UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

さまよえる盲目のギャンブラー氏、いまいずこへ・・・

2016-01-20 02:32:36 | 日記

昨日の日記に阪神大震災のことをすこし書きました。GGIは何度も神戸の地に足を運ぶことは運んだのでありますが、いまから考えますと、結局はブラブラ歩きに若干ケが生えた程度のものでありました

 もちろん、震災による破壊の跡を目にして、これは大変だなあと思うことは少なくなかったのでありますが、おかしなことやアホなこと、想定外のことにも結構遭遇いたしました

 たとえば、被災者に間違われたことが一度ならずありました。あるとき、避難場所になっているある小学校の校庭に入っていって、遠く関東からやってきたという自衛隊員と話をしておりましたら、ボランティアらしき女性が近づいてきGGIに声をかけました

「ごくろうさま、タイヘンですね、温かいおうどんができていますからどうぞ食べていってください」

もちろんGGIは快諾しておうどんをおいしくいただきました

またあるときは、テントを張って支援物資を配っていた地元自治会の関係者と思われるオッサンたちに、余った物資(と言いましても缶ジュースやお菓子などの類ですが)を無理やり押しつけられてしまい、困惑いたしました

似たような支援の品物がたくさん送られてきて配るのに困っているのです、もう日も暮れてきたし、さっさと誰かに配って今日は店じまいをしたいと思っていたところに、GGIは遭遇してしまったのです、オッサンたちにすれば、いいカモがきた、ネギならぬ支援物資をしょわせてやれといういうわけです。テントにタムロしていたオッサンたちに時間を聞いたのが運のつきでありました、オッサンの一人が申します。

「ニイちゃん、どっこから来たのや」

「ニイちゃんと言われる筋合いはないけど、湖国からです」

「それは遠いなあ、ご苦労さん、まあ茶でも飲んでひと休みしてったら」

「ありがとうございます、ところでいま何時頃ですか」

するとこのオッサン、後ろを振り返って、他のオッサンたちに申しました

「おい、みんなぁ、このニイちゃん、いま何時か聞いてはるでぇ」

それが合図だったのでしょうか、いきなり何人ものオッサンがGGIを取り囲んで、背中のリュックを勝手に開けて手当りしだい缶ジュースやカップラーメンやお菓子などを詰め込み始めたので

「オッチャンたち、なにするんや、これ被災者への支援の品やろ、そんなものもらうわけにはいかんやないか!」

「まあ、ニイちゃん、そんなカタイこと言わんでええ、まあ、せっかくやから持って帰りぃなあ、オレたち、日が暮れるまでにここにあるモノ全部配ってしまってから帰りたいのや、そやから兄ちゃん、ありがたく頂くのが親切いうもんやで」

何が「カタイこと」でありませうか、何が「親切というもんや」でありませうか。GGIはあきれてしまいましたがオッサンたちの気迫に敗けてしまい、要りもしないものをどっさり持って帰るはめになってしまいました、まことに手前勝手で陽気な被災地のオッサンたちでありました

こんなアホな話のほかに、タイヘンというか心が痛む話もありました

震災からしばらくたって、目の不自由な被災者の方々、外出が困難になっているというので、視覚障碍者の外出を支援しませうというボランティア団体が結成され、GGIもちょっぴりお手伝いをしたことがあります。そのとき、言葉づかいや動作が乱暴、人相もやや不良という、ボランティアのみなさんが外出の介助を敬遠する、いわば難物の全盲の人物が一人おりました、五十代と思われる人物です、みなさんが敬遠いたしますので、それでは、この難物氏と同じ年代でもありますので、年の功でGGIがお世話してみましょうということにいたしました

この人物、一番の特徴はギャンブル狂ということでありました。並みのギャンブル狂ではありませぬ。明らかに重症、完全にビョーキです・・・競馬、競輪、競艇、小豆の先物取引、もうなんでも来いというわけです、

そしてギャンブルの種類別に銀行の通帳をたくさん持っているのです。

「ギャンブラー・オッチャンよ、どうしてこんなたくさん通帳持っているの?ちょっと整理したら・・・」

「あんなあGGIさん、たとえばテレ・ボート、つまり競艇の電話投票の場合、賭け金を振り込む通帳と勝った場合の配当金を振り込んでもらうための通帳と、二冊要るのや、そのうえ競艇は全国で7地区ぐらに別れているから、各地区ごとに二冊の通帳が要る、そやから競艇だけで14冊の通帳がいるのや」

「そやけどなあ、この配当金振込用の通帳、ほとんどの通帳が残高ゼロに近いやないか、これは負けてばっかりいる証拠や、こんなもの要らんやろ、もう捨てたら?」

「そいうけどなあ、GGIさんよ、いつかここに大きな大きな数字が印字されるかもしれんのや、それを想像すると、とっても捨てるわけにはいかん・・・」

と言ってギャンブラー氏は通帳を手にして大切そうに頬ずりをいたしました。もう勝手にせえというしかありませぬ。

またギャンブラー氏は携帯電話狂でもありました。何台もの携帯をいつもバッグに入れているのです。

「どうしてそんなにたくさん携帯もってるんや、一台か二台で十分やろ」

「携帯も用途別なんや、たとえばこれは小豆の先物取引用、いつ相場が変動するかもしれんから専用の携帯がいるのや、GGIさん、アンコがたっぷり入ったおまんじゅう好きですか?しっかりようけ食べてくださいよ、それだけで、小豆相場は市場が小さいから簡単に大きく変動するのや、上がっても下がっても機敏に取引すれば儲かるのや、疑ってるでしょ、でもほんまです、それにこの携帯は競馬の電話投票用、こっちが中央競馬専用、こっちが各地の地方競馬用・・・」

またあるときは、このギャンブラー氏、もっと大型のテレビを買いたいので日本橋の電気屋さん街に連れていってくれたとのたまひました。

彼はまことに運強き人物であり、震災から2年後ぐらいだったでしょうか、未だたくさんの被災者が仮設住宅での生活を余儀なくさせられているなかで、西宮の駅の近くに建ったばかり復興住宅、真新しい高層マンションの一階にめでたく入居することができました。2LDKだったか3LDKであったかは定かでないのですが、一人住まいであります。親切な西宮市の職員さんのおかげでありました。新しいマンションに移るのを機会にテレビを買い替えたいというわけです。テレビで競馬専門のチャンネルを見るのです

「そやけどなあギャンブラー氏よ、いまあるテレビでも十分大きいやないか、GGIのテレビの何倍も大きいテレビや、それにはっきり言うけど、目が見えないのだから、少々大きさが違っても音声は同じやから、たいして違いはないやろ」

GGIさん、何にも分かってはりませんなあ、目が見えんのやから画面の大きさはたいして関係ないと思うのはまことにアサハカ、あのなあGGIさん、しっかり聞きや、画面が大きいテレビほど左右両端についているスピーカーの距離が長い、二つのスピーカの距離が長いほうが臨場感が一段とすごい、一段と迫力満点というわけなんや、わかった?」

このギャンブラー氏、いろいろやっかいなことを突然言い出す人物でありましたが、背は小さいが声は大きく、陽気で快活、冗談好きでありましたので、GGIとは気が合いました

でも、当初は何とか震災後の生活を送っていたのですが、だんだん生活が大変になってまいりました。と申しますのは、このギャンブラー氏、本職はマッサージ師であったのですが、震災のために仕事が激減したのです。

このため仮設住宅から復興住宅のマンションに移った後、温泉地へ出稼ぎに行くことになりました。マッサージのプロから言わせると、温泉地での仕事なんかは下の下であるとのことでありました。

GGIさん、温泉地でのマッサージなんて客ひとりあたりたったの十分かに十分、長くてもせいぜい三十分程度、そんな短時間では十分なマッサージを施すことなんかできません、一時間、一時間半とマッサージすれば、ほんまの効果が出るんです、それに酔客相手のマッサージというのはまったく辛いものです、温泉地の酔客というのはホンマに柄悪いですよ、ヤクザより柄悪い、ビデオでポルノなんか見ながらマッサージさせるんですよ・・・」

それにギャンブラーは口に出しては言いませんでしたが、温泉地のマッサージ師というのは労働条件劣悪なる非正規雇用の典型なのです、雇い主は仕事があるときだけマッサージ師に旅館などに泊まっている客のところに行くように命じるだけであり、そのときだけマッサージ師に報酬を払えばいいのです、仕事がなければ、ただほっておけばよいのです、ですからマッサージ師を何人雇っていても、仕事が減っても雇い主には何のリスクもないのです、使い捨て自由の職場と言ってよいでありませう、したがって温泉地のマッサージ師たちは職場を突然離脱して別の温泉地へと移ってしまい、そこがだめならまた別の温泉地へ、ということが珍しくありません。

かようなしだいで、とうとう温泉地に出稼ぎに行くことになり、これでGGIが外出の手助をするのは最後ということで、震災から数年後、11月末の某日、JRに乗ってギャンブラー氏を温泉地まで送っていきました。雪がちらつく寒い日でありました。目的地は岐阜県の下呂温泉。神戸からJRで岐阜まで行き、支線に乗り換えて下呂温泉へと向かいました。平野部を通り過ぎ列車は段々と山間部に入っていきます。

雪が激しくなり窓の外は寒々として景色でありました。見えるのは灰色の山々だけ、乗客はほとんどいません、車内は静まり返っていました。こんな寂しそうな山奥の温泉地に行って、このさきこのギャンブラー氏は独りで見知らぬ土地でどのように暮らしていくのだろう、などと考えておりましたらギャンブラー氏の声、

GGIさん、そとはどんな景色ですか?」

GGIは答えようがなく、あいまいに「うん、だんだん山の奥へ入っていくみたいですよ」と答えました。そうしましたらギャンブラーが陽気にいいました

「そうや、GGIさんにはマッサージしてあげたことなかった、もうお別れだし、ここでマッサージしてあげる!」

背は高くないものの、がっしりした体格、首筋あたりにギャンブラーの手が伸びてマッサージは始まった瞬間、GGIは悲鳴をあげました。さすがプロであります、その腕っ節の強さといったら・・・

下呂温泉地につくとGGIは雇い主のところまで付いて意き、雇い主ともしばらく話したのち、ギャンブラー氏と別れました

「ギャンブラー氏よ、これでお別れや、でもあの雇い主、なんやら感じ、あまり良くない、注意したほうがええよ」

ギャンブラー氏を下呂温泉に送っていったのちもGGIがしばらく視覚障害者の外出支援のボランティアをしていましたが、彼をおくっていってから半年ほどたったころだったでしょうか、ミスター・ギャンブラーは下呂温泉からどこかへ遁走したという風の噂を耳にしました・・・

あの頃はギャンブラー氏もGGIもまだ50代・・・いったい、いまごろギャンブラー氏はどこでどうしているのでありませうか・・・・

今日の写真は一昨日の新聞記事を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!