京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

百花繚乱(1)狩野尚信、若冲、応挙、蘆雪、曾我次郎 、国芳、写楽、広重

2019-09-01 21:10:19 | 美術・博物館


京都文化博物館で『百花繚乱ニッポンXビジュツ展』が開催(8/25ー9/29)されています。
9月1日から7日に開催されているICOM(国際博物館会議)京都大会を記念して、東京富士美術館が所蔵する3万点のコレクションの中から、日本美術の名品が展示されています。













展示会の構成は絵画、浮世絵版画、漆工、刀剣、武具甲冑40点の名作を「キモカワ」「サムライ」「デザイン」「黄金」「四季」「富士山」の6つの章に分類しています。
刀剣を実際に手に持つようなスタイルで鑑賞できる刃文鑑賞特設ケースや、江戸時代に室内で灯明をあてて金屏風を鑑賞した様子を、VR技術を元にシミュレーション体験もできます。
作品は全て撮影可能です。





1章 キモカワ
円山応挙の描く犬や長澤蘆雪の描くウサギは、「カワイイ」魅力を放っています。
一方、曾我蕭白の描く仙人、東洲斎写楽の描く人物は今でいう「キモカワ」です。
これは日本美術の特徴の一つです。


猛虎図[重要美術品]
狩野尚信 江戸時代前期(17世紀)紙本墨画淡彩 軸装
右奥から流れる水流の緑に手をかけて佇む虎。
その口元を見ると薄く彩色があり、水にありつこうとする瞬間をとらえています。
周囲を窺うような視線を送る表情は、まるで猫のようでかわいらしい印象を与えます。










象図
伊藤若冲  寛政2年(1790)紙本墨画 軸装
象を画面いっぱいに真正面から描いています。一目で若冲と分かる作品です。
享保13年(1728)第8代将軍徳川吉宗の要請で実際の象が日本に持ち込まれており、若冲はおそらく京都でその象を実際に見たと思われます。
本作はおそらくその記憶をもとに、大迫力で描いたと考えられます。
若冲が手がけた「正面書きの象」は、代表作として名高い「樹下鳥獣図屏風」「鳥獣花木図屏風」を合わせて、現在確認できるのは5点のみ。本作はそのうちの稀少ない1点です。





狗子之図
円山応挙 享保18(1733)-寛政7(1795)
寛政年間初め(1790前後)頃 紙本墨画着色 軸装
3匹の仔犬が可愛らしい表情を見せながら佇んでいます。
画面左側になにか興味をそそがせるものがるのでしょうか。2匹は左視線を送っており、その心の動きをも感じ取ることができます。
応挙の狗子図は人気を博し、多く描かれました。





南天に雪兎図
長澤蘆雪  宝暦4(1754)-寛政11(1799)
天明1年(1781)頃 絹本着色 軸装
雪の中、2羽の可愛らしい兎がいます。
この作品は落款印章の特徴から、蘆雪の作画の最初期にあたる天明1年(1781)頃の作と考えられます。
この頃の蘆雪は師である円山応挙の画風に忠実に描くことが多く、本作も応挙の作品を参考に描いと考えられます。









蝦蟇仙人図
曾我次郎暉雄 款(曾我蕭白) 享保15(1730)-安永10(1781)
江戸時代中期(18世紀) 紙本墨画 軸装
蝦蟇仙人は中国の仙人で、3本足の蝦蟇(ヒキガエル)を操るとされています。
仙人はお腹の着衣の中にヒキガエルを抱き、西王母と蝦蟇との逸話にちなみ仙桃を想起させる桃の枝を手にしています。
蕭白30代前半頃の比較早い時期の作と考えられます。









市川鰕蔵の竹村定之進
東洲斎写楽  生没年不詳、作画期:寛政6(1794)-寛政7(1795) 寛政6年(1794) 木版多色刷 大判錦絵
寛政6年(1794)の5月に河原崎座で上演された「恋女房染分手綱」の一場面で、前半の山場・道成寺の主役である能師役の竹村定之進を描いたものです。
演ずる市川鰕蔵は5世市川団十郎のことで、当代随一の名優と謳われました大ぶりの体格、彫りの深い顔と顔全体を使った豊かな表情が、この役者がもつ堂々たる風格を伝えています。





里すずめねぐらの仮宿
歌川国芳  寛政9(1797)-文久1(1861)
弘化3年(1846) 木版多色刷 大判錦絵三枚続
本図は弘化2年(1845)の暮れ、吉原が火災に遭い、仮宅(吉原以外の仮の営業所)での営業を余儀なくされた模様を描いています。
天保の改革によって役者絵や遊女に関わる絵が禁止されたため、国芳は人物を雀に見立てて描き、その規制をかいくぐり、ユーモア溢れる世界を創出しました。










相馬の古内裏
歌川国芳  寛政9(1797)-文久1(1861)
弘化2-3年(1845-46)頃 木版多色刷 大判錦絵三枚続
相馬の古内裏は、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋です。
妖術を授かった将門の遺児はこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになります。それを知った源頼信の家臣が妖怪を退治してその陰謀を阻止するという説話を描いています。










みかけハこハゐがとんだいゝ人だ
歌川国芳  寛政9(1797)-文久1(1861)
弘化4-嘉永5(1847-52)年 木版多色刷 大判錦絵
戯画のうち「寄せ絵」と呼ばれるものです。
人間の目、鼻、口から眉毛、丁髷にいたるまで、さまざまな姿態の人間を組み合わせて表現するというユニークな趣向に富んだ作品です。
また着物の文様から鎌倉時代の武将・朝比奈義秀の関係性も取り沙汰されています。









名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣
歌川広重  寛政9(1797)-安政5(1858)
安政4年(1857) 木版多色刷 大判錦絵
格子の外を見つめる猫の後ろ姿が可愛らしい。
飼い主の遊女は接客中のようで、畳には客が持参したのでしょう、浅草の鷲神社の酉の市土産の熊手型の簪が転がっています。
猫は縁起物の熊手を買い求める参詣客で賑わう酉の市の喧騒に耳をそばだてているようです。





鯱形兜
江戸時代中期(18世紀) 鉄、張懸、革、絹、漆
鯱をデザインした変わり兜です。
兜鉢は薄鉄の五枚張りで、その上に鯱の形を和紙で厚く張り抜いています。
全体を厚く漆で塗り固め、口と鼻孔は朱漆塗りです。
武士の好みを反映した奇抜なデザインながら、和紙の張り抜き技術や漆塗りの仕事も優れています。






明日に続きます。


京町屋 中京(6)松村邸、伴市、速水邸、青木邸、便利堂、岡墨光堂、久保邸

2019-09-01 17:16:31 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き、第6回です。

松村家住宅
登録有形文化財
中京区六角通烏丸西入骨屋町
明治/1909/1935頃・1946~1965改修 木造2階建、瓦葺、建築面積311㎡1棟
六角通に南面する間口八間半の表屋造町家です。表屋は上下階とも窓を並べ、西端の落棟部に虫籠窓があります。。
住居部二階には、良材による洗練された意匠の造作を持つ大広間や茶室を配し、京町家として異色の接客空間を備えています。
鉾町に残る大型で上質な町家として貴重です。













伴市
京都市有形文化財
中京区骨屋町
店舗棟と居住棟を玄関棟でつないだ表屋造形式で,明治44年(1911)には現在の姿になっています。
主室と次の間から成る座敷は数寄屋風で,主室は床・棚・平書院を構えて,棚の天袋・地袋に池大雅の墨絵を張っています。
京都の町家は明治から大正期に座敷を改築する傾向があり、当家もその一例です。




















速水家
登録有形文化財、京都を彩る建物認定第66号
中京区富小路通三条上る福長町
大正/1913 木造2階建、瓦葺、建築面積129㎡
切妻造桟瓦葺の二階建で、表屋造形式の町家です。
表屋は一階が土間と二室、二階が二室で、玄関棟が続いています。
奥の居住棟は片側が吹抜の通り土間で、上下階とも一列三室としています。
全体の二階化や広い開口部、大きな袖壁設置など、近代町家の発展過程を示す好例です。

大正2年の建築で現存する設計図等からも,当時の様子を窺うことができます。
祇園祭の頃に襖を御簾や葦戸に替え,網代を敷き,夏のしつらえにすると,坪庭から奥へと風が通り,奥座敷から打ち水した庭を見ると涼やかで安らぎが感じられます。
速水家は柳行李の製作や販売を家業とした速水本家の分家にあたります。
その専用住宅として建てられた主屋は,富小路通りに面して大正2年(1913)に建築された本2階建ての町家です。
その最奥には江戸末期建築の道具蔵と文久2年(1862)建築の乾蔵などが並び,屋敷構えの景観を構成しています。
主屋は切妻造り桟瓦葺,表屋造形式で,表屋部分と居住棟で構成されます。
1階は出格子,2階は上手側にガラス窓,下手側は虫籠窓を設け,表屋部分に店の間2室を,居住棟には奥の間,中の間等3室を配しています。
表屋部分と居住棟,主屋と道具蔵のそれぞれ中間に設けられた中庭と奥庭は,採光や通風,観賞などの用途を持ち,手水鉢,灯籠などを配しています。
速水家は近代における本2階建ての町家の発展過程を示す重要な事例であり,町家に典型的に見られる庭を設け,建築時の姿を非常に良く残す希少な町家です。






青木家
登録有形文化財、京都を彩る建造物選定番号第2-009号
中京区富小路通三条上る福長町
昭和前/1930 木造2階建、瓦葺、建築面積86㎡1棟
東西に長い敷地前寄りに洋間を配し、後方に玄関を介して和室棟を建てています。
洋間はステンドグラスや暖炉を備える洗練された意匠で、和室は数寄屋を基調とし、特に二階座敷の付書院欄間に違棚を設け、趣向を凝らしています。近代の住宅思潮と数寄屋意匠を兼備した住宅です。

暖炉やステンドグラスのある洋館が通りに面する,和洋折衷の町家です。
高塀を巡らせた外観は新旧が調和する界隈の街なみ整備の模範となっています。
昭和5年(1930)に上棟されました。間口が狭く奥行きの深い敷地に対して,町家の平面形式を踏襲せずに,和風建築をベースに洋館部分を付加している。洋館の応接間の漆喰天井やマントルピース風ストーブ,和室の床柱にスギの磨き丸太を用いた座敷など見所が多い。庭を挟んで東に建つ2階建ての土蔵は,庭園のアイストップとして,主屋の数寄屋風の空間と調和するよう外観が整えられた質の高いものである。数寄屋大工が近代的な住宅思潮を入れつつ,数寄屋風意匠を施した希少な住宅である。











便利堂













後日










岡墨光堂
京都を彩る建物認定第58号
中京区
生業である日本画の表装技術を生かし,絵画や書跡等の文化財修理をされています。
1923年に建替えられた建物で,経年の外観の傷みを近年修復されました。
木造の建物の風合いを生かしながら,歴史ある商売を続けています。

明治27年(1894)に表具師として創業し,現在は絵画や書跡等文化財の修理事業にも携わる岡墨光堂の社屋兼住居の町家です。
富小路通に西面して大正12年(1923)建築の表屋造の主屋と明治期建築と伝わる蔵が並び,奥には工房などが配されています。
主屋は木造2階建て切妻造桟瓦葺一部銅板葺の表棟と,生活空間としての奥棟からなり,両棟は渡り廊下で繋がれます。
表棟は2階の立ちが高く,上手の1階外壁を高塀状にした個性的な表構えを持っています。
高塀部分にある客間は,2畳の出床を備えた残月亭に見られる格式高い形式です。
両棟間には吹き放しの渡り廊下を挟んで石畳の玄関庭露地風に設えられた中庭が併置されています。
岡墨光堂が持つ風格のある表構えは,姉小路界隈の歴史的な町並み景観の欠かせない要素です。










久保家(旧今尾景年家住宅)
登録有形文化財
中京区六角通新町西入西六角町
大正/1914 木造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積333㎡1棟
六角通に南面する敷地の中央部に建つ。
主体部は桁行10間梁間6間規模で、東はもと土間とし、西端に10畳と15畳の続き座敷を配しています。
南には10畳の応接室を持つ玄関棟を廊下で繋げ、2階に15畳の画室を設けています。
良材を用いた品格ある近代和風住宅の好例です。














二階は貸しているようです。





京町屋外観の特徴

屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。

虫籠窓は表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。

犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。

駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。

鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。

各種建造物指定

国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。









古美術・画廊・古書店が並ぶレトロな寺町二条(2)

2019-09-01 05:41:11 | 京都の町 町屋・建造物


寺町通り散策の続き、夷川から丸太町まで歩きます。





大きな町屋の前に、囲碁「本因坊」発祥地の案内板が立っています。
寺町夷川の東側にあります。
私は囲碁をしないのでよくわかりませんが、囲碁の世界では有名なようです。










駒札





石の碁盤と対局席が置かれています。





大きな町屋の表札





古典籍販売





進々堂
1913年創業のベーカリーの一号店です。
店舗から近くの本社工場で作られたパンが並んでいます。
特にフランス製の窯で焼き上げるパン・ド・ミ、バゲットは人気の一品です。
イートインスペースのほか、カフェレストランもあり、市民馴染みの店です。









右手のビルはギャラリーと新古書画処





シエ・ラ・メール
1982年創業のケーキ屋さんです。





しののめ 京じゃこ山椒





志満屋 古美術、古典籍





創業明治45年の更科と築100年のレトロな小林写場





革堂・行願寺
京都市指定有形文化財です。
中京区行願寺門前町
一般に革堂の名で親しまれています。
本堂は文化12年(1815)の再建で,外陣を吹放ちとするほか,複雑な屋根構成や豊かな彫刻に特色がみられます。
西国巡礼の札所本堂として近世天台宗本堂としても価値が高く、鐘楼は文化元年(1804)の建物です。










京野菜 八百廣
ここも明治3年(1870年)創業の老舗です。





ギャラリー














京昆布 かじの
京昆布匠かじのは京都御所のすぐそばで大宮人の味をもとに日々その味を研鑽し現代に生かして調製に努力してまいりました。HPより。




茶道具





下御陵神社
京都市指定有形文化財
上京区新烏丸通丸太町下る信富町
本殿は天明8年(1788)に仮皇居の聖護院宮に造営された内侍所仮殿を,寛政3年(1791)に移建したものです。
本殿・幣殿・拝所・南北廊が,屋根を交錯させて一連の内部空間をつくる特異な社殿構成は,市内の御霊社に特有のものですが,なかでも当社殿は造営年代が古いです。

















THE SCREEN レストラン、ラウンジ、ホテル





古美術





古美術
丸太町通りです。京都御苑の東南角が見えます。





個人的にはさまざまな思い出がいっぱいある通りです。
骨董が好きな方にはたまらない通りです。