UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

タンポポ君曰く、花ニラたちはガキ、ボクたちは大人・・・

2017-04-25 01:12:36 | 日記

わがガーデンの白い花、ハクモクレンが散りはじめました。入れかわるようにイチジクが小さな葉っぱをつけはじめました。全面展開していた花ニラ君たちは撤退を開始し、入れかわるようにタンポポ君たちがバッコを始めています。

今日の写真はわがガーデンで春の日差しを全身に受けてのびのびとバッコしているタンポポ君を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

写真をご覧になればおわかりいただけるのではないかと思うのですが、タンポポ君たちはハナニラ君たちのようにと密集してバッコすることはなく、互いに適度な距離を置いてバッコしているように思われます

そこで探究心旺盛なGGIはタンポポ君たちに質問を試みました

「もしもしタンポポ君、日光浴をお楽しみところおじゃまして申し訳ありませんが、ちょっとお聞きしていいですか?」

「誰かと思ったらあのイチャモン名人のGGIのおっさんか、質問するはいいけどヘンな屁理屈をこねたりしないでね」

「ぢいじょうぶ、ヘンなことは聞きません。とても大切な、君たちの存在に関わる質問をしたいのです」

「ボクたちの存在に関わる質問?なんだか気持ち悪いなあ・・・」

「だいじょうぶです、あのねえ、君たち、あの花ニラ君たちのように密集しないで、互いに適度な距離をおいて存在しているように見えるけれど、互いに距離を置いているのは何か理由があるのでせうか?」

「きゃあ~、GGIには似合わないえらく真面目な質問やなあ。それは極めてグッドな質問です。確かにボクたちの存在に関わる質問です。しかしながら答えるとなると、GGIのオツムが理解できるかどうか、問題はかなり複雑というか学問的なのです」

「そんなもったいをつけずに、GGIにも理解できるように簡単に説明していただけませんか」

「簡単には説明できないけれど、思いっきり分りやすく説明すると、花ニラ君たちは幼稚なガキであるけれども、ボクたちタンポポはリッパな大人であるということです」

「なぜハナニラ君たちはガキであり、君たちは大人なの?」

「それはこういうことです。彼らは互いの距離を取るという必要性を感じず、人間のガキどもみたいにみやみやたらに寄り集まってワイワイ騒いでいるだけなのです。互いの距離を取ることを意識しない、その必要性を感じないのはガキです。この間隔は高等な感覚なのです」

「つまり、ちゃんとした大人は互いに適度な距離を保つという感覚を身につけているのです。むやみやたらに互いにくっついたりはいたしません。つまりに互いを個として尊重し合うことが大切であることを知っているのです。だから、適度な距離を保っているボクたちタンポポは大人であると言えるのです。決してガキなんかではありません。ハナニラなんか、スプリング・スターフラワー、私たちは春の地上の星なのよ浮かれていますが要は幼稚な存在に過ぎないのです」

「なるほどなあ、分かったような気もするけれど、何か我田引水の屁理屈のようにも思えるなあ・・・」

「GGIのオッサン、我田引水の屁理屈だなんて、失礼なことを言わんでほしいなあ。いま言ったことは科学的な研究成果に基づいたものなのですよ」

「ほんとかね?」

「ほんとうです、いま言ったことは米国のエドワード・T・ホールという著名な学者の《隠れた次元》という本(みすず書房)の中に書かれているのです」

「彼は言っています。社会的な動物である人間の個体どうしの距離感を以下のように分類しています。すなわち、密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離という四種類の距離があるとしています。」

「密接距離というのは母親と子どもとか恋人たちのような親密な関係にある人間どうしにおける距離であり、その距離は45センチ以下。個体距離というのはたとえばパーティや立ち話などの私的なコミュニケーションの場で人間が自然にとる距離であり、45~125センチ。社会距離というのは仕事のうえでの面談など、公的なコミュニケーションの場での距離であり120~360センチ。公衆距離と言うのはたとえば演説や講演にさいしての話してと聞き手の距離などのことです」

「このホールさんの本にはこれらの距離感を示す具体例が写真で豊富に示されています。たとえば停留所で電車を待っている人たちが見事に一定の距離を保ちながら並んでいる写真などが示されています」

「これらのホールさんが示している具体例の中で一番興味深いのはケネディが大統領に当選したことが決まった瞬間をについてエピソードです。当選の知らせがあるまではケネディとその周囲の人々はいわば友人のような近しい関係です。ですから選挙事務所に集まった人たちは、まるでハナニラ君達みたいに和気あいあいケネディを中心に互いに体を接するほどに密集しています。ところが、当選の知らせが届いた瞬間、波が突然引いたかのように彼を虜君で取り囲んでいた人々はさっと後ろにさがり、ケネディと彼を取り囲んでいた人たちのと間に大きな空間が生まれたのです」

「この瞬間からは、大統領になることが決定した瞬間から、ケネディはもう単なる仲間や同志や友人ではなく、栄えあるわが米国のわれらが誇るべき大統領であるという感覚が人々に「密接距離」や「個体距離」ではなく「社会距離」を取らせたのです」

「どうですかGGIさん、分りましたか?話が少々脱線しましたが、かようなしだいでボクたちは互いに尊重しあって適切な距離を保っているのです。なにごともガキみたいな真似をしないで互いに尊重しあって適切なる距離を保つこと、これが生きていくうえで大切であるということです」

「わかりました。そういえば後にフランスの大統領を務めたあのドゴール将軍も自らの威厳を示すために、意図的にまわりの人物を近づけないようにしていたとされていますね。彼は大臣などの政府首脳や役人に接するとき、数メートルの距離を置いて彼らを立たせ、あれこれ話をしたり指示を下していたのですが、彼は自分の威厳を保つために意図的に社会的距離を利用していたということになるのでせうか?」

「その通りです。要するに何かと言うと群れたがるのは、徒党を組みたがるのは幼稚な花ニラたちと同じということです。ちゃんとした大人は群れたりいたしません」

「なるほど・・・そうするとGGIはちゃんとした立派な大人ということになるなあ・・・」

「GGIのおっさんん、我田引水、曲解はいけませんよ。GGIはただの孤独で孤立しているだけのヘンクツ高齢者にすぎません」

「御高説ありがとう。君たちがこんなに雄弁だとは思ってもいなかった。質問なんかするんじゃなかった。もう君たちはヘリクツをこねすぎた。だからサッサとわがガーデンから撤退しなさい!」

グッドナイト・グッドラック!


一強多弱の花壇・・・

2017-04-24 00:51:14 | 日記

わが庵から湖岸の道路を数百メートル東へ行ったところに道路に面して教会があります。この教会の前庭の花壇、手入れがよくいつもきれいな花がたくさん咲いていて、教会の前を通る人たちの目を楽しませてくれます

先日通りかかりましたらチューリップがたくさん咲いていました。満開でした。

今日の写真はこの満開のチューリップさんたちを撮ったものです。チューリップさんたち、とても張り切っているようですのでクリックしてご覧になり、愛でてやってくださいませ

そういえばチューリップさんたちをべた誉めした歌、童謡がありましたね

さいた さいた
チューリップの花が
ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ
どの花見ても きれいだな

ゆれる ゆれる
チューリップの花が
風にゆれて
にこにこ わらう
どの花見ても かわいいな

GGIはこの教会の花壇に咲に咲いているチューリップさんたちの姿を眺めておりまして、たしかに「きれいだな」ではありますが、でもこのチューリップさんたち、大きな花だなあ、ちょっと大きすぎるのではないかなあ、「かわいいな」というには明らかに大きすぎるのではないかと思ってしまいました。

写真をご覧になればお分かりになると思うのですが、チューリップの根元に咲いている他の草花にくらべて、このチューリップ、大きすぎるのではないかというのがGGIの見解です。大きさが度を越しているのです。

GGIの勝手な見解なんかどうでもいい、美しいものは美しいのだとおっしゃるかもしれませんが、美を構成する重要な要因はバランスとハーモニーなのです。それなのに、このチューリップさんたちの様子は他の花々を圧倒しすぎており、このため花壇全体のバランスとハーモニーに明らかに欠けております。他の小さな草花への配慮がまったく認められないのです。

このように美の要因を無視して、ただただ他の花々よりも大きく咲いて「どう、わたしたち、とってもキレイでせう、かわいいでせう」と自慢しているように見えて、GGIとしましてはあまり感心できませぬ。これではまるでチューリプさんたちの一人勝ち、いわゆる「一強多弱」状態であります。

昨日の日記で紹介いたしましました川柳(「独裁と言わずに一強と呼ぶ不思議」)から分りますように一強は独裁に通じるのです。独裁は美しくはありませぬ

「仲良きことは美しきかな」であるかもしれませぬ、しかしながら「大きいことは美しきかな」とは限りませぬ。

このように大きな花を咲かせて一強多弱状態に至ったのは、種苗会社のみなさんが「大きいことはいいことだ」とひたすら品種改良に励んだ結果であり、なにもチューリップさんたち自身に責任があるわけでないことは言うまでもありません。ですからここは、やはりGGI、率直になって「チューリップさんたち、よく咲いたなあ、咲いてくれてありがとう、とてもきれいだよ」とほめたたえておくことにいたします。

グッドナイト・グッドラック!


共謀の現場・・・

2017-04-23 02:14:31 | 日記

昨日、謀議を行いました、複数の人物による謀議ですので共同謀議、すなわち共謀です。

前回の謀議におわりに、参加者のみなさんに「次回はきわめて重要な謀議を行います。つきましては、重用な謀議を行うのにふさわしい、秘密を確実に保持することが可能な謀議会場が必要です。ご協力お願いいたします」とGGIが厳かに申しましたら、参加者の一人が即答してくれました

「わかりました、私が用意いたします。人里離れた風光明媚な山林のなかに私の別荘があります。いま庭は目にも鮮やかな新緑のなか桃の花が満開、謀議を偵察に来るのは野鳥や野生の動物たちだけです。別荘の一部屋を謀議会場に提供いたします。」

かようなしだいでこの知人の別荘を会場に借りることにいたしました。謀議の場とされた建物は県境にちかい湖北の山林地帯のなかにありました。人里離れていて、庭からの見通しもよく、秘密保持には最適であります。

謀議会場の準備、テーブルのセッティングも重要謀議を行うにふさわしいものでありました、このように立派に完璧な準備をされてしまいますと、今日はマジメに謀議をしないといけないなあ、脱線話は禁物だなあとGGIは固く心に誓いました。

おまけに謀議終了後、各種ご馳走と各種高級アルコール類をたしなむことになっておりましたので、密度の高い謀議をできる限り短時間のうちに終えなければなりませんでした。

今日の写真は謀議会場のテーブルを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

「え~、今日の最重要議題はいま国会で審議中のいわゆる《共謀罪》についてであります。みなさんもすでに新聞報道などでその内容をご存知と思いますので、もっとも重要な点だけをご簡単に説明いたします」

「あの~GGIさん、さっそく質問ですが、今日の私たちの謀議も、この共同謀議も、この法案でいうところの共謀に該当するのでせうか、該当するようなら私は今日は発言を控えたいのですが・・・」

「あなたは心配性ですね、今日何を言っても、アベ坊やはウンコ垂れやとかテンノーはノーテンキだとか、北の某国に先制攻撃すべきだとか、まったくのその場限りの思いつきを放言したとしてもなんら問題はありません。大丈夫です。GGIが保障します。」

「ほんとうですか?、GGIさんは別名《安請け合いのGGI》などと噂されいますが」

「大丈夫です、と申しますのは法の不遡及(ふそきゅう)という原則があるからです。法律の効力はその法律が施行された時よりも以前に遡っては適用されない、すなわち遡及されることはないとする法の原則があるからです。共謀罪に関する法律は今日の時点ではまだ法律として施行されていませんから、今日は何をいっても大丈夫!」

「では、この法律が仮にすでに施行されているとしますと、今日の謀議の内容は共謀罪でいうところの共謀に該当するのでせうか、該当するか否かは誰が判断するでせうか?」

「とてもグッド過ぎる質問です。そこがこの法案の一番の問題点です。ややこしい法律上の細かい点を乱暴に省略して申しますと、はっきり申し上げて、今日の謀議が共謀罪法案でいうところの「共謀」に該当するか否かを判断するのは直接的には警察の捜査官です。私たちの活動に日頃「関心」を抱いている警察官が、今日ここで謀議が行われていることを知っていて、謀議の内容が《共謀》に該当する疑いがあると判断した場合、つまり共謀罪の容疑ありと判断した場合は、事実上今日の謀議は《共謀》ということになります。もちろん容疑が晴れた場合は別ですが・・・」

「それならば、警察が、今日私たちがここで謀議を行うことを知っていなければ、当局は《共謀》の容疑をかけることができない、ということですか?」

「おっしゃる通りです、そしてその点が実はマフィアや暴力団員ではないわたしたち一般市民の日常生活にとって一番の問題点になるのです」

「それはどういうことですか?」

「あのですね、一般的にいって共謀の現場を偶然見つけることは不可能に近いといえます、その不可能を可能にするには、すなわち共謀の事実を警察が把握するためには、様々なグループや団体などを日常的に監視していなければなりません。このためケーサツは監視が必要と判断した団体・グループなどの監視に努力を傾注することになります」

「このようにしてケーサツが恣意的に狙いをつけた団体やグループや何らかの組織に属する個人を監視するようになる結果、監視社会になって行くのではないかといま懸念されているのです。今でも街のあちこちに勝手に監視カメラがめったやたらと設置されていて監視社会となりつつあるのですが、この法律ができれば、いやおうなしに監視社会の度を増すことはまちがいありません」

「でも、安倍首相は、一般の市民の方は関係ありませんので、どうぞご心配なくて言っていますが・・・」

「アベ君が何と言おうと、ケーサツがあの謀議は怪しいと、恣意的にある特定の団体や個人などに《共謀罪》の容疑をかけることは十分に可能です。それだけではなく、《共謀罪》が成立せず容疑が晴れても、容疑をかけるだけで一般市民には大きなプレッシャーになります。ケーサツは容疑をちらつかせるだけで市民を委縮させることができることになります。極端に申せば、この法案が有しているこのような一般市民への副次的な波及効果が、この法律の隠れた目的であるともいえるのです。」

「そうなると、もう何が独裁国家みたいなことに・・・でもGGIさんはちょっと被害妄想、誇大妄想のケがるのではありませんか?」

「人間はだれでも程度の差はあれ、被害妄想や誇大妄想のケがあるのです。それが生きている証拠です。一挙に独裁国家になるというわけではないにしても、独裁の程度は強まることはあったも弱まることはないというのが客観的事実でありませう。たとえば、今日の朝日新聞の川柳欄にこのような句が掲載されており、特選の星印が付けられていました。

《独裁といわずに一強と呼ぶ不思議》

選者は、「メデェアにも忖度?」と評しておりましたが、まことにそのとおりです。GGIはこれまでに何度もアベ独裁政権などと記しておりますが、昨今の状況はまさにアベ独裁政権であります。トランプ君もプーチン君も習近平君も独裁者です、いまは独裁者の時代になりつつあります。アベ君も有名独裁者の列に加わりたいのでありませう。」

「そんな悪口いって大丈夫ですか?」

「まあ、大丈夫でありませう、私のブログに書いておりますことは共同謀議の結果ではなく単独妄想の結果でありますらから、共謀罪とは無関係、だいじょうぶです。ただしこれが人口十数億の隣の大国であったならば、GGIは泣きをみることになるかもしれませぬ」

「それに安倍首相はこの法案は東京オリンピックに際してのテロを防止するために必要と言っていますが・・・」

「まったくデタラメです、大ウソです、事前に《共謀》を突き止め、そのおかげて未然にテロを防止することができたという例はほとんどないからです。テロを防ぎたければ、アベ君は世界のだれかから深い恨みをかうようなことをしなければよいのです。それがテロ防止のための確実かつ最善の方法です。そのためには安倍クンはトランプ君なんかに尻尾を振り続けることをやめればいいのです」

「でも、共謀罪法案、結局は国会で可決されるのでしょうね・・・・」

「・・・残念ながらそうなるのでありませう、何しろアベ君は独裁者ですから。自らのメンツにかけて法案の成立を図るでありませう。野党やメディアなどの反対や批判は無視、突然の審議打ち切り、強行採決など、いかなる強硬手段をも躊躇することはまずないと思うべきでありませう」

「GGIさんの口ぶり、なにか無責任な評論家みたいですねえ・・・」

「えっ何かおっしゃいました?GGIはこのごろ耳が少し遠くなってきましたのでよく聞こえませんでした。二度いうほどのことではないとおっしゃるのですか、じゃあ聞かないことにします」

今日も脱線続きのまとまらない話になりました。ごめんなさい。

グッドナイト・グッドラック!


三年でもあやしいなあ・・・・

2017-04-22 00:56:44 | 日記

昨日と一昨日は花を題材にした詩を紹介いたしましたが、ついでと言ってはなんでありますが、今日はGGIが以前から気になっている詩を一つ紹介いたします。

天野忠という詩人の作品です。題名は忘れました。

これでまあ
 七十年生きてきたわけやけど
 ほんまに
 生きたちゅう正身のとこは
 十年ぐらいなもんやろか

 とてもそんだけはないやろなあ
 七年ぐらいなもんやろか
 七年もないやろなあ
 五年ぐらいとちがうか
 五年の正身・・・・
 ふん
 それも心細いなあ 
 ぎりぎりしぼって
 正身のとこ
 三年・・・

 底の方で
 正身が呻いた

-そんなに削るな

GGIがこの詩を初めて目にしたのはずいぶん以前のこと、すなわち70歳になるずっと前のことでありました。ですから、わりあい余裕をもって、「70年生きて正味3年かあ、まあ人生、そんなものやろう」と笑っていられたのでありますが、70歳を大幅に超えてしまったいま、この詩をあらためて読んでみますと、笑ってい余裕はあまりございません、と申しますか、GGIの場合は「三年」でも怪しいなあと、忸怩たる思いがジクジクして、少々顔が引きつるのであります。

みなさんはいかがでせうか、まだ70には時間がある方は余裕の笑みを浮かべてくださいませ。70ちょうどの方は苦笑いしてくださいませ。70をとっくに過ぎている方は「そんなに削るな!」と絶叫して開き直るしかないでありませう

今日の写真は本文と関係ありませぬが、よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!


もう少し幻らしく・・・

2017-04-21 01:53:40 | 日記

昨日の日記では「幻の花」と称して、できそこないの写真をお見せしてたいへん失礼いたしまた。GGI、少し反省いたし、昨夜、「幻の花」に挑戦すべく、もう一度写真を撮り直してみました。

今日の写真は再度の挑戦結果を示したものです。またできそこないの写真かなどとおっしゃらずに、どうかクリックしてご覧くださいませ

ご覧の通り、闇のなかにハクモクレンの花がぼ~と浮かんでいます。幻の花に一歩近づいたのではないかとGGIは自己満足しております。

詩人の石垣りんさんは菊の花を見て昨日紹介しました詩を作られたのですが、GGIは菊の花を見ても、鈍感ですので、正直申し上げてあまり「幻の花」という感じは抱きませぬ。

詩人の感性はさまざまであり、GGIはひたすら鈍感でありますので、ムクゲの花(木槿、槿:はちす)を詠った詩を読んだときにも、人の感じ方は様々だなあと思ったことがあります。

GGIが読んだのは城左門という詩人の作品です。長くなりますので、そのさわりの部分だけを紹介いたします。ムクゲの別称は「はちす」(槿)です、この詩のなかの「槿花」は「きんか」と読むのでありませうか。

 槿花の葩(はな)が開く
 懈怠に白く、哀愁く白く
 槿花の葩が開くのだ 
 かう白々と侘びて、沈んで・・・

 槿花よ、そなたは淋しくないか
 槿花よ、涙がからんでおちる

 白い槿花よ、青い槿花よ
 仄黄い、さても恋しい槿花の葩よ・・・

 槿花の葩が開くのだ
 懈怠に白く、哀愁く白く

わが八重葎庵ガーデンでも、夏になりますとムクゲの花が咲きます。風に揺れる姿がとても涼しそうであり、GGIも好きなのですが、この城左門氏のような感じ方もあるのかと、正直申して意外でありました。風に揺れる白いムクゲの花は淋しそうではなく、むしろ楽しそうにしているのではないかと思うからです。

GGIはムクゲの花をどう感じているのかは、この日記の先代の日記に書いておりますので、そんなことどうでもいいよ、でも読んでやってもいいよ、と思われる方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20060721

グッドナイト・グッドラック!