川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

第5回松阪史跡めぐり開催される

2015-11-30 08:06:59 | 日記
 松阪史跡探訪会主催の第5回松阪史跡めぐりは平成27年11月28日(土)市民20名が参加して開催されました。
 松阪史跡探訪会(川口保代表)は2年前に結成された会で、松阪市周辺の名勝、名山、城跡、遺跡、史跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り・神事、食、名産などを探訪するものです。当面10回100ヶ所を目標に開催しています。
 第1回目の和歌山街道めぐり(その1)、第2回の嬉野方面めぐり、第3回の櫛田川流域めぐり、第4回の伊勢街道めぐりについで、今回は本居宣長記念館・松坂城跡とまちなか史跡めぐりでした。

探訪地のコースは次の通りです。
 本居宣長記念館・鈴屋 ⇒ 松坂城跡 ⇒ 御城番屋敷 ⇒ 殿町武家屋敷跡通り ⇒ 旧原田二郎邸 ⇒ 本陣跡と伊勢街道 ⇒ 商人の館 ⇒ 松阪もめん手織りセンター

1)本居宣長記念館


 国学者本居宣長(1730~1801)の71年の生涯の資料を展示、収蔵する資料館で、昭和45年11月5日に開館しました。資料は本居家から寄贈されたものなど16000点で、宣長の著書、蔵書、遺品、板木のほか一族、門人の著書、書簡などを収納、展示します。この内国重要文化財が467種1949点、県有形文化財が20種31点あります。


       本居宣長旧宅「鈴屋」の見学)               (本居宣長の書斎)

 ◆宣長の旧宅鈴屋を見学
 この日はまず西山杏奈研究員の案内で本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」を見学しました。鈴屋は宣長が12歳から72歳で亡くなるまで過ごした家で、もともと本町にあったが、周辺の町が火災に見舞われたこともあり、災禍から旧宅守るために明治42年(1909)現在の松坂城跡の中に移されたものです。2階の書斎を自ら鈴屋と名づけました。

◆宣長17歳の時作った日本地図に参加者感嘆
 この後、記念館の講座室で吉田悦之館長から松坂城の歴史や松阪商人の話など、宣長が生まれるまでの松阪の歴史、そして宣長誕生後の話を聞きました。

 本居宣長は1730年、江戸に店を持つ伊勢国松阪本町の木綿商の家に生まれました。11歳の時父が亡くなり、宣長が家督を継ぐときには店は窮地に陥りついに破産してしまいます。このとき本町の大きな家を他人に貸して、魚町の小さな家に移り住みました。この家が鈴屋です。
 宣長は1745年、商売の勉強のため16歳で江戸に出ました。この翌年郷里に帰り、17歳の時に書いた地図が講座室に貼られていましたが、伊能忠敬が1800年に測量をして日本地図を作る50年も前のことです。宣長は実際に日本中を歩いたわけでなく、人から聞いた話をつなぎ合せてこの地図を作成したということですが、かなり細かく正確な地図に参加者から驚きの声が上がっていました。

 
            (講座室や展示室で吉田館長から興味ある話を聞きました)

◆展示室で吉田館長からユーモアを交えた楽しい話を聞きました
 この後展示室に移動して展示物を見学しながら吉田館長から話を聞きました。宣長は昼間は医者としてかなり遠方まで往診に出かけ、夜は書斎(鈴屋)に閉じこもって研究を続けました。
 文字も昼間の医者としての記述は走り書きのようでしたが、夜学者として書かれた文字は正確無比な活字のようなきれいなものでした。以前に吉田館長がテレビの取材で「宣長はマシーンです」といわれたように、一字も間違いのない、しかも筆で書かれた細かい文字には参加者一同感嘆していました。

 また母親との手紙のやり取りで、「酒は3杯以上飲まないように」と言われていることや、妻勝が京都に遊びに行ってなかなか帰らず、宣長から「不自由しているので早く帰るように」と催促していることなど、楽しい話も聞かせていただきました。

◆史跡めぐり参加者の半数は記念館は初めて
 今回の史跡めぐりの参加者で約半数が本居宣長記念館は初めてでした。館長からは「記念館ができてから45年経っているのに」という嘆きも聞こえましたが、初めての人が来館してもらった意義があったかと思います。

本居宣長に関するこれまでの私のブログの関連記事
本居宣長記念館を楽しくする意見交換会開催される(2014-7-17)
「教えて宣長さん」開催される(2012-8-19)
本居宣長記念館「ふみの森探検隊」募集中(2011-10-4)
本居宣長ゆかりの「国学の道」の散策(2010-4-6)

2)松坂城跡
 松坂城は今から430年程前の天正16年(1588)に、安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が、四五百森(よいほのもり)に築城した平山城です。
 当時は三層の天守閣や兵部屋敷がありました。また当時の城絵図には敵見・金ノ間・太鼓・]月見・遠見櫓が描かれています。天守閣は正保元年(1644年)の台風で倒壊して、その後再建されませんでした。城跡内に当時の建物は残存せず、野面積みの石垣のみが当時の面影を偲ばせています。また城を取り囲む堀は幅15~31m、総延長約2㎞あったが明治初期に埋められ、神道川等になごりを残します。
 松坂城跡は平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれました。また都市公園法施行150周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選定されました。平成23年2月7日には国の史跡に指定されました。

 

 松坂城跡は以前に観光協会のボランテァガイドをしてみえた松井淳さんに案内をしていただきました。


                             (編 集 中)
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粥見神社こどもてんてん開催される

2015-11-24 07:17:10 | 日記
 平成27年11月23日、松阪市飯南町粥見町の粥見神社(林徳昌宮司 宮総代結城庄一)に700年前から伝わる神事「てんてん」が行われました。てんてんは松阪市の無形文化財に指定されており、年に2回、春と秋に行われます。春の例祭には天狗や獅子舞などは大人たちが舞い、秋の大祭には小学校6年生の子どもたちが舞います。てんてんとは太鼓の音から付けられた名称であると言うことで、無病息災や五穀豊穣を祈る祭りです。この祭りは戦時中も耐えることなく続けられてきました。
 この日てんてんの舞いを行う子供たちは、早朝に冷たい櫛田川で心身とも清めて神事に入ります。

 粥見神社でいただいた神社紹介では、同神社の創建の年代はわからないが、「神鳳抄※」に「粥見御園」についての記録があり、平安時代に創建されたと考えられます。中世の伊勢の国司北畠親房が尊崇してとも伝えられています。江戸時代には「粥見下郷鎮守八王子」と呼ばれていましたが、明治41年に粥見・向粥見・有間野の一部地区に鎮座する九柱、及び各所に点在する山神等の小祠を同社の合祀し「粥見神社」と呼ぶようになったということです。
                        (※「神鳳抄(神鳳鈔)」は伊勢神宮の領地の諸国一覧表)

  
  (天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらう)        (どっかの市長さんも無病息災に)

 まず神社で祭礼が行われ、巫女姿の女児たちが奉納舞を披露しました。
 てんてんでは大神様から使わされた子供たち扮する「はなかけ(先駆け)」がきつねやひょっとこの面を付けて社の階段から降りてくると、他の子供たちがいっせいに杉の葉を投げつけ、いたずらをします。そのあと子供が扮する天狗が社の階段から降りてきます。天から降りる道中が長いということで階段の途中で草履をはきかえたり、居眠りをします。
 地上に降り立った天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災と言われています。また、天狗の手招きで獅子も階段を降りてきて、広場で獅子舞が披露されます。

 私も毎年、春と秋の祭りをほとんど見せていただいています。この日は空模様が心配され、時々小雨がちらついていましたが、奉納舞の舞姫やてんてんを演じた子供たちも元気に役割を果たしました。最後にはもちまきが行われ、いつもより来場者が少なかったので、私も初めて餅を拾いました。 この祭りは私のブログ「松阪市祭り100選」に記載してあります。
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松阪市レクリェーション運動会開催される

2015-11-23 16:56:55 | 日記
 秋の深まりゆく11月22日、松阪市曽原町のハートフルみくもで、「親子レクリェーション運動会」が開催されました。この運動会は松阪市から委託された特定非営利活動法人松阪市手をつなぐ育成会(理事長 瀬田正子)と、松阪市手をつなぐ親の会(会長 瀬田正子)が主催して行われるもので、昭和56年から始まっており、合併後では11回目になります。以前は第五小学校で開催されていましたが、この会場に移して4回目ということです。
私も大平勇議長とともに来賓としてお招きいただき出席させていただきました。

 開会セレモニーでは、瀬田会長はあいさつの中で、「障がいを持つ子の親として話し合える、相談しあえるグループとして活動してきましたが、親も年をとり、子どもも年をとっていく中で、福祉が進んではいるが、親が亡くなった後のことが心配です」と述べました。
 また松阪市議会の大平勇議長、松阪市社会福祉協議会の田上勝典会長が激励の挨拶を述べ、私たち来賓が紹介されました。
 各地区の代表が選手宣誓をし、準備体操のあと約200人の参加者は、徒競走やパン食い競争、玉入れなどの競技を楽しみました。
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松阪肉牛共進会 優秀賞1席は3,310万円(サミット)で落札

2015-11-22 16:56:15 | 日記

       (優秀賞1席は来年の伊勢志摩サミットにちなみ3310万円(サミット)で落札)

 松阪牛の肥育技術の向上とブランド振興を目的として、「松阪牛まつり・松阪肉牛共進会が」が平成27年11月22日、松阪市伊勢寺町の松阪農業公園ベルファームで開催されました。会場のベルファームには朝早くから松阪市内外の家族連れなどの多くの来場者で賑わいました。私も、大平議長とともに、来賓として出席させていただきました。今年は開催日が「いい夫婦の日」にあたり、抽選で15組の夫婦が招待されました。

 芝生広場には多くの出展ブースが並び、来場した市民は思い思いに品を買い求めていました。また松阪肉のすき焼きの無料の大試食会には長い列ができ、2000食が振る舞われました。

 
(優秀賞1席のももみや号と出品者の北村さん)            (表彰式の様子)

 この日会場では特産松阪牛を決める「第66回松阪肉牛共進会」が行われました。
 「特産松阪牛」とは兵庫県産の黒毛和牛で、雲出川から宮川流域の間の市町で900日以上育てられた牛という条件があり、新たに「最後まで松阪地域で飼育する」という条件が付け加わりました。この日予選を勝ち抜いた50頭が出品され、審査の結果、優秀賞1席から5席に次の牛が選ばれました。

 優秀賞1席 ももみや号     出品者 北村幸成 住所 大宮町打見
 優秀賞2席 ゆきなが3の2号 出品者 竹内重雄 住所 明和町斎宮
 優秀賞3席 てるよし号     出品者 堀久 文 住所 松阪市美濃田町
 優秀賞4席 てるふじ号     出品者 畑敬四郎 住所 多気町前村
 優秀賞5席 ふくこ号      出品者 岡田一彦 住所 大紀町野原

 このように松阪牛の女王・優秀賞1席には昨年優秀賞2席であった北村幸成のももみや号が選ばれました。正午からの表彰式では優秀賞1席~5席までの飼育農家が表彰されました。

 
     (相可高校出品のあさよし号のせり)           (抽選で招待されたいい夫婦)
 
このあと競り市が行われ、共進会に出品された50頭の牛は、威勢のいい掛け声とともに、次々と精肉業者の人に競り落とされました。今年は全ての牛が200万円以上の高値をつけました。1席の「ももみや」号は来年の伊勢志摩サミットにちなんで3310万円(サミット)で津の「朝日屋」が競り落としました。昨年の2,350万円、一昨年の2,300万円比べるとかなり高値がつきました。
 また多気町相可の相可高校の生徒たちが育てた「あさよし」号は、拍手と歓声の中でどんどんと値が上がっていき、例年通り松阪市稲木町の瀬古食品(有)が601万円で落札しました。

 このあと餅まきがあり多くの来場者に向かって餅まきをさせていただきました。

                            
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中尾修さんの思い出

2015-11-17 05:22:44 | 日記
 元松阪市議会議員の中尾修さんが亡くなられ、葬儀は家族葬でしめやかに行われたと聞きました。中尾さんは本名の「なかお おさむ」と呼ばれるより「なかお しゅう」さんと愛称で呼ばれる方が多かったのではないかと思います。存在感のある市議会議員という印象が強く、大変な酒豪だったと聞いています。
 市議会議員の大先輩ではありますが、私とは市議会での接点はありません。ただ私の青年時代に縁がありました。私が20代の頃、当時松阪市には松阪市青年連絡協議会(略して「松青協」)という青年団体があり、会員が多いときには300人を越えていました。

 あるとき松阪市に「差別をなくする市民の会」という新しい会ができるとして、各界の代表が集められました。私も松青協の代表として会合に出席しました。
 新しい会の会長の選任になり、当時の市長の名前が提案されました。私は「市長が会長であるような「官制」の組織ではなく、民間人を会長に据えて自由な活動ができる組織がいいのではないか」と主張しました。当時私は23才、若気の至りといったところでした。
 しかし大勢は市長が会長という流れでした。そのとき1人だけ私と同じように、「民間人を会長に据えるべきだ」と言われた方がいました。それが市議会代表で出席されていた中尾修さんでした。結局会長は市長がやるということになったのですが、このときの中尾さんの印象が今も強く残っています。

 昭和40年代の成人式は企画運営の全てを青年に任され、青年が仕切っていました。成人式を数日後に迎えたある日、教育委員会から電話が入り、会ってほしい人があるので来てくれということでした。私が教委に行くと日本ドライバー相互組合(現在ある同名の組織は全く関係ありません)の松阪営業所の所長といわれる人がみえて、成人式で成人に渡す袋の中に同組合のパンフレットを入れてほしいというものでした。
 その組合は入会金3,000年、会費3,000円を払うと交通違反をした場合の反則金を組合が肩代わりして払うというものでした。当然のことながら私は「このようなことをすれば、交通違反が増えるのではないか」と言ったところ、彼は「いえ、それは違います。ドライバーが交通違反をすれば罰金を払わなくてはならないというプレッシャーから違反や事故を起こしてしまうのです。元警視総監の某という人も交通事故を無くすには、これはよいシステムであるといっている」ということでした。私たちは警察もこのシステムを推奨しているのかという感じを持って、バンフレットを封筒に入れることを了承しました。

 成人式が終わって青年が集まったとき、どう考えてもこのシステムはおかしい、もう一度検証する必要があるのではないかということになりました。私たちは松阪警察署に行って話を聞きました。警察の方では「このシステムが交通事故を減らすとは思えない。取り締まる法律がないのでどうすることもでず、警察も手を焼いている」といったことでした。私たちは警察の言葉に力を得て、青年でこの組織に反対しようということになり、記者クラブで「松青協、日本ドライバー相互組合に反対 ! 」という声明を発表しました。
 そうしたところ同組合松阪営業所の所長から松青協に抗議文が届き、松青協を営業妨害で告訴するというものでした。そして地元選出の国会議員、県会議員、松阪・伊勢・久居の各市長、松阪自治会連合会長、松阪連合婦人会長などのお歴々を顧問とする新しいパンフレットを送ってきました。
 私たち青年は窮地に立たされ対応に苦慮しました。「この人たちは地位も名誉もある人ばかり、おかしな組織の顧問になることはないのではないか。もし私たちが間違っているのであれば青年らしく素直に謝ろう。しかしどう考えてもおかしい。こんなことがいいはずがない」私たちは徹底的に戦おうということになりました。そしてこれらの顧問の人たちに公開質問状を出そうという事になりました。

 この時でした。中尾修さんが市議会でこの問題を取り上げてくれました。「青年たちや警察が疑問に思っている組織の顧問に、市長がなっているのはおかしいのではないか」と市長を追求しました。当時の夕刊三重の記事によると「市長も平謝り」、「よくわからず顧問になった。顧問を降りる」ということでした。これを契機に他の名士たちも顧問を降りることになり、同組合の松阪営業所は事実上営業ができなくなりました。私たち青年は、ほっと胸をなで下したところでした。

 その後中尾さんには会ったことがありますが、このときの話をできないまま逝ってしまわれたのが、今となっては残念です。中尾修さんのご冥福をお祈りします。
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第21回飯南ふれあい祭開催される

2015-11-15 17:47:48 | 日記
 「集まれ ! 笑顔の花 飯南の光」をテーマに「第21回飯南ふれあい祭」が平成27年11月15日(日)松阪市飯南町横野の飯南産業文化センター周辺で開催されました。この祭りは飯南ふれあい祭実行委員会(廣池淑子実行委員長)が主催し、松阪市・松阪市教育委員会が後援して毎年この時期に行われているもので今年は21回目となります。
 私も一度見てみたいと思っていましたが、今年は議会に案内をいただき、大平議長とともに参加させていただきました。

 

 この祭りは飯南地区最大の祭りということで、前日の14日から前夜祭が行われ、飯南公民館教室等の発表や、お楽しみ抽選会があり地域の特産物である松阪肉、松阪茶、棚田米などが当たりました。
 本祭の15日は午前9時から始まり、松阪高校NEXTEPのダンスパフォーマンス、飯南高校吹奏楽部などのコンサート、ライブがありました。また口笛世界チャンピオン儀間太久実さんの口笛演奏、郷土の民俗芸能「粥見神社 こどもてんてん」などが披露されました。体育館の中では水墨画などの作品展やフリーマーケットなどがありました。


 駐車場広場や施設周辺広場のブースでは、焼き鳥、焼きそば、だらやき、山菜おこわ、フライドポテト、フランクフルと、綿菓子、うどん、ホタテ焼き、から揚げ、鮎の塩焼き、鮎の甘露煮、ときび餅、草もちなどが販売され、また来場者には「いのしし千人鍋」が振舞われました。
 会場内では、交通安全啓発、体力測定コーナー、献血、骨髄バンク登録、赤い羽根募金、介護予防コーナー、深野和紙すき体験、木工教室、行政書士の相談コーナー、牛乳パックの回収、消防団活動啓発など多種多様のコーナーが設けられ、また小さい子ども連れのお母さんのための授乳やおむつ交換などができる休憩室を設けるなど、手の入れようでありました。

 祭の最後には餅まきがあり、私たち来賓が餅を撒かせていただきました。この日は昨日まで続いた雨も上がり、地元を始め大勢の市民でにぎわいました。この祭りは私のブログ「松阪市内のまつり 祭り 祭」に掲載してあります。
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第101回善行者表彰式(小さな親切運動)行われる

2015-11-12 17:51:11 | 日記
 地域や学校などで長きに渡って善行を続けていられる人々を表彰する、第101回善行者表彰式(小さな親切運動)が平成27年11月12日、松阪市川井町の橋西地区市民センターで開催されました。
 小さな親切運動は今から52年前の昭和38年3月に、東京大学の茅誠司学長が卒業式告示で卒業生に贈った言葉がきっかけとなり、この年の6月13日に「小さな親切」運動が発足し、全国に広がりました。
 この日の表彰式は「心ふれあう親切な行為が社会慣行となり明るく住みよい社会を作ること」を目的として、松阪市小さな親切運動本部(本部長 竹上真人)が主催して行われたもので、公務が重なった議長の変わりに来賓として参列させていただきました。

 
       (本部長の竹上市長の挨拶)                (表彰される善行者)

この日表彰されたのは、次の個人・団体です。
○「地域住民の健康、安全な暮らしのために努められている善行部門」として小学校児童の登下校時に声掛けなどして安全確保に努めている甚目町の大島弘哉さんを始め、個人12名、1団体が表彰されました。
○「豊かな自然と美しい郷土をつくることに努められている善行部門」では、町内墓地の清掃活動などを長きに渡って行っている腹太町の青木みつ子さんを始め、公園や道路・堤防などの除草や花壇の管理などを続けられている個人8名が表彰されました。
○「その他地域住民から感謝される善行部門」では幼稚園・保育園・子育て支援センターで手作りの人形劇をしている「人形劇団ぽけっと(西山千恵子代表)」を始め、個人9名、2団体が表彰されました。

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文教経済委員会で給食センター関係の管内視察行う

2015-11-10 18:08:12 | 日記
                    (北部学校給食センター建設予定地)

 文教経済委員会(今井一久委員長 委員7名)で11月9日、松阪市の嬉野学校給食センター、三雲学校給食センターおよび北部学校給食センター建設予定地の視察を行いました。
 嬉野および三雲の給食センターは築40年近く経っている事から老朽化が進んでおり、新たに松阪市曽原町の旧天白小学校跡地に北部学校給食センターの建設を計画しています。同委員会ではこれまで委員会・同協議会で、この新学校給食センターの建設に伴う議論をしてきましたが、現地を見ようということになり、今回の見学となりました。
 
        (嬉野学校給食センター)                (三雲学校給食センター)

 今回視察した給食センター及び予定地の現状は次の通りです。

◆嬉野学校給食センター
 ・昭和46年6月建設、同47年3月稼動(44年経過)
 ・嬉野管内の幼稚園4園、小学校4校、中学校1校分 
 ・調理能力2,100食/日  現在1,200食/日調理
 ・運営人員―調理人13人、栄養士2人、運転手2人、事務員1人

◆三雲学校給食センター
 ・昭和52年8月建設、同52年9月稼動(38年経過)
 ・三雲管内の小学校4校、中学校1校分
 ・調理能力1,500食/日  現在1,600食/日調理(※)
 ・運営人員―調理人12人、栄養士1人、運転手1人、事務員1人(非常勤)
 ・(※)児童・生徒の増加により、現在調理能力を越える調理数が必要となり、スペース確保のため、  27年7月まで同センター内で炊いていたご飯を(株)長栄軒から導入して、調理スペースを確保した。

◆北部学校給食センター建設予定地
 ・場所 旧天白小学校跡地
 ・地名 松阪市曽原町312-3他
 ・敷地面積 9,550㎡
 ・事業予定敷地面積 7,125㎡
 ・計画前の高さ 標高1.28m
 ・計画高さ   標高3.20m(約2m盛土)

―-――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 現在の松阪市内の小学校・中学校の学校給食は自校方式とセンター方式に分かれ、次のように分類できます

○自校方式(24小学校)
 第一小学校、第二小学校、第三小学校、第四小学校、第五小学校、幸小学校、松江小学校、伊勢寺小学校、阿坂小学校、松ヶ崎小学校、港小学校、西黒部小学校、東黒部小学校、機殿小学校、朝見小学校、揥水小学校、漕代小学校、花岡小学校、山室山小学校、松尾小学校、大河内小学校、南小学校、射和小学校、徳和小学校

○学校給食センターベルランチ(7中学校)
 殿町中学校、鎌田中学校、久保中学校、中部中学校、大江中学校、東部中学校、西中学校

○嬉野学校給食センター(4小学校、1中学校)
 豊地小学校、中川小学校、豊田小学校、中原小学校、嬉野中学校

○三雲学校給食センター(4小学校、1中学校)
 米ノ庄小学校、天白小学校、かささぎ小学校、小野江小学校、三雲中学校

○飯南学校給食センター(2小学校、1中学校)
 粥見小学校、柿野小学校、飯南中学校

○飯高学校給食センター宮前調理場(1小学校、1中学校)
 宮前小学校、飯高東中学校

○飯高学校給食センター森調理場(1小学校、1中学校)
 香肌小学校、飯高西中学校

 (答申書「安全・安心な給食の安定供給及び食育の維持向上を目指した学校給食施設整備のあり方」平成25年3月 松阪市学校給食推進委員 から)
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蓮池薫さん講演会開催される

2015-11-07 23:24:26 | 日記
 北朝鮮に拉致され奇跡的に日本に帰国できた蓮池薫さんの講演会「北朝鮮問題と子どもの教育環境」が、平成27年11月7日(土)津市芸濃町椋本の津市芸濃総合文化センターで開催されました。
 この講演会は三重県日韓親善協会特別事業 日韓国交正常化50周年記念として三重県日韓親善協会(山口久彦会長)が主催し、在日本大韓民国民団三重県本部(殷 慶基(ウン キョンギ)団長)が共催して行われたものです。
 開会セレモニーでは三重県日韓親善協会の山口会長が主催者としてあいさつし、殷慶基民団団長、松田直久三重県日韓親善協会顧問、前葉津市長などがあいさつをしました。

 蓮池薫さんは講演の中で、拉致された様子を生々しく語りました。中央大学在学中の夏休みで帰省していた1978年7月31日、当時交際をしていた女性(後の夫人)と新潟県柏崎の海岸でデート中に、北朝鮮の工作員に女性とともに拉致され、袋に入れられ、ゴムボートに乗せられ沖の船で北朝鮮に連れていかれたということです。
 
 北朝鮮では一緒に拉致された女性とは別々な場所に連れていかれ、お互いに相手は用がないので日本に帰したといわれていたので、再開した時の喜びや、その後の結婚生活、「招待所」と呼ばれる施設での生活など述べました。
 また北の子供たちも学力社会で、立派な大学へいかにして入れるかなどの競争が激しいことや、国としては教育に熱心であることを述べました。
 蓮池さんが2002年に日本に帰ってこれたのは幾つかの偶然が重なって実現したことや、今も北に残っている拉致被害者や日本の家族の気持ちを思うと早く解決をしてほしいが、強硬ばかりではいけないなど述べました。

 

 講演会が終わってから、津の日本料理店で蓮池さんを囲んでの懇親会があり、日韓親善協会や民団の皆様とともに私も出席させていただきました。講演会だけでは聞けなかった北の生活や、日本に戻ってからの活動など聞きました。
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第6回議会報告会来週開催される

2015-11-04 22:19:06 | 日記
 松阪市議会の第6回議会報告会が来週の11月9日(月)、11日(水)13日(金)の3日間行われます。この報告会は議会改革の一環として年2回行われるもので、市民の皆様に議会の活動を報告し、意見交換を行うもので、3年前から行われています。
 今回は、市議補選で当選した新人議員も含めて28名の議員を4つの班に分け、12会場で実施されます。班割りと開催日・開催場所は次の通りです。また開会時刻はいずれの会場も午後7時からです。お近くの会場にお越し下さい。

班割り(○は班長)
1班
 ○楠谷さゆり、西村友志、松岡恒雄、植松泰之、中村良子、今井一久、田中 力
2班
 ○米倉敬周、松田俊助、坂口秀夫、山本芳敬、川口 保、濱口高志、水谷晴夫
3班
 ○西口真理、海住恒幸、沖 和哉、大久保陽一、永作邦夫、中島清晴、久松倫生
4班
 ○大平 勇、深田 龍、堀端 脩、野呂一男、山本 節、松田千代、前川幸敏  

日程
◆11月9日(月)
 1班 徳和地区市民センター(上川町263番地3 ☎20-1100)
 2班 花岡地区市民センター(大黒田町1285番地2 ☎21-5646)
 3班 中川コミュニティーセンター(嬉野中川町927番地 ☎42-5574)
 4班 東黒部ふれあい会館(柿木原町58番地 ☎  )
 
◆11月11日(水)
 1班 第二隣保館(東町15番地2 ☎51-0148)
 2班 中郷公民館(嬉野宮野町43番地5 ☎43-2844)
 3班 飯南コミュニティーセンター(飯南町粥見3910番地1 ☎  )
 4班 幸公民館(殿町1198番地2 ☎23-9549)

◆11月13日(金)
 1班 飯高林業総合センター(飯高町波瀬148番地 ☎47-0321)
 2班 射和地区市民センター(射和町586番地3 ☎29-2002)
 3班 伊勢寺地区市民センター(深長町905番地 ☎58-2647)
 4班 鵲公民館(星合町6番地1 ☎56-6025)
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第54回氏郷まつり開催される

2015-11-03 18:57:27 | 日記

 松阪開府の祖で、松阪の礎を築いた蒲生氏郷を偲ぶ「第54回氏郷まつり」が平成27年11月3日、松坂城跡および中心市街地で開催されました。この氏郷まつりは、祇園まつり、初午大祭と並ぶ松阪三大祭りの1つで、一般社団法人 松阪市観光協会(佐藤光宏会長)が主催して行われたもので、今年は松阪市制施行10周年記念事業となりました。

 祭りのメインイベントである武者行列は、これまで市役所を出発点としていましたが、今年は趣向を変えて、松坂城跡の天守からスタートし、街中に繰り出すことになりました。
 今年の蒲生氏郷役は公募により松阪市大黒田町の会社員鎌田輝義さんが、冬姫役は伊勢市小俣町の会社員井上かほりさんが務めました。また今年から竹上真人市長が氏郷の父である蒲生賢秀役を務めました。

 
      (松阪工業高校弓道部の演武)           (祭りの成功と安全を願い碑前祭)       

 武者行列には松阪市の松阪手づくり甲冑愛好会(西岡敏男隊長)のほか、三河戦国武将隊(小川政敏代表)、YOROI工房あいづ(よろいこうぼうあいづ)(佐久間住夫代表)、亀山手づくり甲冑隊(渡辺佐智男代表)、手作り甲冑勢州津高虎隊(黒川順一隊長)など市外・県外からの武者も加わっていただきました。
 
 松坂城跡で氏郷まつりの成功と安全を願って碑前祭が行われ、そのあとの出陣式では松阪工業高校弓道部主将の増田晃大が鏑矢(かぶらや)を放ち、部員が矢を射る演武をして式を盛り上げました。この碑前祭・出陣式には来賓として松阪市の友好都市である滋賀県日野町から藤澤直広町長を始め、杉浦和人町議会議長、蒲生行正同副議長、福地滋夫日野町商工会副会長の皆さんが参列していただきました。また会津若松市から清川雅史市議会副議長が、常滑市から栗本儀則副市長が参列していただきました。松坂城跡からスタートした行列は御城番屋敷を通り、殿町から市役所、そして街中に入っていきました。

 
         (氏郷の奥方 冬姫)              (竹上市長は氏郷の父蒲生賢秀役)

 街中には中央ステージ、戦国ステージ、第2ステージが設けられ、いろいろな催しが行われました。中央ステージでは松阪市ブランド大使の出口陽ライブステージ、あべ静江ステージイベントが行われました。
 また蒲生氏郷公顕彰会主催の記念講演会として、会津若松教育委員会文化課主幹の近藤真佐夫さんの「蒲生氏3代が築いた若松城と城下」というテーマの講演や、氏郷大茶会がありました。
 この日は天気もよかったこともあって大変な賑わいがあり、主催者の話では、人出は例年より5,000人多い14万人ということです。まちなかの各出店で食べ物など買い求める人々であふれていました。

 
                     (街は人・人・人・・・・・・・・・・)
 武者行列や各種イベントに出演された皆様方、各地区ブースや飲食ブースなど出店していただいた皆様方、祭りを企画運営していただいた(社)松阪市観光協会を始め多くのボランテァの皆様方、祭りに協賛・協力をいただいた団体・企業さん、そして遠くから来ていただいた来賓の皆様方ありがとうございました。
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第5回ハンギングバスケット・コンテナガーデンコンテスト開催される

2015-11-02 08:11:25 | 日記
 松阪市伊勢寺町の松阪農業公園ベルファームで10月30日から11月1日まで、第5回ハンギングバスケット・コンテナガーデンコンテストが開催されました。最終日の11月1日には表彰式が行われ、私も出席させていただきました。

 この催しは日本ハンギングバスケット協会三重県支部(岡安順子支部長)が主催して行われたもので、三重県中から多くの作品が出展されました。
 ハンギングバスケットとは地面など低い位置に鉢などを置くのではなく、花をバスケットに植えてハンギングの名前のように壁に掛けたり、吊るしたりして楽しむということです。またコンテナガーデンは植木鉢やプランターなどコンテナ(容器)に草花や植木などを植えて楽しむことということです。

         
                            (表彰式の様子)

 表彰式では主催者代表として岡安支部長があいさつされ、「日本ハンギングバスケット協会三重県支部は創立20周年を迎え、このほど一般社団法人となりました。三重県の作品はレベルが高く、三重を花と緑あふれるまちにしたい、また花街道ができればいい」と述べられました。
 また後援代表として(株)松阪協働ファームの代表取締役社長の岩森政明氏があいさつをされ、来賓として小林益久副市長、私川口保松阪市議会副議長、三重県農林水産農畜産課の早川三利課長が祝辞を述べました。
 賞状・副賞授与では優秀な作品を作られた作者が、三重県知事賞、三重県議会議長賞、松阪市長賞、松阪市議会議長賞などの賞を受けました。

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