京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

『どこまでも新しい絵を作りたい~菱田春草』日曜美術館

2014-10-19 20:55:19 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、 『どこまでも新しい絵を作りたい~菱田春草』です。





明治の西洋化の荒波の中で、新たな日本画を創造するために、
実験に次ぐ実験を 重ね、問題作を世に問い続けた画家、
菱田春草(1874~1911)が取り上げられました。





長野県飯田に生まれた 菱田春草は、明治23年、16歳にとき、画家を志し、
東京美術学校に入学します。
ここで生涯の師、岡倉天心に出会います。





岡倉天心は、校長として新たな日本画を産み出そうとしていました。
天心の指導のもと、生涯絵画の実験に邁進しました。

実験の最初の成果
「寡婦と孤児」

美術学校の卒業作品として描いた作品です。
わが子を抱き、嘆き悲しむ母親、
その前に鎧と刀が置かれ、夫が亡くなったことがわかります。
当時、日清戦争の勝利の影で、多くの戦死者が出ていました。
春草は、古典的な題材を用い、戦争の悲劇を暗示する作品を描いたのです。
この絵の評価をめぐり、大きな論争になりましたが、岡倉天心の裁断で、首席となった作品です。





「寒林」

西洋の写実的な手法を日本画に取り込もうとした作品です。
林の中に大きな岩がいくつも転がり、真ん中の岩の上に、
二匹の猿がくつろいでいます。
伝統的な水墨画と全く異なる雰囲気です。
木々の遠近間、陰影を帯びた岩の立体間、白黒写真のようです。










「菊慈童」

風景の中に漂う空気感を表現した作品です。
山奥深くに追いやられた童が、菊の葉の露を飲み、
その霊力で仙人になったという伝承を描いています。

空気間を出すため、一切、輪郭線を使っていません。
この描方は朦朧体(もうろうたい)と呼ばれました。










春草は岡倉天心が作った日本美術院の中心メンバーとして活躍します。

「躑躅(つつじ)」

新緑に覆われた山の光景です。
緑の山肌に赤く咲き乱れるつつじを描いています。










「夕の森」

もやがかかった夕暮れの森の景色です。
朦朧体の手法ですが、鮮やかな青色が使われれいます。
この青色は、従来の日本の絵の具ではなく、西洋絵の具だそうです。





「賢首菩」 重要文化財

朦朧体を脱却した作品で、春草の代表作の一つです。
高い椅子に座った高僧が、華厳の教えを述べる場面です。
この絵にも西洋絵の具が使用されています。










この頃、春草は目の病に冒され、治療のために、
東京に帰り、療養に専念します。
その頃に描かれた絵です。

「落葉」重要文化財

朝靄が漂い、無数の枯葉が散っている晩秋の雑木林
まるで、林の中を散策しているようです。
紅葉したトチの葉は実に細密に描かれています。
現代日本画の最高傑作の一つとされています。




















俵屋宗理「楓図屏風」

「落葉」を描くにあたり、
春草が注目した江戸時代琳派の絵です。
奥行きのある空間を生かし、琳派のような絵を目指したのです。





「黒き猫」重要文化財

紅葉した柏、その幹に黒猫がうずくまっています。
背景は琳派の絵のようです。










この作品の翌年、病のため36歳の若さで亡くなります。
私は春草の後年、晩年の作品を見てみたい思いにかられます。









紅葉シーズン前の光悦寺、源光庵、常照寺

2014-10-19 05:26:43 | 2014 紅葉

今回ご紹介するのは、 先日の散策で訪れた、
紅葉シーズンにはまだ早い、鷹峯光悦寺、源光庵、常照寺です。
私は紅葉シーズンには、毎年訪れます。

光悦寺
参道はまだ、青紅葉のままです。










でも、上を見上げれば、少し色づいています。


















駐車場は少し色づいています。





源光庵

ここも紅葉はまだ先です。




境内の花です。
シオン




ホトトギス





ススキ





土塀に萩





ここも上を見上げれば、色づきも。





常照寺

吉野門です。





参道も境内もまだ青紅葉のままです。











全国初の帯塚です。
塚石は珍しい帯状の石で、四国吉野川産だそうです。





ここもまた、紅葉シーズンの景色をお届けしましょう。