UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

かつて湖都にも米軍基地があった・・・

2015-06-08 01:19:14 | 日記

昨日6月7日の朝日新聞に「1952年ごろの在日米軍の主な施設」と題された沖縄を除いた日本地図を付した記事が掲載されていました

 今日の写真はこの日本地図を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 この地図を見ていて、GGI、かつて湖都であるところの大津市にも米軍基地があったことを思いだしました、比叡山の麓、湖に面した風光明媚なる一帯を占拠しておりました、 この基地には占領軍の第一軍司令部がおかれていました

敗戦後、米軍は日本を西日本と東日本に二つに別けて占領しており、東日本を管轄していた第一軍の司令部が横浜に、西日本を管轄していた第二軍の司令部が湖都に置かれていたのでありました

 当時、米軍は「占領軍」ではなく「進駐軍」と呼ばれておりました、これは当時の日本政府や日本の報道機関が連合国軍(=実質的に米軍)を「進駐軍」と 呼ばせられ、占領に対する否定的なイメージの払拭に努めさせられたことによるものであるとウィキペディアさんに記されています。

 この朝日の記事によれば、1950年代には少なくとも33都道府県に米軍の基地が存在しており、その総面積はわが琵琶湖の二倍に相当する約13万ヘクタールに及んでいたが、1950年代(昭和25年~35年)に本土の基地は次々と返還され、本土における米軍基地の面積は四分の一に減ったものの、逆に沖縄における基地面積は2倍に増えたとされています

 GGIが友人たちとの沖縄旅行で初めて沖縄の米軍基地を目にしたのは、沖縄の本土復帰を記念して開催された沖縄海洋博のときでありました(1975~1976)

 そのとき沖縄出身のまん丸の顔をした陽気な友人が那覇空港まで車で迎えにきてくれていました、車が走り出し、しばらくして米軍基地の長いフェンスとフェンスの向こうに青々と広がる芝生を目にしたとき、GGIは思わずタイムスリップしたのかと思いました

 湖都にあった米軍基地の光景にそっくりだったからです、湖都の米軍が撤退したのは、記憶は定かではいのですが1950年代半ばではなかったかと思いますので、およそ二十年ばかりタイムスリップしたのでありました

 軍の基地というものは軍の主が変わっても営々と続くことが多いようです、湖都の米軍基地も戦前はわが帝国陸軍の基地であり練兵場でありました、そして米軍撤退後はその一部をわが自衛隊が基地として現在も使用しています

 ですから、この新聞記事の地図に示されている米軍基地の多くは、戦前は我が陸軍または海軍の基地であり、そして現在は自衛隊の基地となっているのではないかとGGIは邪推いたします

現在でも、沖縄を含めて、日本国内には132カ所に米軍の基地・施設などが存在しており、そのうち50カ所ほどは自衛隊との共用であるとのことです

 この新聞記事に付された地図を見ていて、別にGGIは愛国者なんかではないのですが、国内にこんな数多くの外国軍隊の基地を置いている国なんて日本をおいて他にはないであろう、もういい加減にしろよ、翁長知事の主張は当然すぎるくらい当然だと思いました

GGIはあえてここに宣言いたします

《こんなにたくさん日本国内に外国軍隊の基地があるようでは、そのうえ巨費を投じて基地を建設して外国の軍隊に提供しようというのでは、それこそ日本はいま「存立危機事態」にあるではないのか!》

ですが、正直申し上げてGGIは反米ではありませぬ、はっきり申し上げれば大の親米であります、主食は何と言ってもパンなんかではなくご飯であると確信して、三食ならぬ二食は(GGIは二食主義です)必ご飯を美味しく食しているからです

 グッドナイト・グッドラック!

 

コメント
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