川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

嬉野で「3.11被災地との絆」展開催中

2011-06-30 22:04:21 | 日記

松阪市嬉野権現前町の嬉野社会福祉センター(嬉野振興局隣)で6月27日から「3.11被災地との絆~わたしたちにできること~」という催しが開催されています。

この催しは嬉野地区福祉会が中心となり、社会福祉協議会嬉野支所、嬉野地域振興局とともに主催して行われるもので、東日本大震災の被災地の様子や支援活動の様子を知ってもらい、命の大切さや、復興に向けて自分達のできることは何かを考えていこうとするものです。

 

会場では松阪市から被災地に派遣された人たちが撮った東日本大震災の写真や、嬉野管内の子どもたちからのメッセージが展示されています。

このメッセージは嬉野管内の小学校の6年生と中学校1年生320人の児童・生徒が東日本大震災の被災地の皆さんを励ますために書かれたもので、

「みんなで協力して一日でも早く復興できるようにがんばろう」

「一人じゃない みんながいるよ がんばろう」

「わたしたちはみなさんにできることを考えています。はなれているけど気持ちはいっしょです。」

「かがやく笑顔のある未来にむかって がんばってください。私たちは東北が大好きです」 

「みんなで生きよう 明日という未来に向かって」

「今は苦しいけれど 喜びあふれる日が絶対来るから 希望を持って進もう」

など子供らしい純真な言葉がつづられています。

 また会場には豊田小学校児童会が折った千羽鶴が飾られ、被災地に贈られます。

 

今回の大震災の被害の様子や被災者たちのインタビューなどを集約した約30分の震災記録が上映されます。このDVDはこの展示会が終われば希望者に貸し出されます。また防災に関するグッズの展示や、防災カルテの紹介などがあります

社会福祉協議会の備品として展示してある移動かまど、寸銅鍋、ガスコンロ、テント、投光機、スピーカー、などは自治会などの団体の防災訓練やキャンプなどに無料で貸し出されます。

この催しは7月3日まで開催されています。

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週刊誌の罪

2011-06-29 08:18:34 | 日記

私は日常、週刊誌はほとんど見ることはないのですが、昨日母を耳鼻科に連れて行き、待合室で久しぶりに週刊誌を見ました。その中に書かれていたのは、新聞広告の見出しで知っていた週刊新潮の高橋千秋外務副大臣の女性問題でした。

 

高橋外務副大臣は我が三重県出身の、大変真面目で政治力のある参議院議員です。先日ある催しで高橋議員にお会いしたとき当然この話がでて、本人は多くは語りませんでしたが、週刊誌に書かれている20代の女性というのは、実際は40代の女性で、外務省職員というのも間違いだということです。、書かれている内容もでたらめで、実際は女性の就職の話しをしていたということです。高橋さんは「自分はこれまで真面目に政治をやってきたのに、なんでこんな事を書かれるのだろう」と、かなりのショックを受けてみえる様子でした。

 

週刊誌の記事はあまり読んだことはないのですが、新聞広告の見出しでは、時の政権の総理や閣僚を過激な言葉で攻撃する内容が躍ります。これは今に始まったことではなく、ずっと前の自民党政権の時からです。もしかすると日本の政権が短命に終わるのに週刊誌が大きな役割を果たしているのではないかと思うことがあります。週刊誌もこういう記事を書かないと売れないのかもしれませんが、書かれる本人はたまりません。特に週刊新潮という週刊誌は、これまで私には堅実なイメージがありましたが、最近はこういう記事を書かないと売れないのでしょうか。

 

新聞社は新聞記事の内容には責任を持っています。そのためスクープを得たとしても、その裏付けをとってから記事にします。たまに新聞記事の内容に事実と異なることがあれば、謝罪文を載せたりすることになります。それだけに新聞記事には正確さが求められます。その辺が週刊誌と異なるところでしょう。

また新聞は一部のコンビニや駅売りもありますが、大部分は定期購読の読者です。一方週刊誌は一元さん相手の商売ですので、読者を引きつける過激な見出しや内容が必要になってくるのでしょうか。

 

私も高橋千秋さんは、彼が最初に参議院選に出られたときからの支持者の1人です。今回のことは超真面目な人であるがゆえ、厳しい試練ですが、さらに一回り大きくなるための「有名税」と割り切り、今後も日本のために頑張っていただきたい。議員の今後のご活躍をお祈りします。

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日本人は心の奥底に「してはいけないこと」を持っている-ドナルド・キーン

2011-06-28 07:50:37 | 日記

  

(ドナルド・キーン教授-ウィキペディアより引用)

 5月28日に松阪市中町の和田金で開催された松阪市体育協会(大西信行会長)の懇親会出席させてもらったことは、このブログで紹介させていただきましたが、その後大西会長から絵ハガキに書かれた丁寧な礼状をいただきました。懇親会当日のあいさつの中でも話しをされましたが、この礼状の中でも、アメリカ人で日本文学研究者のドナルド・キーン氏の話しが示されていました。また毎日新聞の同氏の特集記事のコピーもいただきました。

 

 ドナルド・ローレンス・キーン氏は1922年、アメリカニューヨーク生まれの現在89歳、2008年には文化勲章を受章、現在コロンビア大学の名誉教授です。18歳の時に源氏物語を読まれて感銘を受け、その後日本文学に陶酔して、松尾芭蕉の「奥の細道」も英訳されました。

 キーン氏は今回の東日本大震災のあと、『日本人は心の奥底に「してはいけないこと」を持っている』言われ、地震と津波で家族や家を無くした多くの人々が、泣き叫ぶこともなく、悲しみにこらえて復興に取り組む姿に感銘を受けたということです。これまでアメリカと日本の二重生活をされていましたが、この災害のあと日本に永住されることを決められました。

 

 私もキーン教授のことは今回初めて知りました。昨日27日から始まった松阪市議会の一般質問の中でも紹介させていただきました。松阪市体育協会の大西会長も、日本には剣道、柔道、拳法、空手等の武道があり、陸上競技や野球、ラグビーなどいろいろな競技にも哲学的で精神の修養も兼ねそなえており、若い人たちにスポーツの楽しさ、厳しさ、協調性、優しさを体得してほしいと述べられています。

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岡本町の浅間祭りと市政報告会開催

2011-06-26 16:15:58 | 日記

6月26日、松阪市岡本町の阿弥陀寺で市政報告会をさせていただきました。市政報告会は松尾地内の自治会や常会(自治会内の小字)単位で年1~2回程度開催させていただいておりますが、岡本町では今日の浅間祭りの日に毎年開催していただいており、今年が第6回です。

 

浅間祭りは私が住む西野町林地区でも今日行われますが、岡本町の浅間祭りは「松尾郷土誌百話」によると、以前は毎年6月30日に行われていました。最近ではこの日に近い日曜日に行われています。

青竹の枝を5本残し、先端に幣(へい)をつけたものを担いで法螺貝を拭きながら町内にある大日さん向かい、御神酒、洗米、塩を供えてお参りをします。終戦前までは子供も多く集まり、水雷という駄菓子などを配られました。当時は牛を飼っている人が先にお参りしたように思われるということですが、田植が終わった時期ですので牛への感謝の気持ちと、豊年祈願を合わせた行事であると言われています。

 

大日とは大日如来のことで、光明があまねく一切のところを照らす密教の根本教主で、宇宙の実相を霊化した仏格とされているということです。(よくわかりませんが)大日さんはすべてを照らす位置として岡本の集落の真ん中と、一番高い所(浅間山)に祭られたということです。幣をつけた青竹は最終的に山頂の大日(浅間山)に担ぎあげられます。

 

山頂の大日(浅間山)は高さ70センチほどの自然石で「大日」と彫られています。明治から大正の中ごろまでは御神酒とぜんざいが供えられていましたが、今は御神酒のみとなっています。このぜんざいは小豆を炊いて砂糖を入れた汁に小麦の団子を入れたもので、当時「赤蛙(あかがえる)」とよばれていました。

 

今日の市政報告は、今月に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に関連して、東海地方から四国の太平洋沖にある東海地震、東南海地震などの地震に対する対応などを中心に話しました。まちなか交流物産館のオープン、松坂城の国史跡指定、松阪ハイツの貸付など話しをし、質問も受けながら和やかに進めることができました。自治会の人たち約30人が熱心に話を聞いていただきました。

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松阪市議会6月議会一般質問

2011-06-23 06:52:39 | 日記

松阪市議会平成23年6月議会は6月21日から始まりました。一般質問は27日から3日間の日程で行われます。今回は19名の議員が質問席に立ち、50分の持ち時間を使い、思い思いのテーマで行政に質問をします。

 

質問の仕方は、最初に各項目の一回目の質問をまとめてして、理事者側がまとめて答弁をして、2回目からは一問一答方式で質問・答弁をする「総括方式」と、最初から一問一答で質問する「一問一答方式」、質問項目をいくつかのブロックに分け質問する「分割方式」があり、質問する議員が選択できます。

 

今回は東日本大震災を受けて、19人中11人が災害関係の質問をします。私は昨年の9月議会と11月議会を始めこれまで3回、東海地震、東南海地震などの大地震に対する対応について一般質問で取り上げてきましたが、今回は見送りました。

 

 一般質問の日程、質問者と質問内容は次のようです。

 

627()

1 松田 千代分  割

(1)東日本大震災後のボランティア受け入れを教訓とした松阪市の対策について

(2)成年後見制度について

 

2 中瀬古 初美総  括

(1)外国人児童・生徒の初期適応教室「いっぽ」について

 ①成果と現状、今後の展開

(2)公民館・文化施設の利用について

 

3 濱口 高志総  括

(1)防犯灯設置について

(2)公民館の洋式トイレ設置率について

(3)「自然エネルギー20%」についての市長の見解は

 

4 山本  節一問一答

(1)節電対策について

 ①公共施設照明類のLED化

(2)松阪モデルCSR構築について

(3)震災対策について

 ①避難所の機能強化について

 ②液状化対策

 ③農業用ため池対策

 ④被災者支援システム導入への進捗は

 

5 川口  保一問一答

(1)学校現場で起きている問題の対応について

 ①モンスターペアレントについて

 ②給食費の未納について

 

6 川口 寿美総  括

(1)防災対策の強化について

 ①災害時の業務継続計画(BCP)について

 ②女性の視点からの防災対策について

 

7 前川 幸敏一問一答

(1)参宮街道の路上喫煙禁止区域の要望書について

(2)事業系ごみの取り扱いについて

(3)こども医療費拡大について

(4)医学生の奨学資金の制度について

(5)電柱への避難看板について

(6)都市計画(線引き)について

 

629()

8 西村 友志総  括

(1)化石燃料にかわる新エネルギーの導入促進について

 ①住宅用太陽光発電(ソーラーパネル)に助成金を

 ②バイオガス化システムの導入について

 

9 堀端  脩一問一答

(1)危機管理体制を問う

 

10 久松 倫生分  割

(1)東日本大震災の教訓と地震・津波の想定見直しについて

(2)文化事業について

 ①松坂城跡 史跡測量の実施について

 ②宇田荻邨「魞(えり)」の保存、修理について

(3)「部落史」近現代編について

 

11 中村 良子一問一答

(1)松阪市の市民活動団体と公共スペースについて

 

12 植松 泰之一問一答

(1)自治基本条例について

 

13 水谷 晴夫一問一答

(1)中学校教科書採択について

 

630()

14 大平  勇総  括

(1)成年後見(市民後見人)制度について

(2)松阪市章と松阪市民歌について

(3)市民花火大会について

 

15 今井 一久一問一答

(1)東日本大震災の教訓と松阪市の防災体制について

 ①津波対策などについて

(2)原発問題とエネルギー対策について

 

16 山本 芳敬分  割

(1)これからの松阪市行政のあり方について

(2)松阪市地域防災計画について

 

17 小林 正司総  括

(1)東日本大震災を踏まえた防災・自然エネルギー対策等について

 ①浜岡原発の安全・危険性に対する認識について

 ②自然エネルギー源について

 ③松阪市地域防災計画の見直し等について

 ④東日本大震災における職員給与削減について

(2)全市的な公共施設マネジメント導入について

(3)自転車の安全走行について

 

18 野呂 一男総  括

(1)市民病院の「医師・看護師」不足について

 ①平成18年度からの医師・看護師不足の状況、また、退職理由について

 ②市民病院の魅力とは

 ③院内保育施設の設置について

(2)地震対策について

 ①東日本大震災以降の「マニュアル」の見直しについて

 ②早急な避難場所等の見直しについて

 ③市民への「避難場所の周知看板」の設置、自治会へ指導について

 

19 海住 恒幸分  割

(1)松阪市としての震災「想定」

(2)後期高齢者医療保険の被保険者となる市民への周知方法について

(3)住民協議会と地域振興拠点について

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松阪の地名を訪ねて(11)~「軟弱地盤・湿地を表す地名」~

2011-06-20 20:55:17 | 日記

(写真は曽原新田付近)

松阪市内の地名の由来を訪ねています。今回は軟弱地盤・湿地を表す地名です。

松阪市内の地形を明治維新の時代までさかのぼると、海岸地帯にも、平野部にも、山間部にも、葦が生えているような湿地がいたるところにあったと思われます。今はそれらの湿地が整備され田畑になったり、住宅地になっており、当時の面影はありません。しかしそこに地名が残っていれば、当時の様子を想像することができるのです。

 

軟弱地盤や湿地を表す地名には次のようなものがあります。( )は当て字です

 湿地を表す「ウダ・ぬ(沼)」。特に水気の多い湿地を表す「ふけ(泓・沮沢)・ふご・くご」。山間地の湿地を表す「やち(谷地・萢)」、「やつ(谷津)」。山中の湿地を表すものや水田化されたものに「ぬた(岱)」、「にた(仁田、似田)」、「むた・むだ(牟田・無田)」があります。開墾して水田にした湿地は「クテ・クデ(湫)」で表し、湿地を新たに開墾して水田にしたものに「しんでん・しんかい(新田・新開・新改)」で表します。

 

津市(旧美杉村)の「八知」は山間地の湿地を表す「谷地(やち)」から付いた地名と思われ、多気町の「仁田」は山間の湿地を水田化したところと思われます。長久手の戦いのあった愛知県「長久手」も湿地を表す地名で、当時は「長湫」と表記されていました。また福岡県の「大牟田」も水田化された湿地です。

 

 松阪市内の湿地を由来とする地名では『矢津町』があります。これは山間地の湿地を表す「谷津」から変化したものと考えられます。また『新開町』も湿地を開墾して水田にして付いた地名と思われます。

また町名ではありませんが、「新田」の付く地名も多くあります。新田は湿地を新たに水田にしたところで、海岸沿いに多い地名ですが、高須町の「浦新田」や三雲地区の「曽原新田」「中道新田」「喜多村新田」「小津新田」はいずれも海岸沿いにある地名です。また平野部では大黒田町、小阿坂町、嬉野田村町にも「新田」と付く地名があり、山間地では飯南町粥見にも「大溝新田」があります。

以上の湿地に関係する地名の場所に立てば、今は水田や住宅地になっていても、当時の面影を偲ぶことができます。

 

以上の地名の由来は個人的な見解で述べています。歴史的にみておかしいところがあればご指摘下さい。

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佐賀のがばいばあちゃん-島田洋七講演会

2011-06-19 22:42:13 | 日記

1980年代の漫才ブームの先駆者でタレントの島田洋七講演会「生きる力を育む ~がばいばあちゃん~」が6月19日、松阪市川井町の松阪市民文化会館でありました。この催しは連合三重松阪多気地域協議会(大津未来生 議長)の結成20周年記念事業として行われました。私も入場券をいただき、聴講させていただきました。

 

島田洋七は漫才コンビB&Bとして1980年代の漫才ブームの火付け役で、「もみじまんじゅう」のギャグは一世を風靡しました。その後何度かの浮き沈みの中で、子どもの時一緒にすごした佐賀のおばあちゃんの話をつづった著書「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズがヒットして講演にひっぱりだこの状態です。同シリーズは40冊にのぼり、海外も含めると1200万部が売れました。講演も今回で4307ケ所になり、年に200ヶ所くらいで、多い時には300ケ所くらいこなすということです。この「がばいばあちゃん」はテレビドラマや映画にもなりました。

 

貧しい時代に広島の実家から遠く佐賀のおばあちゃんの家にあずけられた洋七は、貧しいながらも底抜けに明るいおばあちゃんのもとで元気に育っていきます。講演ではおばあちゃんとのやり取りがおもしろく語られました。

学校から帰って「おばあちゃん お腹すいた」「そりゃ気のせいや」。夜中の11時ごろ「おばあちゃん お腹すいた」「そりゃ夢や」。朝起きて「おばあちゃん 朝飯は」「きのう食べたやないか」。

「おばあちゃんは なんで前向きに生きてるの」「後ろ向きには歩きにくい」。おかずが買えないので食事はご飯だけ「さあ何からでも食べな」。「おばあちゃん ここ3日くらいご飯ばかりやんか」「明日になったら ご飯もないよ」。「おばあちゃん 僕熱あるよ」「だまっとったらさめる」「38度あるよ」「お前は40度まで大丈夫や」。「おばあちゃん 僕漢字おぼえられへん」「お前はひらがなとカタカナで生きていき」

 

頭がいいからよい人生が送れるとはかぎらない、あほでも世の中生きていける。うちは家族中あほや。1時間30分の講演中会場は笑いの渦に包まれました。久しぶりに理屈なしでおもしろい講演会でした。

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松阪の地名を訪ねて(10)~「地すべり地に付く」地名~

2011-06-18 21:57:49 | 日記

松阪市内の地名の由来を訪ねています。今回は地すべり地に関する地名です。地すべりは当然山間地に起こる現象です。飯高地区の地形を見ていると、明らかにここは地すべり跡地であると思われるところがあります。地すべり跡地は地形からもわかりますが、地名からもわかります。

 

地すべり地に付く地名には次のようなものがあります。( )内は日本に実際にある地名です。

地すべりや崩壊現象を表すものに「抜け」「のけ」「くえ」「ざれ」などが付く地名があります。また地すべり地そのものを表すものに「崩れ(大崩・崩沢)」、「抜け(抜間・抜田)」、「すべり(すべり沢)」、「ずり・ぞうり(蔵里・曽利)」、「欠け(欠けの上)」、「押し(押出・押堀)」、「落ち(落合・落畑)」、「切れ(切通・奈切)」、「割れ(立割)」、「巻き(袖巻・埋巻)」、「飛び(飛山・飛土)」、などがあります。

 

地すべりの結果生じた地形を表すものに「成(成田・大鳴)」、「平(梨平)」、「窪(水窪・大久保)」、「段(段地・段)」などがあります。

地すべり地の地質を表したものに「岩(岩平)」、「石(大石沢・石原)」、「土(土路沢・」があり、地すべりによる荒廃状況を表すものに「地獄(地獄谷・地獄沢)」があります。また地すべり地の田の状態を表したものに「赤田・青田」地盤が動いて地下水が濁った様子を表すものに「赤池」などがあります。

 

松阪市内の地名とこれらの地すべり地に付く地名と照らし合わせると、町名では『飯高町落方』がこれに当てはまります。「落ち」の付く地名は普通「落合」が使われます。落合は「松阪の地名を訪ねて(4)~川に関係する地名~』で示したように川の合流地点に付く地名でもありますが、地すべり地にも付く地名です。落方も地形的に地すべり地に付く地名と思われます。 

 

石の付く地名としては『大石町』があります。ここは巨石・奇岩が多いことからこの地名が付けられたということです。この大石町に矢下(やおろし)という地名があります。嬉野にも矢下町があります。この地名はもしかすると矢のように下る土石流を表す地名かもしれません。

 

以前の職場にいた時、飯高町森から飯高町粟野にかけての「蓮峡線」の地質調査をしたことがあります。この時「欠け山」という小字名がありました。この周辺の地形を調査したところ飯高町森の深野地区に地すべり跡地と思われる地形がありました。飯高町加波には「大崩谷」という谷があります。ここではかつて地すべりか土石流が発生したことがあると思われます。

 

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松阪市老人クラブ大会に来賓で出席

2011-06-17 23:31:43 | 日記

6月17日、松阪市川井町の松阪市民文化会館で「平成23年度松阪市老人クラブ大会・芸能大会」があり、環境福祉委員長として来賓で出席させていただきました。この催しは松阪市老人クラブ連合会(会員約1万人 上田増夫会長)主催するもので、同会で一番大きな行事ということです。

 

この日は君が代斉唱、物故者に対する黙とうがあり、そのあと上田会長があいさつの中で、定年までが第1の人生で、その後は第2の人生です。第2の人生を楽しんで下さい。老人会のメリットは向こうからやって来るものでなく、歩いて探しにいくものです。老人会の目標は健康・友愛・奉仕で健康の維持が一番の社会奉仕であると述べられた。表彰並びに感謝状贈呈では優良クラブや多年勤続役員、退任役員に上田会長から表彰状や感謝状が贈呈されました。

また来賓として出席した山中市長、田中力議長、中西県議が祝辞をのべられ、私たち来賓が紹介されました。

 

午後の部の芸能大会では会員による踊り、大正琴の演奏、コーラスなどが披露され、この日来場した約1000人の参加者は1日を楽しみました。

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中日岩瀬投手287セーブの日本新記録達成

2011-06-16 22:40:04 | 日記

中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手が6月16日に行われた対福岡ソフトバンクフォークス戦で元ヤクルトの高津臣吾投手が持つ286セーブを抜いて日本新記録の287セーブを達成しました。物心が付いたときからのドラゴンズファンの私にはうれしい出来事です。

 

岩瀬投手は1998年、社会人NTT東海からドラフト2位でドラゴンズに入団、初登板は星野監督時代の1999年の開幕戦の対広島東洋カープ戦で、3連続安打を許して1死も取れずに降板したということです。その後中継ぎとして活躍しましたが、いい中継ぎ投手が出てきたなあという印象が記憶に残っています。当時ドラゴンズにはいい抑え投手がいたので、中継ぎで何年か登板していましたが、初めから抑えであれば、もっと記録が伸びていたはずです。ちょうど今の浅尾拓也投手のような立場でした。

 

 岩瀬投手は、同じ抑えでも元横浜の大魔神・佐々木主浩投手のように豪快でもなく、阪神の藤川球児投手のようにエネルギッシュでもなく、一見なんとなく頼りなさそうな風貌ですが、球界屈指の魔球スライダーとストレートで記録を積み重ねてきました。野球人生のほとんどを中継ぎと抑えで過ごしてきましたが、入団2年目の2000年10月8日の対広島カープ線一度だけ先発をしたことがあるそうです。このときは7回7安打1失点で勝利投手となっています。

 

入団以来12年連続50試合以上登板、2005年から6年連続30セーブ以上を記録し、昨年には通算250セーブを達成して、佐々木主浩・高津臣吾に次いで3人目の救援投手として名球会入りを果たしました。

今年のペナントレースは我が中日ドラゴンズも岩瀬投手も絶不調からのスタートでしたが、ここにきてドラゴンズも岩瀬投手もようやく調子が出てきました。今後が楽しみです。

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平成23年6月議会6月21日より始まる

2011-06-14 23:53:33 | 日記

松阪市議会の平成23年6月議会が6月21日より始まります。7月7日まで次のような日程で17日間の会期で行われます。

 

6月21日(火) 本会議(議案上程・提案説明)

6月22日(水) 休会

6月23日(木) 休会

6月24日(金) 本会議(議案質疑・委員会付託)

6月25日(土) 休会

6月26日(日) 休会

6月27日(月) 本会議(一般質問)

6月28日(火) 休会

6月29日(水) 本会議(一般質問)

6月30日(木) 本会議(一般質問)

7月 1日(金) 常任委員会(環境福祉委員会・文教経済委員会)

7月 2日(土) 休会

7月 3日(日) 休会

7月 4日(月) 常任委員会(総務生活委員会・建設水道委員会)

7月 5日(火) 休会

7月 6日(水) 休会

7月 7日(木) 本会議(委員長報告・議決)

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歴史民俗資料館「伊勢白粉ものがたり展」始まる

2011-06-12 21:16:27 | 日記

松阪市殿町の松阪公園内にある松阪市歴史民俗資料館で企画展「江戸のコスメティック ~伊勢白粉ものがたり~」展が6月11日から始まりました。

勢和村(現多気町)の丹生では昔から全国一といわれる量の水銀が産出し、松阪の射和地区ではこの水銀を使って白粉をつくり、これらを扱った商人が大きな富を得て、多くのが江戸に進出しました。松阪商人のルーツは射和の軽粉、丹生の水銀までさかのぼると言われています。

 

丹生水銀の歴史は古く、『続日本書紀』に文武天皇の2年(698)と和銅6年(713)に伊勢国から朝廷に水銀を献上したことが記されており、水銀は仏像や仏具などに金を塗って仕上げるときに必要なもので、奈良時代の東大寺大仏殿建立には、丹生の水銀が2tも使われたということです。また鎌倉時代の初めの東大寺大仏再建の時にも2万両もの丹生の水銀が使われました。平安時代になると、丹生には取引や採掘のため各地から商人や鉱夫が集まり「丹生千軒」と呼ばれる町ができました。これほど盛んだった丹生水銀の採掘も次第に鉱脈がなくなり、江戸時代には衰えてしまいました。旧勢和村丹生には水銀の廃坑が今も10余り残っているということです。

 

 日本で白粉がつくられたのは飛鳥時代で、692年に唐から渡り奈良元興寺の住職となった観成が、唐の製法で白粉をつくり持統天皇に献上したとあります。伊勢国射和で白粉の生産が始まったのは享徳2年(1453)で、当初は京都の公家への贈りものでした。室町時代の後半から伊勢参りのみやげものとして重宝されました。最盛期には83窯の業者ができて活況しました。しかし江戸時代には丹生の水銀鉱が枯渇し、中国などから原料を輸入して製造が続けられていましたが、昭和28年全ての軽粉窯が廃業し、500年にわたる射和軽粉の歴史が終わりました。

 

この企画展では丹生の水銀の歴史や射和での伊勢白粉の歴史、また水銀採掘の道具や水銀製造の道具、白粉のパッケージなど射和の萬部家に伝わる資料や、同館所有の資料が展示されています。この催しは9月25日まで開催されています。

 

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飯南で震災復興支援コンサート開催される

2011-06-11 23:31:58 | 日記

「地域の力を東北へ」というテーマで「震災復興支援コンサート」が、6月11日飯南町横野の飯南産業文化センターで開催されました。このコンサートは3月11日に起きた東北大震災の被災地に将来に向けて、夢や希望が届けるように願いを込めて、NPO法人「ふる里のゆめつなぎ(樋口喜一郎代表)」が主催し、松阪市教育委員会、夕刊三重新聞社、中日新聞社が後援して行われました。

 

 コンサートの前に、岩手県大船渡市出身で現在多気町にお住まいの野呂由彦さんが、4月初めに大船渡市で撮った災害の写真が映されました。野呂さんはちょうど私の隣に座られて、いろいろ話を聞かせていただきました。

コンサートは3組のバンドが出場しました。1組目は父親と自閉症の息子さんとのコンビ「RAMO」で、これまで6年間音楽活動を続けられてきたということですが、二人のとぼけた掛け合いが何とも言えない味がありました。2組目はソロ演奏の「イケヤマアツシ」でギターの音色が素敵でした。3組目はオリジナル制作にこだわる2人組の「Yellow Soul」で、いろいろな楽器を演奏しながらのライブでした。

 

この日会場には地元飯南地区をはじめ市内各地から340人(主催者の方にお聞きしました)の来場者があり、生バンドの演奏やトークを堪能しました。この日集められた募金やコンサートの収益金、CDの販売収益は松阪市を通じて全て東北大震災の被災地に届けられます。

(写真は記録係の方に撮影していただきました)

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嬉野で「3.11被災地との絆」展開催

2011-06-09 21:02:57 | 日記

(「3.11被災地との絆展」が行われる嬉野社会福祉センター)

来る6月27日から松阪市嬉野権現前町の嬉野社会福祉センター(嬉野振興局隣)で「3.11被災地との絆~わたしたちにできること~」という催しが開催されます。

この催しは嬉野地区福祉会が中心となり、社会福祉協議会嬉野支所、嬉野地域振興局とともに主催して行われるもので、東日本大震災の被災地の様子や支援活動の様子を知ってもらい、命の大切さや、復興に向けて自分達のできることは何かを考えていこうとするものです。

 

会場では東日本大震災写真や嬉野管内の子どもたちからのメッセージが展示され、石巻市の震災記録が上映されます。また防災に関するグッズの展示や、防災カルテの紹介などがあります。関連事業としては災害時の高齢者の基礎知識に関する講演会や、被災地で支援活動に参加した消防署員からの報告会もあります。詳しい内容は次の通りです。

 

と き 6月27日(月)~7月3日(日)

     午前9時~午後5時(最終日は午後3時まで)

ところ 嬉野社会福祉センター(松阪市嬉野地区振興局となり)

     松阪市嬉野権現前町423-9 ℡0598-42-2717

主 催 嬉野地区福祉会・社会福祉協議会嬉野支所・嬉野地域振興局

 

内 容

○東日本大震災写真展(現状と支援活動)

  80枚の写真が展示されます。

○子どもたちからのメッセージ

  嬉野管内の小学6年生、中学1年生から募集した300点の子どもたちの熱い思いが

展示されます。

○防災グッズの展示(防災用資器材、家庭の備蓄品など)

○石巻地方の震災記録の上映

○緊急時に役立つ「嬉野地域防災カルテ」の紹介など

 

関連事業

○講演会

 6月28日(火) 午後6時30分~9時

演題 『災害時の高齢者の心』 災害時の高齢者の基礎知識

講師 カウンセリングオフィスひぃりんぐ工房とぽす臨床心理士 西野 敏夫先生

 

 ○被災地現地報告会

  7月1日(金) 午後6時~7時30分

  『東日本大震災被災地支援活動に参加して』

   ・松阪地域広域消防組合

   ・松阪市ボランティアセンター

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国歌“君が代”をめぐる2つの動き(2)

2011-06-06 21:45:32 | 日記

今回の最高裁判決は、卒業式などの国歌斉唱時に起立しなかった教員をめぐる裁判に判断を示したものです。

卒業式は(入学式もそうですが)卒業生にとって思い出に残る行事です。主人公の卒業生を始め、在校生、卒業生の保護者、来賓、そして教職員が出席して行われる学校行事の中でも最大級の行事です。式のプログラムには、どのようなかたちで卒業生が入場し、どのようなかたちで卒業証書を授与するか。いつ校長が式辞を述べ、どの来賓が祝辞を述べるか。ここで卒業生が起立し、ここでは卒業生・在校生が起立し、ここでは全員が起立するなど細かく定められて式が進行します。主催者側の教職員がこの式の流れに反する行動を取ることは、最高裁判決を受けるまでもなく、おかしな事です。卒業生を始め、他の出席者に失礼です。

日本中で開催されているいろいろな催しなどで、主催者側の者がプログラムの流れに反する行動をとるということは、あまりないでしょう。

 

今回の判決の補足意見の中で裁判官は『思想、良心の重みに照らし、命令に踏み切る前に、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮が望まれる』としており、起立斉唱を命ずる側にも配慮を求めています。また『国旗国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何より重要である』とも述べています。

教職員の思想・良心の自由は尊重するとして、一番の心配は子どもたちへの影響です。小学校へ入学して子どもたちは初めて国歌「君が代」に出会うはずです。それが中学校卒業時に校歌は大きな声で歌うが、国家は歌わない生徒となって卒業していくのです。

 

日本がこれまで歩んできた戦争などの歴史の中で、国歌「君が代」や国旗「日の丸」に対する日本国民の思いは様々で、その認識の違いには奥深いものがあるのはたしかです。国歌や国旗のもとに国民がひとつになれない。これは日本が抱える大きな不幸ではないかと思います。世界の中でも日本人ほど国歌、国旗に対する敬愛の念がない国民は、他に例をみないのではないかと思います。

よく外国では、他国を批判するデモや暴動などで、その国の国旗を焼いたりすることがあり、反日デモでも日の丸が焼かれたりします。これはその国に対する最大の侮辱ですが、これらの行為に対する日本人の怒りの程度は低いのではないのでしょうか。

国旗、国歌のもとで国民がひとつになれない国をつくってきた、これまでの“大人たち”にも責任があります。このまま日本は何を目指して、どこを目指して進んで行くのでしょうか。今回の最高裁判決は一つのかたちを示したに過ぎません。

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