りえ子のブログ

前小田原市議会議員田中利恵子です。
今後も子どもたち、高齢者、障がい者が大切にされる市政めざして頑張ってまいります。

石巻市にボランティアに行ってきました№2

2011年07月31日 | なんでもかんでもコーナ~

  宮城県石巻市にボランティアに行く前に支援物資を送りました。日持ちのする野菜、赤ちゃん・大人用のオムツなど、事前に宅急便で梱包して送った数はなんと18個にもなりました。多くの方のご協力によるものです。新鮮なトマトやキュウリ、ナスといった夏野菜が喜ばれているようです。そういえばセンターにもいろいろな野菜が届いていました。

 前回ブログに書いた通り、石巻市は震災で大きな被害がありました。海岸沿いの南浜町、門脇町は約1700世帯が全壊するもっとも被害が大きかったところです。そこに石巻市立病院の姿がありましたが、ここも全壊だということです。震災のあった当日に、150名の患者さんを救い出し、他に移送したそうです。それから病院の近くにある日和大橋(全高18m)を津波が超えて行ったということでしたが、橋の高さから津波の大きさが分かるのでした。すべてに絶句です。

 女川町では女川町立病院の駐車場から眼下を見ると、コンクリートの建物がひっくり返って、底がむき出しになっている姿にびっくりしました。津波から逃れるために、やっと病院の駐車場まできたのに、そこに津波が押し寄せたために、ご家族全員が車ごと津波にのまれたという、とっても辛いお話しをお聞きしました。津波は病院の1階天井まで来たそうです。襲いかかってくる津波からどんなに必死に逃げたことか、恐かったことか・・・、本当に無念です。

女川町役場、保健センター、生涯教育センター、女川駅など、女川町の中心が全壊。その先の雄勝小学校、雄勝中学校、公民館なども全壊でした。そして、津波で全校生徒108人中、74名の子どもたち、10名の先生がお亡くなりになり、行方不明となっている大川小学校を目の前にしたときには言葉が出ませんでした。

 行く先々の被災した地に立ち、黙祷を行いました。せめて安らかに眠っていただきたいと心からお祈りしました。(写真左がひっくり返ったビル、右が大川小学校、女川駅の残ったエレベーターあと)

 ヘドロ出しに次ぐ作業は、仮設住宅にお住まいになられている方に、ご要望をお聞きするなど、色々お話をお聞してまわる聞き取り訪問でした。

 ある70代の方から、広域避難所では医師や看護師に、体調を日々診ていただいたが、仮設住宅に来てからは一切そういうことは無くなったとお聞きしました。その方は血圧のお薬を1ヶ月も飲んでいないとのことで、高齢者の体調が気がかりです。それとスーパーや病院が遠いということも大変気になりました。だから目の前のがれきの山はなくなってきても、心の傷は大きくなっていくような気がしてなりませんでした。ぜひ今後もボランテァに行きたいと思います。


石巻市にボランティアに行ってきました

2011年07月24日 | なんでもかんでもコーナ~

宮城県石巻市に20日~23日までボランティアに行ってきました。

 車で小田原を朝7時30分に出発して、仲間5人と共産党の石巻ボランティアセンター・東部地区委員会を目指しました。現地に到着したのは夕方の5時、途中台風の心配もありましたが、思ったより順調に着きました。センターではまず震災の被害状況と、翌日からの実際の作業についての説明を受けました。

 今度の震災では、岩手県、宮城県、福島県などに多くの死者・行方不明者が出て、改めてそのことが本当に悔やまれます。宮城県は死者9315人、行方不明者2811人(7月9日現在)で最も多く、そのうち石巻市は死者・行方不明者が4000人以上ということで、ことごとく被害の大きさに胸が痛みます。

 津波による市街地の浸水面積も、これも最も大きいのが石巻市ということで、市街地の23平方メートル・73%が浸水してしまいました。津波による冠水状況がひと目でわかる地図は、水色にしかも広範囲に塗りつぶされていて、これもショックでした。左の写真中央の、右より白くなっているのは、日和山公園というところ。ここは高い位置にあるので浸水はまぬがれましたが、でもごらんの通り、周囲はすべて浸水してしまい最悪の状態となっています。             

それと石巻市は女川原発から20キロ圏内に入っていているのも確認しました。今回の震災によって原子炉の冷却ができなくなる、一歩手前までの危険性があっただけに、市民の不安が非常に大きかったことも分かりました。

センター内を見回すと、日々の作業の様子を物語るさまざまな掲示がしてあったり、センターにも津波による浸水があったために、その位置をしるした場所もあるなど、とにかく目の前にあることが、当然ですがリアルだと感じました。そして、丁寧な状況説明と次の日の作業となる、側溝のヘドロ出しについて説明を聞いて、到着一日目は40キロ離れたところにある宿舎に向いました。

 次の日は、朝5時半には起床して、集合時間の8時15分にはセンターに居ました。神奈川県内や東京都からの多くのボランティアの方たちと、作業についての確認をしてから、行動を開始しました。作業現場はセンターから近いところでしたが、ヘドロ出しは思っていた通りけっこう大変でした。スコップで何度も掘り出すなどの力の要る作業では、特に男性の方たちには大変おつかれさまでした!の一言です。袋を持つ係りの私でも、ヘドロの重みにずしんときたので、もっとそれ以上大変だたっと思います。本当にお疲れ様でした。でも作業の後は側溝がきれいなっていて、山積みされた袋があって、それはそれでちょっと感激でした。

 その日は、被災の現状も目の当たりにしました。日和山公園に登って、目の前の建物が何にもない光景に言葉を失いました。下に降りて近くに行ってみると、もっと事の重大さが分かり、何ともいえない焦燥感みたいなものを感じました。ここに人々の生活の場があったなんて・・・考えられない、そんな思いでした。


すこやかに育て心と体。この文字が心に響きました。門脇小学校のこどもたちはどうしているのだろうか。廃墟と化した校舎に、迫ってくる何かを感じました。

                        つづく・・・
    


脱原発依存宣言??!

2011年07月14日 | いま国会では・・・

 菅直人首相が首相官邸での記者会見(13日)で、「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った・・・」などと脱原発依存に関して明言していたと思います。なので、それはいいと思ったのですが、同時に原発の稼動に関しては、「合意をして認める・・・」などと述べていたと思うので、そこは、福島原発の、事故収束のめども立っていないのに、よくそのようなことが言えるものだと思い、よく分からないなと思ったのでした。

 原発の再稼動をめぐって、九州電力のやらせメール、ストレステストなどと色々ありますが、重大な原発事故への備えがアメリカ、フランスなどと比べ数段遅れている日本にとってみれば、次の福島原発事故に繋がりかねない危険性が否定できないと思っているので、稼動を認めるような発言には納得がいくことではないと思っています。どうしたら原発に依存しない社会をつくることができるのか、具体な提案を示すべきだと思ったのです。

 7月7日の国会中継・参院予算委員会を見ていたところ、菅首相に共産党の井上哲士議員が、「原発の撤退を決断してこそ、自然エネルギーの本格的開発・普及ができる」と質していました。そして日本の自然エネルギーは大きな可能性を持っているということで、環境省の再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査(2010年度)、日本エネルギー経済研究所・エネルギー経済統計要覧より作成した中身を示しました。

 それによると、非住宅系太陽光発電、風力発電、中小水力発電、地熱発電の合計で、約21億キロワットの再生可能エネルギーの潜在力が試算されているとありました(すごい!)。現在の電力供給能力は合計で、2億ちょっと(そのうち原発54基分で4885万キロワット)だそうです。井上議員は、そこでさらに電源開発促進税を原発推進でなく、自然エネルギーの開発に使うようにすべきなどと質していました。菅首相の答弁はというと、検討に値するということでした。宝の持ちぐされとならないように、潜在する自然エネルギーをぜひ現実利用できるようにしていくべきだと思います。


    まだ紫陽花が楽しめる。城址公園周辺・青少年相談センター近く。


高齢者の方に負けてしまいそうです

2011年07月10日 | なんたって住民福祉

 芦子地区社会福祉協議会の主催で、市役所~城址公園往復のウォーキングがあり参加しました。毎年参加していますが、今年も大勢の方がスタートとなっている、市役所正面玄関前に集まりました。高齢者の方の参加も多く、毎年参加している今年86歳になったという方のお元気な姿もあり、ただただ感心しました。

 歩くペースこそゆっくりでしたが、しっかりと歩かれていて、頼もしくさえ感じました。今年もお若い頃のお話などをお聞きしながら、ご一緒に歩かせていただきました。90歳までは参加したいとおっしゃっていたので、90歳と言わずいつまでもご一緒に歩きたいと思いました。

 少しお若い80歳になる方からは、毎日ストレッチをしているというお話をお聞きしました。その方は、お肌のマッサージやお化粧も毎日欠かさずにしているとのことで、これには感心を通り越してびっくりでした。そういえばお肌がもちっとしているように思いました。いやいや高齢者の方からはいろんなことを教えていただいて、勉強になります。 ゴールはスタートと同じ市役所ですが、86歳の方が戻ってきたときには、大きな歓声が沸き起こりました。いい汗をかきました。


原発はゼロに、自然エネルギーに転換をしよう

2011年07月06日 | どの子もかがやくように

 福島第一原発事故は一向に収束のめどが立っていない。事態は良い兆しも感じられず、この先どうなってしまうのだろうかと、非常に大きな不安が国内外にうずまいていると思う。原子力は底知れない破壊力があることは、世界で唯一原爆を投下された日本にとっては、何処の国よりも、誰よりも分かっていたと思うのに、よくも重大事故が起きた場合の対処ができないこのような状態で、原発を推進してきたかと思い、はなはだ残念でなりません。

 原子力を平和利用として取り入れることは悪いことではないと思っている。でもそれはあくまでも安全性が確保できての話で、今の技術では無理で、そこがいかにまだまだ未熟であったかを今回いやというほど思い知らされたわけです。1979年のスリーマイル島の原発事故、1986年のチェルノブイリ原発事故は、ひとたび重大事故が起きたならば、どんなにか恐ろしい結果を招いてしまうのかを、全世界に警告し、原発推進国はそのことを教訓としなければならなかったと思います。

 でも、1988年に国際原子力機関(IAEA)が過酷事故対策をとることを各国に勧告していたのにもかかわらず、日本はその対策をとってこなかった。そればかりか、原子力発電の「推進機関」と「規制機関」の分離をせずに推進してきたという、国際条約違反を続けてきた。だから今回こんなことになってしまったのだと思います。

 そこには、安全性を無視した、危険な考え方が根強くあったと思うのですが、なぜ安全性が確保できていないのに、原発をいくつも(54基)つくってしまい、これからも造ろうとしていたのか、ここが一番納得がいかない。なんだか、私には人の健康・命よりも企業の利益優先の方が第一に大切にされてきたように思えてならないのです。

 折りしも電力不足が叫ばれていますが、昨年同様にこの夏の暑さはもうすでにたまらないものがあります。熱中症で多くの方が病院に運ばれているのを報道で知って、高齢者や病気等で体力の弱い方たちのことがとっても心配な夏です。きのも行き交う方がフーフー言って通り過ぎていくのを見て、思わず「大丈夫ですか?」と声をかけてしまいましたが、がまんが健康・命にさしさわりがないようにしなければならないと強く感じます。

 そこで思うのは、本当に電力不足になるのか?ということです。日本の総電力消費がピーク時の6年前から減少しているといわれていますが、2007年のリーマン・ショック以降だということで、経済の低迷が要因になっていると思う。資源エネルギー庁の統計では、平成21年度(2009年度)の最終エネルギー消費は減少しているが、それ以前から減少しているのが見て取れる。それに54基ある原発の内、事故や点検中で19基だけしか動いていないので、原子力そのものもたいして活躍していない。だから他の火力発電等と合わせれば電力は足りるのではないか?なんてことを思うのです。

 それに原子力に頼らなくてもやっていけるのではないかと思うことです。そんな意味で、電力不足の大宣伝もどこか納得がいかないのです。この際原発ゼロを目指して、自然エネルギーを取り入れるべきだと思います。

 目的地まで行くのに、小田原城址公園の中を歩きました。緑が気温を1度は下げていると感じました。花菖蒲の後の土を整備している姿が見られました。暑いのにごくろうさまです。  あっそうそうハスはまだ蕾みです。