川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪市議会明日3月1日より代表質疑始まる

2011-02-28 16:23:39 | 日記

 松阪市議会平成22年度2月議会は、明日3月1日から3日まで代表質疑が行われます。代表質疑は来年度予算及び市長の所信に対して、会派の代表が質疑をするものです。会派の持ち時間は、人数×20分+20分で、同じ会派の議員が時間内に関連質疑をすることができます。会派に所属しない議員の持ち時間は20分です。今議会の代表質疑、関連質疑は次の議員が行います。

3月1日
 ◆真政クラブ(持ち時間220分)
   代表質疑 野口正
   関連質疑 大平勇、野呂一男、浜口高志

3月2日
 ◆市民民主クラブ(持ち時間140分)
   代表質疑 中出実
   関連質疑 松田俊助、永作邦夫

 ◆公明党(持ち時間80分)
   代表質疑 山本節

 ◆日本共産党(持ち時間80分)
   代表質疑 今井一久
   関連質疑 久松倫生

3月3日
 ◆あかつき会(持ち時間120分)
   代表質疑 田中祐治
   関連質疑 小林正司、中村良子、中瀬古初美、堀端脩

 ◆会派に所属しない議員
   前川幸敏(持ち時間20分)
   植松泰之(持ち時間20分)
   海住恒幸(持ち時間20分)

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第16回武四郎まつり開催される

2011-02-27 17:36:56 | 日記

北海道の名付け親で、探検家、地誌学者・民族学者・考古学者などの分野でも活躍した“松浦武四郎”を称える「第16回武四郎まつり」が2月27日に、松阪市小野江町の松浦武四郎記念館で開催されました。一昨年は雪の降る中での祭りとなり、昨年はチリ津波の影響で午後の部が中止になりましたが、この日は穏やかに晴れた絶好の祭り日よりになりました。

 

 開会セレモニーでは実行委員長の挨拶のあと、市長のあいさつ、田中力議長らが祝辞を述べられました。このあと三雲中学生吹奏楽部による吹奏楽の演奏や、小野江小学校児童による群読と寸劇「松浦武四郎さんから学んだこと」がありました。アイヌ古式舞踊では北海道新ひだか町の「静内民族文化保存会」により、『ホンチカプ リセム(鳥たちの舞)』や『チャピア(アマツバメの舞)』などがありました。

 午後の部では大正琴の演奏やインディアンフルート演奏、しょんがい踊りなどがありました。

また会場内のテントにはたくさんのバザーが出され、来場者は思い思いのバザーを楽しんでいました。

 

 この日記念館の中には松浦武四郎が使った、畳一畳敷きの書斎が展示されました。この書斎は住宅設備メーカーの(株)INAXが、平成22年に日本でも一番小さい書斎を使った松浦武四郎にスポットをあてて作ったもので、特殊なカメラを使って撮影してパネル仕立てにして再現したものです。今回の祭りに合わせて松阪市が借用をお願いしたところ、寄贈をしていただいたものです。

 

 舞台で行われるアイヌ古式舞踊などでは、たくさんのカメラマンが盛んに写真を撮ったり、ビデオ撮影をしていました。それぞれ周囲に配慮しながらの撮影でしたが、一部のビデオの撮影者が舞台の上にカメラを設置し続けての撮影をしており、後ろのカメラマン達のひんしゅくをかっていました。我々素人と違いプロのカメラマンはいい映像を撮りたいのは分かりますが、周囲への気配りも大事ではないかと思いました。これは主催者が注意すべきです。

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岡山町田口梅園の梅見ごろ

2011-02-25 23:00:47 | 日記

 今日2月25日、松阪市岡山町の田口梅林園の梅を見にいきました。今見ごろを迎えています。この梅園は私の小・中学校の一級上の田口登美男さんが栽培しているもので、この日は暖かく、入れ替わり立ち替わり来場者がありました。

 この梅園は3000坪の敷地に約200本の梅の木をはじめ500本の樹木が植えられており、梅の木の中には樹齢60年以上のものが30本あるそうです。梅の本数がたくさんある梅林はどこにでもあるそうですが、60年ものが30本ある梅林はあまりないそうです。これだけの本数の梅の木の管理は大変ですが、田口さんが一人で管理をしています。また消毒には薬品を使わず、木酢でするそうです。

 田口梅林園では3月6日に「クイーン松阪と梅林を写す会」が催されます 松阪インターから5分のところにあり、入園料は300円、50台の駐車ができる駐車場も整っています。

    田口梅林園
     三重県松阪市岡山町33
     ℡ 0598-58-1368
     田口登美男

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明日から松阪市議会2月定例議会始まる

2011-02-22 08:35:07 | 日記

松阪市議会の平成23年2月定例議会は、明日2月23日から始まります。今議会は市長の所信と来年度予算に対して、会派の代表による代表質疑を中心として行われます。

代表質疑の持ち時間は会派の人数×20分+20分で、無会派の議員は20分です。代表質疑といわれるように各会派の代表が質疑を行いますが、同じ会派の議員が、会派の持ち時間の間で関連質問をすることができます。2月議会での一般質問は、市長の所信と来年度予算に関係のない内容に限定されます。本議会の会期は明日23日からから3月25日までの31日間です。

今議会の日程は次のとおりです。

2月23日  本会議(当初予算上程・市長の所信説明・議案上程)

  3月 1日  本会議(代表質疑 真政クラブ220分)

     2日  本会議(代表質疑 市民民主クラブ140分、公明党80分、共産党80分)  

     3日  本会議(代表質疑 あかつき会120分・議案に対する質疑・付託)

     7日  本会議(一般質問)

     9日  本会議(一般質問-予備日)

    10日  環境福祉委員会、文教経済委員会

    11日  総務生活委員会、建設水道委員会

    16日  本会議(議決・補正予算上程・議案に対する質疑・付託)

    17日  環境福祉委員会、文教経済委員会

    22日  総務生活委員会、建設水道委員会

    25日  本会議(委員長報告・議決)

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[農事組合法人コスモス]通常総会開催される

2011-02-21 21:47:38 | 日記

2月20日、松阪市高町の華王殿で農事組合法人コスモスの通常総会が開催され、私も来賓としてお招きをいただきました。コスモスは松阪市藤之木町を中心とし、同市阿形町、大足町、岡本町を含む農事組合で、この日は平成22年度の事業報告、収支報告、平成23年度の事業計画、収支計画などが議決されました。

 

農事組合法人コスモスは、平成4年4月18日に組合員46人で結成された藤之木生産組合が、平成13年12月1日に組合員46人で「農事組合法人コスモス」に生まれ変わったもので、結成から10年目になります。コスモスとはギリシャ語のKOSMOSであり「秩序」・「調和」を意味し、秩序だって統一していることから「世界」「宇宙」という意味もあります。

 

平成23年度の事業計画では、組合員数68人(藤之木46人、他所22人)、

1、経営受託約60㏊(藤之木46㏊、他所14㏊)

2、作業受託約25㏊(小麦・大豆の転作受託、水稲作業受託)

3、その他 ①採種ほ 水稲(コシヒカリ) 11㏊

           小麦(あやひかり) 45㏊

      ②レクリエーション農園  柿・みかん・芋掘り他

 

今日の総会で新しい役員が承認されましたが、これまで藤之木生産組合からコスモスにかけて、約19年間代表理事組合長をされてきた古市武巳さんが組合長職を退かれて相談役になられ、新代表理事組合長には梶間弘功(かじま ひろかず)さんが就任されました。

またこの日、藤之木地区農用地利用改善組合(組合員数50人)の総会も同時に行われ、組合長に古市一喜さんが、副組合長に西尾登明さんが就任されました。

 

現在の農業は大きな転換期を迎えています。農業の基幹作物である米の価格の下落は止まらず、戸別所得補償制度がどうなるか、また降って湧いてきたようなTPP交渉の問題も発生しています。このような不特定な要素の多い状況の中で、このコスモスはうまく営農を進められており、全国各地から視察に訪れるということです。

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岩内泉住寺のどこんのり行われる

2011-02-21 10:06:48 | 日記

2月20日、松阪市岩内町の天龍山泉住寺(野田周平住職)で、この地方に伝わる伝統神事「どこんのり」が行われ、私も初めて見せていただきました。

この行事は岩内自治会(長尾雅晴自治会長 64戸)が五穀豊穣、子孫繁栄、厄除けなどを願い毎年行なうもので、上出地区、中出地区、東出地区が毎年交代で当番を受け持ちます。以前は新暦の2月22日に行われていましたが、社会情勢の変化により、今は2月第3日曜日に行われます。

 

この神事の由来は、この日地元の人にいただいた『ふるさと 岩内』という冊子につぎのように書かれています。

 

『岩内町の八柱神社に夫婦のイノシシが住んでいて、夏は雄が山に住み餌を貯え、雌は岩内のお宮の境内に住み神の使いをしていた。毎年、陰暦2月22日(現在では新暦)になると、神の使いの天狗に案内されて、村泉住寺で雄獅子と天狗が遊び(ドコンノリ)、やがて雄獅子が天狗の案内で岩内の鏡池で禊(水をあびる)をした。この雌雄のイノシシの年に一度の逢い引きは続いた。しかし、ある年、お宮にいる雌獅子が病気でなくなる。それとは知らず、雄獅子は毎年2月22日になると、お宮の裏の「ギッチョバ」しし塚を訪ねたという。

 この伝説を重んじて、現在も、獅子を百姓の神としてあがめられている。新暦の2月22日に、その年の当番の世古から42歳の厄男が獅子になり、25歳の厄男が天狗になり、泉住寺の境内で五穀豊穣、子孫繁栄を願って舞う。その後、鏡池に登り、「ギッチョバ」に向かって大声で呼びかける。それが終わると、太鼓の音と共に町内を廻る。その音を聞いた人は米、豆などのおひねりを盆にのせ、獅子の口の中に納め獅子頭をまわして五穀豊作の祈とう、厄払いとして行われる。また、子供のいる家は、子供の頭を獅子にかんでもらい、すこやかな成長を願う。お年寄りは痛む手や頭をかんでもらうと病気が治るという。

 従来は22日に行われていたが、社会情勢の変化により第3日曜となった。

 町内を廻った後、「ギッチョバ」に行き、そこに祀られた竹を廻りお参りをする。

獅子に奉献した五穀は厄男の人が炒り、粉にして3月の出合いの日に、全戸に配る。この粉を食すると夏病みしないといわれている。』

 

獅子や天狗には当番地区の厄男が扮しますが、当番地区に厄男がないときは他地区の厄男が獅子や天狗に扮します。今年は上出の当番で、獅子は42歳の厄男の中村敏さんと山本朋伯さんが、天狗は25歳の厄男の田中宏和山が扮しました。朝9時ごろからこの行事が始まり、獅子の布の中に2人の厄男が入り、天狗が布の上から叩いて2人を寄せます。そして形が整ったら天狗が上に乗ります。このとき「どこん」と乗ることから「どこんのり」と言われるのではないかと年配の女性から聞きましたが、定かではありません。このあと地区の人たちが持ち寄った五穀の入ったおひねりと、お金の入ったのし袋を盆にのせ、獅子に噛んでもらって奉納します。また子どもたちやお年寄りなど、頭を獅子の口で噛んでもらい健康を祈願します。

 

寺を出た獅子と天狗は鏡池の堤防に登り、与原(松阪市与原町)の方に向かって大きな声で「おーい」と雄の獅子の魂を呼びます。次ぎに美濃田(松阪市美濃田町)向かって「おーい」と呼び、獅子の魂を送ります。このあと太鼓の音と共に町内を廻り、家々から出された盆にのせられたおひねりを獅子が噛み、奉納を受けます。そして在所のはずれにある獅子塚まで行って、祀られた竹の周囲を廻ります。

 

この神事がいつ頃から始まったかは分かりませんが、獅子頭には

 伊勢山田大世古 大工 吉次作 元和4年吉日

 松阪魚町 塗師わ(王)んや平三様 政弘化元年辰正月吉日

と書かれています。元和4年は西暦1618年、弘化元年は西暦1844年になります。なおこの神事に用いられる獅子はい1本角の珍しいものです。

 

この日は古くから伝わる神事を初めて見せていただきました。また私も獅子に頭を噛んでもらいました。行事の中で、地元岩内の皆さんにはこの神事の由来など、ていねいに教えていただき、また「ふるさと岩内」という冊子もいたがきました。ご協力ありがとうございました。

 

「どこんのり」は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に登録させていただきました→クリック

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うきさとむら「じゃんぼ七草粥祭」開催される

2011-02-21 07:18:59 | 日記

 よく晴れ渡り絶好の祭り日よりとなった2月20日、松阪市柚原町のうきさとむら(西井静男代表)で、「じゃんぼ七草粥祭」開催されました。七草粥は正月の7日に行われる行事で、正月の間に酒やご馳走で疲れた胃袋や臓器を休めるために、その頃野に出てきた栄養価の高い七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を粥の中に入れて食べるもので、うきさとむらでは旧暦の1月7日に近い、2月の第3日曜日に行われています。

 

 第20回目となった今年の祭は好天に恵まれて朝早くから、大勢の市民が来場して祭りを楽しみました。会場内には焼きそばやモロヘイヤうどん、コロッケ、から揚げ、ぜんざいなどの店が並び、思い思いのバザーを楽しんでいました。

 午前11時30分からは直径1mの大釜で炊かれた七草粥が、竹の器に盛られて来場者に無料で振る舞われました。釜の前には長い列ができ、祭りに訪れた山中市長が市民への七草粥を盛っていました。

 この日は普段静かな山あいの地区も終日賑わっていました。

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劇団白つばき10周年記念公演上演される

2011-02-19 23:43:06 | 日記

多気町の多気町民文化会館で2月19日、「劇団白つばき10周年記念公演『蒼山伝』」が上演されました。劇団白つばき(北村久和代表 22人)は多気郡多気町を拠点に活動する劇団で、今回は江戸時代の大庄屋で運命にほんろうされながらも、地域の為に尽くした三谷万四郎(蒼山・1779~1841)の半生を描いたものです。

 

万次郎は津田村四疋田の大庄屋三谷吉左衛門の四男として生まれた。幼名を俊助。万四郎は松阪の川口家の養子に入るが、実家の大庄屋の兄吉三郎が急逝したため、最愛の妻子を松阪に残し、四疋田に戻って大庄屋を継ぐことになります。四疋田に戻った万四郎は地域の人々の中心になり日銭積立制度を作ったり、西村彦左衛門と共に立梅用水の着工にも尽力しました。

 

今回の上演には私の知人が出演していて、お声がけをいただいたので見せていただきました。また演出の竹守伸一さんは、私が小学校のPTAの役員をしているとき、学校にみえた先生です。今回の芝居は脚本、演出、演技もしっかりした感じがしました。明日2月20日午後1時30分から2回目が上演されます。

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ごみ処理を考えるシンポジウム開催される

2011-02-19 22:49:44 | 日記

2月19日、松阪市本町の松阪市産業振興センターで「松阪市のごみ処理のあり方を考えるシンポジウム」が行われました。この日会場には自治会関係者、市職員、市議会議員など用意された席が一杯になるほどの多くの市民が来場しました。

 

初めに基調講演として立命館大学エコ・テクノロジー研究センター長で京都大学名誉教授の武田信生さんを講師として『わが国の廃棄物処理の歴史的背景と特徴』というテーマでごみ処理の歴史やごみの現状、ごみ処理と循環型社会への取り組みなどの話しを聞きました。

また財団法人 ひょうご環境創造教会 資源環境部 循環推進課参事の足立義弘さんから『自治体の業務としての廃棄物処理に臨む姿勢』と題して、人口の変化とごみ量について、ごみの排出における市民の協力体制から、ごみの運搬・処理・最終処分などの話しを聞きました。

 

休憩をはさんで『市民の生活環境を守る新しい焼却施設の建設について』というテーマでパネルディスカッションがありました。

 

またシンポジウムが終わってから今日の講師やパネラーの皆さんと、松阪市議会のごみ処理施設建設調査特別委員会の委員との懇談会を持っていただき、ごみ処理施設の機種の問題、入札の問題などの話しを聞きました。 
 

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自治権セミナー「三重まちづくりフォーラム」開催される

2011-02-18 17:22:29 | 日記

津市の三重地方自治労働文化センターで2月18日、自治権セミナー「三重まちづくりフォーラム」が開催されました。このセミナーは三重県地方自治研究センターと三重県地方自治文化センターが主催して行われたもので、会場には三重県下の市議会議員や町議会議員、自治体職員など約90名が参加しました。

 

午前10時から行われた第1部に講演では、和歌山大学経済学部教授の足立基浩さんが「シャッター通り再生計画 ~全国の事例から~」というテーマで話しをされました。

 全国に12000の商店街があるが、毎年200ずつ消えている。商店街が消えるということは空き店舗率が50%以上になった状態です。

講演ではシャッター通り再生へのキーポイントや取り組み方、また別府市や大分市、福井市、奈良市、長浜市、川越市、大阪心斎橋などの再生への取り組みを紹介された。また教授が和歌山市で学生やボランテァたちと取り組んだカフェの紹介がありました。

 

午後は第2部として、「キーマンに聞く!特色あるまちづくりinみえ」というテーマでシンポジウムがあり、まちづくりに取り組んでこられた3人が体験を述べられた。

「株式会社熊野市役所」を立ちあげ、行政主導で熊野地鶏や新姫(柑橘類)、さんま魚醤などの特産品づくりに取り組んだ川上敢二熊野市長。関宿の古い街並みを保存する活動を進めている関宿町並み保存会(現NPO東海道関宿)元会長の服部泰彦さん。鳥羽市の旅館のおかみで体験型観光「海島遊民くらぶ」を立ちあげた鳥羽市エコツーリズム推進協議会会長の江崎貴久さんらが、興味ある体験ばなしをされました。

 

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松阪の地名を訪ねて(7)-「寺」の付く地名③-

2011-02-16 22:49:35 | 日記

(写真は丹生寺廃寺のあった丘陵地)

寺のつく地名③『丹生寺町』について

 松阪市内の地名探訪、「寺」の付く地名の3回目です。今回は『丹生寺町』の地名の由来となった「丹生寺」を探訪します。

 

◆水銀と「丹生」

松阪市丹生寺町の『丹生寺』は多気郡多気町丹生の「丹生」から付けられたと言われています。多気町丹生は平成18年に合併するまでは「勢和村丹生」でした。

日本では古くは水銀鉱を「丹」とか「朱」と呼よびました。水銀の鉱床地には、現在でも「丹」の付く地名が残っています。「丹生」の他にも、「丹生川(岐阜県)」「丹生野、丹生山、丹土(兵庫県)」「丹原(愛媛県)」などがあり「丹後の国」や「丹波の国」も水銀と関係があるということです。

 

◆丹生水銀

『続日本書紀』に文武天皇の2年(698)と和銅6年(713)に伊勢国から朝廷に水銀を献上したことが記されており、水銀は仏像や仏具などに金を塗って仕上げるときに必要なもので、奈良時代の東大寺大仏殿建立には、丹生の水銀が2tも使われたということです。また鎌倉時代の初めの東大寺大仏再建の時にも2万両もの丹生の水銀が使われました。平安時代になると、丹生には取引や採掘のため各地から商人や鉱夫が集まり「丹生千軒」と呼ばれる町ができました。これほど盛んだった丹生水銀の採掘も次第に鉱脈がなくなり、江戸時代には衰えてしまいました。

 

◆水銀鉱の探検

旧勢和村丹生には水銀の廃坑が今も100余り残っているということです。私の高校時代の同級生が丹生にいて、高校を卒業して間もない今から40年以上も前ですが、丹生の水銀の廃坑を同級生のメンバー4、5人で探検しようということになりました。洞窟の中では酸素がなくなると危険であるということで、ローソクに火を付けて入り、ローソクの火が消えたら、酸素がないので急いで脱出しようということでした。しかし水銀鉱を進んでいくと、廃坑になってから時が経っていたこともあり、途中で崩壊していて、それ以上中に入ることができませんでした。

 

◆山田勘蔵さんから聞いた話し

 これも今から40年以上も前のことですが、歴史研究家の山田勘蔵さんから聞いた「丹生」「丹生寺」にまつわる話しです。

 当時、この地方を治めていた豪族は、大河内郷(今の大河内町付近)、黒田郷((今の大黒田町、小黒田町付近)、黒部郷(今の西黒部町、東黒部町付近)、丹生郷など6つの郷を擁していました。この中の丹生郷からは水銀が産出し、その水銀や朱砂と呼ばれる美しい石を朝廷に献上することによって、中央政界へも勢力を伸ばしていきました。奈良東大寺の大仏は丹生の水銀が無かったらできなかったということです。当時の丹生は人口が1万人くらいの大都会であったということで、その名残として、丹生地区には今でもお寺が大変多く残っています。

本来菩提寺には自分の名前を付けるのが普通ですが、丹生郷を治めていたこの豪族にとって「丹生」という地名は大事なことから、菩提寺を『丹生寺』と名付けたということです。岡本町付近の古墳はこの豪族のものではないかということです。

 

◆丹生寺は誰の菩提寺か

 では、丹生寺を創った豪族は誰かということですが、山田勘蔵さんから聞いた話しでは『「県氏(あがたうじ)」の菩提寺であった』と言われたと記憶しています。また「松阪の歴史№4 大西源一著」の中には『現在の松阪神社は、それはおそらく飯高氏の氏神であり、松尾村丹生寺というところが、その氏寺であったものと思われる』と示されています。

松阪市飯高町赤桶の水屋神社のホームページに、旧の飯南郡と松阪市、明和町一帯を治めていた「飯高県造(いいだかのあがたぬし)」という古代の領主が示されており、県氏と飯高氏は同一かも知れません。

 

◆丹生寺廃寺

丹生寺廃寺は8世紀後期の寺院跡と考えられ、松阪市丹生寺町本里の集落の北方に広がる標高40mの丘陵地で、現在は山林(一部は畑)となっている所にありました。発掘調査などは行われていないため、寺域など詳細は不明ですが、東西250m、南北125mと推定されます。

 寺跡の東南端部の畑地には土師器(はじき 古墳時代から平安時代につくられた土器)の小片が散乱し、石積みの径1m位の円形井戸が残っています。また林の中に入っていくと当時のものと思われる石畳や石積みもあります。

 この寺の瓦は松阪市立野町高田の里山の斜面にあった「立野瓦窯」で焼かれたもので、立野瓦窯跡から出土した瓦と、丹生寺廃寺から出土した瓦が全く同様であり、丹生寺廃寺の瓦が同瓦窯から供給されたことがわかります。

 

参考文献

 松阪市史(第2巻)

 松阪の歴史散歩(三教組松阪支部編)

 松尾郷土誌百話(松阪市松尾公民館編)

                              ほか

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松阪の地名を訪ねて(6)-「寺」の付く地名②-

2011-02-14 23:13:51 | 日記

(写真は国分寺) 

 

寺のつく地名②『伊勢寺町』について

 松阪市内の地名探訪、前回に続き「寺」の付く地名を訪ねています。今回は『伊勢寺町』の地名の由来となった「伊勢寺」を研究します。

 

松阪市伊勢寺町世古地内の県道松阪岩内線沿いにある、真言宗に属する「国分寺」という寺があります。「国分寺」と呼ばれる寺は全国に70寺ほどあり、もともとは天平13年(741)聖武天皇が国情不安を鎮撫するために、各国に建立を命じた寺院ですが、伊勢寺の国分寺はかつては慶雲寺と呼ばれ、江戸時代に入って国分寺と呼ばれるようになりました。

 

伊勢寺町の地名の由来となった「伊勢寺」は、この国分寺付近を中心として、東西150m、南北180mの寺域を有してあったと推定されています。昭和63年から平成元年にかけて発掘調査も行われました。伊勢寺の創建は出土瓦や調査結果から7世紀末と考えられます。

 私(川口)が20代のころ歴史家の山田勘蔵さんから聞いた話しでは、豪族は菩提寺に自分の名前を付けることから、伊勢氏の菩提寺であったと言われたことを記憶しています。

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美し国駅伝選手団結団式行われる

2011-02-11 22:51:37 | 日記

(決意表明する 中川浩昭選手)

2月20日に行われる第4回美(うま)し国三重市町対抗駅伝の松阪市代表選手団結団式が、今日2月11日、松阪市本町の松阪市産業振興センターで行われました。

美し国駅伝は市町村合併を契機に、市町間の交流・連携を図り、市町振興とスポーツに対する県民意識の高揚を目的として平成20年から行われているもので、津市の三重県庁から伊勢市の県営総合競技場までの10区間42.195㎞を、市町の代表選手がたすきをつないでいくものです。大会当日には津の県庁を午前9時にスタートし、国道23号、国道42号、県道鳥羽松阪線を通り、県営総合競技場でゴールします。

 

今日の結団式の会場には選手、監督、コーチを始め、山中松阪市長や田中議長、市議会議員、選手の保護者、松阪市体育指導委員など多くの人たちが来場して、選手を激励しました。結団式は団旗の授与、団長あいさつのあと選手一人一人が紹介され、思い思いの抱負を述べました。市長、議長の激励のあと、選手を代表して中川浩昭さんが、これまでやってきた成果を発揮し、松阪市選手団としてのプライドと情熱をもち、チーム一丸となって最後までたすきをつないでいきたいと、決意表明しました。これまで松阪市のチームは昨年の4位が最高で、さらなる活躍が期待されます。

 

 

第4回美し国三重県市町対抗駅伝の松阪市代表選手団は次の皆さんです。

監 督 竹内昭剛(松阪Jr陸上クラブ監督)

コーチ 金谷勝弘(市立久保中学校陸上部監督)

選手

1区:1.28㎞ 小学生女子

 小林 由佳(松尾小6年、松阪Jr陸上クラブ)

 坂本万梨亜(松尾小6年、松阪Jr陸上クラブ)

 

2区:1.85㎞ 小学生男子

 竹内 啓人(松尾小6年、松阪Jr陸上クラブ)

 脇野 志音(松尾小6年、FCプエルタ)

 

3区:3.76㎞ 中学生女子

 西山 遙香(三雲中2年)

 西井 彩香(西中2年)

 

4区:5.65㎞ 中学生男子

 廣瀬 泰輔(中部中3年)

 所神根晃亮(鎌田中3年)

 

5区:4.60㎞ 40才以上男子

 橋本 広明(松阪北消防署)

 中川 浩昭(三重県庁)

 

6区:6.36㎞ ジュニア男子

 中西  涼(信州大1年)

 西井 拓哉(高田高1年)

 

7区2.89㎞ 一般女子

 吉村 真帆(津商業高3年)

 金谷 華奈(三雲中2年)

 

8区3.43㎞ 20才以上女子

 山下亜津沙(中京大3年)

 渡邊 聡子(ヤマモリ(株))

 

9区:5.95㎞ ジュニア女子

 床呂 沙紀(津商業高1年)

 山崎友貴穂(津東高1年)

 

10区6.425㎞ 20才以上男子

 中田 剛司(三重中京大4年)

 坂本  顕(三重中京大2年)
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松坂城跡が国史跡指定

2011-02-08 22:20:02 | 日記

 松阪市殿町の松坂城跡が2月7日に正式に国の史跡に指定されました。これは昨年11月19日に国の文化審議会が「松坂城跡」を国史跡に指定することについて、文部科学大臣に答申を行っていたものです。松阪市役所では、国指定を祝う垂れ幕も設置されました。

 松阪市史などでは「松阪城跡」と「阪」の字が使われていますが、今回「坂」の字が用いられました。

 

松坂城は今から420年程前の天正16年(1588)に安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が四五百森(よいほのもり)に築城した平山城で、当時は天守閣や兵部屋敷があった。また当時の城絵図には敵見・金ノ間・太鼓・月見・遠見櫓が描かれている。天守閣は正保元年(1644年)の大風で倒壊して、絵図などは残っていない。石垣はもとの形のままの石を用いた野面積みの石垣である。

また城を取り囲む堀は幅1531m、総延長約2㎞あったが明治初期に埋められ、神道川等になごりを残す。
 

平成元年~2年にかけての発掘調査では天守閣の基礎や敵見櫓・多聞の基礎、門・塀の
柱穴などが発見された。また金銅装の六葉金具や金箔を施した瓦なども出土した。
  平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれた。また都市公園法施行150周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選定された。現在は松阪公園として春には350本のソメイヨシノ桜や藤が咲き乱れ、秋には銀杏が美しく市民の憩いの場所となっている。

公園内には本居宣長記念館や鈴屋(すずのや)と呼ばれる本居宣長旧宅、松阪市歴史民俗資料館があり、また公園からは松阪市内が一望でき、真下には御城番屋敷の古い街並みが見渡せる。

所在地
   ・三重県松阪市殿町1536ほか

交 通
   ・松阪駅から徒歩で約15分 
   ・松阪駅から松阪中央病院行バスで市民病院前下車、徒歩2分
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で10分
   ・鈴の音バスで市役所前下車 徒歩2分

駐車場
   ・駐車場は市民病院前の松阪市駐車場を利用、バス駐車可、駐車場から徒歩2分

ナビゲーターによる検索
   ・松坂城跡    「施設、その他、名所・旧跡、三重県、松坂城跡」
   ・松阪市駐車場  「三重県松阪市殿町1560(市民病院)」
        (ナビゲーターにより表示方法が異なることがあります)

 
松坂城跡からの近くの見学地
   ・御城番屋敷              搦手門(裏門)より徒歩1分
   ・本居宣長記念館            松坂城跡内
   ・鈴屋(すずのや)(本居宣長旧宅)  松坂城跡内
   ・松阪市立歴史民俗資料館      松坂城跡内


松坂城跡に関する問い合わせ
    ・松阪市観光交流課     ℡ 0598-53-4406
                    

   ・松阪市観光情報センター  ℡ 0598-23-7771

松坂城跡につて詳しくは私のホームページをご覧下さいクリック

 

 
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地方自治研究集会開催される

2011-02-06 21:28:37 | 日記

松阪市上川町の勤労者総合センター多目的ホールで、2010年度第46回松阪市職地方自治研究集会が開催されました。この研究集会は自治労松阪市職員組合(中西章 執行委員長)が主催して行われるもので、地域の様々な課題をテーマとするする集会を開いて、市職員のみならず市民にも参加を呼びかけ、共に考え、学び、議論する場として毎年開催されています。

 

今回は「地域活性化」をテーマとして開催され、「四日市とんてき」をB級グルメの祭典、B―1グランプリに出場させた四日市大学准教授で、(財)四日市とんてき協会代表理事の小林慶太郎さんが「四日市とんてき地域活性化」という演題で話しをされました。

 

四日市市職員の自主研修グループで四日市の再発見・地域資源の洗い出しを行っていたが、四日市は公害のまちとして対外的にイメージが悪く、何とか外から観光に来てもらえないかと研究中に四日市とんてきにたどり着いた。2008年2月に「四日市とんてきMAP」を作成し、四日市とんてき公認ソースも作成した。2010年に厚木市で行われた第5回B-1グランプリに出場した。

その後各種イベントに出場したり、NHKをはじめ多くのメディアでも取り上げられた。

 「四日市とんてきMAP」は第4回目となるが、初め10店舗だったのが36店舗まで増えた。また来年姫路市で行われる第6回B-1グランプリにも出場を予定している。

 

 このあと松阪市における活動事例報告として、クレソンを中心としてまちおこしをしている、「波瀬むらづくり協議会産業部会」の北川京子さんと、松阪駅前のベルタウンの中に、昨年10月若者7人でソーセージ専門店『エキヨコソーセージBARディーズ・アクト』を出店させた石川真二郎さんらが報告された。

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