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りえ子のブログ

前小田原市議会議員田中利恵子です。
今後も子どもたち、高齢者、障がい者が大切にされる市政めざして頑張ってまいります。

もう一つの8・15

2010年08月19日 | 戦争をする国にさせない
8月15日は小田原革新懇の「戦争体験を聞き語る会」もありそちらにも参加しました。

30分のビデオ上映は従軍慰安婦の心の叫びを訴えた「忘れてはならない、絶対に・・・
                                            -彼女たちの物語」
でした。

 以前にも見たことがありますが、何回見ても辛い。でも人間の尊厳をかけた闘いに魂をゆさぶられる思いと、戦争とはなんてむごいものだ。従軍慰安婦の問題はぜったいに許すことはできないし、傷ついた心の回復の為に日本政府は真底からこの問題と向き合い、心からの謝罪と賠償をすべきだと思いました。

 戦争体験ではお二人の方がお話しをされました。学徒動員、兵隊、空襲経験など。ここでもまた戦時下の大変な様子がリアルに伝わってくるのでした。お二人は79歳、86歳ということですが、今を元気にお過ごしになられていることにホッとしました。

 最後に全員で確認した平和アピールは「不戦の誓い」を新たにし、九条改憲をやめさせ、世界に誇れる平和な日本をめざす「流れ」を強めようと呼びかけられていました。

 戦争体験を風化させまいと始めたこの集いも今年で12回目ということです。これまでに体験談を語られた方が31人、参加者2000人以上となっているとのこと。(すごい!)ぜひこれからも続けてほしいと思いました。


 スタッフの皆さん貴重な取り組みをありがとうございます。そしてお疲れさまでした。

平和への活動の大切さを感じます

2010年08月18日 | 戦争をする国にさせない
「8・15を考える会」の反省会がありました。

 会は今年も8月14・15日の二日間で戦時下の写真展やシンポジウム、食体験などといった企画で、「戦争」と「平和」についてさまざまに語り合うイベントを行いました。猛暑にもかかわらず二日間で約200名の方が会場に足を運んで下さいました。まことにありがたいことです。
                        
 写真はリアルに見る者に戦争の悲惨さを伝えます。シンポジウムは米田佐代子さん加納実紀代さん松本茂さんがパネルストでしたが、3人の方の平和活動への原点を知ることができ、さらに説得力のあるお話しに引き込まれていきました。


                          (左からコーディネータ・宇佐美ミサ子氏、パネリスト・松本茂氏・米田佐代子氏・加納実紀代氏)

 食ではサツマイモのふかしたのとタンポポコーヒー、大豆コーヒーなどを試食。ちょっぴり当時の食生活を体験した思いになりました。

 以外にも若い方がおいしいという感想を言っていましたが、新鮮だったみたいです。

 でも戦争中のふかし芋はもっとまずくて、それにサツマイモを食べることができたらまだいいほうだという感想もあり、食に関してはとにかく大変だったと思います。

 戦争体験の交流会では何人もの方がお話しをしてくださいました。戦地に行かれた方、空襲で逃げ回った方、食べ物がなく飢えとの戦い、生きることで必死だったことなど。その一つひとつに戦時下の厳しさを感じました。きっともっと想像をはるかに超えた厳しい現実があったに違いないと感じました。

 小田原空襲を体験された飯田耀子さん(小中学校での語りべ)は65年前の今日、この時間は青物町通りは火の海。あまった爆弾を捨てていくとは何とおろかなことかと身をもっての大変なお話しをしてくださいました。ある方は焼夷弾の一部を持ってこられて当時の生々しいお話しをしてくださいました。

 戦後生まれの方や若者も戦争と向き合います。学校ではあまり戦争について教えてもらったことがないといった方から参加して貴重な体験だったと感想を言われる方など。この二日間で戦争とは何か、平和とは何かということでだいぶ語り合うことができたように思います。大切なことは語り継いでいくこと、語り合うことだなーって思いました。来年もまたみんなで語り合おうねー

核兵器の廃絶を

2010年08月03日 | 戦争をする国にさせない

庁舎正面にある懸垂幕に目が留まりました。

 「世界から核兵器の廃絶を 平和宣言都市 小田原市」とありました。帰りがけに気づいておっ!って思いました。なかなかメッセージ性があっていいなと思います。
 
 小田原市が平和都市宣言を制定したのは平成5年10月1日のこと。そして今年には平和市長会議に加盟し、少しづつだけど平和施策が前進してきていると感じます。平和市長会議の目的は核兵器のない平和な世界を実現することとあって、国内785自治体が加盟し、世界では144カ国・4069都市が加盟しているといわれています。この流れこそ世界から核兵器を廃絶するための流れだと思います。

 今年は戦後65年、安保改定50年。何か節目の年だなーと思います。戦争を再び起こさせないためにも戦争を知らない人たちに悲惨な戦争の実態を少しでも知っていただき平和を語り合うことは本当に大切だと思います。

 私も呼びかけ人の1人となっている「8・15を考える会」では「戦争」と「平和」をテーマに、毎年戦時下の写真展、当時の食生活の体験コーナーを設けたりと貴重なとり組みを行ってきています。今年は伊勢冶書店3階のギャラリー新九郎にて8月14・15日の二日間行います。ぜひ多くの方が訪れていただけると幸いです。

 14日は午後1時30分からシンポジウムと写真展。写真展は午後7時までやっています。15日は午前10時から写真展。食生活体験コーナー、交流会&自由トークとなっています。シンポジウムのパネリストに加納実紀代氏(女性史研究家・敬和学園大学特人教授)、米田佐代子氏(らいてうの家館長)となっています。コーディネーターはご存知、宇佐美ミサコ氏。写真解説者は小中学校での戦争体験語りべの飯田耀子氏です。よろしく~


普天間基地の撤去をすべきだ

2010年05月07日 | 戦争をする国にさせない

 3年前に沖縄戦をたどる旅を計画し、主人や義理の兄弟たちと沖縄に行ったことがあります。現地では沖縄戦に詳しい方が同行してくださり、いろいろと貴重なお話しを聞くことができました。下の写真はそのときに撮ったものですが、これが大問題の普天間基地です。



 基地は沖縄の宜野湾市にあり、市のど真ん中を占有しています。写真奥に見えるのが基地ですが、その周辺にはこの通り、民家や公共の建物らしきものがぎっしりと立ち並んでいるのが分かります。こんなところに基地があっていいのかと思ったことを昨日のように思い出します。

 それと、確か基地の柵と道路との間に畑があって、住民の方が農作業をされていたことを思い出ます。畑のとっても狭い土地と広大な基地を見て、なんか腹が立つのと、悲しい沖縄の歴史を垣間見たような気がしたのでした。
 
 第二次世界大戦で、沖縄が地上戦と化したとき、県民の約3分の1、十数万人の命が犠牲となったことはあまりにも悲惨な歴史の事実として伝えられていますが、このときから沖縄に米軍が駐留し始めました。基地は住む家をつぶされ、祖先から受け継いだ大切な土地を強制的に奪われ、そこに次々つくられていったのです。

 鳩山首相は世界一危険だといわれているこの普天間基地をアメリカにNOと言えず、とうとう沖縄県内への移設、徳之島にヘリ部隊を移設すると言い出しています。なぜ国民を守ろうとしないのか、なぜ軸足がいつもアメリカなのかと腹が立ってしかたありません。命を奪われ土地を奪われこれ以上奪われるものがないような状態にしてまで、大切にしたいものは何なのかと言いたい。県内移設など絶対に許されないぞと思っています。

 沖縄の海兵隊はベトナム戦争や湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と。いつでも戦争の先頭に立ってきた攻撃部隊で、日本を守るどころの話しではなく、「抑止力」なんてことを言っていることもおかしいと思っています。
 
 良好な外国との関係は言いたいことを言い、嫌なことには嫌とはっきりとした態度をとっていくことが大切だと思うのです。アメリカとは対等・平等の当たり前の関係をつくっていくべきだと思い、そのためにもキッパリと普天間基地の撤去を言い渡すべきだと思います。 


平和を語る街小田原に

2010年04月28日 | 戦争をする国にさせない

 朝からどしゃぶりの雨。よう降ること。。。

 午前中は「8・15を考える会」と行政総務課との懇談でした。この会は、戦争と平和、憲法などについて、自由に語り、表現する場として5年前に発足しました。8月14日から15日に開催されるこの会最大のイベントは、戦時下の写真パネル展や戦争体験の語りべ等思考を凝らしたもので、これまでに延べ1000人の方が会場となっていた市民会館展示室等を訪れました。私もこの会のメンバーとしてお手伝いさせていただいています。年々イベントは定着し、大変意義のある取り組みを行ってきていると感じています。

 懇談では、小田原市の平成22年度の平和への取り組みはどうなっているのかお聞きして、会からの率直な意見、要望を出させていただきました。ぜひ小田原駅東口・西口に平和都市宣言の街小田原にふさわしい、平和モニュメントをつくっていただきたいと思います。

 午後からは「新婦人の会」の方と懇談。テーマは子育て支援についてとなっていましたので、日頃感じていらっしゃることを中心にまずお話しを伺って、会としてのこれまでの取り組みや要望等をお伺いしました。私からは市政の取り組みや近隣市町の状況をお話しさせていただきました。

 新政権の子ども手当て、待機児童の問題、小児医療費助成、子供たちの遊び場の確保と話は弾みましたが、会としては今後幅広く市民の方からの声を聞くために、アンケート調査を計画しているなどということでした。(こりゃいいことだ)
 さて、今年はNPT(核不拡散条約)の再検討会議がニューヨークで行われます。きょうこられた方がこの運動に参加するためにニューヨークに行かれるとお聞きして、感激し、ちとうらやましく思いました。きっと感動してこられることでしょうねー
 平和の問題も子育て支援も色々な団体や市民の方からの率直な声が何よりも大事だなと思います。生の声は勉強になります。 


基地はいらない

2009年11月02日 | 戦争をする国にさせない

 今週のしんぶん赤旗日曜版の一面二面を見ると、普天間基地の特集となっていて、ある読者の方が一面の写真を見て、基地のすぐ周りにたくさんの民家があるのを知って大変驚かれていました。きのうはそんなわけで何人かのしんぶん赤旗読者の方とお話しをする機会を得ました。

 普天間基地は人口約9万2000人の沖縄県宜野湾市のど真ん中にあリ、基地は米海兵隊のヘリコプター部隊だということだが、、市の面積の25%をこの基地が占めているというのだから、いかに住民の大きな負担になっているのかがそれだけでも十分に分かるのです。

 この基地をめぐって、「県内にたらい回しになるのか、県内・新基地建設となってしまうのか」、といったことで大問題となっているが、なぜ迷惑な基地が県内たらい回しとなったり、新基地建設となるのかがまったく分からない。迷惑な基地はなくすべきで、県内のたらい回しや新基地建設などという考え方が出されていること自体絶対におかしいと思うのです。

 鳩山首相は総選挙の時には県外や国外移設とまで言及していたが、この間の衆参本会議では具体策はなく、「最後は私が結論を出す」などとあいまいなよくわからない答弁をしていて、だいぶ風向きが変わってきているなと思いました。やはりこれでは沖縄県民の思いを受け止めることができないな。住民の立場に立ちきることができないなと率直に思ったのでした。

 しんぶん赤旗に元日本共産党宜野湾市議の知念忠二さんのコメントが載っていたけど、宜野湾は毎日が戦場のようだという。ヘリ部隊や戦闘機、空中給油機が何時間も上空で訓練しているとのことで、そのすさまじさに道を歩いていると立ちすくみ、幼児はおびえて母親の足にしがみつくというのです。
 
 そしてまたそこには、辺野古でもどこでもいいから早く移転してくれという声は一部を除いて聞かれない。同じ苦しみを押し付けたくないというだけでなく、「たらい回し」では決して基地があるゆえの苦しみは解消されないなどとありました。

 今こそ政府は、こうした声にこそ応えるべきじゃないのかなと思うのです。

 2年前の10月に、主人や義理の兄弟夫婦とともに沖縄の戦時下を周る旅をしました。念願叶っての旅で、現地では沖縄戦や基地に詳しい方が案内をしてくださいました。ひめゆりの塔、糸数のアブチラガマ、そして問題の普天間基地なども周り悲惨な沖縄戦の実態に迫り胸が苦しくなるほどの思いを体験したが、基地が今なお沖縄の人たちを苦しめているという実態にもふれて、戦争は本当にごめんだ。沖縄って未だに戦場のようだとも感じたことが思い出されるのです。

 沖縄本島には北部訓練場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、嘉手納基地、普天間基地といった米軍基地があって、美しい沖縄の海とは対照に沖縄の持つ厳しい現実があることを思い知らされます。 


小田原革新懇

2009年08月18日 | 戦争をする国にさせない

 8月15日のもう1つの平和の取り組み。それは、今年11回目を迎えた小田原革新懇の「戦争体験を聞き語る会」でした。市民会館の会議室いっぱいに大勢の方が集いました。

 ビデオ上映は731部隊の「少年隊員の見た細菌戦部隊」。731部隊に関係する映像は以前にも見たことがあったけど、細菌による人体実験とか・・・、この世にこんなことがあったのかと思うほど恐ろしいものでした。

 「一本のエンピツ」は唯一平和を具体的に歌った美空ひばりさんの歌。この歌に合わせたスライドと朗読はこれまでにないもので(手づくり)、とってもステキでした。

 本題の私の戦争体験では、「終戦直前の小田原での空襲体験」、「植民地・朝鮮で迎えた8月15日」というテーマでそれぞれお二人の方がお話されました。
 どちらのお話もまるで戦争映画でも見ているような、そんな感じがしてならないほど当時の緊迫した状況が伝わってくるのでした。お二人とも生き抜いて今を生きていて本当によかたっとホットするのでした。
(貴重な体験をありがとうございます)

 プログラムの最後に平和アピール「市民のみなさんへ」(案)が参加者全員で承認されました。終戦記念日に平和への願いが新たにされた瞬間です。ブラボー!


みんなで平和について考えた一日

2009年08月15日 | 戦争をする国にさせない

 「8・15を考える会」平和写真展は15、16日の二日間、市民会館の展示室で開催される。例年のごとく会場いっぱいに戦中戦後の貴重な写真が展示された。戦争体験を語るコーナーではこれまた貴重な体験が語られて、当時の悲惨な光景が聞き手にリアルに伝わってくるのでした。



 写真中央で説明をするのは「小田原の戦時下を記録する会」の飯田顕子さん。小田原であった空襲ではご自身もその恐い体験をしました。戦争体験を語り継ぐ学校訪問では毎年精力的に活動されていて、まさに語りべ的存在。多くの子どもたちに平和の尊さを伝えています。




 ケーブルテレビの取材を受ける女性史研究家・第一人者の宇佐美ミサ子さん(市内在住)。「8・15を考える会」の代表呼びかけ人となっています。飯田さんもそのお一人。他に4名が呼びかけ人となっていて、私もその一人。お手伝いをさせていただいています。

明日の16日の2日目。映画「冬の兵士」上映と戦時中の食体験ということで、あっと驚く食べ物が登場します。


いちだんと9条が輝いている

2009年05月10日 | 戦争をする国にさせない

 核兵器国は米・露・英・仏・中の5カ国。今この核兵器をめぐって新たな変化が起こっています。それはアメリカのオバマ大統領がプラハで行った演説です。米国の大統領として「核兵器廃絶」を国家の目標として初めて宣言したのです。

 演説に「米国は核兵器のない、平和で安全な世界を追求していくことを明確に宣言する」「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、米国は行動する道義的責任がある」などとあって、この演説の重みをずっしりと感じ、体の底から込みあがる感動を覚えました。

 そしてその演説に日本共産党・志位和夫委員長が書簡を送られたということで、重ね重ね感動しました。書簡の中身は大統領の演説を大きな感銘をもってお読みになられたということから始まり、「核兵器のない世界」の実現は「おそらく私が生きているうちには無理だろう」と述べられたことに対して、いま、イニシアチブを発揮してこそプラハでの演説が世界平和と進歩のための生きた力をもつことになると考えてます・・・と、大統領に核兵器廃絶のための国際条約の締結をと要請されたことなど、率直な考えが述べられていると感じました。

 それから、核兵器廃絶といえば、憲法集会での志位委員長の「核兵器廃絶と日本国憲法9条」をしんぶん赤旗で読みながら、なるほどと思ったのです。核兵器廃絶と9条の係わりを自分なりに理解しながら9条をこれまでになく新鮮に捉えることができたのです。ふむふむ

 憲法9条が核兵器廃絶を全世界に呼びかけ、核兵器廃絶の世界的な運動が9条をより確かなものにしていく。ひと言で言うと・・・、そんな風に思ったのです。日本の憲法9条が「世界の宝」だと言われる由縁を理解するのでした。今、世界がおもしろい!


憲法9条は日本の宝です

2009年05月07日 | 戦争をする国にさせない

  4月14日に衆議院に提出された「海賊対処」新法案。これはいったいどんな法案なのかと思ったけど、いろいろと分かってくると、なぜこんな法案を法制化するのだろうかとふつふつと湧いてくるのです怒りが・・・。

 この法案はアフリカのソマリア沖に派遣している自衛艦に、外国船舶の警護と積極的な武器の使用を認めるものとなっていて、しかも一旦法制化となると廃止されない限り恒久法となってしまうというものです。

 「海賊」は国連海洋法条約101条にその定義があるけど、一般的には「海上を横行し、往来の船や、沿岸地方を襲って財貨を強奪する盗賊」(広辞苑)ということになると思うのです。

 自民・公明与党はこの海賊に対して「海賊対処」と言っているけど、法案が世界中どこにでも自衛隊を派遣できるようにすることや、攻撃を受けていなくても、海賊目的で他国の船舶に著しく接近などした場合には発砲を認めるとなるなど。なぜそれが許されるのか?!自衛隊の海外派兵や武器使用の拡大は憲法違反ではないかと思い、問題はあまりにも大きすぎると思ったのです。

 5月3日は憲法記念日でしたが、憲法をなぜ拡大解釈しなければならないのか。9条をなぜ率直に受け止めようとしないのかなど。優れた憲法は日本の宝なのにと思いながら、
平和を自ら危うくすることほど許せないことはないと思うのでした。

 「海賊対処」新法案は衆議院で日本共産党などの反対の中、可決し、法案は参議院に送付されています。


品川正治さんの講演を聞いて感動しました

2008年12月06日 | 戦争をする国にさせない

 「おだわら・九条の会」結成3周年記念のつどいがありました。会場は小田原市生涯学習センター「けやき」大ホール。会場はほぼ満員でした。

 つどいは「とらんぺっとぼうず」のトランペット演奏で始まり「戦争、憲法9条、そして21世紀の日本経済」と題して経済同友会終身幹事であり、財団法人国際開発センターの会長をされている品川正治さん講師による講演でした。

 
 自ら戦地に行かれて戦争の残虐さや悲惨さを体験された品川さんは80歳近くになるまで戦争体験を一切お話されてこなかったということでした。戦友の死がトラウマとなって60数年、つい2ヶ月前の講演からそのトラウマを吐き出すことができ気が晴れたという思いがした。戦争の実体験をするというのは容易な事ではないとお話されました。

 「二度と戦争をしない国にするしかない」そう思われたのは終戦となったとき。日本に帰って始めて見た新聞が憲法草案の内容で、声を出して読み9条にさしかっかった時にはそこにいた仲間の全員が涙してご自身も声を詰まらせたとのことでした。

 「戦争を起こすのも人間、それを許さず止める。許さないこともできるのは人間」。このことがご自身の座標軸になっていると繰り返えされました。そして会場にいる方たちにもここを明確に持ってほしいとも言われました。

 それから講演のテーマにはいつも「戦争、人間、憲法9条」があると言うことですが、日本の憲法は人間の目で見ている。国家の目で見ていない。経済もなぜ人間の目で見れないのか。国家の目でさえも見れない状況にある。経済をどの目で見ていくか一番の大きな目標だと締めくくられました。
 

 品川さんのお話を初めて聞いたけど終始感動的でした。終わりの人間の目で憲法を見、経済も見るというところでは目頭が熱くなりました。84歳になられるということだったけど声に力があって低音の声質にこれまでのご自身の生き方が鮮明に届いてくるかのようでした。すごい!


自衛隊の給油活動について思う

2008年10月23日 | 戦争をする国にさせない

 衆議院で新テロ特措法延長案が通ってしまいました。なんてことなんだろうと非常に残念に思います。なぜ憲法に違反しているこうした提案が通ってしまうのか、国会はちゃんと機能しているんだろうか、どうなっているのかと、どこか日本っていう国の危うさを感じました。

 新テロ特措法延長案は来年の1月15日で期限切れとなる同法の延長をするためのもので、最終的に提案が通るとインド洋沖での海上自衛隊による米艦船などへの給油活動がまだまだ続くということになります。

 アフガニスタンでは年々空爆などによって多くの人が犠牲になっているといいます。先日のテレビの国会中継を見ていて日本共産党の赤嶺議員の質問によってそのことがよく分かりました。罪もない民間人の多くの人が命を落としたり大変なケガをしている。テロを撲滅するといっているけどその前にアフガニスタンの国民が死滅してしまう、こんなことがいつまでも続いていていいわけがないと痛感させられるのでした。

 米艦船に給油して、油を得た戦闘機はアフガニスタンに空爆を行う。空爆によってたくさんの人が犠牲となる。海上自衛隊がしていることは戦争支援の何ものでもないと改めて思ったのです。提案に日本共産党は反対しました。

 麻生首相は「各国が軍を増派するときに日本だけが撤退する選択肢はない」と言います。
多くの犠牲者が出ているというのにこれが自衛隊派兵の根拠なのかと失望するのでした。なぜ憲法9条を踏みにじってまで米艦船などに給油しなければならないのか、9条の精神にしっかりと立つべきだと思いました。


終戦記念日に語り継ぐ

2008年08月17日 | 戦争をする国にさせない

 63回目の終戦記念日、今年も「8・15のつどい」、「戦争体験を聞く会」で、大勢の方たちと二度と戦争をしてはならないという思いを深めることができました。
 
 「8・15のつどい」は、4回目、4年目を迎えました。このつどいは女性史研究家・宇佐美ミサ子さんを呼びかけ人の代表として、小田原の戦時下を検証する会の飯田顕子さん、金子あそみさん、鍵和田由美子さん、檜山智子市議、私の6名の女性が呼びかけ人となり、事務局をしてくださっている松本茂氏とともに戦争の悲惨さ平和の大切さを語りついでいこうということで回を重ねてきています。

 会場となった市民会館の展示室には100点もの戦時下などの写真パネルが展示され、懇話コーナでは参加者自らが戦争体験を語られ、「戦争と文学」というテーマでは市内にお住まいで、文学活動をされている田中美代子さんが語られるなど、非常に貴重でためになる内容ばかりで、みなさん熱心に耳を傾けられていました。



 今年はすいとんも作りました。でも戦時中のおいしくないすいとんを食してみようというこの企画は思いもよらぬ方向に。「おいしいよ」とか「さっぱりしてヘルシー」など。なんととっても好評でした。いやーほんとにおいしかった15、16日の二日間で200名近い方たちが訪れたとのことで、なかなかの盛況でした。

 「戦争体験を聞く会」は小田原革新懇が主催。尊徳記念会館でここでも大勢の方が参加されていました。ガラスのうさぎに登場する二宮駅、ここで空襲を直接体験したという方のお話は、まるで映画を再現しているかのようでした。




原爆をゆるさない

2008年08月08日 | 戦争をする国にさせない

 広島・長崎に原子爆弾が落とされてから今年で63年目、広島での平和記念式典をテレビで見ながら、かつて、「原水爆禁止世界大会」に参加した時のことを思いました。
 
 広島の夏の暑さは格別で、非常に暑かったことを思い出します。駅前からタクシーに乗り、世界大会のメイン会場近くまで行きましたが、幹線道路の広さに圧倒され、タクシーと平行して走る市電に懐かしさを感じました。

 確かタクシーの運転手さんが 「広島は終日が祈りとなります」そんな意味のことを言っていたように思います。そういえば人の行きかう光景から、街そのものが祈りの雰囲気に包まれているような、そんな感じだったことも思い出します。

 大会は各国、平和運動の代表や国内外の大会参加者であふれていて、それだけでも大きな勇気、連帯感みたいなものを肌で感じたものです。戦争の悲惨さ、平和の大切さ、全世界から核兵器をなくそうのうねりがこんなにもあるのかということを実感させられたことを鮮明に覚えています。

 広島に落とされた一発の原子爆弾、それはその年だけで人口(当時の人口)の4割、約14万人の命を奪ったとされています。そして現在、被爆者健康手帳を持っている人は24万人超。でも国に、原爆症と認定された人はたったの1%、21,88人でこの数字の少なさにはびっくりさせられます。原爆被爆者全員に原爆症の認定措置を行うべきでしょう。

 今世界に核兵器が約2万6千発存在していると言われています。だけど今や世界の流れは国連総会も核不拡散条(NPT)加盟国も全面完全軍縮を目標とするくらい一致してきています。そして原水爆禁止2008年世界大会の成功がまた一段と世界を動かすことを確信するのです。

 
 


 


ストップ空母in横須賀

2008年07月13日 | 戦争をする国にさせない
       7・13全国大集会in横須賀

横須賀ウ゛ルニー公園での原子力空母・母港化反対の
集会・デモ行進に参加しました。

暑い!とにかく暑くって、まいった~

でも参加者はそれ以上に熱くって、猛暑に負けてなーい
参加者3万人という発表。これにはおどろいた。

デモ行進では市民の方たちからの声援もとびかって
一年分の元気がもらえたような一日でした。