透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

佐原 40年ぶりの再訪

2019-09-03 | A あれこれ

時は流れた

 9月1日、東京駅八重洲口を朝8時50分に出る高速バスで佐原へ。10時半ころ佐原駅に着き、徒歩で伊能忠敬旧宅に向かった。佐原は40年ぶりだ。

休憩所で入手した香取市の市政要覧2018によると、平成29年に佐原の小野川沿いを訪れた観光客は65万人。私が訪れた40年前とはまちの雰囲気がだいぶ変わり、観光地と化していた。


撮影日1979年10月10日


撮影日2019年9月1日


撮影日1979年10月10日


撮影日2019年9月1日




旧宅の土間に立って座敷を見る


書院外観



40年前は旧宅の奥の蔵が忠敬の記念館だったが、近くに記念館ができていた。


鉄筋コンクリート造 蔵を模したデザインの伊能忠敬記念館(展示室内は撮影禁止)

家督を息子に譲り引退した忠敬は50歳で江戸に移住し、江戸幕府の役人でもあった高橋至時(よしとき)に弟子入り、当時最先端の天文学を学ぶ。55歳から71歳までの足掛け17年間で全国を測量する。その成果は「大日本沿海興地全図」などの伊能図となる。記念館で繊細に描かれた地図に見入った。

『四千万歩の男 忠敬の生き方』で著者の井上ひさしはで「前半生の充実と後半生の偉業」という小見出しの文章を書いているが、伊能忠敬の人生を簡潔にして的確に捉えた小見出しだと思う。

私の後半生で偉業はとても無理、せめて充実の日々を過ごしたい・・・。