川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

よいお年をお迎え下さい

2012-12-31 21:18:01 | 日記
 一昨日は暖かい日で、昨日は一日中雨、そして今日は天気は回復したが大変寒い大晦日となりました。国内外でいろいろな出来事のあった平成24年が終わろうとしています。今年も私のブログにお付き合いを下さいましてありがとうございました。

 私のブログは日記というより、情報発信の場という認識で書いています。市政の動きや、松阪市内の出来事、祭りや催し、歴史、名勝、名所旧跡などインターネットで検索されたときに出てきやすいように書いています。時々コメントを頂きます。大変嬉しく思っています。
 この1年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。ではよいお年をお迎え下さい。
            
       平成24年12月31日            
                             松阪市議会議員   川口 保
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いろいろあった平成24年

2012-12-30 16:06:04 | 日記
 いろいろあった平成24年も終わろうとしている。ロンドンオリンピックの日本人選手の活躍や、山中教授のノーベル賞の受賞などの嬉しいニュースもあったが、なかなか進まない東日本大震災の復興や長引く不況も続いている。
 12月に行われた衆議院議員選挙では自民党が大勝して3年3ヶ月ぶりに政権を奪還した。初めて選挙により政権の座についた民主党は、予想をはるかに上回る大敗で野に下った。

 前々回の小泉郵政選挙での自民党の圧勝、前回の民主党の圧勝、そして今回の自民党の圧勝。政権交代が可能な選挙制度として導入された小選挙区制ではあるが、有権者の心は風に揺れる暖簾のように、右に左にたなびく。そしてその風は候補者の人格や政治的手腕をも、簡単に吹き飛ばしてしまう、強力な逆風ともなった。

 三重4区の小選挙区でも森本哲生さんが落選した。彼の人格は誰もが認めるところ。与党時代に見せた彼の政治的力量も大きかった。しかし森本さんをもってしても、この逆風に立ち向かうことができなかった。彼の落選は三重4区にとっても、日本の政治にとっても残念なことと思うが、政治家は選挙の結果が全てある。
 新しく発足した安倍政権で、三重4区選出の田村代議士が厚生労働大臣に就任された。田村大臣に期待したい。

 松阪市では山中市長の今任期があと1ヶ月となった。来年1月の市長選挙では新人候補として名乗りを挙げている竹上前県議との一騎打ちとなりそうな状況である。かねてより選挙運動はしないと公言している山中市長がどのような選挙をするのか注目される。いずれにしてもあと1ヶ月で結果が出る。
 いろいろあった平成24年もまもなく終わろうとしている。

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松阪市議会平成24年5大ニュース

2012-12-25 07:37:47 | 日記
12月14日に松阪市議会の平成24年11月議会が終わり、今年の定例議会は終了しました。この1年、松阪市議会の中でいろいろな事がありましたが、今年も例年のように松阪市議会の5大ニュースを独断で選定しました。

◆マニフェスト条例など3つの条例案が否決(3月)
 24年2月議会は3月13日、平成24年度予算などの議案の採決があり、山中市長の肝いりで上程されていたマニフェスト条例など3つの条例案が、いずれも賛成少数で否決されました。
 この議案は次の3案で28人の議員(議長及び1名の欠席を議員除く)で議決された結果は次の通りです。
「議案第14号 松阪市市民まちづくり基本条例の制定について」は賛成9×反対19
「議案第15号 松阪市住民投票条例の制定について」は賛成9×反対19
「議案第16号 松阪市政に係るマニフェスト作成の支援に関する条例の制定について」は賛成4×反対24 のいずれも大差で否決されました。
 本会議での否決を受けて山中市長は「再議」の申し入れを行いましたが、再議は可決された議案に用いられるもので、市議会では議会運営委員会を開催して市長の申し入れを棄却しました。

◆議会改革で市民説明会開催(7月)
 議会基本条例(素案)の説明会が、7月23日嬉野生涯学習センターで、同25日松阪市産業振興センターで、また同27日飯高老人福祉センターで開催されました。これにあわせて議会基本条例(素案)に対して市民の声を聞く、パブリックコメントが7月2日から7月31日まで行われました。
 また9月1日、議会改革フォーラムが松阪市産業振興センターで開催されました。

◆中森弘幸議長、大平勇副議長誕生(8月臨時議会)
 8月20日、21日の2日間、松阪市議会8月臨時議会が行われ、役員選挙の結果、新議長に中森弘幸議員(真政クラブ)が、副議長には大平勇議員(真政クラブ)が選任されました。
また議会選出の監査委員には永作邦夫議員(市民民主クラブ)が選任されました。

◆議会基本条例が施行(11月)
 松阪市議会基本条例が、11月1日から施行されました。
 この条例は平成22年2月に発足した議員全員で構成する松阪市議会改革委員会と、各会派の代表で構成する作業部会で、条例案作成に向けて議論が進められてきました。今年の9月議会で賛成多数で可決され、11月から施行されました。

◆競輪会計の多額の赤字補正で議論呼ぶ(11月~12月)
 松阪市議会平成24年11月議会で、競輪事業の多額の赤字が議論を呼びました。
平成24年度の赤字見込み額が約7億8000万円と多額になり、松阪競輪開設以来初めて、赤字補填のために一般会計からの競輪会計への繰り入れ約4億6000万円が議会に上程されました。激しい議論を呼びましたが、最終的に承認されました。
 また競輪会計では経営改善業務を民間に委託するための経費、3ヵ年の予算を約束する債務負担行為2億1000万円(7000万円×3ヵ年)が上程されましたが、行政側がが独断で進められてきたことや、多額の税金をつぎ込んで民間委託しても結果の補償がないこと、また25年1月の市長選が終わってからでもいいのではないか等激しい議論を呼び、民間委託関係の予算を除く修正案が可決されました。
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サンタクロースって本当にいるのですか

2012-12-22 10:03:08 | 日記
 クリスマス。
 子どもたちには夢を与え、恋人たちは楽しいひと時過ごし、年配の人たちにも懐かしい思い出を呼び起こします。キリスト教の行事でありながら、仏教徒の多い日本でも古くから慣れ親しんだ年中行事です。そしてこのクリスマスに登場するサンタクロースも子どもたちに贈り物を届ける重要な役割を果たします。
 いつもこの時期に、このブログで紹介しているクリスマス、そしてサンタクロースにまつわる話を2つ、もう一度届けます。

サンタクロースって本当にいるのですか(1)
 1897年、アメリカのニューヨーク・サン紙に8才の少女バージニアから一通の投書が届きました。その中には「サンタクロースって本当にいるのですか」と書かれていました。同紙では社説で少女の質問に答えました。

 『この世の中に、愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。この世界で一番大切なこと、それは子供の目にも、大人の目にも、見えないものなのですから。』夢と愛情をもらった少女バージニアは大きくなって先生になり、長期入院の子供たちの学校の副校長になりました。
 ニューヨーク・サン紙では毎年12月24日にはこの社説を載せたということです。

 この話は今から一世紀も前の出来事です。社説は新聞社にとって自社の主張を載せる大事な紙面です。その社説を使って8才の少女の質問に真摯に答えた新聞社の姿勢が今も人々の心を打つのでしょう。そして夢や愛がどれだけ大切であるかを教えてくれる話しです。

サンタクロースって本当にいるのですか(2)
 この話しもこのブログで紹介しているクリスマス、そしてサンタクロースにまつわる話です。

 アメリカのソルトレークシティー。2002に冬季オリンピックが行われた都市です。この町には、市の上空を飛ぶ小型機の高度は600m以上と定めた条例がありました。ただしこの条例には、『クリスマスイブに限り、プレゼントを配るため家々の上を飛び交うサンタクロースとトナカイは例外とする』という条項がありました。

 市航空局ではこの特別条項の削除を求める修正案を市議会に提出しました。ところが「サンタクロースを信じる子どもがいるのに」と反論が殺到したそうです。投票の結果この例外条項は残りました。このとき一人の市議会議員は「人生も政治もたまには多少の遊び心を持つことが大切だ」と語ったそうです。

 政治は厳格でなくてはなりません。しかし何もかも四角四面では息が詰まりそうです。遊び心は政治の中に人間味を吹き込んでくれます。ソルトレークシティーのこの特別条項は考えてみれば実にばかばかしいことです。しかしこのばかばかしいことに人々の心の余裕や暖かさを感じます。
 今年もまもなくクリスマスがやってきます。ソルトレークシティーでだけではなく、世界中の夜空をサンタクロースやトナカイが駆けめぐり、子どもたちに夢や愛を届けることでしょう。
 皆様いいクリスマスをお過ごし下さい。
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フィジーへの救急隊指導派遣の報告受ける

2012-12-18 08:32:55 | 日記
                     (フィジーでの救急訓練の様子)

 救急隊の指導のためフィジー共和国に派遣されていた松阪広域消防の2隊員がこのほど帰国して、12月17日に松阪広域消防組合議長として報告を受けました。

 フィジー共和国はオセアニアのオーストラリアの東側にある人口80万人の国で、これまで救急隊はなく、JICA(独立行政法人国際協力機構)の協力事業の1つとして、松阪広域消防が指導してきました。平成15年から平成20年までフィジーの消防隊員を受け入れ指導してきました。また平成18年から平成24年までは松阪広域消防の隊員をフィジーに派遣して、現地で指導してきました。同共和国では松阪消防の指導で救急隊が編成され、救急車も配備されつつあります。この派遣は現地で指導者要請のためのもので、現地語の指導書も作りました。

 今年の隊員の派遣では、勢和分署の岡山雅史隊員と前田大樹隊員の二人が11月11日から派遣されており、フィジーの首都スブァなどで心肺蘇生術や、安全かつ迅速な搬送・感染防止対策など指導しました。2隊員は12月14日、34日間の任務を終えて帰国し、広域消防組合の議長である私に報告をいただきました。
 今年でフィジーへの派遣が終わり、次に別な国に変わるということです。
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衆議院議員選挙終わる

2012-12-17 10:25:46 | 日記
 それでなくてもせわしない12月、降って湧いたような衆議院議員選挙がさらにせわしなさを倍加した。3年3ヶ月の民主党政権を問われる選挙であったが、予想通りと言うか、予想をはるかに上回る民主党の大敗と、自民党の大勝で終わった。

 選挙のために離合集散を繰り返していた第三極と呼ばれる新しい勢力の乱立が、この選挙では注目された。国民の耳障りのいいことを訴えていてもなかなか支持率が上がらなく、最後は市長や知事だのみだったのも、国会議員として情け無かった。結局乱立した第三極と言われた新しい政党では日本維新の会が予想通り躍進した。

 第三極では小沢一郎氏が実質的に率いる日本未来の党も戦前の予想通り大敗した。自民党をスタートにいくつもの政党を作っては壊し、渡り歩いてきた小沢氏、この数ヶ月でも民主党を離党してから新党「国民の生活が第一」を作り、自身が働きかけてできたという「日本未来の党」に合流した。日本の政治家の中でも所属した政党の数ではギネスブック級である。彼はいつも動きすぎて失敗してきた。そしてこの敗戦で小沢の時代は終わったと言われている。

 3年余ぶりに復活した自民党政治が注目される。首班指名を受けるであろう安倍氏が、右より路線を進めて行くのか、どのような国の舵取りをするのか興味深い。そしてかろうじて野党第一党を保った民主党が、政権経験政党として、どのような野党ぶりを示すか、また首班指名で橋下徹氏と石原代表の間で早くも意見の違いが出ている日本維新の会が、どのような党運営をし、国の政治に関わっていくか注目される。

 衆議院選挙が終わり、次は約1ヶ月後に行われる松阪市長選挙に市民の注目が集まる。新人の元県議の竹上真人氏と現職の山中市長との一騎打ちになりそうだ。
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岡本の火祭り開催される

2012-12-16 00:01:56 | 日記
       
      (大火を中心に大勢の人々が集まった)     (松明が広場の周囲を廻る) 
 
 松阪市岡本町に昔から古くから伝わる「岡本の火祭り」が12月15日の夜、同町の明神社跡の山の山頂で行われました。この祭りは堀坂山に住みついた大蛇がこの村に出没し村人に危害を加えたとき、村人が松明を焚いて大蛇を退治したとの言い伝えから行われています。
 この祭りの日はこれまで雨が降った事がないと言われていましたが、この日は朝から雨が降り、天候が心配されましたが、何とか持ちこたえ、開催することができました。
 私も毎年この祭りを見せて頂いていますが、この日は竹上元県議の育子夫人や松尾連合自治会長の垣本長生夫妻も初めて訪れ、祭りを楽しんでみえました。

 岡本町は堀坂山から山続きになっており、この大蛇は尾根伝いに岡本に現れて村人を呑んだり、危害を加えたりしていた。このとき村人の老人の夢枕に神のお告げがあり「大蛇を退治するには村人全員が松明を焚いて、一斉に大蛇にめがけて投げつければ大蛇は間違いなく退治できる」と告げられた。老人はこのことを村人に伝え、村人全員で実行したところ大蛇を退治できた。そこで村人は大蛇を退治できた陰暦11月1日(現在では太陽暦12月15火)に火祭が行われるようになりました。

 午後7時ごろ山頂の広場の中央に積まれた薪に火がつけられ、神前にお神酒と各家から持ち寄った薄くのばし直径30cmもある餅を供え、お神酒を酌み交わします。この餅が来場者にまかれ、祭りは最高潮に達します。祭りの最後は「むかしのしんまい たつがしんまい おーとこやーまの みーねがとやまの すりはーしや すりはーしや」という音頭とともに太鼓が鳴らされ、火のついた松明をもった地区の人たちが広場の周囲三回回り、最後は大蛇に見立てた中央の大火に松明が投げ込まれます。

 この祭りは戦時中昼間行われたことはあっても中断されることなく続けられてきましたが、明治の中期頃一度中断された年がありました。するとこの年に岡本で火災が発生し、「これは家を焼いて火祭りの代わりにされたのだ」と恐れ、火祭りを再開することになり、その後は中断されることなく続けられています。岡本町ではその後この火事以外の火事は記録がないと言われています。
 
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松阪競輪の行方

2012-12-14 08:05:17 | 日記
 松阪市議会11月議会で、競輪事業の赤字補填のための一般会計から4億6530万円の繰り入れと、競輪事業会計から経営改善業務を民間に委託するための2億1000万円の債務負担行為(年度をまたいで金額を約束する予算)を含む予算案が示され、議論を呼びました。

1)松阪競輪の誕生
 日本の競輪の歴史は、戦後間もない昭和23年(1948)自転車競技法をGHQが認可し、同年6月に衆議院、同7月に参議院で可決され、11月からスタートしました。各地で競輪場の開設が相次ぎ、松阪競輪は昭和25年(1950)5月に開設しました。この年だけでも全国で37の競輪場が開設し、その後も新規開設が続いていました。しかし昭和28年(1953)の63番目の静岡競輪を最後に新規開設はなくなり、反対に閉鎖する競輪場が増えてきました。現在残っているのは44場です

2)松阪競輪の歴史
 松阪競輪は開設以来、市民の数少ない娯楽として親しまれ、繁栄してきました。これまでに一般会計へ155億円を繰り入れてきましたが、娯楽の多様化などにより、人気は下降傾向が続いています。そして平成14年に1億円を一般会計に繰り入れたのを最後に繰り入れがなくなり、その後も利益があがっていましたが、競輪会計の財政調整基金への積み立てなどとしてきました。
 平成21年からは赤字に転じて、財政調整期金を切り崩しながら財政運営がなされてきました。平成21年度から23年度の赤字は約1億~1億6千万円に対して、24年度の赤字見込み額が7億8587万円となりました。

3)11月議会での審議
 平成24年度の赤字見込みが多額になったため、これまでのように競輪会計の繰越金や財政調整基金で穴埋めができずに、松阪競輪開設以来初めて、赤字補填のために一般会計からの競輪会計への繰り入れ4億6530万円が、11月議会で上程されました。また競輪会計では経営改善業務を民間に委託するための経費、3ヵ年の債務負担行為として、2億1000万円(7000万円×3ヵ年)を上程されました。

 競輪会計の担当委員会の文教経済委員会(中島清晴委員長)では、短期間の会期中にこの議案の判断に迫われ、12月11日の文教経済委員会では、午前中に競輪以外の補正予算などの審議を済ませ、午後に競輪会計の集中審議をしました。この時議会改革で新たに制定された参考人招致として、松阪競輪のありかた検討会の委員でもある、(社)全国競輪施行者協議会の森清春専務理事を参考人として迎え、話しを聞きました。
 また委員からは理事者側に膨大な赤字が出た経緯や、経営改善を民間企業に委託する方針を、議会への説明がないまま先に新聞発表した経緯、そしてこの民間委託の方法がある程度進められていることなどに、激しい質疑があり、午後7時ごろ延会となりました。

4)議員懇談会の開催
 12月11日の文教経済委員会が競輪事業補正予算審査において、案件の重要性と慎重審議のため一時延会となり、同中島委員長から議長に対して、延会中に議員全員で競輪事業のあり方を話し合う議員全員懇談会の開催の申し入れがあり、12日午後1時から議員全員懇談会を開催されました。
 議員懇談会の後、再開された文教経済委員会で、再び審議がなされ採決が行われました。競輪会計では一般会計からの赤字補填は認め、再生業者に委託するための支出は認めないとする、中出実委員から出された修正案が賛成多数で可決すべきものと採決されました。

5)競輪会計を巡る問題点
 委員会や議員懇談会ではいくつかの疑問点や問題点が指摘されました。
①今年度の多額の赤字はなぜ
 これまで数年間の年間1億数千万円程度の赤字から、今年度突然どうして多額の赤字を出すことになったのか。行政側の対応の遅さや、管理者の営業努力不足が指摘された。
 レジャーの多様化やファン層の高齢化など、競輪人気の低下傾向が続いている。競輪は普通競輪と特別競輪があり、現在の松阪競輪では普通競輪で出した赤字を特別競輪の利益で補填するというかたちが取られていたが、最近特別競輪でも売り上げが落ちてきている。それにしてもこれほど急激な落ち込みは異常である。

②突然の新聞発表
 山中市長は11月21日の記者会見で競輪事業の業務改善を民間業者に委託する方針を発表しました。まず新聞発表をして既成事実をつくる。これが山中市長のやり方であるが、この議会無視のやり方に対して、委員会でも懇談会でも批判が集中した。そして既に5つの業者に対して現地を見せて、選定を進めていることにも批判が示された。

③なぜこの時期に
 山中市長の今任期は来年2月5日に終わる。来年の1月に市長選挙が行われて、新市長が誕生するかも知れないこの時期になぜ、民間業者への委託費を3年間の予算の確約をする債務負担行為で出してきたのか、市長選挙が終わってからでもよかったのではないか。この点についても議員から指摘された。

④再生業者に競輪という特殊な事業の再生が可能か
 これまでいろいろな会社を再生してきた再生業者にとって、畑違いの業種の再生は可能であろう。しかし競輪は一般企業のように自由に会社を切り回せる状況ではない。上部団体である財団法人JKA(旧 日本自転車振興会)の管轄下にあり、いろいろな制約に縛られている。またお金を動かすにも市議会の承認が必要である。一度再生業者に任せて見たいという意見もあるが、2億1000万円ものお金をつぎ込んで、失敗しましたでは済まされないという意見もありました。

6)議案の議決
 11月議会の最終日である12月14日、一般会計や競輪会計などの議決が行われました。
一般会計では同会計から競輪会計の繰り入れ当初額4億6530万7000円のから、松阪競輪業務改善委託業者選定委員会事業費133万9000円を削除し、残りの4億6396万8000円を赤字補填として競輪会計に繰り入れる修正案が、賛成多数で可決されました。
 また競輪会計では、原案から債務負担行為の松阪競輪業務改善委託料2億1000万円と、松阪競輪業務改善委託業者選定委員会事業費133万9000円を削除する修正案が、賛成多数(賛成25 反対3)で可決されました。

7)今後の行方
 今回可決され修正案では、民間業者による業務改善委託を認めないとするもので、決して松阪競輪の行く末を決めるものではありません。今後松阪競輪をどうするかの判断は行政側にゆだねられることになりました。
 この日傍聴席には多くの競輪選手が詰めかけ、議会の成り行きを見守っていました。選手会から議長あてに存続を求める要望書も出されています。松阪競輪が廃止になれば、全国44の競輪場が1つ減ることになり、彼らの活動の場が狭まり死活問題であるからです。
 また松阪競輪は30億円の経済効果があると言われており、廃止となれば関係職員約130人の雇用が失われます。しかしだからと言って毎年多額の税金をつぎ込むこともできません。存続か廃止か、また職員の雇用の場を確保するために、本場開催をやめて他場の車券を売る「サテライト」化も選択肢の1つです。
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まつおキッズクラブ クリスマス会開催

2012-12-08 19:49:53 | 日記
       

 学童保育所「まつおキッズクラブ」(児童数57人 上村真紀父母の会会長)で年末恒例のクリスマス会が、松阪市丹生寺町の松尾小学校の体育館とクラブの教室で開催されました。
 体育館での大運動会では風船運びや借り物競走などが行われ、お招きをいただいた私も、子どもたちに混じって一緒にゲームを楽しみました。また教室では子どもたちの手品やなぞなぞゲームを楽しんだり、またみんなでクリスマスソングを歌いました。最後に子どもたち扮するサンタが登場し、一人一人にプレゼントを渡しました。
       

 学童保育所「まつおキッズクラブ」は平成12年4月、平成町の団地案内所の1室8畳を借りてスタートしました。子ども13人、指導員の先生2名でのスタートでした。しかし部屋が狭く、荷物を置くと息が詰まるほどスペースだったため、同年10月平成町内に一軒家を借受け、運営を進めてきたが、児童数が増え続け、新たな施設の検討が必要になってきました。
 平成14年7月から松尾地区を挙げての新施設建設の機運が高まり、多くの関係者の努力の甲斐あって、平成15年3月に今の場所に新施設が完成し、同年4月に落成式を迎えることになりました。

 現在も同クラブの児童数は増え続け、これまでは平成町を中心として入会していましたが、今は平成町以外の地区からも入会が増え、今年学校の空き教室をお借りして第2キッズ開設して、低学年と高学年に分けました。
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