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「日本は非戦・非核を貫くべき」--佐藤信二元運輸相・通産相

2009年08月19日 | 国際・政治

Satoshinji_2 (今日も、「安保」特集の途中ですが、別記事を割り込ませていただくことにします)
2009年8月2日付け「しんぶん赤旗日曜版」に運輸相、通産相などを歴任し、自民党の衆院議員を8期、参院議員を1期をつとめた佐藤信二氏(77歳)のインタビュー記事が掲載されました。

タイトルは、「日本は非戦・非核を貫くべきです」。副題的な見出しに「伯父・岸信介邸での空襲体験が原点」との文字も見えます。そう、佐藤信二氏といえば、父親が佐藤栄作元首相、伯父が岸信介元首相という自民党そのもの家系に生まれ育った人物。自民党田中派、竹下派、小渕派に所属し、1970年代以降の日本の政治に深くかかわってきました。
その人物が「しんぶん赤旗」に登場したこと自体驚きですが、そのインタビュー内容を知って、また驚きでした。「太平洋戦争の反省と総括をないがしろにする政界の動きに警告」を発したその概要をご紹介します。(文責:サイト管理者)

佐藤氏の戦争体験の原点は東京空襲だと言います。1945年5月25日、伯父である岸信介邸に家族で未を寄せていたとき、米軍の空襲の直撃を受けました。佐藤氏が中学生のときのことです。
「空襲と言うのは、遠くから見ているだけなら、焼夷弾が光の雨のようにザァーッと降ってくるし、まるで『花火大会』です。しかし、その真下は、炎に焼かれて逃げ惑う『地獄』ですよ‥‥」と語ります。
家族全員で脱出し、明け方、家に帰った佐藤氏は、別の家から焼け出されて逃げ込んできた別の人たちの焼死体を目にします。「その焼け跡の焼死体の隣でも、私は平気でものを食べていました。感覚が麻痺していた」とも。

佐藤氏は、更に次のように語りました。「無差別爆撃は、重慶(中国)でも、ドレスデン(ドイツ)でも、東京でも、戦時国際法で禁止されている市民の大量虐殺。ヒロシマ・ナガサキ、南京も同様です。これを二度とくり返させないのが、私の戦後の出発点。日本は非戦と非核三原則を貫くべきなのです」と。

佐藤氏は、国会議員を引退後、「日本戦災遺族会」名誉会長として、戦災被害者の補償、要求実現の取り組みに尽力されています。しかし、A級戦犯を祀った靖国神社には「戦争を反省せずに肯定することが続いていくことがいいのだろうか」と複雑な感情を持つそうです。
「戦災遺族会から希望があったので、靖国神社に一般戦没者の合祀を申し出たら、『闘って亡くなった方々とは違う』と断られたのです」

佐藤氏は、「声高に『憲法改正』を叫ぶ前に、政治がやるべきことはもっと別にある」と述べ、「太平洋戦争の総括」の必要性を主張し、次のように語ります。
「村山内閣でやっと『侵略と植民地支配』を認めたのに、その後、またあいまいになりつつある。戦争の総括はまだ終わっていません。もちろん、国民世論は憲法改正など要求していない。いまみたいに政治が信頼されていないなかでは、憲法改正などできるわけがない」--重い言葉です。

【出典】2009年8月2日付け「しんぶん赤旗日曜版」

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