2楽章は前楽章とは対照的に落ち着いた緩徐楽章に仕上げられていますが、全体としては厳かな宗教的なムードを漂わせつつも、リズミカルでユーモラスな音型なども鏤められていて、これもまたハバ・ハイドンらしいところといえるところかもしれません。ちなみにこの第2楽章は弦楽合奏のみで演奏されています。

 第3楽章と第4楽章はふたつ併せても4分ちょいで、先行するふたつの楽章がそれぞれ5分半、6分半もかけて構成されていたのに比べると、聴感的にもあっという間に終わってしまいます。前者はホルンの響きとカノン的なトリオが印象的。後者は4回連打する和音とそれに応答する動きの細かいテーマだけで構成されたような一風変わった楽章で、ある意味音響的な効果のみで作り上げたようなところもあり、あっけなく終わってしまうあたり、ちょっとシュールだったりもしますが、ヨハン・シュトラウスの「常道曲」みたいなジョークだったのかもしれませんね。という訳でニックネームはこの第4楽章にちなんで、「和音強打」でどうでしょ?。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第22番『哲学者』/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年06月23日 15時39分17秒 | ハイドン
 「朝」「昼」「晩」以来、久々のニックネーム付きの交響曲です。この曲も21番と同様、どういう訳か、アダージョによる緩徐楽章が急速なプレストの楽章に先行する構成になっていますが、作曲の年代もかの曲と近接しているようですし、ひょっとすると、この時期にハイドンはこのパターンに何かを感じいたのかもしれません、あるいはこの時代の音楽らしく「ちょっと試してみたら、おもしろかったからちょっと続けただけ」かもしれませんが....。さて、この曲のニックネームがどうして「哲学者」なのか、実はよくわからないのですが、どうも特徴的な第1楽章にあるような気がします。21番の第1楽章は壮麗で、しっとりと流れていくような雰囲気ありましたが、こちらはもう少しリズミックでユーモラスな表情があり、また、宮廷的な雅やかさみたいなものも感じられますから、どうやらこの楽章のムードから、このニックネームは付けられたのかもしれません。私の場合、この楽章は一聴して宮廷の夜会かなにかの入場曲みたいに感じましたが、そういえば最高学府にいる太った哲学者みたいなイメージがなくもないです(どっちかという、威厳のあるタイプではなく、カーのフェル博士みたいなイメージですね)。

 続く第2楽章は、やはり21番と同様急速なプレスト楽章です。「英雄」を先取りしたような雰囲気はこの楽章にもありますが、こちらの方がもう少しのどかで(イングリッシュ・ホルンの響き!)、いわゆる古典的な感じが強いですかね。第2主題の転調具合などいかにもハイドンらしくてまさに絶好調といったところでしょうか。第3楽章は例によってメヌエットですが、イングリッシュ・ホルンの響きが彩りを添えつつ、これまた宮廷的な雰囲気が強い仕上がりになっています。第4楽章はプレストに戻って、弦のトレモロのような急速な動きとイングリッシュ・ホルンのからみで進んでいきます。わずか3分くらいで終わってしまいますが、もう少し長くてもよかったと思ったりしました。
 という訳でこの曲の場合、やはり第1楽章のユニークさが際だっています。演奏時間は6分半にも及び、他の楽章がせいぜい3,4分であることを考えると、この楽章のそ頭でっかちぶりが分かろうかというものです。それにしても、このハイドン・シリーズですが、なんだか21番から俄然音楽が魅力的になってきたような気がします。ひょっとするとこの時期、ハイドンはエロイカ的跳躍でも起きたんですかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第21番「滑空」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年06月22日 20時38分58秒 | ハイドン
このハイドン交響曲シリーズですが、だいたいのパターンとしては一ヶ月に1,2曲をWalkmanに入れて、それを随時聴いて印象が固まったところで、ここにレビュウを書くという感じなのが多いのですが、この21番もご多分に漏れず最近通勤や出先へ赴く移動中に聴いています。で、この曲ですが、緩徐(アダージョ)楽章が第1楽章に配置された4楽章の交響曲という点もなかなかユニークなのですが、20番の後に聴くと、全体の構えといい、ダイナミックさといい、ある種の深みといい、かなり進化したよう印象があります。この時期のハイドンの交響曲の番号はクロノジカルにみるとかなりランダムなようですから、ひょっとして20番とは作曲年度にかなりの隔たりがあるのではないと調べてみたら、やはり数年空いているようです。もちろん、こちらの方が後年の作品で、20番がモルツィン伯爵家に居た時の作品であるに対し、21番の方はその後に就任したエステルハージ家の副学長時代の作品ということになるようです。

 さて、この21番ですが、前述のとおりアダージョによる緩徐楽章に始まります。まぁ、こういう例は15番とか18番なども、まぁ、この範疇でしょうし、なにしろこの時期は交響曲といったところでセレナードとかディベルティメントなどと未分化な状態でもあったでしょうから、これもまぁハイドンとしては、ひとつのヴァリエーションくらいにしか考えていなかったんでしょうね。楽章そのものは透明感に支えられたゆったりとした流れが印象です。続く第2楽章はかなり急速にかつ一瀉千里に進む楽章で、第1楽章とかなり鋭い対比をなしています、ハイドンの狙いとしはこのあたりかもしれませんね。とにかくここまでドライブしつつ、モダンなスポーティー感あふれる音楽をでかしてしまった以上、それをさらに強調すべく配置もこうなったというところなのかかも....邪推かな(笑)。ともあれここで聴ける音楽は、もうベートーベンの「英雄」が見えてきそうなくらい、晴れがましい雰囲気と、スケール感、推進力があって聴き物です。

 第3楽章は2分半であっという間に終わってしまいますが、セレナードに使えような夜型メヌエット。第4楽章は再び第2楽章の豪快さに回帰して、これまた「英雄」の第4楽章を予見させるような雰囲気を感じさせつつ、一気呵成にすすみます。
 という訳でニックネームは「小英雄」なんて付けたいくらいなのですが、それではふざけすぎなので、第1楽章と第4楽章、特に前者の天衣無縫な音楽の拡がりと、遮るものは何もない的な推進力あたりから、なにかそれをイメージさせる言葉はないかとあれこれ考えあぐねていたところ、なんとかなく鳥が羽を広げたまま飛ぶ様が思い浮かんので、これだとばかりに「滑空」とさせていただきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第20番「雷鳴」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年05月13日 14時18分52秒 | ハイドン
 このところ3楽章制の曲が続きましたが、こちらはオーソドックスな4楽章の交響曲です。もっとも作曲された年代としては、モルツィン伯爵家に仕えていた時期の作品という説もあり、全体は約14分弱と短く、小振りではあるものの、あまり小細工を労せず一気に仕上げたような仕上がりといえます。そのあたりを象徴しているのが第1楽章で、序奏なしにかなり唐突に始まります。いや、今聴くともう優美ともいえる開始なんですが、当時の感覚だと、これはおそらくドッカーンっていうくらいに、かなり激しい曲頭だったんじゃないですかね。ちなみにこの曲頭にちなんで、20番は「雷鳴」と命名させてもらいましたか、この部分、ドッカーンというよりはドロロ~はンっていう雷みたいに聴こえるもんで....。続く、本編も快調そのもの、喜ばしい雰囲気に溢れていて、なかなか印象的な楽章に仕上がっています。

 第2楽章はちょい早めのテンポで進むアンダンテ・カンタービレで、弦楽合奏のみで進められているようですが、低弦のピチカートがリズム的にもアンサンブル的にも良いアクセントになっていて、とても心地よいですし、途中ちょっと陰りある雰囲気がふとしのびよってくるあたりもチャーミングです。続くメヌエットはそれこそ型どおりの仕上がりですが、弦と絡むホルンの響きがなんとも牧歌的、トリオでは弦が鄙びた雰囲気を醸し出しています。主部とトリオがあまりに対照的にならず一定した流れを保持しています。そういえば、第2楽章も比較的リズムが表に出ていましたから、この曲の場合、交響曲的な起承転結というよりは、全体がリズミカルに進んでいくというあたりが特徴なのかもしれません。ただ、三拍子の第4楽章はどうなんでしょう。なんだか、メヌエットの続きのような雰囲気強く、似たようなホルンの使い方も出てくると、最終楽章としはもう少しプレストらしいプレストで颯爽と終わって欲しかったという気がしないでもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第19番「啄木鳥」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年04月07日 11時51分42秒 | ハイドン
 全3楽章、演奏時間も10分ちょいくらいのとてもコンパクトな作品です。第1楽章は他の作品でも度々でてくる「天高く馬こゆる秋」みたいなムードで、さえぎるものは何もない空みたいな雰囲気があります。ほんの少し温度感は低いけれど、とてもさわやかな風情がそう感じさせるのでしょう。また、途中、度々登場する16分音符で弦がせわしく動き回るトロモロ風な部分は、この楽章の良いアクセントになって躍動感を高めています。第2楽章はニ短調のアンダンテですが、静謐でしずしずと進む典型的な緩徐楽章といえますが、シンコペは多用されますし、ややあちこちに寄り道するようなリズムがあるのは、両端楽章の躍動感、リズミカルさにはさまれた唯一の遅い楽章というポジションを考慮した結果なのかもしれませんね。

 第3楽章では再び第1楽章の雰囲気に戻りリズミカルな音楽となります。ここでも弦がせわしく動き回るトロモロ風な部分が頻出して躍動感を高めていますが、全体としての盛り上がりは第1楽章に比べると今一歩という感じで、第2楽章の雰囲気も流れ込んでいるようなところもありますが、何しろ3分の楽章ですので、あれこれ考えているうちにあっという間に終わってしまいます。
 さて、ニックネームですが、両端楽章に登場するトロモロ風な弦の動きにちなんで、啄木鳥(きつつき)と名付けました。まぁ、こんな音型はハイドンに限らず同時期の交響曲には沢山でてくるんでしょうけど、この曲の場合、何故かその部分がとても印象的に響いたのもので、あれこれ考えずに即決定と相成りました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第18番「加速」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年03月17日 19時13分42秒 | ハイドン
 第18番は非常におもしろい構成を持った三楽章制の交響曲です。三楽章制の交響曲といえば、普通「急-緩-急」といった構成をとることが多く、ハイドンもそれ例外ではないのですが、この曲の場合、「緩-急-緩」という構成をとっているんですね。第一楽章はアンダンテ・モデラートで他の交響曲の緩徐楽章のような部分と、冒頭楽章らしい伸びやかで快活な部分が交互に現れて進行する非常に変わった楽章になっていて、けっこうユニークな印象を受けます。この曲はハイドンの交響曲でも比較的初期の作になるようですが、いろいろ交響曲という形式の確立に向け、いろいろ実験していたというところなんでしょうが、なかなかおもしろい仕上がりです。

 続く第2楽章はこれこそ第1楽章らしいアレグロで、第1番をはねるようなテーマにシグナル風なホルンのモチーフを絡め軽やかに進みます。形式もソナタ形式のようで、中間部ではハイドンらしくややジグザグな感じで進む展開部を置きつつ、全体としてはよどみなく最後まで進むあたり、まさに第1楽章の感覚です。第3楽章はメヌエットですが、お百姓さんのダンス曲というには、やや晴れやさの勝ったテーマになっていますが、このあたり最終楽章ということを意識したのかもしれません。トリオでは短調に変わって、厳かで陰影のあるムードで進み、ほぼ型通りにメヌエットが再現されると、この交響曲はやや唐突に終わってしまいます。

 という訳で、交響曲の完成形を知ってしまっている今の視点でみると、非常に座りの悪い奇妙な交響曲という印象です。もちろん、当時は交響曲などいうジャンルはまだ確立する以前でしたから、これなどあまり堅く考えずに「いくつかの楽章を適当に組み合わせた曲」程度の腹づもりで書いたんでしょうが、結果的にハイドンの交響曲ではけっこうにな変わり種になったようです。
 ちなみにニックネームですが、第1楽章が遅く始まり途中少し早くなって、第2楽章で本格的なアレグロになるという加速する構成から、「加速」と名付けました。あっ、そうだ、シュトラウスのワルツを真似して「加速度交響曲」なんてネーミングでもおもしろいかも....。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第17番「ルカヴィツェ」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年03月10日 17時38分17秒 | ハイドン
 第17番は3楽章制の比較的コンパクトな仕上がりで、ネットで調べてみるとハイドンとしては最初期のモルツィン伯爵家で音楽監督をしていた頃の作品のようです。第1楽章は序奏なしに始まり、とてもさわやかな快活さに溢れたアレグロ。天馬空を行くような伸びやかさはモーツァルトを思わせるものがあります。展開部でけっこう念入りで後半の短調でしばらくひっぱりつつ、そのピークで主題が回帰するあたりの手際の良さはハイドンらしい職人性を感じさせます。

 第2楽章はヘ短調でどことなく教会風に厳かで陰りある曲調の緩徐楽章、構成はこれもソナタ形式のようです。前半は厳かな第一主題とややリラックスした表情を見せる第2主題をしずしずと歌い、後半これをけっこうスケール大きく展開してあたりが聴き物です。第3楽章はアレグロ・モルトで進む最終楽章ですが、三拍子のせいか、なんとなくメヌエットっぽく聴いてるようですし、テンポもアレグロの我にはあっちこっち寄り道しているような曲調なので、なんとなくこの楽章の後に本当の最終楽章が来そうな感じがしちゃいます。

 ニックネームですが、今回は困りました。第1楽章の伸びやかさを何かひっかけようと思いイメージを膨らませたのですが、私の貧弱な頭からは何も浮かんできません。そんな訳で窮余の策として、ハイドンが身を寄せていたモルツィン伯爵家があったボヘミアの町の名前「ルカヴィツェ」としときました。伯爵の邸宅があったくらいの町ですから、きっと第1楽章のような快活な音楽に似合う風光明媚な場所だったんでしょう....って、さすがにちょっと苦しいか(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第16番「夕立」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年02月12日 11時15分11秒 | ハイドン
 いやぁ、実に久しぶりになってしまいました。「ハイドンの交響曲命名シリーズ」の続きであります。なにしろ私のクラシックでの主な守備範囲は後期ロマン派なんで、ハイドンに限らず、古典派の音楽というと、いきおい足が遠のきがちになってしまいます。今、調べてみるとまだ16番までしか進んでいない(!)、このベースだと全部終わらせるには10年くらいかかってしまうのではないかとメゲたりもしますが、一応、最後までやる気はあるんですよね。でも、心配なのはその頃までにブログというメディアは生き残っているんだろうか....?ということ(笑)。まっ、どうでもいいか。

 さて、第16番ですが3楽章制の比較的小規模な交響曲で、エステルハージ家で副楽長をしていた時期の作品のようです。最初期はルツィンという伯爵で音楽を作っていたらしく、前回とりあげた15番などはそちらの時期の属しているようですから、何度も書いているとおりハイドンの交響曲番号(特に初期)で時系列を考えるとあまり意味がないということなんでしょうね。もっとも時間としては数年オーダの違いでしかないようですが....。

 第1楽章は序奏なしでフーガのように始まります。シンコペーションの効いたリズミカルなテーマが印象的ですが、展開部で途中て短調に転じて巧緻にテーマを変容させていくあたりもいかにもハイドンらしい職人芸を感じさせますね、4分足らずですが勘所を押さえつつ簡潔にまとめた楽章という感じ。第2楽章はアンダンテ、演奏時間は約5分で全3楽章の中では最長ですが、テーマをヴァイオリンとチェロのユニゾンさせて、いつもの緩徐楽章とはちょっと違った毛色を出しています。第3楽章は活気あふれるプレスト、弦の華やいだ動きでもって一気にラストまで進んでいきます。

 表題ですが、この曲場合、ラストの第3楽章がなんとなく、夏の午後、博覧会とかそういった会場で空は晴れているのに、突然降り出した降り出した雨、人々が慌てて逃げまどうユーモラスな姿を想像させたので、夏の午後の雨、つまり「夕立」としました。本当は晴れているのに、雨が降ってきたということで「狐の嫁入り」にしたかったんですが、これじゃ江戸時代の祭りの風景みたいになっちゃいますから、シンプルに「夕立」、あっ、あと「夏の雨」でもよかったかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第15番「複合的」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年04月07日 23時28分44秒 | ハイドン
 とてもおもしろい構成をもった1曲です。まず第1楽章がとてもユニークで、冒頭に全体で6分半程度のこの楽章に、約2分強というかなり長大なアダージョによる序奏がついているのもかなり珍しいといえますが、問題なのはこれが楽章の最後にちゃっかりと再現している点です。しかも再現のところでも1分半かけて演奏していますから、楽章全体の演奏時間からいえば約半分をこのアダージョにさいている訳で、聴いた印象としては、長い序奏がついた楽章というより、ほぼ一般的な第1楽章と第2楽章の合体といった感じすらします。この楽章を如何なる意図でハイドンが作ったのかはわかりませんが、けっこう実験的ですよね。

 ユニークといえば、第1楽章がいかにも緩徐楽章なアダージョだったのを考慮したのか、第2楽章はメヌエットが配置されているのも、この時期としてはけっこう異例なことだったんだじゃないですかね。第3楽章はアンダンテ、概ね緩・急・緩という構成を持つ楽章が2つ続いたところでようやく、普通の緩徐楽章が登場という感じなのですが、これもなんとなくメヌエットとトリオを併せたような緩徐楽章にしてはちとリズミカルみたいな楽章ですから、ハイドンさん裏切り続けてくれます(笑)。しかも、最終楽章はプレストですが三拍子で、しかも短調の中間部があったりするこれまたメヌエットまがいの雰囲気構成をもった楽章になっているあたり、もうユニークとしかいいようがありません。

 という訳で、この曲交響曲、個々の楽章が様式化され、抽象度を高めていく方法でははなく、それぞれの楽章に割と自由に様々な要素を盛り込んでいるのが特徴でしょう。その意味でひとつの完結した世界を構築する交響曲というより、楽章間のなだらかな起伏、関連性、あたりの感触はどちらかといえばセレナーデとかディベルティメントみたいもの近いような気がしました。
 お約束の標題ですから、これらの理由により「複合的」としました。ちょっと硬いかな。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第14番「車輪」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年03月19日 13時12分12秒 | ハイドン
 こちらも4楽章制、すべての楽章が3~4分で、全体にテンポが早くスピーディーというか、小気味良いリズムを持った楽章ばかりが集まっているせいか、先の13番の重厚さとは対照的な印象があります。また、ソロの出番なども割と少な目で、全体としてはやや小ぶりな感はあるものの、その分均整のとれたバランスでもって、きっちり構成されたタイトな曲といったところでしょうか。

 第一楽章は序奏なしにいきなり主題が始まり、実に快活なムードに満ちています。この楽章で印象的なのは主題の伴奏として鳴っている低弦のリズムで、なにかギコギミいうような、ぐるぐると回るような音型で、ちょっと聴くとロック・ビートみたいな感じに聴こえないこともありません(ベースのフレーズみたいな)。なもので、この特徴的なリズムから、この曲の標題は「車輪」と名付けてさせてもらいました。

 第2楽章はアンダンテで、緩徐楽章というにはちょいと早めな感じで、ここでも後年の「時計」を思わせるような、ちょっと立ったリズムが出てくるあたりがおもしろいところ(もっとも「時計」の秒針より大分遅いですが)。第3楽章メヌエットはやはりかなり早目で、ちょっと陰りあるオーボエがフィーチャーされたトリオもかなりリズミックに進んでいくので、流れとして一貫性がある分、メヌエット~トリオの対照感は割と希薄かも。

 第4楽章は6/8拍子というちょいと込み入ったようなリズムで作られているのが、おもしろいところです。このあたりでどうしても思い出してしまうのが、ベートーベンの7番ということになります。あの曲はリズムを重視した楽章ばかりで構成されたことで有名な傑作ですが、調性も同じイ長調であることだし、ある意味ではこの14番はベートベンの7番のルーツといえないこともないかなと思ったりしましたが、どうでしょうか....?。もっとも7番の最終楽章は2/4拍子ですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第13番「チェロ」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年02月20日 23時19分04秒 | ハイドン
 両端楽章が短く(約3分半)、中間楽章が長い(約5分半)という比較的珍しいバランスの作品です。全体から受ける印象ととしては、ささっとはじまり、充分こねくり回し、一陣の風の如く終わるという感じ。躍動的な部分が短く、ゆったりとした部分が長いというのは、重厚感を出しやすい反面、ダレ気味になるというところもあるとは思いますが、そこはさすがに職人ハイドンなので、いろいろ趣向をこらしている訳で....それでは、各楽章を軽くさらってみたいと思います。

 第1楽章は第1番の同楽章に似た感じの伸びやかな推進力とちょっとモーツァルト的な明るさを感じさせます。また、いつもどおりに短調もまじえた展開部を経て、主題が回帰する時にカノン風に現れるホルンは新鮮な印象がありますね。第2楽章はチェロを独奏に据えたアリア風の緩徐楽章で、子守歌のような心地よさとほのかな格調の高さを伴いつつ優雅な歌をチェロが奏でてなかなか魅力的。後半ちょっと感情がたかぶるようになる部分もよいアクセントになってます。
 第3楽章は型どおりのメヌエットで、主部はごくごく普通のメヌエットという感じではありますが、突然現れるティンパニに後年の「驚愕」を感じさせたりするのがおもしろいところですかね。トリオでフルートがバロック風な陰影を感じさせるソロをとるあたりがこの楽章の聴きどころでしょう。最終楽章は「ジュピター」を思わせる4つ音が導入に現れるのにちょっと驚きますが、これはこれ以前の曲でもありましたから、当時としてはありがちな音型だったのかもしれません、ただ、これがフーガのように幾層にも重なりつつ出てくると、やはり「ジュピター」を思わせずにはいられません。上昇していくよう感じもそういえばモーツァルト的ですね。

 さて、お約束の標題ですが、第2楽章のアリア風な旋律をチェロが歌うのが、個人的にこの曲のもっとも好きな部分であり、また聴きどころだとも思いますので、ここでは第1楽章後半のホルン、第3楽章のティンパニやフルート、第4楽章の「ジュピター」風な音型にはこの際目をつぶり(笑)、単刀直入に「チェロ」としました。うーん、やっぱちょっと芸がなさすぎるかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン 交響曲第12番「噴水」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年01月27日 00時54分47秒 | ハイドン
 第12番は全3楽章からなるオールド・パターンです。この時期のハイドンの交響曲の創作年代は番号と必ずしも一致しないようですが、この作品はどうやらエステルハージ家の副楽長だった頃の作品らしく、順番でいえば第9番の頃に作られたようです。スケール的にはやや小ぶりではありますが、楽章間のメリハリも充分だし、各楽章もほどよく練られているという感じであり、全体に練達の腕で仕上げられた、職人的作品という感じです。

 しずしずと始まる第1楽章は、テーマが次第に動きの速い流動感の形に膨らんでいくあたりがまずは印象的。展開部が短調で始まるあたりは一瞬オヤという感じですが、その後の主題操作はいかにもハイドンらしい淀みない流れの一気に進んでいきます。非常にははればれとした活気のある音楽といえましょう。
 第2楽章はバロックでいうシチリアーノ風な陰影ある音楽で、歌物風な雰囲気も濃厚で、両端楽章を併せたのとほぼ同時間(約9分)をかけて入念歌い、かつじっくりと展開されていきます。オペラチックな緩徐楽章を全体の中心に据えるというのは、第7,8,9番あたりと共通するものですが、エステルハージ家にいた頃というのはこういうパターンを愛好していたのかもしれません。
 3つの楽章の中で一番短い第3楽章は、例によって屈託のない明るさと飛び跳ねるようなダイナミズムが横溢した典型的な最終楽章ですが、この楽章の場合、時折、短調で思わぬ方向に展開していくあたりが、他と違ってユニークな点かもしれません。

 最後にニックネームですがもこれは第1楽章の第一主題の後半、動きの速い流動感溢れる音型が、個人的には噴水の動きを彷彿とさせたもので、素直に「噴水」と名付けました。ちょっと気取って「エステルハージ家の噴水」とかでもよかったですが、あすこに噴水があったか、私にはよくよからなかったんだもんで。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイドン/ピアノソナタ全集

2005年12月16日 23時32分51秒 | ハイドン
 箱だらけ....など書いたばかりなのに、また買ってきてしまった。ハイドンのピアノ・ソナタ全集がそれなのだが、やはりこれもブリリアントから出ているもので、10枚組で3500円という爆安価格だったため、ついふらふらと手を出してしまったという訳だ。ハイドンについては交響曲ですら、まだ11番までしかレビュウしておらず、それに加えて50曲余りのオーダのピアノ・ソナタをここでレビュウしようなどと大それたことは目下考えていないが、現在、とりあえず1枚目を聴いているところだ。

 一聴した感触としては、交響曲とは違って非常にシャープで剛直な音楽だなという印象。いや交響曲もシャープで剛直な音楽だとは思うが、あちらはいろいろな飾りや仕掛けがあったりして、やはり膨張させた音楽という感じがするのに対し、こちらは骨格だけで勝負しているか、ハイドンの肉声により近いという感じがする。例えば交響曲を聴くと、ハイドンもモーツァルトも区別つかないみたいなところが、私の場合、ままあるのだけれど、ピアノ・ソナタだと、これはもうモーツァルトとは完全に別物の音楽で、きっちりベートーベンへとつながって行く代物だということが良くわかるという感じだろうか。

 ともあれ、この50余曲をそれぞれ識別できる程度になるには、一体どのくらい聴き込んだらよいのだろう?。そう考えるとやや気が遠くなる。どこからの山奥に下界からの情報やハイドン以外の音楽一切遮断して、日々これに没頭でもしない限りとても無理という気がしないでもないが、まぁ、安心感を買ったということでよしとしよう(笑)。


※ ついでにもう1セット購入してきたのが、ケンペが70年代にEMIで収録した一連のR.シュトラウスの管弦楽曲を集成したもので、やはりブリリアントがライセンスを取得して発売したものだが、R.シュトラウス嫌いの私とはいえ、3000円ちょいで、ケンペのシュトラウスが一括して揃えられるのはやはり魅力的であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする