本日二回目の投稿になります。
今回の日曜美術館は、 『音楽のように 革新の画家・ホイッスラー』です。
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京都国立近代美術館で、日本では27年ぶりのホイッスラー展が開催されています。
私はすでに足を運び、私のブログでも紹介しました。
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ホイッスラー(1834ー1903) はイギリスで人気の画家で、
19世紀後半に、ロンドンやパリを拠点に活躍しました。
多くの画家たちが、絵画の革新を目指して格闘を続けていた時代、
「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」と語り、
色彩と形のハーモニーに"美"を見出そうとしました。
また、多くの印象派の画家が影響されたように、
ホイッスラーもいち早くジャポニスムに注目しました。
ホイッスラーと同世代のクールべ(1819ー1877)、マネ(1832ー1883)も、
従来の西洋の伝統絵画を打ち破り、西洋近代絵画を作った画家です。
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私のブログで紹介した絵画以外をなるべく紹介したいと思います。
ホイッスラーが絵を志した時代の主流は、宗教や神話などの絵画です。
写実を重視した作品は、ルネサンス以来の西洋絵画の伝統でした。
それまでの伝統的な絵です。
ドミニク・アングル「アガメムノンの使者」1801
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新たな絵画をめざしたホイッスラーが着目したのは、日本の浮世絵です。
19世紀半ば、日本の開国を機に大量の美術品がヨーロッパに渡り、
一大ブームとなります。いわゆるジャポニズです。
なかでも、浮世絵は多くの画家たちを魅了します。
ホイッスラーも、広重の浮世絵の大胆な構図や色使いに惹かれます。
従来の西洋絵画に見られない未知なる世界でした。
東海道五十三次 見附
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広重のこの絵によく似たホイッスラーの銅板画があります。
「はしけ」1861
テムズ川に男が船をだそうとしています。
広重と構図がよく似ているでしょう。
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東洋への深い関心を示した初期の作品
「紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン」1864
中国や日本の美術品に囲まれ、壺に絵付けをする女性
絵の中の品々は、ホイッスラー自身のコレクションだそうです。
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「肌色と緑色のヴァリエーション:バルコニー」1864ー70
テムズ川に面したバルコニーで、宴に興じる女性たち
これも浮世絵の影響が色濃くでています。
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鳥居清長「美南見十二候 六月 品川の夏」
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ホイッスラーは、1934年アメリカ・マサチューセッツ州に生まれますが、
9歳でロシア芸術の中心地のサンペトロブルグに移住します。
ホイッスラーは帝国美術アカデミーで絵を学びます。
「煙草を吸う老人」1959
20代半ば初期の作品で、リアリズムに傾倒していた頃の作品
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25歳でロンドンに渡り、転機が訪れます。
パトロンとなったフデリック・レイランドからある依頼を受けます。
別の建築家に依頼していた、完成間近の晩餐会の設計図に、
ホイッスラーに少し手を加えるよう依頼されたのです。
しかし、ホイッスラーはほとんど完成していた内装を、作り替えてしまったのです。
壁はピーコック・ブルーに塗り替え、そこに金で東洋的な模様を描きました。
焼き物は中国や朝鮮半島の物を飾り、天井は日本の伝統的な波を、
孔雀の羽のイメージを重ねて作ります。
「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」1876ー77
京都の近代美術館でも再現展示された、ホイッスラーの室内全体の作品です。
この作品でホイッスラーの存在が広く世に知れわたります。
新聞で絶賛されますが、レイランドは激怒し喧嘩別れになります。
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その後、ホイッスラーは30代中頃からあるシリーズに取り組みます。
南米チリへの旅で、バルパライソという港町で半年滞在します。
そこで海辺の光景に心を奪われます。
「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」1866
一瞬の光のうつろいを捉えようと、すばやいタッチで描きます。
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そして生まれたのが、夜景を描いたノクターンシリーズです。
代表作「ノクターン:青と金色」オールド・バターシー・ブリッジ1872ー75
テムズ川にかかる古い橋、対岸にほのかな街の明かり、空には花火が上がっています。
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ホイッスラーが オールド・バターシー・ブリッジを銅板画で描いた作品
油絵の作品と比較し、橋の高さが違います。
また油絵の構図は浮世絵の構図に近いものがあります。
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シリーズのなかで最も抽象的な作品
「黒と金色のノクターン:落下する花火」1875
川沿いの遊園地で打ち上げられた花火です。
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しかし、美術評論家には不評だったようで、新聞でこき下ろされます。
評論家が高く評価していたのは、ラファエル前派のような、
徹底して細密に描いた作品です。
その代表作「オフィーリア」ジョン・エヴァット・ミレイ 1852
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評論家の目には、ホイッスラーの作品が理解しがたいものでした。
結局、裁判に持ち込まれ、ホイッスラーは勝利します。
「青と銀色のノクターン」1872ー78
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「ノクターン:ソレント」1866
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ホイッスラーは、従来の西洋美術の伝統からの脱却を模索し、
時に厳しい批判にさらされながら、独自の美の世界を探求した画家と言えます。