今日は憲法記念日です。毎年憲法記念日には、これまでも毎年、日本は、戦争をしない国でいましょうという事を書いてきたように思います。
これまでは、まさか戦争をするような事は起きないだろうと思いながら、心構えを確りしようという気持ちでした。
しかし今年は違うようです。今のままでも、岸田政権は日本が戦争に巻きこまれることは避けられないという条件を整えつつあるようです。
多分、意思決定の主体はアメリカで、岸田政権はその意向を尊重(忖度)するという立場をとっているのでしょう。
ことが起きるとすれば、それは中国の意思決定で、中国と台湾の間にいわゆる「有事」が発生した場合、日本は戦争に巻きこまれることを避けるものではないという事を国民の合意として、出来れば憲法改正を考えるという事のようです。
そして、憲法の改正がなくても、岸田内閣の「閣議決定」によって、戦争の可能性を否定するものではないと国民が解釈するような状態にしていこうというのが、いまの日本の「現状」ではないでしょうか。
自民党の提案を見ますと「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」は変えませんと書いてあります。
「平和主義」は、何処の国でも、ごく当たり前のことで、「戦争主義」とか「侵略主義」などと掲げる国は恐らくどこにもないでしょう。
戦争をする国は、「平和主義」の名のもとに戦争をするのです。日本でも我々の世代は「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう」と歌って太平洋戦争をしたのです。
大事なのは「平和主義」ではなくて、「戦争をしないこと」言い換えれば、国際紛争は「外交で解決すること」つまり現行憲法の「・・戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という意味明確な日本語の文章なのです。
この文章を捻じ曲げながら、自民党政権は、多分アメリカの意向を忖度し、集団的自衛権から敵基地反撃能力の保有まで「閣議決定」だけで持ってきているのです。
「閣議決定」と「国民主権」の関係の解釈は国民の総意の尊重という立場で考えられなければならないでしょうし、その中では「基本的人権」の意味も問われなければならないでしょう。
日本は世界でも数少ない「戦争放棄」を憲法で明確に謳った国です。しかもそこには「永久にこれを放棄する」と書いているのです。
憲法の言葉を正確に理解し、徒な言葉の遊びをやめ、無謀な戦争で、国民に多大な苦痛を強いたかつての行為の反省の上に立った日本国憲法の国民を真剣に思いやる気持ちを尊重っすることを真摯に考える事が「憲法記念日の趣旨」と、現政権を含め日本国民全体が正しく理解すべきではないでしょうか。
これまでは、まさか戦争をするような事は起きないだろうと思いながら、心構えを確りしようという気持ちでした。
しかし今年は違うようです。今のままでも、岸田政権は日本が戦争に巻きこまれることは避けられないという条件を整えつつあるようです。
多分、意思決定の主体はアメリカで、岸田政権はその意向を尊重(忖度)するという立場をとっているのでしょう。
ことが起きるとすれば、それは中国の意思決定で、中国と台湾の間にいわゆる「有事」が発生した場合、日本は戦争に巻きこまれることを避けるものではないという事を国民の合意として、出来れば憲法改正を考えるという事のようです。
そして、憲法の改正がなくても、岸田内閣の「閣議決定」によって、戦争の可能性を否定するものではないと国民が解釈するような状態にしていこうというのが、いまの日本の「現状」ではないでしょうか。
自民党の提案を見ますと「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」は変えませんと書いてあります。
「平和主義」は、何処の国でも、ごく当たり前のことで、「戦争主義」とか「侵略主義」などと掲げる国は恐らくどこにもないでしょう。
戦争をする国は、「平和主義」の名のもとに戦争をするのです。日本でも我々の世代は「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう」と歌って太平洋戦争をしたのです。
大事なのは「平和主義」ではなくて、「戦争をしないこと」言い換えれば、国際紛争は「外交で解決すること」つまり現行憲法の「・・戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という意味明確な日本語の文章なのです。
この文章を捻じ曲げながら、自民党政権は、多分アメリカの意向を忖度し、集団的自衛権から敵基地反撃能力の保有まで「閣議決定」だけで持ってきているのです。
「閣議決定」と「国民主権」の関係の解釈は国民の総意の尊重という立場で考えられなければならないでしょうし、その中では「基本的人権」の意味も問われなければならないでしょう。
日本は世界でも数少ない「戦争放棄」を憲法で明確に謳った国です。しかもそこには「永久にこれを放棄する」と書いているのです。
憲法の言葉を正確に理解し、徒な言葉の遊びをやめ、無謀な戦争で、国民に多大な苦痛を強いたかつての行為の反省の上に立った日本国憲法の国民を真剣に思いやる気持ちを尊重っすることを真摯に考える事が「憲法記念日の趣旨」と、現政権を含め日本国民全体が正しく理解すべきではないでしょうか。