今日はまず写真をクリックしてご覧になってください。わが八重葎庵のノーザンガーデンの東側にある隣家の駐車場から撮ったものです。
ご覧になるとお分かりになるように、電柱が二本写っていますね。正確には電柱そのものではなく電柱の支柱です。写真には写っていませんがこの二本の支柱は写真の右側に立っている二本の電柱をささえているのです。いずれも関電さんの背の高い電柱です。
右側の支柱は我がガーデンの西の隅っこに立っている電柱の支柱です。左側の支柱はわがガーデンの東側、隣家の敷地の西側の端っこ、わが庵の敷地との境界ぎりぎりに立っている電柱の支柱です。この二本の電柱、いずれも大通りに面しているのですが、電柱の間の距離はわずか十数メートルしかありません。つまりわがノーザンガーデンの幅はわずか東西に十数メートルしかないのです。
このわずかな距離のあいだに見上げるようなでっかい電柱が二本、デッカイ支柱が二本・・・つまり実施的に電柱が4本・・・・せまい土地に4本もの電柱と支柱、これが目障りではなく何でありませうか、景観破壊でなく何でありませうか・・・
それに、こんな短い距離の間にどうしてデッカイ電柱が二本も必要なのでせうか?
どうしてこんなことになってしまったのでありませうか?GGIがボケていたためでありませうか?いや、そうではありませぬ。
いつのことであったか、もう随分以前のことで忘れたのですが、ある日、関電の人がやってきてお宅の庭の隅っこに電柱を立てさせてもらえないか、とのたまいました。
どうしてこんな狭いところに立てるのだろうとは思いましたが、GGIは良識ある公共の精神にあふれた市民であり、それに若干の知性と教養も有しておりますので、関電は市民の生活に欠かせない電気を供給してくれている公益企業である、その公益企業が頼んでいるのであるから、個人の自由は抑制して応じるべきであろうと考え、快く承諾したのでありました。
関電の社員さんは「民間の私有地に電柱を立てたいと思っても嫌がられて立てさせてもらえないことが多いので、まことに感謝であります、たいへん助かります」と申しておりました。
ところがです、いざ立てるとなって工事にとりかかろうとしたら地盤が弱い(このわがノーザンガーデンは湖岸の大通りを建設するときに埋め立てられた土地、もとは湖でありましたので地盤軟弱)、それではということでデッカイ支柱も立てることになってしまったのです。
あれっ!これでは話が違うではないか、庭の隅っこに電柱一本なら仕方がないかと思っていたのですが、デッカイ支柱が庭木のあいだを斜めに横切るという不細工なことになってしまったのです。すなわち、実質的に2本の電柱が立っているのとおなじことになってしまったのであります・・・
それでも良識ある市民であるGGIは、これでは話が違うではないかなどと難グセをつけるような下品なことをせず、公益性を重んじて、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、文句一言もいわずに了承したのです。
隣家も同じことではないかと思われるかもしれませんが、隣家はなにしろ優に一千坪を超える大敷地の所有者、広大な敷地の隅っこに電柱の1本や2本、どうということはありませぬ。
その後、支柱のおかげで庭木が少し枯れてしまったことがありましたが、それでも大目に見ていたのです。関電さんが公益企業のはずであるからです・・・
そして、電柱が立ってから時が流れ流れたある日、東電の福島原発で大事故が起きました。そして多くの市民がもう原発はやめにしたらと思うようになりました。でも、関電さんは何の反省もせず、経営方針も何ら変えることなく、原発事業をビジネスの中心に位置づけて業務に勤しみ、今では日本一の原発依存電力会社になってしまいました。
このようなことでは関電さんはほんとうに公益企業であるのか、GGIは疑問を抱かざるを得なくなりました。このままでは関電が公益企業であることを信じていたGGIの行為は無意味に帰すのではないか、あの電柱と支柱はいったい何であったのか、GGIは深く悩みました。
そこで、関電さんのあまりの無反省ぶりを正すべく、GGIはナンキンハゼさんをのびたい放題にして送電線に届くまで成長させ送電妨害を敢行しようと計画したのです。でも、うまくいきませんでした・・・
かようなしだいで、ナンキンハゼさんや柿の木さんやアンズの木さんによる華麗なるわがガーデンの晩秋、その景観を台無しにしている関電さんの電柱群を毎日眺めながらGGIは暮らしているのです。秋の日のビヨロンの溜息でなく、秋の日の関電の電柱に溜息であります・・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
ご覧になるとお分かりになるように、電柱が二本写っていますね。正確には電柱そのものではなく電柱の支柱です。写真には写っていませんがこの二本の支柱は写真の右側に立っている二本の電柱をささえているのです。いずれも関電さんの背の高い電柱です。
右側の支柱は我がガーデンの西の隅っこに立っている電柱の支柱です。左側の支柱はわがガーデンの東側、隣家の敷地の西側の端っこ、わが庵の敷地との境界ぎりぎりに立っている電柱の支柱です。この二本の電柱、いずれも大通りに面しているのですが、電柱の間の距離はわずか十数メートルしかありません。つまりわがノーザンガーデンの幅はわずか東西に十数メートルしかないのです。
このわずかな距離のあいだに見上げるようなでっかい電柱が二本、デッカイ支柱が二本・・・つまり実施的に電柱が4本・・・・せまい土地に4本もの電柱と支柱、これが目障りではなく何でありませうか、景観破壊でなく何でありませうか・・・
それに、こんな短い距離の間にどうしてデッカイ電柱が二本も必要なのでせうか?
どうしてこんなことになってしまったのでありませうか?GGIがボケていたためでありませうか?いや、そうではありませぬ。
いつのことであったか、もう随分以前のことで忘れたのですが、ある日、関電の人がやってきてお宅の庭の隅っこに電柱を立てさせてもらえないか、とのたまいました。
どうしてこんな狭いところに立てるのだろうとは思いましたが、GGIは良識ある公共の精神にあふれた市民であり、それに若干の知性と教養も有しておりますので、関電は市民の生活に欠かせない電気を供給してくれている公益企業である、その公益企業が頼んでいるのであるから、個人の自由は抑制して応じるべきであろうと考え、快く承諾したのでありました。
関電の社員さんは「民間の私有地に電柱を立てたいと思っても嫌がられて立てさせてもらえないことが多いので、まことに感謝であります、たいへん助かります」と申しておりました。
ところがです、いざ立てるとなって工事にとりかかろうとしたら地盤が弱い(このわがノーザンガーデンは湖岸の大通りを建設するときに埋め立てられた土地、もとは湖でありましたので地盤軟弱)、それではということでデッカイ支柱も立てることになってしまったのです。
あれっ!これでは話が違うではないか、庭の隅っこに電柱一本なら仕方がないかと思っていたのですが、デッカイ支柱が庭木のあいだを斜めに横切るという不細工なことになってしまったのです。すなわち、実質的に2本の電柱が立っているのとおなじことになってしまったのであります・・・
それでも良識ある市民であるGGIは、これでは話が違うではないかなどと難グセをつけるような下品なことをせず、公益性を重んじて、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、文句一言もいわずに了承したのです。
隣家も同じことではないかと思われるかもしれませんが、隣家はなにしろ優に一千坪を超える大敷地の所有者、広大な敷地の隅っこに電柱の1本や2本、どうということはありませぬ。
その後、支柱のおかげで庭木が少し枯れてしまったことがありましたが、それでも大目に見ていたのです。関電さんが公益企業のはずであるからです・・・
そして、電柱が立ってから時が流れ流れたある日、東電の福島原発で大事故が起きました。そして多くの市民がもう原発はやめにしたらと思うようになりました。でも、関電さんは何の反省もせず、経営方針も何ら変えることなく、原発事業をビジネスの中心に位置づけて業務に勤しみ、今では日本一の原発依存電力会社になってしまいました。
このようなことでは関電さんはほんとうに公益企業であるのか、GGIは疑問を抱かざるを得なくなりました。このままでは関電が公益企業であることを信じていたGGIの行為は無意味に帰すのではないか、あの電柱と支柱はいったい何であったのか、GGIは深く悩みました。
そこで、関電さんのあまりの無反省ぶりを正すべく、GGIはナンキンハゼさんをのびたい放題にして送電線に届くまで成長させ送電妨害を敢行しようと計画したのです。でも、うまくいきませんでした・・・
かようなしだいで、ナンキンハゼさんや柿の木さんやアンズの木さんによる華麗なるわがガーデンの晩秋、その景観を台無しにしている関電さんの電柱群を毎日眺めながらGGIは暮らしているのです。秋の日のビヨロンの溜息でなく、秋の日の関電の電柱に溜息であります・・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!