tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

上場企業久しぶりの好決算に湧く

2023年05月13日 15時51分45秒 | 経済
上場企業の2023年3月期決算が集中し、SMBC日興証券の集計では、東証1部上場企業の増益基調がはっきりしたようで、10日現在、開示率35%で純利益は7.0%の増という事だそうです。

代表格のトヨタは、原材料費の高騰などで、減益決算になっていますが、内容などは悪くないという事でしょうか、決算発表後株価は上がっています。
製造業は国際的なサプライチェーンの不具合などで減益の企業も多いようですが、三菱自動車など大幅増益の企業もあり、円安傾向もあり、元気度は上がっているようです。

マスコミで報道されているように、商社などでは史上最高の好決算が続出、輸入関連で、価格転嫁に苦しんだところもあるようですが、全体では史上最高の決算になると予想されています。

長い先行き不透明な景気低迷状態からようやくコロナも終息の様子になり、円レートも130円台という円安が続いている事から、2024年3月期についてもSMBC日興証券では増益を見通しているようで、いずれにしてもコロナとともに最悪期は抜けだしたといった感じです。

世界の政治・経済情勢はますます不安定化するような情勢にありますが、日本経済で見ますとコロナの終息見通しから消費支出が活発化し、久方ぶりの一斉値上げが続いたのにも拘らず消費が比較的堅調に推移していること、加えて、インバウンドが急速に回復していることなどが、街の中小企業にも活況を齎している事も大きいでしょう。

インフレというのは、適度なものであれば、常に景気感を押し上げる効果を持つもののようです。
早く買わないと値上がりするという心理、在庫を持っていれば、仕入れた時より大体高く売れるという状態はインフレ期の特徴です。

加工貿易立国の日本は、輸出競争力が増す円安が有利ですが、この所の円安は、アメリカの金利引き上げに加えて、日本の貿易赤字の拡大という事情もあるようで、つい1~2年前の100円飛び台といった円レートとは大違いになっています。

更に、昨年来の平均消費性向の反転上昇の動きは、今春闘の高めの賃金決定の支援もあり、今後も続きそうに感じられます。

折しも進む世界的な技術革新の波に加え、日本の食文化の高度化の成果である加工食品、飲料などの品質の高さが、インバウンドなどの活況から世界に知られ、輸出が伸びるといった実態も多様な製品で見られているようです。

今回の決算の好調も心理的な起爆剤の一つになり、日本経済も少し様変わりとなりそうな気配が感じられるようになることを望むところです。

米国「TIME」誌の見出しの責任は何処に?

2023年05月12日 20時01分59秒 | 経済
問題の源がアメリカの1週刊誌の表紙の見出しなのだから、大騒ぎすることはないのではないかという意見もあるかもしれません。

しかし、「平和憲法」で「戦争放棄」を謳っている日本の総理大臣インタビューを特集したTIME誌の次号表紙、岸田総理が眉間に皺を寄せ、厳しい顔で読者(カメラのレンズ)を見る表紙の「日本の選択」という見出しの下の副題を日本政府が問題にしているのです。

次号の内容をあらかじめ紹介する電子版ではこうなっていました。
「岸田総理大臣は何十年も続く平和主義を放棄し、自国を真の軍事大国にしたいと望んでいる」(NHK訳による)

その後、日本政府(外務省)の抗議によって訂正された副題はこうなっています。
「岸田総理大臣は、平和主義だった日本に国際舞台でより積極的な役割を持たせようとしている」(同上)

現状において厳然と存在する日本国憲法を前提にして考えれば、最初の副題は、岸田総理が日本国憲法と全く違う方向に日本を変えようとしているという事になって、日本国民としては、「アメリカの週刊誌に言う前に自分の国の国民の総意を確かめるべきではないか」、「勝手な先走りが過ぎるぞ」といった国民の声がありうるでしょう。

訂正された副題では、「平和主義だった」と過去形になっているのが気になりますが、国際舞台で積極的な役割を果たす気持ちは(出来るかどうかは別として)評価しようか、といったことになるのでしょうか。

松野官房長官によれば、「記事の中身は、ほぼ改定後の副題のようなもの」という事のようです。

そして、NHKの報道によれば、TIME誌は、電子版についてはすでに見出しは改めました(これは確認済みだそうです)、しかし「印刷された雑誌の方の表紙や記事は変わっていない」という事だそうです。

という事で、印刷されたTIME誌の次号では、最初の副題が、世界中の人達に読まれることになるのでしょう。

もし日本国憲法に意思があれば、という事は、現在の日本国憲法を善しとする人たちから見れば、岸田総理はとんでもない事を外国の週刊誌に言ってくれたようだ、この責任は誰にあるのだ、という事になるのではないでしょうか。

紙のTIME誌の次号を読んだ人の多くは、日本もいよいよ戦争をする国になるのだなと思うでしょう。これが国際社会の中の日本や日本人にいかなる影響を与えるかは、恐らく日本の外務省にも、岸田総理にも読み切れないでしょう。

嘗てバングラデシュで、テロ組織の襲撃に対し、「我々は日本人だ」と言いながら、「有志連合の一員だ」と言われテロの犠牲となったJICA関係者7人の例もあります。

国民の安全には、「日本は役に立ってくれるが、無害な国」というイメージの確立が最も重要なようです。これが「平和憲法」の存在意義なのではないかともいえそうです。

TIME誌の表紙が、国際的な場で余計なトラブルのもとにならないよう願うばかりです。

アメリカとの友好・同盟を世界と日本に役立てるには

2023年05月11日 17時03分13秒 | 国際関係
こんな大変な問題を市井の1老人が書くのは、大それたことでしょうが、それでも、現状を見ると、この問題は、世界人類のためにも、日本人全体が真面目に考えなければならない問題の様に思われるので、敢えて書く次第です。

欧米の文化というのは、もともとが二分論が原則のようです。これは、「神と悪魔」という2元論と同根の思想と考えられます。
世の中の関係というのは、対立する相手がいて、それはお互いに譲らないのです。妥協して仲良くなるという事は本来的にあり得ないのでしょう。

この考え方を原則にしますと、世のなかの事象は総て対立する2つの主体に分けて整理しないと気がすまず、それが行動の原則にもなるようです。

それに引き換え日本的なものの見方というのは、対立はあってもそれは絶対的なものではなく、相互理解も和解も渾然一体化もあるといったもののようです。

これは神話の時代からの伝統で、欧米の宗教では悪魔は今でも悪魔ですが、古事記ではオオクニヌシの子で国譲りに反対したタケミナカタは最後までアマテラスの使い タケミカヅチと対立、信州諏訪湖まで逃げて争い降伏しますが、諏訪大社の主神として祀られています。

今、世界は民主主義か独裁主義かの対立の様相ですが、とことん対立するという二元論では犠牲が大きすぎるのではないでしょうか。
最後は対立が解けて、同じ人類社会というベースで共存が望ましいという考え方の方が、余程賢いでしょう。

ロシアの問題も、今後も拡大する巨大な犠牲と共に終わるのでしょうか。
中台問題はまだそうした犠牲を払わずに解決する可能性はある(何とかして探し出す)と考えるのが最も賢明でしょう。

ところが今の状態を見ていますと、「有事」、つまり、中国が台湾に侵攻したらどうするかというベースでアメリカは全面的に考えているのでしょう。
残念なことに、日本政府は、その時どうすればアメリカの役に立つかばかりに熱心です。

二分論、二元論によって立たない日本が、日本の伝統文化をすっかり忘れて、アメリカ追随、中国とは批判や悪口ばかり言いあう関係になってしまっているようです。

関係が悪化しているときこそ、「建前」という二元論でなく、「本音」で「腹を割った」話し合いをすることが分け隔ての緩和、解消に最も重要でしょう。

話す相手は中国だけではありません。二元論を崩して行くことが大事な日本の伝統文化が、地球人類にとっていかに重要かという事を二元論のアメリカにも理解してもらうように、丁寧に説明する事がまず大事だと思うのですが、どうでしょうか。

消費の堅調続くか、平均消費性向は微増

2023年05月10日 12時03分40秒 | 経済
昨日、総務省統計局から3月の〔家計調査〕の家計収支編が発表になりました。

消費者物価指数の上昇がなかなか止まらず、特に日用品の一斉値上げが続く中で、家計の消費意欲がどうかと注目の「2人以上の勤労者世帯」の「平均消費性向」を見ました。

結果は83.5%で、昨年3月の83.3%を0.2ポイント上回るという事です。辛うじてトレンドとしては上昇傾向かと言えるところでした。

平均消費性向の推移(2人以上勤労者世帯、%)

                     資料:総務省統計局「家計調査」

図に見ますように平均消費性向は昨年来前年を上回る月が多くなり、家計の消費に対する積極性が見られるという感じになって来ました。

一方、昨年は加工食品、外食、調味料などから始まり、生活必需品である日用品の一斉値上げが第1波~第4波ぐらいまで続き、値上がりでやむを得ず消費支出が増えたのか、消費支出の積極化の雰囲気が出て来たのか判断の難しい所でした。

しかし、コロナの鎮静化という援軍もあり、一方で「節約疲れ」などという雰囲気もあって、これまでの消費不振経済から少し雰囲気が変わり始める様相も見て取れます。

3月の調査でも、消費者物価指数の上昇から実質消費支出は2人以上所帯でマイナス1.9%ですが、これは名目支出が1.8%増えたのに対し、消費者物価が3.7%の上昇となった結果です。

2人以上所帯で費目別の動きを見ますと、増えているのは食費、家具・家事用品、被服・履物、交通通信、教養娯楽などで、特に教養娯楽の12.9%の伸びが目立ちます。

食費や家事用品は物価上昇の影響もあると思われますが、教養娯楽は旅行、宿泊、外食などの伸びに支えられており、コロナの沈静化とともに生活パターンの積極化が始まっている事を予測させます。

結果的に、勤労者世帯の消費性向は83.5%と残念比0.2ポイントの微増にとどまりましたが、これは名目可処分所得がマイナス1.4%と前年比減少している中ですので、貯蓄にばかり精出すのでは、生活が面白くないという何かが出て来て言えるのかもしれません。

4月からは、企業もすこし気張った賃上げをしたようですし、どんな数字になるのか、望まれるのは物価が沈静傾向になり、実質所得増の経済に近づいていくことですが、政府の経済舵取りとともに、じっくり見ていきたいと思います。

日本の民主主義はかなり重症?

2023年05月09日 14時53分59秒 | 経済
前回は、民主主義というシステムが結構病気に罹りやすいという点を見てきました。
ところで日本は民主主義国をもって任じていますが、日本の民主主義も病気に罹っているのではないかという点を取り上げてみました。

というのも、民主主義をもって任ずる国であるのに、ここ2代の総理の暗殺を狙った事件があり阿部総理は凶弾に倒れ、岸田総理の場合は失敗に終わりましたが、これは、まともな民主主義の国では異常な出来事でしょう。

しかも、大統領や首相の暗殺といった場合、その実行犯は、何らかの組織の意思によってそうした行動を取るのが普通だと考えられますが、日本の今回の2件については、そうした組織的背景がない個人的な犯行らしいという事が、また異常です。

正常な民主主義社会では在り得ない事、必要のない事でしょう。
もし、政権がより多くの国民の意思を代表していないとなれば、選挙によって政権を交代させることで目標を達することが出来るのが民主主義だからです。

という事で、問題の第1は、選挙制度が存在しているのに、首相暗殺といったことが起きるのは、選挙制度を活用しても政権を変えることが出来ないという挫折感から発するという事になるのが一般的な推論でしょう。(政権交代の可能性がない? 何故??)

第2の問題は実行犯に組織的背景がないらしいという事でしょう。これは、民主主義が病んでいるだけではなく(病んでいるから)、人の心も病んでいるという推論になります。

こう考えてみると、今回の連続した2つの事件から見えてくるのは、日本は、民主主義社会という形の下で、国民の中にかなり重篤な、国の在り方の現状を否定するような異常なマグマが鬱屈した形で溜っているような状態ではないのかという事です。

これは一体どういうことで、原因は何処にあり、対策は何なのかを、政権党も野党も、国民全体も、少し確りと考えてみなければならに問題ではないでしょうか。

翻って、国際社会の中での日本人のといった面から日本人の考え方や行動を見てみますと、一般的には、自制心や責任感は確りしていて、スポーツの応援などに熱狂しても、その中で必要な公徳心は維持し、後始末などはきちんとするとか、落し物が返ってくる稀有の国といった評判は今でもあるようです。

ただ、こうした日本人の一般的評価とは裏腹に、日本人の日本の政治家に対する信頼度が最近異常に低くなってきている事が大変気になるところです。

嘗て70%を超えていた衆院選の投票率は50%をいくらか超える程度で低迷、最近の地方選では50%割れが当たり前のようです。

最近の衆院選の自民党得票率は38%(公明15%)で、投票率に掛ければ有権者の僅か20%ほど。有権者の20%ほどの支持で議席は過半数を得て、公明党の協力で絶対多数で、強行採決をすれば何でもできる。それでは何でも閣議決定で決めておけばいいという態度なのかと思う人もいるでしょい。

一方、野党は俺が俺がで小党分立、政権などは夢のまた夢。自分の言う事がTVから聞こえることが目的なのかなどと揶揄される状態に見えるようです。

民主主義の取扱い方が下手なのでしょうか、こうして国民の意思が政治に反映されなくても国政は進んでいくのです。(やっぱり「民主主義のトリセツ」が必要らしい)

進んでいく先が良ければいいのですが、国民1人当たりのGDPは、かつての世界のベストテンの常連から30番近くまで落ち、世界から不審の目で見られている状態です。

やっぱり、日本の民主主義は病んでいるのではないでしょうか。

民主主義は病気に罹りやすいもの 

2023年05月08日 13時04分44秒 | 政治
ロシアのウクライナ侵攻については、これはロシアとウクライナの戦いというより人類社会における民主主義と専制主義(独裁主義)の戦いだという見方が言われます。

民主主義と専制(独裁]主義のどちらが人類にとって良いのかと言えば、人類は長い歴史の中で次第に多くの国が民主主義を選んで来ているという事になるのでしょう。

「主義」などという言葉も言い換えれば、民主主義はより多くの人が喜ぶ世の中で、専制(独裁)主義は、特定の人(人達)が喜ぶ世の中という事になるのでしょう。

それならば、「より多くの人が喜ぶ世の中」の方が良いに決まっていると誰でも考えるでしょうが、未だに「特定の人達が喜ぶ世の中」がはびころうとしています。

もともと、この特定の人達というのは、昔は腕力の強い人達、お金を持っている人達ということになるのでしょうが、今はこれに「政治力の強い人達」が入るのでしょうか。


政治力の強い人たちは、政治という権力を利用して腕力もお金も自分たちのものとして専制(独裁)的な立場に立てるからでしょう。

プーチンは20年以上もかけて政治力を使い、権力と金力を握り独裁政権を確立して来ました。習近平は、似たような道を進むのではないかと心配されています。
ミャンマーではフライン将軍が腕力で権力と金力を握り、独裁政権を作っています。

権力を握られてしまうと、腕力のない国民大衆は、屈従を強いられたり、権力の宣伝に騙されたりで「より多くの人が喜ぶ」民主主義にしていくことは容易ではありません。

そうならないためには選挙制度を正しく利用しなければならないのですが、それが単なる人気投票になったり、偽宣伝に惑わされたり、金に釣られたりしますと、それに乗って独裁者が生まれるのでしょう。

選挙制度の適切な活用に失敗してで独裁者が生れないようにするためにと、私も
民主主義のトリセツ」を書きまいたが、もっと本格的な「民主主義のトリセツ」が大いに議論されなければならない世の中になっていると考えています。

こんなふうに考えてみますと民主主義というのは「病気に罹り易い」ものだという気がしてきます。余程頑張って民主主義を守る体制を考えていかないと、民主主義は病気に罹りやすく、一旦罹ると治すのは容易ではないように思われます。

上に挙げたロシア、中国、ミャンマーなどは、もうはっきり専制主義、独裁主義になってしまっているという事なのでしょうが、そこまで行かなくても、国民の多くが喜んでいない状態になっている国も多いわけで、日本もそういう国の中に入っているのかもしれません。

であれば、日本の民主主義もすでに病気に罹っているという事になるのかもしれません。
一見、健全な民主主義国の様に見える日本ですが、本当に民主主義国の名に恥じないという自信のある日本でしょうか。
この点も少し考えてみる必要があるのではないかという気がします。

アメリカのインフレは収まるか、景気は?

2023年05月06日 15時03分16秒 | 経済
アメリカの金融機関の破綻が相次いで、世界中が心配しているようですが、その割にアメリカ経済は元気がいいようで、雇用も伸びていますが、インフレの方は3月の消費者物価は前年比5%に下がり(前月は6%)、政策金利の引き上げも0.25%で、後は時間をかけて沈静化という感じのようです。

まあ小康状態という事でしょうか。ダウ平均も銀行破綻で急落の後、急上昇で、一応平静に戻っているようです。

今回の原油等の資源価格の上昇は、西ではロシアのウクライナ侵攻、東では中台関係の不安定化など大国の国際関係に関わる問題が多いだけに、1970年代の石油危機と直接比較できない面もありますが経済現象としては共通でしょう。

然し欧米諸国も、特に覇権国の地位にあるアメリカは1970年代の石油危機への対応の失敗を繰り返してはならないという強い意識があったのでしょう。早い対応でした。
パウエルFRB議長のインフレ抑制への意識は強烈で、ヨーロッパではECBのこれに倣いインフレ退治にはそれなりの成果があったようです。

一方日本は、欧米のような単純な輸入インフレの国内インフレへの波及はないので、日銀は金利引き上げはしません。アメリカが急激に金利を引き上げたので、円安が150円まで進み、日本は迷惑しましたが、アメリカは自国中心、日本のことなど気にしません。

それでもアメリカのインフレが収まり、FRBの心配した金利引き上げによる経済活動の落ち込み、リセッションは何とか避けられ、富裕層が損した銀行の破綻も、政府の預金保障で何とか収まり、日本への影響も軽微で済みそうです。

パウエル総裁の説明によると、「アメリカの景気は予想以上の雇用の増加など強いので状況によっては一層の金利引き上げの可能性もある」と警戒感(物価を上げるなと言う脅しでもある)をにじませんがら、インフレ率は低下の方向を示している」とのことです。

「しかし目標の2%達成は2024年になろう」と述べ「雇用(景気)が強くなり過ぎれば金利引き上げの必要もありうる」と警戒感を明確にし、ゆっくりインフレを抑えながら景気の落ち込みを何とか防ぐという微妙な舵取りの成功を狙う意図がはっきりです。

勿論この狙いはアメリカとして最も望ましいものですが、同時に、基軸通貨国のインフレの鎮静化と経済安定は、日本は勿論、世界中が望むところですから、パウエル議長の手腕に期待したいところです。

1970年代のインフレはスタグフレーション化して全快には10年前後もかかりましたが、今回は、ほぼ1年で正常化の達成が見通せそうですので、経済政策も進歩したというべきなのかもしれません。

こうして容易にインフレを呼ぶアメリカやヨーロッパの経済体質についての処方箋は、それなりに固まりつつあるのですが、日本はどうでしょうか。

日本は、インフレを起こしにくいという世界でも珍種の国です。日銀は、未だその処方箋が書けていないようです。
その理由の一つには、インフレの起きやすい国では金融政策が効きやすいが、インフレの起きにくい国では金融政策が効きにくいという現実があるようです。

インフレとデフレの非対称性という問題は今の経済学ではどのように考えられているのでしょうか。その点がはっきりしないと、日本の景気はなかなか良くならないように思われるのですが、どうでしょうか。

2023年「こどもの日」雑感

2023年05月05日 17時35分05秒 | 政治
今日は子供の日、以前は端午の節句、鯉幟もあちこちにみられました。もう50年も前には、毎年我家でも飾りました。
こどもの日、子供の成長を祝う日ですが
長男の初節句の少し前、お向かいに家が建ち、足場を外していました。当時の足場は丸太です。棟梁に、手ごろな足場を1本譲ってくれないかと声をかけると「何にするの」というので「長男の初節句の鯉幟を立てたい」と言いますと「そりゃ芽出たい。手頃なのを1本あげるよ」という事で立派に鯉幟が揚ったのも良い思い出です。

「子供の日」は、鯉幟に続いて、柏餅となりますが、4、5軒先の家に以前、柏の木があり、いつも巻きつくように葉がついていましたが、確かに柏の葉は翌年新緑の葉が伸びるまで、古い葉が落ちません。

柏の葉は縁起がいいというので端午の節句に柏餅という組み合わせが生まれたのは江戸時代と言われますが、古い葉が新しい葉の面倒を見るように残っているのを昔の人も見ていたのだと実感した記憶も残っています。

そういう意味では、「こどもの日」に柏餅というのは平均寿命の短かった昔、親が長生きして子供を産み育てるという代々の重なり合った連鎖が目出度いという事からきているという事なのでしょう。

今はもう平均寿命は男女共に80歳を超えているのですから代々の重なりは問題ないのですが、合計特殊出生率の低下、離婚率の上昇で、柏に例えれば、新芽が出なかったり、残った葉が新芽をカバーしないという問題が起きているのでしょう。

昔の貧しい日本と、今のそれなりに豊かで、健康管理が行き届いて来ている日本という基本的な変化が、柏餅の縁起を理解しにくくしているという事もありそうです。

一方、政府のやっている事を見ていますと、出生率を上げましょう、離婚しても子供の養育に責任を持ちましょうと言っているようで、政府はまさに「柏餅派」のように思われます。

今の日本における、結婚したくない人の増加、出生率の低下、離婚率の上昇の理由は必ずしも解っていませんが、こうした問題と豊かな社会との関係は確り検討しておくべきではないかと思われます。


豊かな社会を実現し、その中での個人の自由と選択肢の多様化を促進しながら、若い人は積極的に結婚を選び、出生率は上がり、離婚率は低下させていくといった、政府の目指すような社会を実現するためにはどんな政策が必要なのでしょうか。

「異次元に少子化対策」がその解答なのかもしれませんが、その内容は、補助金や手当のバラマキなどの経済的援助以外あまりはっきりしません。

人間は本来自由であることを望み、選択肢の多様化を欲する生き物でしょう。豊かになれば、GDPが増えれば、財政の補助を増やせば、政府が望むような、もっともっと子供が生まれるような社会になるというのは本当に正しい認識なのでしょうか。

今の政権は(多分世界中どこでも)、国民生活の豊かさ(経済成長)を目指しています。
一方、豊かな社会になるにしたがって、独身者は増え、出生率は下がり、離婚率は増えるという傾向は多くの国で見られます。

政府には、「異次元」より、実はもっと違った、人間性の本質に迫るような政策が必要なのではないでしょうか。
人間が子供を産むといった行動は生物学的でもあり、人間の知識や意識の問題をその上に構築する深い研究が必要でしょう。

「子供の日」をみんなが、心から祝えるような日本であってほしいというのが国民の祝日「こどもの日」の趣旨であり、願いだと思っています。

最後に付け加えれば、最近の国際情勢は、近い将来、そんなことを考える余裕も無いような状態に日本を巻き込もうとしているように感じられる中で、現政権も「こどもの日」の意義を本気で考えてほしいように思うところです。

緑の日ですが、今日は花二題です

2023年05月04日 21時37分34秒 | 環境
温暖化の影響が徐々に出て来るのでしょうか、今年は早めに暖かくなり、花の時期も一週間前後ぐらい全体的に早いようです。

4月の15日、早春から順に咲いてきた花を並べましたが、最後に久留米ツツジとアケボノが妍を競うところをご紹介した。

アケボノは狭い庭の西の端で、東の端はアケボノの兄弟分のオオムラサキで、毎年アケボノより10日ほど遅れて満開になります。先週がオオムラサキの満開の日々でしたが、現役の頃から、この時期は、朝、玄関を出るとき、元気がもらえる日々でした。

玄関の南側に嵌めこみのガラス窓があって、居間から玄関に出ると満開のオオムラサキの濃い赤紫が目に染みるのです。

ああ、今朝もオオムラサキが綺麗だなと思って駅に向かうのですが、あるとき気が付いたのがオオムラサキの手前に柘植が伸びていてこの時期新芽が伸び、その緑が窓枠芸術のべースになっているという事でした。こんな景色です。(先週撮った写真)



柘植の新緑は、気が付けば素晴らしい緑で、その緑とオオムラサキの濃い赤紫の二段構造が西湖は蘇堤の「千里鶯鳴いて緑紅に映ず」の如くです。(些か大袈裟ですが)

オオムラサキはすでに散りはじめ、下のホタル養殖用のU字溝はメダカの姿も見えない程のびっしりの花筏です。

ところで、玄関を出てすぐ左側では、今日がカルミヤ満開の初日です。
このカルミヤも何回か触れていますが、根元から日本に分かれた南側の幹が昨年枯れ、幸い残った方は元気で、少し背丈を伸ばし、今年も可愛い花を沢山つけてくれました。



カルミヤの花というのは本当に繊細で、直径1.5cmほどの小さな一つ一つの花が、一輪だけ見ても、正に造化の妙と感じるような精密な設計で、拡大してみると、自然の花というよりイヤリングか何かにしようと誰かが工芸用プラスチックで仕上げた製品のような感じです。



そんなことで今年も一輪の拡大写真をお見せしました。
世界が平和で、こんな花々を見ながらのんびりした老後なら本当にいいなと思うのですが、人間にはまだ「競い」より「争い」を好む人が結構いるという事でしょうか。

今日は憲法記念日です、憲法の何が問題でしょう?

2023年05月03日 11時54分04秒 | 政治
今日は憲法記念日です。毎年憲法記念日には、これまでも毎年、日本は、戦争をしない国でいましょうという事を書いてきたように思います。

これまでは、まさか戦争をするような事は起きないだろうと思いながら、心構えを確りしようという気持ちでした。
しかし今年は違うようです。今のままでも、岸田政権は日本が戦争に巻きこまれることは避けられないという条件を整えつつあるようです。

多分、意思決定の主体はアメリカで、岸田政権はその意向を尊重(忖度)するという立場をとっているのでしょう。

ことが起きるとすれば、それは中国の意思決定で、中国と台湾の間にいわゆる「有事」が発生した場合、日本は戦争に巻きこまれることを避けるものではないという事を国民の合意として、出来れば憲法改正を考えるという事のようです。

そして、憲法の改正がなくても、岸田内閣の「閣議決定」によって、戦争の可能性を否定するものではないと国民が解釈するような状態にしていこうというのが、いまの日本の「現状」ではないでしょうか。

自民党の提案を見ますと「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」は変えませんと書いてあります。
「平和主義」は、何処の国でも、ごく当たり前のことで、「戦争主義」とか「侵略主義」などと掲げる国は恐らくどこにもないでしょう。

戦争をする国は、「平和主義」の名のもとに戦争をするのです。日本でも我々の世代は「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう」と歌って太平洋戦争をしたのです。

大事なのは「平和主義」ではなくて、「戦争をしないこと」言い換えれば、国際紛争は「外交で解決すること」つまり現行憲法の「・・戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という意味明確な日本語の文章なのです。

この文章を捻じ曲げながら、自民党政権は、多分アメリカの意向を忖度し、集団的自衛権から敵基地反撃能力の保有まで「閣議決定」だけで持ってきているのです。

「閣議決定」と「国民主権」の関係の解釈は国民の総意の尊重という立場で考えられなければならないでしょうし、その中では「基本的人権」の意味も問われなければならないでしょう。

日本は世界でも数少ない「戦争放棄」を憲法で明確に謳った国です。しかもそこには「永久にこれを放棄する」と書いているのです。

憲法の言葉を正確に理解し、徒な言葉の遊びをやめ、無謀な戦争で、国民に多大な苦痛を強いたかつての行為の反省の上に立った日本国憲法の国民を真剣に思いやる気持ちを尊重っすることを真摯に考える事が「憲法記念日の趣旨」と、現政権を含め日本国民全体が正しく理解すべきではないでしょうか。

我家の地球柑の嬉しい話

2023年05月02日 14時13分47秒 | 経済
チューリップの咲いていた小さな花壇は、夏の野菜畑に変身中です。
この煉瓦で囲った場所の東の隅に地球柑を移植したのは2017年です。その年までは鉢植えで、実がなると玄関の前に出して通る人に見えるようにしていました。



実の姿が面白いので「これ、何ですか」などと言われる方も結構いました。2017年10月31日のこのブログをご覧ください。(リンクを張っています)

そんなことで少し欲が出ました。この木が背丈ぐらいに大きくなって、こんな実が沢山生ったら面白いな、というわけです。

この場所には、それまで酔芙蓉が植えてあったのですが大きくなり過ぎ、困っていたので、思い切ってそれを切って、そこに地球柑を地植えにしようと考えたのです。

それから不思議なことになりました。木は育つのですが、毎年花が咲いて丸い実がなっていた地球柑の木に、全く花が咲かなくなったのです
このことはブログに書いて、なぜ咲かなくなったのか、何方か教えてくれればと思ったのですが、駄目でした。

そして6年たって、今年、新芽の出たところに蕾らしきものが現れ、「これは!」との期待に応えて、白いつぼみが膨らみ、甘酸っぱい柑橘の花の匂いがしてきたのです。



実は、私も歳ですから、生きているうちに願いが叶うかと内心危ぶんでいたのですが、今年の春は、この念願についてだけは希望が持てる年になりそうで、大喜びなのです。

ただ、鉢植えのころから花の後、小さな実は無数に付くのですが、大きくなるのは数個というのが経験です。

これだけ花が咲いて、実がついて、それが順調に、枝々に地球儀の様に丸く実ってくれるかはまだ解らないのですから、半分心配は残っています。

それでも、これから、半分心配しながら秋まで見守って行くのも、また楽しいものだとも思っているところです。

足元の狭い畠で、キュウリやナス、トマト角が実を結んでいくのを、見下ろしながら、かなり大きくなった地球柑の木が「それじゃ頑張って実をつけてやろうか」という気なって欲しいと願っているところです。


生成AIは社会の進歩かリスクか

2023年05月01日 15時03分25秒 | 文化社会
チャットGPTに象徴される急速な「生成AI」の進歩については、ヨーロッパ中心にその社会に与える混乱のリスクを懸念し、規制の必要を重視する考え方から日本やアメリカの様にその活用によるメリットを重視し更なる進歩を重視する立場まで広がりがあるようです。

群馬県高崎市で開かれていたG7のデジタル・技術相会合では、先月30日「生成ATのリスクを共有して、G7に議論の場を置くことを決め、基本原則やガイドラインを示すことを目指すという閣僚宣言をまとめたとのことです。

オセロでは人間はAIには勝てない、将棋でも碁でも、余程上達しないとAIに勝てないなどと言われるようですが、世のなかのあらゆる問題についてAIが普通の人間より良い答えを出すようになると色々問題が起きてきそうです。

ヨーロッパが一番心配しているのは恐らく人間の仕事の中で、AIに置き換わる部分が大きく、雇用問題に大きな影響が出るという、かつてのラダイト運動、近くはME化と雇用問題という系譜の意識の様に感じられます。

しかし、活用やメリットを重視する日本やアメリカでも、従来のコンピュータではなかった問題が出て来る可能性もあるという意識が、共有されているとの認識も矢張りあるのではないでしょうか。

それは、AIが「人間と区別がつかない様な言葉」で、その持つ「知識(人間がインプットした知識)のすべてを使って」、「与えられた命令に従い」「質問の趣旨に最も適切」と思われる内容を「瞬間的に」作りだすという事になったからです。

「質問の趣旨に最も適切」というのは、プーチンの意向の沿った内容の文章を作る」ことも、「NATOの意向に沿った文章を作る」ことも即座にできるという事でしょう。

勿論、その両者とも全く違った趣旨の意見も、誰かが命令さえすれば、即座に生成されるでしょう。そして、それを見た人間は、それを作ったのは人間かAIか判別できないといった状況、誰が責任者かという問題にきちんと対処する必要があります。

上記の閣僚宣言には「民主主義の価値を損ない、人権の享受を脅かすAIの誤用・乱用に反対する」と盛り込まれたとのことですが、これを如何に実現するかは容易ではないでしょう。

現状の論議は、まず、AIにどこまでの情報をインプットするかという事にあるようですが、今地球上のインターネットには、ありとあらゆる情報が蓄積され(放り込まれ]ています。

例えば、AIが、自分で、インターネット上のあらゆる情報を検索し選択して、あらゆる質問に答えるようになれば、インプット制限は対策にならないでしょう。

それは、今の人間がそれぞれにやっている事ですが、AIが、それを極限までの検索とスピードでこなすことになり、一方、多様な目的を持った人間が、AIに勝手な命令をし、AIが回答や意見を出し、その情報が、更なる情報のデータになると何が起きるのでしょうか。

人間には、自分の知らない事をまことしやかに説明を受けると結構信じてしまうというところが多分にあるようです。

生身の人間は今でも情報の洪水の中で、選択の判断を迷っているのですが、それでも「人間」については表現の自由、言論の自由は認められるべきものでしょう。しかしAIの発言はどうなのでしょうか。だれが責任を持つのでしょうか。

SFの世界の事と思っていた人間とロボットの関係を、G7が本気で議論する時代が来てしまったとすれば、やはりこれは大変なことだと考えざるを得ないのではないでしょうか。

ロボットには考え付かない良い知恵を、G7が出してくれることを願うところです。