川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

シンポジューム「長谷川家と豪商のまち松坂」開催される

2014-10-28 23:16:40 | 日記
 
 「松阪商人の代表的存在の『長谷川家』の文化的価値をあらためて見つめなおし、市民とともに今後の保全・活用について考えよう」と、シンポジューム「長谷川家と豪商のまち松坂」が10月26日松阪市産業振興センターで開催され、203ある席が全て埋まるほどの多くの来場者がありました。

 第1部は「なぜ長谷川家は重要なのか」というテーマで行われ、まず三重大学大学院工学研究科教授の菅原洋一氏が趣旨説明されました。次に報告①では「城下町松坂と長谷川家」というテーマで、松阪市文化財保護審議会委員の門暉代司氏が資料研究の立場から報告され、報告②では「長谷川家の建造物」というテーマで、奈良文化財研究所文化遺産部長の林良彦氏が建造物研究の立場から報告をされました。また報告③では「長谷川家の庭園」というテーマで、京都造形芸術大学教授の尼崎博正氏が庭園研究の立場から報告がありました。

 第2部は「長谷川家から発想する松阪のまちづくり」というテーマでパネルディスカッションがありました。松阪市文化財保護審議会長の下村登良男氏から趣旨説明があり、前述の4氏に、亀山市市民文化部まちなみ・文化財室長の島村明彦氏がまちなみ保全の立場で、また長谷川家の地元の高島信彦氏が市民代表として加わり、この長谷川家という貴重な財産をどうように保全し、どのように活かしていくか意見が交わされました。

 以下、報告やシンポジュームで話された内容を順不同でまとめました。


◆長谷川家の資料
 長谷川家のすごいところは、創業時から明治、大正、昭和、平成の時代まで230余年の資料が連続して残っており、それだけ管理が行き届いていた。松坂特有の文化があり、長谷川家の文化的な短歌、俳句、茶の湯、信仰などの道具類も創業時から平成の時代のものまで残っている。長谷川家から松阪市に寄贈された資料は約6万点で、本居宣長記念館に収蔵する本居宣長に関する資料が1万6000点であることからみても、長谷川家の資料の多さがわかる。

◆明治維新を生き抜いた長谷川家
 江戸時代の多くの商人は、藩に貸していたお金が廃藩で藩がなくなり回収できなくなったことや、明治維新の変革に乗り切れず倒産したところも多いが、松阪商人の多くは幕末から明治への変化を乗り切った。
 松阪もめんを中心としていた長谷川家も、明治維新後自動織機がイギリスから入ってきて苦しい時代を迎えたが、ガラス産業を取り入れるなど方向転換を行った。

 

◆長谷川家の資料の調査・分類・保存・展示・閲覧
 長谷川家の5つの土蔵の他に、建屋の押し入れの中にも多くの資料が入っており、建物全体が収蔵庫になっている。保存するものと処分するものに分ける必要もあり、保存するための土蔵の修理も必要である。保存計画を立てること、そして資料の一般公開や、希望による閲覧も出来るようにしていかなくてはならない。市長はあと2年くらいで全面公開をしたいと言っている。

◆長谷川家からの眺望
 長谷川家の価値は内側だけではなく、屋敷の外とのつながりがあり、池の水は城の堀から引いていた。また離れは明治28年の建設であるが、他の家屋に対して20°ほど傾いており、離れからの眺望は松坂城跡や四五百の森に向かっており、その配置は城跡の眺望を意識したものである。しかし現在はその方向には眺望を遮る無粋な建造物があり、離れから城跡はほとんど見えない。松阪市の庁舎、市民病院、第二庁舎などである。

     
  (離れ座敷は他の建物に対して20°ほど傾けてあり、松坂城跡が眺望できる方向を向いている)

◆長谷川家の庭園の保全状態
 長谷川家の庭園はずーと長谷川家が管理されていてよかった。一時でも他の人の手が入ると方針がめちゃめちゃになってしまう。ただ庭園は手入れをしないと変化が早く、実生の木でも10年も経てば大きくなってしまう。
長谷川家の庭園の管理状態は、池の石が浮いているなど、現在めちゃめちゃに荒れている状態である。どうあるべきであるという議論が必要。今後3年では整備は無理。
 庭園の池に架かる石橋は、現在の庭園のかたちには大きいので目的はほかにあったのではないか、かつては庭園で園遊会など行われていたのではないかと思われる。
                     

◆長谷川家から発想する松阪のまちづくり(第2部の趣旨から)
 長谷川家が佇む魚町一丁目付近は、平成20年に松阪市景観条例の景観重要地区とし、電柱の移設や路面の舗装のし直しが行われたが、空閑地が増え、隣接地の町家の粗壁がむき出しのところがある。一丁目通りと直行する市役所通りからは長谷川家の離れ・庭園・土蔵群が見られるが、
 この通り沿いの長谷川家から購入した市有地には観光拠点施設別館の建設も検討されている。また通りに面した魚町別館を改築して観光拠点施設本館に、三重信の跡地に三越のライオン像を設置する計画など、景観整備が図られている一丁目通りとそぐわないところもある。

 長谷川家の周辺には本居宣長旧宅跡、小津家住宅(商人の館)、三井家発祥の地、国史跡松坂城跡とその城跡内には本居宣長旧宅、本居宣長記念館、松阪市歴史民俗資料館があり、御城番屋敷などを含めた文化遺産が集まる。そのような資源を相互に関連づけるまちづくりが必要となる。

◆私のまとめ
 今から35年ほど前であろうか、私が贈答品の店をやっていたとき、松阪卸センターの「長谷川」という衣類の卸問屋で少しの衣類を仕入れたことがありました。広い店内の棚には多くの商品が整然と並んでいて、物腰の柔らかい番頭さんが応対をしてくれました。1つの商品を示すと番頭さんは、それを木製の床の上に広げて見せてくれました。ほこりの付きやすい衣類を床の上に広げられて一瞬以外な気がしましましたが、同時にこの店の床は毎日きれいに磨かれ、塵一つないという自信のようなものを感じました。
 その時には長谷川家の歴史も、松阪市内にこのような邸宅があることも全く知りませんでしたが、この店の重厚さを感じました。

 これまで観光客に対して「松阪商人」を見せる大きな役割を果たしてきたのが、小津邸の「商人の館」です。多くの人達が、あの建物に昔の商人の暮らしぶりを偲んだのではないでしょうか。ただ観光客目線で見たとき少し展示物が少なく、物足りなさを感じられるのではないかと思います。日野町の「近江日野商人館」ではたくさんの展示物があり、私たち観光客を楽しませてくれました。
 長谷川邸では建物整備や資料調査など、全面公開にはまだまだ時間がかかりますが、その時には観光客を楽しませる多くの資料が展示されることになると思います。シンポジウムのパネラーが言われたように、現在の建物や土蔵が展示館となり、あの敷地内にはトイレなどは別として新たな展示館などの建物を造ることは、長谷川邸の値打ちを下げることになります。

 これまでも予定が重ならない限りこのようなシンポジウムにはなるべく参加するようにしていますが、時には期待外れの「しょうもない」催しもありました。今回のシンポジウムは「長谷川家」という大きなテーマを、資料研究、建物研究、庭園研究、そして町並み保全の専門の講師を迎え、松阪市の歴史研究の双璧下村登良男氏と門暉代司氏が加わり、豪華な布陣で開催されました。また配布された資料も立派なもので、有意義な時間を過ごさせていただきました。

                                            
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私流「市展」の見方

2014-10-27 15:13:14 | 日記
                  (市展が開催されている松阪市文化財センター)

 松阪市美術展覧会、いわゆる「市展」の第2部が10月25日から松阪市文化財センターで始まっています。今回の写真部門では90点の応募の中から78点が入賞・入選し、書道部門では68点の応募の中から61点が入賞・入選しました。市展は私も毎年楽しみに鑑賞させていただいています。

 市展に限らず、いろいろな展覧会や写真展、また盆栽展など鑑賞するときに、私流の独特の見方があります。それは、この作品の中でどれでも1つ持って帰ってもいいと言われたときに、どの作品にするかと思いながら見るのです。もちろんどの作品も持って帰ることはできませんが、このような見方も結構楽しいものです。プロの審査員さんからみた作品の評価とは別な、自分の部屋に飾りたい、自分好みの作品を見つけるのです。

 作品展では時々感動をもらう素敵な作品に出会うことがあります。今から17年ほど前に出会った作品が今も強烈に印象に残っています。松阪市子ども支援センターで行われた松阪市PTA連合会主催の作品展で、今も書道界で活躍されている下平小波さんの、たしか「花盛」だったと思います。作品の前で釘付けになるというほど、衝撃を受ける作品でした。作品展は2日間行われていましたが、次の日もその作品を見に行きました。まさに自分流「持って帰りたい」作品でした。

 今回の市展第2部の写真の部では、鳥が木の実をついばむ決定的瞬間を捉えた綾野利勝さんの「緋連雀飛来」。女性の向こうに太陽が隠れ、女性の姿がシルエットとして浮かび上がった出口量造さんの「シルエット」が私流「持って帰りたい」作品です。 書道の部では出口由美子さんの「見えない配達夫」が自分好みの作品でした。審査員さんの作品を私流にも評価しては失礼とは思いますが、写真の部の梅川紀彦氏の「赤いバラをもつ女」は素敵な作品でした。
 市展は11月2日まで開催されています。
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最後の「八田城山いきいきまつり」開催される

2014-10-26 18:54:19 | 日記
 今日、10月26日、松阪市嬉野八田町で「八田城山いきいきまつり」が行われました。私も公務が重なった議長のかわりに参加させていただき、松阪市議会を代表して挨拶をさせていただきました。

 八田城は松阪市嬉野八田町の集落の南側に位置する16世紀の北畠の山城で、城のふもとにある松阪市教育委員会の案内板によると、雲出川に支流中村川の南側に位置し、標高は58m、地区の平地からは34mの高さにあり、城跡は土塁に囲まれた主郭を中心とし、小郭、井戸跡、堀切などが残る。この地区には地区名の付いたいくつかの城跡があり、上流側には釜生田城、森本城、滝之川城、下流側には天花寺城、堀之内城、小川城があり、八田城は釜生田城、森本城、滝之川城とともに城跡全域が残っている城です。

 
 (来場者につきたての餅が振る舞われました)     (原田秀巳会長と記念写真を撮りました)

 この祭りが始まった経緯として、世の中の物質文明が進んでいく中、地区の人々と里山とのつながりもなくなり、八田の城山は荒れ放題、山が孟宗竹で覆われ面影もなくなってしまいました。廃れゆく田舎の象徴のようで寂しく感じていました。この城山を自然と調和した里山公園として地域の活性化につなげたいとして、平成15年に八田城山公園保全会が結成されました。
 この城山は個人が所有されているものを借り受けるかたちで、平成15年から八田地区のボランテァの人々で城山の整備が始まりました。2年がかりで表登山道や進入路を整備し、木や竹で覆われていた主郭部も整備しました。

 平成16年の春に初めての「城山イベント」が開催され、平成16年秋のから現在の「八田城山いきいきまつり」が続けられています。
 まつりでは餅つき大会や物産販売、子どもたちのゲームや芋ほり会、抜き菜会などがあり、来場者には炊き込みご飯や城山汁が無料で振る舞われます。

 この城跡を管理し、この祭りを運営する八田城山公園保全会の原田秀己会長の話では、関係者の高齢化もあってこの祭りも今年が最後ということです。私もほぼ毎年参加していますので残念ですが、ひとつの時代の流れを感じました。
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第3回深野棚田まつり開催される

2014-10-25 20:22:18 | 日記
 日本棚田百選にも選ばれた、松阪市飯南町深野の「深野だんだん田」で10月25日、「深野棚田まつり」が開催されました。この祭りは、柿野住民協議会(栃木喜明会長 会員約600人)深野支部と深野棚田保存会が主催して2年前から行われているもので、今年が3回目を迎えます。

 昨年は風が強く、点けたローソクの灯が消えて大変だったということですが、この日やほとんど風のない絶好の条件でした。今年は竹の燭台1700本に加え、新たにペットボトルで作った燭台1200本が加わり、2900本の灯が灯りました。
 栃木会長の話では、柿野住民協議会深野支部の役員約15人が2週間かけて準備したということです。

 祭りは午後1時から始まり、仮設ステージではミニコンサートがあり、地元の農産物や棚田で取れた米を使ったおにぎりの販売や、餅つき体験やきなこ餅、あんこ餅のおもてなしがありました。

 

 午後4時30分、ローソクに一斉に点灯されました。日常生活の中では今の季節、日の暮れるのは早いのですが、この日会場の棚田では日が沈んでから日が暮れるのが大変遅く感じられ、多くのカメラマンが早くから撮影スポットにカメラを据えて暗くなるのを待ちました。

 やがて夕闇が迫ってくると、灯りが浮き出てきて、辺りが漆黒の闇に包まれるころ、棚田の畦沿いに設置された灯りが、畦の形を浮き上がらせました。ローソクの炎が竹筒の横穴からチカチカと風に揺れ、何とも言えない素敵な光景でした。今年は子ども達がロ-ソクで作った「フカノ棚田まつり」という文字も闇の中に浮かび上がりました。
 準備していただく方々は大変だったと思いますが、多くの市民が山あいの光りの祭典を楽しみました。

 第1回の祭りの会場で松阪市文化財保護指導委員の野呂修二さん編集の「日本棚田百選 深野棚田の考察」という文書をいただきましたので、全文紹介します。 

                   日本棚田百選  深野棚田の考察

 稲作文化のなかった縄文期は別として、現在の深野の里は何時ごろより集落化したのかを調べるとき、資料があまりにも少なく疑問が多くありますが、古代の大和と伊勢を結ぶ線上に位置する地点だけに、櫛田川沿いでは比較的に古い時期より水田も開かれていたと思われます。
 江戸時代の文献に、東沖と深世古にまたがって宮城があり、氏神としてお祀りされてきた「東の宮午頭天王八王子社」の社伝に「村の草分けは700年ほど前」とされており、当時より200年を加えると約900年遡ることができ、平清盛の時代頃にはすでに集落ができていたと推測できます。
 また神路山地区の橋ヶ谷には木地屋廣という所があって、数百年以前より、数軒の生地師がすんでいたという伝承も残っています。
 その後永正7(1510)年 伊勢国司6代目北畠材親(きちか)が疱瘡(天然痘)を患って、伊勢国司職を家督の7代晴具に譲り、多くの家臣を伴い隣村の大石村字御所に隠遁しました。いわゆる大石御所と呼ばれる所です。
この際元国司の北畠材親に随行してきた家臣たちは、大石御所周辺の原野を開拓して軍事拠点の城郭や狼煙場・馬場等や、狩猟のための狩場を造ったり、家臣団の食料生産の場として荒地を開墾して農地を拡大してゆきました。(現在も地名とつて御所、馬場山、狩場、城山、矢下が残り使われています。)
 深野地区内にある宇長野は、家臣の長野左京の居城長野城があったところで、この辺りを拠点に傾斜地の荒地を開墾して、段々に田畑を作っていったのでしょう。棚田の造成はこのころより本格的に始まったと思われます。この集落は開墾者の名に因み今も「長野」と呼ばれています。
 慶長年間(1596~1615)長野城の奥詰として居住していた郷土の野呂俊光(改名前松本市太夫)は、この地が紙すきに適していることを悟り、美濃の国に赴き紙漉き職人2名を連れ帰り当地で冬場農閑期の副業として、里人達に紙を漉くことを奨励しました。
 時は移り江戸時代、元禄の世となり経済も発展し庶民のくらしも豊かになり、紙の需要も次第に増大してゆきました。ところが紙の生産には立地条件があり、今と違ってどこででも紙を生産するということができませんでした。
 当時紙生産の最適地であった深野は、そのために近在はもとより、遠くは松阪・南島・志摩方面からも、深野へ行けば紙を漉く仕事があるというので、江戸時代中頃より明治初期まで、荒地原野であった夏明地区に人家が集中して、冬場の紙が透ける時期は紙を漉き、紙すきができない夏場に食料生産の場として棚田を造成してゆきました。
 この地方の方言で、原野や荒地を切り開くことを「地明け(ぢあけ)」と呼んでいます。私はこの夏場に荒れ地を地明けして田んぼを造っていったために、地名を「夏明」としたのではないかと推測しています。
 したがって平成11年に日本の棚田百選に認定された「深野のだんだん田」夏明地区の棚田は、元禄時代頃~明治時代(約320年~130年位前)の間に造成された比較的に新しいもので、中世期の開田された長野地区などとは150年以上も後に造られたものです。
 又この夏明地区の狐岩と呼ばれている所には、深野上郷地区の旦那寺として浄土宗宝泉寺というお寺がありますが、当時江戸幕府はキリスト教を取り締まるための宗門改により、夏明地区の入植者は全戸他所4ヶ寺の門徒宗の信者で、宝泉寺の檀信徒ではありませんでした。
 しかし現在の様に交通手段が発達していなかった時代の事、普段の弔いは地区内の宝泉寺に以来をしていたために記録が残されていて、江戸中期より明治中期までの間は増加傾向にあり、これは幕府の新田開発奨励も相俟って、夏明地区の戸数増加と棚田の増加が立証されます。当時深野の戸数は250戸、内本郷100戸上郷150戸となっていて上郷集落の方が多くなっていました。
明 治末期から和紙需要の減少に伴い、夏明地区の入植者も次第に減少していきました。

                    文責 松阪市文化財保護指導委員 野呂修三      』
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歴史民俗資料館企画展「長谷川家の文芸」開催中

2014-10-24 19:14:18 | 日記

 昨年松阪市に寄贈された旧長谷川邸の資料の一部が、松阪市殿町の松阪公園内にある松阪市立歴史民俗資料館の企画展「松阪商人 長谷川家の文芸」で公開されています。

 長谷川家は、三井家、小津家、長井家と並ぶ松阪が生んだ豪商の1つで、昨年4月に旧長谷川邸の敷地4688,40㎡、9棟の建物・庭園、そして23,000点もの資料が松阪市に寄贈されました。この膨大な資料は現在調査中ですが、松阪商人を知るうえで大変貴重なものです。


                    (本居宣長から寄贈された290首の短歌)

 その資料の中でも今回の企画展では、長谷川家の文化的な暮らしぶりをうかがう文芸資料を中心に展示されているもので、金屏風に貼られた本居宣長が長谷川家に贈った短歌290首や、千利休が秀吉に切腹を命じられた原因となった、京都大徳寺の利休像と同型の利休翁像、また蒲生氏郷直筆の「茶日記」など珍しい資料が展示してあります。
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交通事故撲滅市民大会開催される

2014-10-17 17:12:23 | 日記
 ~なくそう交通事故を市民の力で!!~をテーマに交通事故撲滅市民大会が10月17日松阪市民会館で開催されました。この大会は松阪市自治会連合会が主催して毎年この時期に行われるもので、自治会関係者を始めとする大勢の市民が参加しました。

 松阪市の交通事故死数は全国でもワースト10の常蓮で、松阪市や松阪警察署、自治会や交通安全協会など、交通事故撲滅に取り組んでいるが、なかなか減りません。昨年1年間の交通事故死数が12人であったのが、今年は現時点ですでに12人の死者が出ています。

 この日のセレモニーでは主催者である松阪市自治会連合会の小山利郎会長の挨拶に始まり、山中松阪市長、水谷松阪市議会議長など来賓の挨拶があり、交通事故撲滅宣言を確認しました。このあとの「とまとーずの交通安全教室」では参加者が体を動かしながら、楽しく勉強しました。

 基調講演では元FAレーサーの中島悟さんを講師に「安全運転の極意」というテーマで話しを聞きました。中島さんは路上で運転する事が多く、今日の講演会も車で来たと言うことですが、これまで他の車と接触したことも、追突されたことも一度もなく、運転中にどきっとしたことも一度もないということです。

 安全運転の心得として3つのことを上げられました。
1つは「あらゆる方向を見ること」。バックミラーなどを使って360度を見ること、前も先の方まで見ること。

2つ目は「自分の存在を相手に知らせること」。ヘッドライトは半分は自分のため、半分は自分の車の存在を相手に知らせるためにある。ブレーキランプやウインカーで、いかに早く自分の車の存在を相手知らせるか。雨の日のライトも重要である。

 3つ目は「自分を含めた車の中の人を守こと」。必ずシートベルトをすること。エアーバックは正面の事故しか開かないので、頼りにしてはいけない。
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9月議会最終日、図書館改革を除く修正案が可決される

2014-10-16 23:12:51 | 日記
 松阪市議会平成26年9月議会は10月16日最終日を迎え、補正予算などの議決が行われ、45日間の全日程を終えた。

 この日議決された補正予算のうち、「議案第77号 平成26年度松阪市一般会計補正予算(第5号)」では、教育費に入っている「図書館改革推進事業費」がPFI導入を前提にした予算であることから担当の文教経済委員会(川口保委員長)でも議論を呼び、「議会に対する説明が不十分である」「PFIありきで進められてきた」などの反対意見が出され、反対多数で否決された。

 16日の本会議では「図書館改革推進事業費」の関連予算を除く修正案が提出され、この修正案が賛成22、反対4(欠席1)で可決された。PFIの導入を前提とした図書館改革に議会が「NO」を示したことになる。
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竹川竹斎翁を偲ぶ集い開催される

2014-10-12 21:42:50 | 日記

  竹川竹斎翁の誕生地射和町で茶人としての竹斎翁を偲ぶ茶会と、ゆかりの地射和町一円を散策する催しが10月12 日にありました。この催しは“射和「昔を語る会」(博之会長)”が主催して行われたもので、私も散策コースの午 前の部に参加させていただきました。

 竹川家に集合した約30人の参加者は、語る会の会員の人の説明を受けながら射和の町を散策しました。今回はコース次のようなコースを廻りました。

◆竹川家
  竹川御三家の本宅、新宅、東竹川家の内、本宅、新宅の2家は新選組を支援していたことから、明治維新後財産を没 収され、一番位の低い家「東竹川家」であったが、現在残っているのはこの竹川竹斎が生まれたこの家だけです。

◆高砂組屋台蔵
  7月に行われる射和祇園まつりに繰り出す大小12の屋台は、香椎組・高砂組・三栗組・八雲組・素鳶組・宮本組6 つの祭り組からなり、この屋台蔵には高砂組の屋台が分解して収納してあります。

◆冨山家跡

◆本宗寺
 浄土真宗東本願寺大谷派に属する寺で、三井家の墓がある。

◆香椎(かしい)組屋台蔵

◆伊馥寺(いふくじ)
 元々は伊福寺であったものが、伊馥寺に改められた。正門前の石垣は500年は経っている古いもの。

 
           (本宗寺の見学)                      (延命寺の見学)

◆延命寺
 1300年前に行基によって建てられた寺で、当時は真言宗の寺であったが、文明6年(1474)浄土宗知恩院末寺となる。当時は25の建物があったということです。山門は文明15年(1483)に北畠によって寄贈されたもので、松阪市内に現存する最古の建造物とされている。

◆射和万古窯跡
 射和万古窯跡は現在の射和小学校裏の山の斜面に作られていた登り窯で、竹川竹斎が産業振興として、全国から陶工を集めて文政3年(1856)に操業を始めた。茶道具や急須、丼、徳利などの実用品から燈籠や唐獅子などの美術品など作られたが、7年後の文久3年(1863)事業として成り立たなくなり閉鎖された。

◆竹川家墓所
 竹川竹斎は明治15年(1882)11月1日74歳で亡くなった。竹川家の墓所は射和の町並みを一望できる標高32mの丘陵地(旧国道42号沿い)に設けられており、竹斎の墓は中央にあり、法名は子広政胖居士。

 
      (竹川家墓所の竹川竹斎翁の墓)                (国分本家の見学)

◆行者祠 

◆経金塔

◆素鵞組(そがぐみ)屋台蔵

◆国分家
 国分は正徳2年(1712)4代目国分勘兵衛が土浦に醤油醸造所を設けたに始まる。宝暦6年(1756)5代目勘兵衛が「亀甲大」のマークをつけ販売する。その後製茶貿易に乗り出し、食料品・缶詰、ビール、味の素、カルピスなどの販売を始める。
 射和の国分本家を見学させてもらったが多くの蔵や建物がありました。

 今回の射和散策では、射和「昔を語る会」の博之会長、今井一人さん、長谷和幸さん、そして前会長の清水勝也さんが説明をして下さいました。
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第69回国体出場選手激励会開催される

2014-10-09 22:06:49 | 日記

 平成26年10月12日から長崎県で行われる、第69回国民体育大会(がんばらんば国体)の松阪市からの出場選手の激励会が10月9日産業振興センターで開催されました。
 この激励会には夏の全国高校野球大会で準優勝に輝いた三重高校選手を始め、バレーボール、ソフトテニス、剣道、弓道、体操など16競技55人の出場選手のうち42人が出席して行われました。

 
       (池川泰暉選手の決意表明)           (水谷松阪市議会議長の来賓挨拶)

 激励式では出場選手・監督・コーチの自己紹介のあと、山中市長から選手代表の三重高校2年の太田仁彩さんに激励金が手渡されました。 そのあと山中市長から激励のことばあり、水谷松阪市議会議長などの来賓挨拶がありました。

 決意表明では弓道少年男子に出場する松阪工業高校3年の池川泰暉さんが、「盛大な激励会を開いていただきありがとうございました。弓道は激戦区の東海大会を優勝というかたちで通過することができ、長崎国体に出場することができました。松阪市民の代表として、三重県民の代表として精一杯頑張ってきますと」力強く宣誓しました。
 最後に記念撮影をして激励会を終えました。
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これからの松阪市の農業の行方について

2014-10-08 21:58:23 | 日記
 現在開会中の松阪市議会9月議会の一般質問で「農業」を取り上げました。松阪市議会の一般質問で農林漁業に関する内容は全体的に少ないようですが、私としても始めて農業に関する質問をしました。

 日本の農業の曲がり角にきていると言われて久しいのですが、特に今、日本の稲作が大変不透明な時代にきています。農政は国の政治に左右されることが多く、自治体の裁量で動かせる範囲は少ないのですが、市議会ですので、松阪市の農政の進め方や松阪市の農業がどの方向に向かって進んで行こうとしているのか聞きました。

1)稲作の行方について
A、稲作の現状
 日本で稲作が始まったのは弥生時代と学校で習ったような記憶がありますが、遺跡からの出土物の研究などで、6000年ほど前の縄文時代中期から始まったという説が有力であるということです。そして3000年ほど前の縄文時代の終わり頃には水田栽培が始まっているということです。
 神代の昔から稲作と共に歩んできた日本の農業は、いかにコメの収穫量を上げるかが究極の目標でした。江戸時代にもたびたびの凶作、飢饉に見舞われ、戦時中には働き手が戦地に取られ、年寄りと女性で農地を守ってきた歴史もあります。

 日本の稲作が6000年の歴史の中で、大きな転換期を迎えたのが昭和40年代でした。コメ余り現象が起き、倉庫は米でいっぱいになりました。
 戦前の米の10当たりの反収は300㎏(5俵)位でした。ところが戦後、肥料の導入、機械化、生産技術の向上などにより生産量が飛躍的に増加します。そして日本人の食生活の欧米化で、パンやファーストフーズなどが食べられるようになり、米の消費は年々減少していきます。そしてついに昭和44年(1970)から減反政策がはじまりました。
 
 その後も生産量が増加し続け、消費は急速に減少していき、減反面積は年ごとに増加していきます。そして米価は年々下落していきます。かつて米価の決定する季節になると、筵旗を持った農民の代表が国会に押しかけたのは、今は昔。近年米価について農民が意見を言うことも、国会に押し寄せるバイタリティーもありません。
 今年の米価が1俵(60㎏当たり)1万円を切る事態になりました。
   1等米  9,300円、
   2等米  8,700円、
   3等米  7,700円
   履歴(トレ-サービリティー)加算500円、搬入加算200円
 日本のブランド米を代表する魚沼米も、昨年より2500円下げ1万4200円となったということです。

 そしてここにきて、再び大きな転換期を迎えようとしています。民主党政権時代に制定された農家の個別補償制度、自民党政権に変わっても名称を経営所得安定化対策に変えて続けられていた、反あたり15,000円の補助金が今年(26年)から半額になり、4年後の平成30年(2018)に廃止されます。そして同年、半世紀に渡って続けられてきた生産調整(減反政策)も廃止されることになりました。

【質問】
 コメ余りが加速し、米価の下落に拍車がかかる状況のなかで、松阪市の農林漁業を管轄する経済産業部として、これからの松阪市の稲作がどうゆう方向に進んでいくと予測しているか。

【答弁】
 三重県は伊勢平野の肥沃な土地と、多くの河川による豊かな水源、温暖な気候など稲作に適し、コメ作りが農業の中心となっています。
 生活様式の変化と食生活の移り変わりにより、コメの過剰在庫、米価の大きな下落、そしてこの夏の天候不順による不作なども相まって、生産現場では担い手を中心として大きな打撃を受け大変憂慮しています。

 このような状況の中、米価下落のセーフティーネットとなる、国の経営所得安定政策の収入減少影響緩和対策(ならし対策)の周知徹底を図っていきます。また、農家の経営を安定させる拡充措置等も求めていきたい。

 昨年11月に国の農政改革が示され、経営所得安定化対策の米政策の見直しとして、26年産米からコメの直接支払が10a当たり7,500円に半減し、平成30年からは廃止されることとなり、この減少分を日本型直接支払制度にあてることになっています。

 市においては、担い手や集落営農組織など生産現場の強化を主眼におきながら、国の制度を最大限に活用し、効率化を推進し、地域の中心経営体及び新規就農者の育成・発掘に努め、関係機関と連携し持続可能な農業経営の実現を図って行くことが重要であると考えています。
                                            ―― 以上答弁 ――

B、営農組織、認定農業者(担い手農業者)
 私の地区では20軒ほどの農家があります。20年ほど前ではほとんどの農家が稲作を自前で作っていました。今はほとんどの農家が営農組織や認定農業者に委託して作ってもらっています。
 これからの稲作はこれまで通りの個人作付けの他、営農組織や認定農業者また規制緩和により参入した企業で作付されることになります。そのうち個人作付けはこれからも減っていくことが予想されます。
                  
【質問】
そのような中で稲作栽培関係での松阪市独自の政策にはどのようなものがあるか、あるいは無いのか。

【答弁】
 松阪市は県内有数の田園地帯であり、約6,300ヘクタールの水田を有しており、平坦地と中山間地域に二元化した有効活用を図っています。
 市独自の政策としては、平坦地域では水田活用推進対策補助金により、大規模な地域戦略作物の麦・大豆の作付けに取り組み、コメの生産調整を円滑にして、担い手や集落営農組織を核に水田の有効活用を図っていきます。

 また生産条件が不利な中山間地域では中山間地域水田活用推進対策補助金により、多様な作物の作付け等を支援し、耕作放棄地の抑制を図っております。
この他、農業経営の継続に意欲のある認定農業者や集落営農組織等を支援する「がんばる認定農業者等支援補助金」を今年度から実施しています。
                                            ―― 以上答弁 ――

 営農組織は農家で組織する農事組合法人などで、機械の共同購入や共同作業を行います。松阪市内の営農組合は30団体です。この営農組合の多くは、作業を認定農家に委託していますが、松阪市藤之木町を中心とする「農事組合法人 コスモス(組合員69 経営委託約90ha 作業受託約56ha)」は、全て機械購入から作業まで自前で行っています。全国的に見ても優れた組織で、多くの視察があるということです。

 認定農業者は担い手農業者とも言われ、市町村が一定の条件で認定した農業経営者や農業生産法人で、国、県、市町村から補助金などの支援を受けられます。各農家の水田を借り受け、農家には賃借費として米1俵(水田によっては1.5俵)を渡す場合が多いようです。農林水産省では今後10年間で認定農家が耕作する農地面積を全農地面積の8割になるよう農地集積を目指しています。

 松阪市内の認定農業者は158経営体で、その内「主穀(米・麦・大豆など穀類を作付けする)認定農業者」が76団体です。認定農家の人に話を聞きましたが、「これだけ米価が下がると経営は苦しく、稲の休耕地につくる大豆や麦の補助金(麦35,000円 大豆15,000円)と、保険の様に掛金をしておいて、米価が下がった時に過去3ヶ年の平均の価格で買い取りをしてもらう、収入減少緩和対策(ならし対策)の制度でやっている」ということです。

【質問】
 営農組織の充実に県の役割はあるが、市の行政が果たす役割はないのか。

 農業を推進していく上での市の役割は、国の経営所得安定対策の推進、これを円滑にしていくため集落営農組織などの農業者団体との連携、戦略作物の振興や米の受給調整の推進、農地の利用集積、混作放棄地の再生利用、担い手の育成・確保等により地域農業を推進していくことを目的とした松阪市農業再生協議会を設置しています。
 担い手や集落営農組織などに対して、国等の支援制度を最大限活用できるよう、情報の共有化・発信を行っています。
                                       ―― 以上答弁 ――

C、米の消費拡大
 米の消費拡大について、飼料米として使うことや、学校給食に使うなどの方法があります。
養鶏農家の人に聞いてみましたが、米をトウモロコシの代わり5%程度まで使うことができるということです。ただ卵の味は変わらないのですが、黄身の色が薄くなるのが難点で、この場合は黄色の色粉を与えることが必要であるということです。

 松阪市の学校給食では米飯給食とパン給食が行われています。全てを米飯給食にすれば米の消費拡大になるのですが、子ども達の好みもあってパン食は欠かせません。そこで米粉でできた米粉パンを給食に使ってはどうかということになります。以前「学校給食に米粉パンを」というテーマで一般質問をしたことがあります。小麦のパンに比べると米粉パンは単価が少し高くなり難しいという答弁でした。しかし全国的には給食に米粉パンを使う自治体は増えてきています。

【質問】
 米の消費拡大について何かいい施策はありますか。

【答弁】
 農林水産省によると日本の1人当たりのコメの消費量は昭和37年の年間118.3㎏をピークに平成24年では56.3㎏と半分以下となっています。
 松阪市では学校給食においてコメの地産地消を図るとともに、今後米飯給食を増やしていく計画であります。米粉パンも年5回ほど使用していますが、農山漁村活性化プロジェクト支援交付金等で米粉の利用を図っていきます。
 今後もコメや米粉の活用等について考えていきたいと思っています。
                                            ―― 以上答弁 ――

 この他、農産物のブランド化について、六次産業化について、インターネットを使った農産物の発信と販売についてなど質問しました。
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市展第1部始まる

2014-10-05 22:36:01 | 日記
 松阪市外五曲町の松阪市文化財センターで、第55回松阪市美術展覧会(市展)が10月4日から始まっています。市展は第1部と第2部に分かれており、今回は第1部の絵画、彫刻・工芸部門です。

 市展は毎年見に行っていますが、今日家内と見に行きました。なかなか分からないところもあるのですが、市内の芸術の最高峰を作家に感謝しながら見せていただきました。
 市展第1部は10月12日(日)まで開催されています。
 
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