田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

チェスと木枯し紋次郎

2014-09-11 15:04:54 | ヒゲの盤上の世界
一宿一飯の恩義なんて、今でも在るのでしょうか?
木枯らし紋次郎の時代じゃああるまいし、と笑われそうです。
                           
ヒゲ達時代の日本チェス界、それなりに結束がありました。
例えば、トーナメントに参加する為、関西から名古屋・東京に向かいます。
すると、そこの地元のプレーヤーの人達が手分けして、自宅に泊めてくれました。
ヒゲ達みたいな貧乏学生には、大変ありがたかった。
宿泊費の負担は、バカにならない額でしたから。
そして、73年11月、東京で開催された全日本学生チェス選手権。
ヒゲには、これがラスト・トーナメントです。
第一日目の宿泊場所は、朝日新聞の東公平氏のレジデンスに。 
       (前ブログあり ~ 2012.5.25 と 2012.7.16)
二日目は、同級生M民君の経堂のマンション。
場所が分かるか? 心配でした。  (前ブログあり ~ 2013.3.23)

トーナメントで、その日の宿泊地が決まっているのって、ずいぶん心強いものです。
これが決まってないと、トーナメント後半には色々あらぬ事を考えるからです。
「 このゲーム、早く終わる様だ。 最終の新幹線に間に合いそうだな? 」 とか。
そんな事を思い描いた瞬間が、魔の時間に成ります。
決め手を逃し、泥仕合に。
とうとう長いエンディングになり、やっとこさドローに。
最終便で帰るどころではありません。 (笑)
行き先の決まっているヒゲは、心おきなく闘い、トロフィーを抱いて地下鉄に。
同級生の待つ経堂に向かったのでした。
そこでの妹さんの持て成しは、大変なものでした。

それから40年後、同窓会で偶然に同級生の妹さんの事を聞き、アノ日の御礼をする事に。
スーパームーンの残像が残る9/11日に、やっと会食の日取りが決まりました。
今晩が、その日です。
「 コレで、昔お世話になった御恩に報いる事が出来そうです。
  あっしのわがままで、40年も遅くなってしまい、申し訳ござんせん。 」
こうして、紋次郎は出かけるのです。
あの時、一緒に経堂に泊まった優勝楯を脇に抱えて。
  ♪♪  ど~こかで  誰かが~ 
              きっと  待っていてくれる~ ♪♪ 
 
 

                     
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