京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

『音楽のように 革新の画家・ホイッスラー』日曜美術館

2014-10-26 20:40:18 | 美術・博物館


本日二回目の投稿になります。
今回の日曜美術館は、 『音楽のように 革新の画家・ホイッスラー』です。





京都国立近代美術館で、日本では27年ぶりのホイッスラー展が開催されています。
私はすでに足を運び、私のブログでも紹介しました。





ホイッスラー(1834ー1903) はイギリスで人気の画家で、
19世紀後半に、ロンドンやパリを拠点に活躍しました。
多くの画家たちが、絵画の革新を目指して格闘を続けていた時代、
「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」と語り、
色彩と形のハーモニーに"美"を見出そうとしました。
また、多くの印象派の画家が影響されたように、
ホイッスラーもいち早くジャポニスムに注目しました。

ホイッスラーと同世代のクールべ(1819ー1877)、マネ(1832ー1883)も、
従来の西洋の伝統絵画を打ち破り、西洋近代絵画を作った画家です。





私のブログで紹介した絵画以外をなるべく紹介したいと思います。


ホイッスラーが絵を志した時代の主流は、宗教や神話などの絵画です。
写実を重視した作品は、ルネサンス以来の西洋絵画の伝統でした。

それまでの伝統的な絵です。
ドミニク・アングル「アガメムノンの使者」1801




新たな絵画をめざしたホイッスラーが着目したのは、日本の浮世絵です。
19世紀半ば、日本の開国を機に大量の美術品がヨーロッパに渡り、
一大ブームとなります。いわゆるジャポニズです。
なかでも、浮世絵は多くの画家たちを魅了します。
ホイッスラーも、広重の浮世絵の大胆な構図や色使いに惹かれます。
従来の西洋絵画に見られない未知なる世界でした。

東海道五十三次 見附




広重のこの絵によく似たホイッスラーの銅板画があります。
「はしけ」1861
テムズ川に男が船をだそうとしています。
広重と構図がよく似ているでしょう。





東洋への深い関心を示した初期の作品
「紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン」1864
中国や日本の美術品に囲まれ、壺に絵付けをする女性
絵の中の品々は、ホイッスラー自身のコレクションだそうです。





「肌色と緑色のヴァリエーション:バルコニー」1864ー70
テムズ川に面したバルコニーで、宴に興じる女性たち
これも浮世絵の影響が色濃くでています。





鳥居清長「美南見十二候 六月 品川の夏」




ホイッスラーは、1934年アメリカ・マサチューセッツ州に生まれますが、
9歳でロシア芸術の中心地のサンペトロブルグに移住します。
ホイッスラーは帝国美術アカデミーで絵を学びます。


「煙草を吸う老人」1959
20代半ば初期の作品で、リアリズムに傾倒していた頃の作品





25歳でロンドンに渡り、転機が訪れます。
パトロンとなったフデリック・レイランドからある依頼を受けます。
別の建築家に依頼していた、完成間近の晩餐会の設計図に、
ホイッスラーに少し手を加えるよう依頼されたのです。
しかし、ホイッスラーはほとんど完成していた内装を、作り替えてしまったのです。
壁はピーコック・ブルーに塗り替え、そこに金で東洋的な模様を描きました。
焼き物は中国や朝鮮半島の物を飾り、天井は日本の伝統的な波を、
孔雀の羽のイメージを重ねて作ります。


「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」1876ー77

京都の近代美術館でも再現展示された、ホイッスラーの室内全体の作品です。
この作品でホイッスラーの存在が広く世に知れわたります。
新聞で絶賛されますが、レイランドは激怒し喧嘩別れになります。
















その後、ホイッスラーは30代中頃からあるシリーズに取り組みます。
南米チリへの旅で、バルパライソという港町で半年滞在します。
そこで海辺の光景に心を奪われます。

「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」1866
一瞬の光のうつろいを捉えようと、すばやいタッチで描きます。





そして生まれたのが、夜景を描いたノクターンシリーズです。
代表作「ノクターン:青と金色」オールド・バターシー・ブリッジ1872ー75
テムズ川にかかる古い橋、対岸にほのかな街の明かり、空には花火が上がっています。





ホイッスラーが オールド・バターシー・ブリッジを銅板画で描いた作品
油絵の作品と比較し、橋の高さが違います。
また油絵の構図は浮世絵の構図に近いものがあります。





シリーズのなかで最も抽象的な作品
「黒と金色のノクターン:落下する花火」1875
川沿いの遊園地で打ち上げられた花火です。





しかし、美術評論家には不評だったようで、新聞でこき下ろされます。
評論家が高く評価していたのは、ラファエル前派のような、
徹底して細密に描いた作品です。

その代表作「オフィーリア」ジョン・エヴァット・ミレイ 1852






評論家の目には、ホイッスラーの作品が理解しがたいものでした。
結局、裁判に持ち込まれ、ホイッスラーは勝利します。



「青と銀色のノクターン」1872ー78





「ノクターン:ソレント」1866





ホイッスラーは、従来の西洋美術の伝統からの脱却を模索し、
時に厳しい批判にさらされながら、独自の美の世界を探求した画家と言えます。














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2 コメント

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オフイーりア (tango)
2014-10-27 07:27:34
おはようございます
北九州の美術館で確か見たような気がします
大々的に宣伝されていたように思います
浮世絵がこのように影響を与えるなんて
知りませんでした
定年後生活さまが何でも詳しいので
今、勉強させていただいています!
積文館というのは九州に33店舗ありその中の7店舗に
有名絵画の複製画を額に入れて納品します
私もここで少し勉強しなおさないといけません
良い勉強をさせていただきました
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tangoさんへ (京都で定年後生活)
2014-10-27 17:13:44
こんにちは
明治維新以降の一時期、江戸文化が否定され、浮世絵などがずいぶん粗末に扱われた時代がありました。
そしてわが国の近代化の嵐のなかで、西洋文化が急速に取り入れられましたが、一方のヨーロッパでは、浮世絵などのジャポニズムが一大ブームになっていたのは、歴史の皮肉を感じます。
浮世絵は西洋美術の近代化に計り知れない影響を与えたのは間違いありません。
日本の伝統文化を大事にしながら、現代的に継承する必要があると思いますね。

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