松阪史跡探訪会主催の第5回松阪史跡めぐりは平成27年11月28日(土)市民20名が参加して開催されました。
松阪史跡探訪会(川口保代表)は2年前に結成された会で、松阪市周辺の名勝、名山、城跡、遺跡、史跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り・神事、食、名産などを探訪するものです。当面10回100ヶ所を目標に開催しています。
第1回目の和歌山街道めぐり(その1)、第2回の嬉野方面めぐり、第3回の櫛田川流域めぐり、第4回の伊勢街道めぐりについで、今回は本居宣長記念館・松坂城跡とまちなか史跡めぐりでした。
探訪地のコースは次の通りです。
本居宣長記念館・鈴屋 ⇒ 松坂城跡 ⇒ 御城番屋敷 ⇒ 殿町武家屋敷跡通り ⇒ 旧原田二郎邸 ⇒ 本陣跡と伊勢街道 ⇒ 商人の館 ⇒ 松阪もめん手織りセンター
1)本居宣長記念館
国学者本居宣長(1730~1801)の71年の生涯の資料を展示、収蔵する資料館で、昭和45年11月5日に開館しました。資料は本居家から寄贈されたものなど16000点で、宣長の著書、蔵書、遺品、板木のほか一族、門人の著書、書簡などを収納、展示します。この内国重要文化財が467種1949点、県有形文化財が20種31点あります。
本居宣長旧宅「鈴屋」の見学) (本居宣長の書斎)
◆宣長の旧宅鈴屋を見学
この日はまず西山杏奈研究員の案内で本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」を見学しました。鈴屋は宣長が12歳から72歳で亡くなるまで過ごした家で、もともと本町にあったが、周辺の町が火災に見舞われたこともあり、災禍から旧宅守るために明治42年(1909)現在の松坂城跡の中に移されたものです。2階の書斎を自ら鈴屋と名づけました。
◆宣長17歳の時作った日本地図に参加者感嘆
この後、記念館の講座室で吉田悦之館長から松坂城の歴史や松阪商人の話など、宣長が生まれるまでの松阪の歴史、そして宣長誕生後の話を聞きました。
本居宣長は1730年、江戸に店を持つ伊勢国松阪本町の木綿商の家に生まれました。11歳の時父が亡くなり、宣長が家督を継ぐときには店は窮地に陥りついに破産してしまいます。このとき本町の大きな家を他人に貸して、魚町の小さな家に移り住みました。この家が鈴屋です。
宣長は1745年、商売の勉強のため16歳で江戸に出ました。この翌年郷里に帰り、17歳の時に書いた地図が講座室に貼られていましたが、伊能忠敬が1800年に測量をして日本地図を作る50年も前のことです。宣長は実際に日本中を歩いたわけでなく、人から聞いた話をつなぎ合せてこの地図を作成したということですが、かなり細かく正確な地図に参加者から驚きの声が上がっていました。
(講座室や展示室で吉田館長から興味ある話を聞きました)
◆展示室で吉田館長からユーモアを交えた楽しい話を聞きました
この後展示室に移動して展示物を見学しながら吉田館長から話を聞きました。宣長は昼間は医者としてかなり遠方まで往診に出かけ、夜は書斎(鈴屋)に閉じこもって研究を続けました。
文字も昼間の医者としての記述は走り書きのようでしたが、夜学者として書かれた文字は正確無比な活字のようなきれいなものでした。以前に吉田館長がテレビの取材で「宣長はマシーンです」といわれたように、一字も間違いのない、しかも筆で書かれた細かい文字には参加者一同感嘆していました。
また母親との手紙のやり取りで、「酒は3杯以上飲まないように」と言われていることや、妻勝が京都に遊びに行ってなかなか帰らず、宣長から「不自由しているので早く帰るように」と催促していることなど、楽しい話も聞かせていただきました。
◆史跡めぐり参加者の半数は記念館は初めて
今回の史跡めぐりの参加者で約半数が本居宣長記念館は初めてでした。館長からは「記念館ができてから45年経っているのに」という嘆きも聞こえましたが、初めての人が来館してもらった意義があったかと思います。
本居宣長に関するこれまでの私のブログの関連記事
○本居宣長記念館を楽しくする意見交換会開催される(2014-7-17)
○「教えて宣長さん」開催される(2012-8-19)
○本居宣長記念館「ふみの森探検隊」募集中(2011-10-4)
○本居宣長ゆかりの「国学の道」の散策(2010-4-6)
2)松坂城跡
松坂城は今から430年程前の天正16年(1588)に、安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が、四五百森(よいほのもり)に築城した平山城です。
当時は三層の天守閣や兵部屋敷がありました。また当時の城絵図には敵見・金ノ間・太鼓・]月見・遠見櫓が描かれています。天守閣は正保元年(1644年)の台風で倒壊して、その後再建されませんでした。城跡内に当時の建物は残存せず、野面積みの石垣のみが当時の面影を偲ばせています。また城を取り囲む堀は幅15~31m、総延長約2㎞あったが明治初期に埋められ、神道川等になごりを残します。
松坂城跡は平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれました。また都市公園法施行150周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選定されました。平成23年2月7日には国の史跡に指定されました。
松坂城跡は以前に観光協会のボランテァガイドをしてみえた松井淳さんに案内をしていただきました。
(編 集 中)
松阪史跡探訪会(川口保代表)は2年前に結成された会で、松阪市周辺の名勝、名山、城跡、遺跡、史跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り・神事、食、名産などを探訪するものです。当面10回100ヶ所を目標に開催しています。
第1回目の和歌山街道めぐり(その1)、第2回の嬉野方面めぐり、第3回の櫛田川流域めぐり、第4回の伊勢街道めぐりについで、今回は本居宣長記念館・松坂城跡とまちなか史跡めぐりでした。
探訪地のコースは次の通りです。
本居宣長記念館・鈴屋 ⇒ 松坂城跡 ⇒ 御城番屋敷 ⇒ 殿町武家屋敷跡通り ⇒ 旧原田二郎邸 ⇒ 本陣跡と伊勢街道 ⇒ 商人の館 ⇒ 松阪もめん手織りセンター
1)本居宣長記念館
国学者本居宣長(1730~1801)の71年の生涯の資料を展示、収蔵する資料館で、昭和45年11月5日に開館しました。資料は本居家から寄贈されたものなど16000点で、宣長の著書、蔵書、遺品、板木のほか一族、門人の著書、書簡などを収納、展示します。この内国重要文化財が467種1949点、県有形文化財が20種31点あります。
本居宣長旧宅「鈴屋」の見学) (本居宣長の書斎)
◆宣長の旧宅鈴屋を見学
この日はまず西山杏奈研究員の案内で本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」を見学しました。鈴屋は宣長が12歳から72歳で亡くなるまで過ごした家で、もともと本町にあったが、周辺の町が火災に見舞われたこともあり、災禍から旧宅守るために明治42年(1909)現在の松坂城跡の中に移されたものです。2階の書斎を自ら鈴屋と名づけました。
◆宣長17歳の時作った日本地図に参加者感嘆
この後、記念館の講座室で吉田悦之館長から松坂城の歴史や松阪商人の話など、宣長が生まれるまでの松阪の歴史、そして宣長誕生後の話を聞きました。
本居宣長は1730年、江戸に店を持つ伊勢国松阪本町の木綿商の家に生まれました。11歳の時父が亡くなり、宣長が家督を継ぐときには店は窮地に陥りついに破産してしまいます。このとき本町の大きな家を他人に貸して、魚町の小さな家に移り住みました。この家が鈴屋です。
宣長は1745年、商売の勉強のため16歳で江戸に出ました。この翌年郷里に帰り、17歳の時に書いた地図が講座室に貼られていましたが、伊能忠敬が1800年に測量をして日本地図を作る50年も前のことです。宣長は実際に日本中を歩いたわけでなく、人から聞いた話をつなぎ合せてこの地図を作成したということですが、かなり細かく正確な地図に参加者から驚きの声が上がっていました。
(講座室や展示室で吉田館長から興味ある話を聞きました)
◆展示室で吉田館長からユーモアを交えた楽しい話を聞きました
この後展示室に移動して展示物を見学しながら吉田館長から話を聞きました。宣長は昼間は医者としてかなり遠方まで往診に出かけ、夜は書斎(鈴屋)に閉じこもって研究を続けました。
文字も昼間の医者としての記述は走り書きのようでしたが、夜学者として書かれた文字は正確無比な活字のようなきれいなものでした。以前に吉田館長がテレビの取材で「宣長はマシーンです」といわれたように、一字も間違いのない、しかも筆で書かれた細かい文字には参加者一同感嘆していました。
また母親との手紙のやり取りで、「酒は3杯以上飲まないように」と言われていることや、妻勝が京都に遊びに行ってなかなか帰らず、宣長から「不自由しているので早く帰るように」と催促していることなど、楽しい話も聞かせていただきました。
◆史跡めぐり参加者の半数は記念館は初めて
今回の史跡めぐりの参加者で約半数が本居宣長記念館は初めてでした。館長からは「記念館ができてから45年経っているのに」という嘆きも聞こえましたが、初めての人が来館してもらった意義があったかと思います。
本居宣長に関するこれまでの私のブログの関連記事
○本居宣長記念館を楽しくする意見交換会開催される(2014-7-17)
○「教えて宣長さん」開催される(2012-8-19)
○本居宣長記念館「ふみの森探検隊」募集中(2011-10-4)
○本居宣長ゆかりの「国学の道」の散策(2010-4-6)
2)松坂城跡
松坂城は今から430年程前の天正16年(1588)に、安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が、四五百森(よいほのもり)に築城した平山城です。
当時は三層の天守閣や兵部屋敷がありました。また当時の城絵図には敵見・金ノ間・太鼓・]月見・遠見櫓が描かれています。天守閣は正保元年(1644年)の台風で倒壊して、その後再建されませんでした。城跡内に当時の建物は残存せず、野面積みの石垣のみが当時の面影を偲ばせています。また城を取り囲む堀は幅15~31m、総延長約2㎞あったが明治初期に埋められ、神道川等になごりを残します。
松坂城跡は平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれました。また都市公園法施行150周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選定されました。平成23年2月7日には国の史跡に指定されました。
松坂城跡は以前に観光協会のボランテァガイドをしてみえた松井淳さんに案内をしていただきました。
(編 集 中)