京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京の歴史をつなぐ(3)室町時代 江戸時代

2019-09-07 16:51:22 | 美術・博物館


京の歴史をつなぐの続きです。

3章 室町時代 町衆の活躍

室町時代は足利氏による武家政権の時代です。
尊氏が延元1=建武3(1336)年光明天皇を立てて政権を握った時期から,元亀4(1573)年7月 15代将軍足利義昭が織田信長に京都から追放された時期までをさします。
この間,初代尊氏,2代義詮の時期を含む元中9=明徳3(1392)年の南北朝合体までを南北朝時代とし,応仁の乱以降,事実上幕府の威令の行なわれなくなった時期を戦国時代とすることもあります。
室町幕府の全盛期は南北朝合一により武家政権と貴族政権の間の抗争が終わった足利義満の時代です。
鹿苑寺金閣に代表される北山文化の隆盛をみるが,守護大名の領国の強化,応仁の乱を契機とする戦国大名の領国の展開とともに,幕府の権威は衰退します。
8代将軍足利義政は慈照寺銀閣に代表される東山文化の推進者となりました。
この時代の文化は,公家文化を基調とした武家文化,日明交渉を基礎とする大陸文化の影響,文化の地方浸透と、京都では町衆と言われる庶民が活躍した時代でもあります。



七十一番職人歌合 原本室町時代(16世紀)模本江戸時代(18~19世紀)京都府(京都文化博物館管理)

























紺糸威胴丸  室町時代(15~16世紀) 京都府(京都文化博物館管理)





三好政生書状(大橋家文書) 室町時代(16世紀) 京都府(京都文化博物館管理)










加藤清正書状(後藤勘兵衛家文書) 桃山時代(17世紀) 京都府(京都文化博物館管理)
















江戸時代 町のいとなみ・人のいとなみ

江戸時代は徳川家康が征夷大将軍に任じられて江戸に幕府を開いた慶長8 (1603) 年から 15代将軍慶喜の大政奉還によって王政復古が行われた慶応3 (1867) 年までの265年間,江戸が政治の中心であった時代です。
皇室はその権力を失い,将軍,大名,武士層が,支配階級として農,工,商の庶民階級の上に立ちました。
経済面では,自然経済の維持ができなくなり,商品経済への移行,工業化への傾向が現れた。
江戸時代の京都
再び政治の中心は東へ移りますが、著しく衰退することなく、江戸時代以来の街路や建物は現在にも残っています。
比較的平和な時代であり、交通が発達したことなどで市民による文化も大きく花開きました。
京都御所は14世紀から明治の直前まで現在の場所にあります。
京都御所を囲むように公家屋敷が並んでいましたが、 明治以降ほとんどの公家は東京に移り、現在は公園として開放されています。
公家の中心は御苑でしたが、武家の中心は二条城でした。
二条城は江戸時代に徳川家康によって作られ、その後面積を拡大し、現在も区画と一部の建物が残っています。
江戸幕府は大名に対しては武家諸法度一国一城令、 公家に対しては禁中並公家諸法度を出して、彼らの行動を制限しました。
さらに京都所司代を置き、公家の政治的活動に目を光らせていました。
幕府の全国支配が進むにつれて、全国の街道も整備されます。
五街道と呼ばれる東海道・中山道・甲州道中・奥州道中・日光道中は幕府直轄で整備され、街道沿いには宿場町ができ、交通の発達で庶民の旅行もしやすくなりました。 京都は寺社巡りで人気の旅行先となり、土産物として京都の産物が持ち帰られます。
大荷物を効率的に運ぶために水運が発達します。
大阪は水運の拠点になり、商業の中心地として繁栄します。
大阪と京都を結ぶ水運には淀川ですが、より物流を安定させるために高瀬川が作られます。
高瀬川沿いには現在も木屋町・材木町・紙屋町・鍋屋町・米屋町など 高瀬舟で運ばれ荷揚げされた品物と関係する地名が多く残っています。
京の花街も江戸時代に生まれます。
上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、宮川町、島原の花街があります。
現在の京町屋と呼ばれる店舗併設の都市型住宅は江戸時代中期以降に現在の様式が完成します。
年々減少し続けていますが、まだ市内には残されており、私のブログでも紹介しています。


参内図屏風  江戸時代(17世紀)  個人蔵
これを見ると御所と二条城が京都の主役だったことが分かります。





右隻










右隻眼第一扇、第二扇





右隻第三扇、第四扇





右隻第五扇、第六扇





左隻









左隻眼第一扇、第二扇





左隻第三扇、第四扇





左隻第五扇、第六扇






譲り状之事 家屋敷一カ所を甥弥へ譲渡につき(四条真町文書)
 江戸時代宝暦11年(1761) 京都文化博物館





組町汁関連文書(四条真町文書) 江戸時代 天保8年1837 京都文化博物館





汁当町配膳之手控(四条真町文書) 江戸時代 天保8年(1837) 京都文化博物館





寄合当日持参物控(四条真町文書)  江戸時代 天保8年(1837) 京都文化博物館





汁当町立会勘定帳〇諸払請取共(四条真町文書)  江戸時代 天保8年(1837) 京都文化博物館



















京の歴史をつなぐ(2)平安時代の王朝文化の形成と再生

2019-09-07 05:33:27 | 美術・博物館


平安時代は延暦 13 (794) 年から源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約 400年間です。
前期は奈良時代に一応完成した律令制度を基本に,これに修正を加えながら維持しようとした時期です。
中期は藤原氏が摂関政治を行なった時期で,藤原氏は天皇幼少のときには摂政,天皇成人ののちには関白となります。
そのためには娘を後宮に入れて皇室と外戚関係を結び,他氏を排斥します。
後期は上皇、法皇による院政の時代です。
しまし院政政治も国家社会に対する関心は浅く,一部の利益を追求する点では摂関政治と変らりませんでした。
律令に基づく班田制がくずれ,荘園制度に移行してゆく時期です。
摂関政治や院政はこの荘園制を基盤として成立したものでした。


天徳四年内裏歌合想定図  昭和43年(1968)京都文化博物館









任官雑例抄 平安時代 安元2年(1176)









魚魯愚鈔  室町時代 明応3年5年(1496、1498)  古代協会









天文十七年除目聞書  室町時代  天文17年(1548)









寛永五年正月藤原宣季季叙正二位位記(菊亭家文書) 江戸時代 寛永5年(1628) 京都府(京都文化博物館管理)












今城切(藤原教長筆<伝飛鳥井雅経筆>古今和歌集断簡)平安時代治承元年(1177)











明月記断簡(付妓女図)日記 鎌倉時代建暦3年(1213)、妓女図 江戸時代











式子内親王像  桃山時代  京都文化博物館










本朝皇胤紹運録  江戸時代  古代協会









鳥羽法王像  桃山時代  古代学協会















後白河法王院宣  鎌倉時代、建久3年(1192) 古代学協会










束帯人物像  室町時代  京都府(京都文化博物館管理)









内裏秘書写  江戸時代 享保14年(1728) 京都府(京都文化博物館管理)