台風15号が深夜関東を直撃しそうです。
関東の皆様どうぞ御注意くださいますように。
台風の影響もあるのでしょうか、連日残暑が厳しいです。
今日の京都市の最高気温は35.7度の猛暑日です。新潟県は38度、大阪堺市は36.8度と各地で猛暑日のようです。
本日二回目の投稿は、京の歴史をつなぐ(5)近代ー古都・京都への再生ーの続きです。今回で終わります。
平安神宮及び第四回内国勧業博覧会場模型 昭和63年(1988) 京都文化博物館
明治28年(1895)に京都の岡崎で開催された第四回内国勧業博覧会場の模型(1/400)です。
展覧会北側には平安京を象徴する大極殿が復元されています。現在の平安神宮です。
「建設中の第四回内国勧業博覧会場」(石井行昌撮影写真資料) 明治時代 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーァイブ」より
「四条寺町付近を走る京都市電(石井行昌撮影写真資料) 明治45年(1912) 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーァイブ」より
京都市電は日本初の市街路面電車として、明治28(1895)年2月1日から、昭和53(1978)年9月30日までの83年間、京都市内を縦横に走っていました。
市電は私もよく利用しました。
Motorizationの流れで廃止されましたが、惜しいものをなくしたものだと今でも思います。
昭和30年代の市電路線図
西川栄之助像(アンプロタイプ) 明治28年(1895) 京都府(京都文化博物館管理)
参考展示 少女像(アンプロタイプ) 明治時代 京都府(京都文化博物館管理)
「巨椋池でのデンチ漁」(黒川翠山撮影写真資料) 大正時代 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーァイブ」より
巨椋池(おぐらいけ)
京都市伏見区と宇治市、久御山町にまたがって大きな池が存在していました。
周囲約16キロ、水域面積約8平方キロで池というより湖です。
水産資源が豊富な淡水湖で、1877年2月には治天皇、皇后、皇太后様が観漁をされた記録も残っています。
蓮見の名所でもありました。
豊かな池でしたが、度々水害を引き起こし、干拓農地とされ1941年に干拓は完了しました。
残念ながら巨椋池は地名に残らなかったため、知らない人が多くなりました。
巨椋は蓮の品種名にその名前を留めるだけです。
菊水鉾巡行模型 昭和46年(1971) 京都府(京都文化博物館管理)
京都文化博物館周辺で発掘された遺跡
平安時代以前の物もあります。
京都文化博物館
明治39(1906)年に竣工した旧日本銀行京都支店の建物です。
設計は日本の近代建築家を代表する辰野金吾とその弟子・長野宇平治です。
辰野金吾は東京駅を設計した人でも有名です。
旧日本銀行京都支店の建物は現在も保されています。
別館