2月20日、松阪市岩内町の天龍山泉住寺(野田周平住職)で、この地方に伝わる伝統神事「どこんのり」が行われ、私も初めて見せていただきました。
この行事は岩内自治会(長尾雅晴自治会長 64戸)が五穀豊穣、子孫繁栄、厄除けなどを願い毎年行なうもので、上出地区、中出地区、東出地区が毎年交代で当番を受け持ちます。以前は新暦の2月22日に行われていましたが、社会情勢の変化により、今は2月第3日曜日に行われます。
この神事の由来は、この日地元の人にいただいた『ふるさと 岩内』という冊子につぎのように書かれています。
『岩内町の八柱神社に夫婦のイノシシが住んでいて、夏は雄が山に住み餌を貯え、雌は岩内のお宮の境内に住み神の使いをしていた。毎年、陰暦2月22日(現在では新暦)になると、神の使いの天狗に案内されて、村泉住寺で雄獅子と天狗が遊び(ドコンノリ)、やがて雄獅子が天狗の案内で岩内の鏡池で禊(水をあびる)をした。この雌雄のイノシシの年に一度の逢い引きは続いた。しかし、ある年、お宮にいる雌獅子が病気でなくなる。それとは知らず、雄獅子は毎年2月22日になると、お宮の裏の「ギッチョバ」しし塚を訪ねたという。
この伝説を重んじて、現在も、獅子を百姓の神としてあがめられている。新暦の2月22日に、その年の当番の世古から42歳の厄男が獅子になり、25歳の厄男が天狗になり、泉住寺の境内で五穀豊穣、子孫繁栄を願って舞う。その後、鏡池に登り、「ギッチョバ」に向かって大声で呼びかける。それが終わると、太鼓の音と共に町内を廻る。その音を聞いた人は米、豆などのおひねりを盆にのせ、獅子の口の中に納め獅子頭をまわして五穀豊作の祈とう、厄払いとして行われる。また、子供のいる家は、子供の頭を獅子にかんでもらい、すこやかな成長を願う。お年寄りは痛む手や頭をかんでもらうと病気が治るという。
従来は22日に行われていたが、社会情勢の変化により第3日曜となった。
町内を廻った後、「ギッチョバ」に行き、そこに祀られた竹を廻りお参りをする。
獅子に奉献した五穀は厄男の人が炒り、粉にして3月の出合いの日に、全戸に配る。この粉を食すると夏病みしないといわれている。』
獅子や天狗には当番地区の厄男が扮しますが、当番地区に厄男がないときは他地区の厄男が獅子や天狗に扮します。今年は上出の当番で、獅子は42歳の厄男の中村敏さんと山本朋伯さんが、天狗は25歳の厄男の田中宏和山が扮しました。朝9時ごろからこの行事が始まり、獅子の布の中に2人の厄男が入り、天狗が布の上から叩いて2人を寄せます。そして形が整ったら天狗が上に乗ります。このとき「どこん」と乗ることから「どこんのり」と言われるのではないかと年配の女性から聞きましたが、定かではありません。このあと地区の人たちが持ち寄った五穀の入ったおひねりと、お金の入ったのし袋を盆にのせ、獅子に噛んでもらって奉納します。また子どもたちやお年寄りなど、頭を獅子の口で噛んでもらい健康を祈願します。
寺を出た獅子と天狗は鏡池の堤防に登り、与原(松阪市与原町)の方に向かって大きな声で「おーい」と雄の獅子の魂を呼びます。次ぎに美濃田(松阪市美濃田町)向かって「おーい」と呼び、獅子の魂を送ります。このあと太鼓の音と共に町内を廻り、家々から出された盆にのせられたおひねりを獅子が噛み、奉納を受けます。そして在所のはずれにある獅子塚まで行って、祀られた竹の周囲を廻ります。
この神事がいつ頃から始まったかは分かりませんが、獅子頭には
伊勢山田大世古 大工 吉次作 元和4年吉日
松阪魚町 塗師わ(王)んや平三様 政弘化元年辰正月吉日
と書かれています。元和4年は西暦1618年、弘化元年は西暦1844年になります。なおこの神事に用いられる獅子はい1本角の珍しいものです。
この日は古くから伝わる神事を初めて見せていただきました。また私も獅子に頭を噛んでもらいました。行事の中で、地元岩内の皆さんにはこの神事の由来など、ていねいに教えていただき、また「ふるさと岩内」という冊子もいたがきました。ご協力ありがとうございました。
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