川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

立田町の中坪遺跡現地説明会開催される

2014-07-29 14:25:08 | 日記

 松阪市立田町の「中坪(なかつぼ)遺跡」で7月26日現地説明会が開催され、私も参加させていただきました。この中坪遺跡は鎌倉時代から室町時代にかけて発達した屋敷跡で、県営ほ場整備事業に伴い発掘調査が実施されたものです。昨年度に行われた第1次発掘調査に続き、今年度は4月から2次調査が行われたもので、今回は2次調査の説明会でした。
 この日の説明会には三重県下から約60人の参加者があり、暑い中で、三重県埋蔵文化財センターの職員から熱心に説明を聞き入っていました。

 

 今回の調査では、屋敷と屋敷を仕切る区画溝が3本あり、幅は2mを越え、深さも1.5mもあり、堀の役割を果たしていたと考えられるということです。また井戸が17見つかりこの内15は、鎌倉時代のものだということです。県の担当者の人の話では、井戸水は飲料用や農業用にも使われたのではないことでした。
 建物跡は3棟分見つかり、柱を地面に埋め込んで建てる「掘建柱(ほったてばしら)建物」で、柱が下がるのを防ぐため、柱穴の中に根石が埋められていました。

 この遺跡からは土器や須恵器(すえき)などの出土品もでており、茶碗や皿、煮炊き用の鍋や羽釜、また珍しい三足壺の脚部で「獣脚(じゅうきゃく)」と呼ばれる獅子の足を表した須恵器や、祭事用とみられる馬の歯も出ています。
 この遺跡は約1ヶ月後に埋め戻され、このあとほ場整備の工事に掛かることになります。
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うきさとむら夏祭り開催される

2014-07-28 07:13:18 | 日記

 夏祭りたけなわの7月27日、松阪市柚原町の「うきさとむら」で恒例の「うきさとむら夏祭り」が行われました。この催しはうきさとむら夏祭り実行委員会とうきさとむら運営委員会が主催して、毎年この時期に行われているもので、今年が20回目になるということです。
 これまでこの祭りの運営を中心的に携わってみえた西井静男さんが亡くなって最初の夏祭りとなりました。参加された人々の心の中に寂しさがありましたが、多くの市民が入れ替わり来場して山あいの祭りを楽しみました。
 
         ({RAMO]のバンド演奏)              (鈴リン会の「松阪鈴おどり」)

 近くを流れる川の上に特設舞台が設けられ、舞台の前を流れる川のせせらぎを聞きながら、また舞台の後ろには木立が広がり、清涼感あふれる演出の中、かがり火が焚かれ、バンド演奏、松阪鈴おどり、詩吟、民話語り、フラダンス、太鼓演奏、などが行われました。
 小学生の子どもが大人顔負けのロック演奏をする「FREEZE BAND」や、発達障がいの子どもさんとお父さんのコンビの「RAMO」のバンド演奏など喝采をあびていました。舞台でのトリは、津市美里町に本拠地を置く美里龍神太鼓(川合俊幸団長)の勇壮な演奏で、この祭りを締めくくりました。

 うきさとむらの会場内にはかしわの焼き肉、から揚げ、モロヘイヤうどん、ミンチカツ、みょうがまんじゅう、飲物などなどの各種バザーの店が並び、買い求める人々で賑わっていました。普段静かな「むら」は夜遅くまで活気にあふれていました。
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第10回 松阪やたいむら開催される

2014-07-27 21:49:14 | 日記


 「たくさんの国の文化、人とのふれあいを楽しもう」というテーマで、平成26年7月27日、松阪市伊勢寺町の松阪農業公園ベルファームで、第10回「松阪やたいむら」が開催されました。
 この催しは松阪市多文化共生ネットワーク/松阪市が主催して行われるもので、フィリピン、中国、ミャンマー、コリア、ペルーなど12の国が出店し、それぞれの国の料理や民芸品などを販売しました。


 前日までとは違い、風が出て少し暑さの和らいだ芝生広場には、家族連れなど多くの市民が来場し、思い思いの品を買い求めていました。またメインステージでは各国の民俗舞踊やダンス、楽器演奏など国際色豊かな芸能が行われ、来場者を楽しませていました。私もいくつかのブースで買い物をさせていただきました。
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本居宣長記念館を楽しくする意見交換会開催される

2014-07-27 09:09:20 | 日記
 

                    (6つのグループに分かれて意見交換)

 松阪市殿町の本居宣長記念館(吉田悦之 館長)で7月26日、平成26年度 第1回ワークショップ「本居宣長記念館を楽しくする意見交換会」が開催され、私も参加させていただきました。
 この催しは、昨年12月に開催された「本居宣長記念館の在り方を考える意見交換会」で出された、展示面、教育面、施設建物についての意見を踏まえて、次のステップとして「楽しくしていく」にはどうするかを考えていくものでした。
 会場には10代の青年から80歳代の高齢の方まで、38人の市民などが参加しました。

 開会セレモニーのあと、吉田館長の案内で記念館の収蔵庫や鈴屋、桜松閣など見学し、講座室などで6つのグループに分かれて意見交換をしました。各グループとも具体的にどのように改善していくかをまとめ、グループ別に発表しました。

 
          (収蔵庫内部の見学)                  (桜松閣の見学)

 各グループから出てきた意見として、記念館や鈴屋、またその通路のバリアフリー、記念館2階へのエレベーターの設置、1階フロアーの利用としてカフェ・売店の設置や、グッズや土産物の販売、また宣長に関する書籍などを設置して2階展示場への入口とする。2階の展示物は見ただけでは難しいので、説明をしてほしい。市営駐車場から記念館への通路や、桜松閣への通路に宣長の歌碑を設置する。宣長まつりではもっと本居宣長のことを前面に出して、などの意見が発表されました。
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井尻遺跡まつり開催される

2014-07-26 18:01:31 | 日記
 
           (勾玉つくり体験)                    (火おこし体験)

 縄文時代草創期の土偶が発見され、日本最古のものとして注目を集めた、飯南町粥見字井尻地内の井尻遺跡で、7月26日「第8回 飯南粥見井尻遺跡まつり」が開催されました。

 この祭りは、NPO三重自然文化財保護サークル(上田俊篤 理事長)が主催して、子供たちに古代の生活を体験してもらうために催されるもので、夏休みの子ども達やその保護者など135人(主催者の話)が参加しました。この日も大変暑い日でしたが、会場は高架道路の下で、日陰になり風もあって比較的涼しい場所でした。
 
           (土器つくり体験)                      (弓矢体験)

 参加した子ども達は、火おこし器で火をおこすコーナー、勾玉を作るコーナー、粘土で土器を作るコーナー、弓矢を射るコーナーなどを楽しんでいました。
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本居宣長記念館を見学

2014-07-25 19:13:23 | 日記
 松阪市殿町の本居宣長記念館を久し振りに見学しました。この日展示場には松阪もめんの浴衣姿の3人の若い女性が見学に来てみえて、少しお話を聞かせていただきました。

 この女性たちは宮崎県西都市から来られた野村志保さんら3人で、市内の八幡屋さんでリースの松阪もめんの浴衣を借りて、市内見学をされていました。八幡屋さんの紹介でこの記念館を訪れたということでした。

 記念館の感想を聞いたところ、展示がユニークで通り過ぎようとしても、目に止まり、コメントが上手で分かりやすいということでした。今日はこのあと鳥羽に泊まるということでした。
 遠くから来ていただきありがとうございました。
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「豪商図書館」はおかしいでしょう

2014-07-22 08:59:01 | 日記
                  (改革を進めようとしている松阪市図書館)

 前々日に続き新聞の切り抜き中に気になった記事です。

 夕刊三重の6月30日付け「まちの声」に投稿された、市内男性の『「豪商図書館」では重苦しい感じがする』と、7月5日付けで投稿された駅部田町男性の『「豪商図書館」の是非は市などで充分検討して』のご意見に全く同感です。

 市内男性は、『最近「豪商」という言葉が盛んに使われているが、豪商という言葉に酔っているのではないか、図書館という性質から「豪商図書館」では重苦しい感じがする。市民が身近に感じられるスマートな名前で、これまで通りの「松阪図書館」でいいのではないか』というもの。また駅部田町の男性も、前述の市内男性の意見に同感するものでした。

 松阪市は観光面で「豪商のまち」で売り出そうとしています。どこの市町でも観光面ではその街の「売り」を全面に出し、観光客誘致に向けてのアピールをしています。だから松阪市も「豪商のまち」でも「歴史のまち」でも「松阪牛のふるさと」でもいいのです。でも図書館の名前に「豪商」はありません。

 今、全国的に図書館改革が行われており、松阪市も図書館改革を進めようとしているのは大事なことです。全国のいろいろな都市の図書館が注目されています。そのような中で山中市長も全国から注目を集めるために、図書館に「豪商」をつけようとしていると思うのですが、その必要はありません。図書館は市民が利用するものだからです。もし全国から注目を集めたいのであれば、それは名称ではなく内容です。

 図書館に収蔵されている図書は、観光や歴史だけではありません。児童向け図書、子育てに関する図書、料理や裁縫などの家庭に関するもの、健康や医療、趣味やスポーツ、教育、農林漁業などの産業、小説・随筆から哲学まで、全てのジャンルに渡ります。これらの上に「豪商」付いたらおかしいでしょう。
 図書館の名称は投稿者が言われるようにシンプルなもので、「松阪図書館」または「松阪市図書館」でいいのです。
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ベルファームの野菜の無人販売について

2014-07-21 07:08:28 | 日記
 我が家では中日新聞と夕刊三重の2紙をとっており、記事の中から議員活動などに必要と思われる記事を切り抜いています。記事を読みながらの切り抜きですので、なかなか進まないのですが、中にはこんな記事もあったのだと改めて気がつくこともあります。

 5月31日付け夕刊三重の「まちの声」に市内の女性の方から、野菜の無人販売に関する投書がありました。松阪市伊勢寺町のベルファームの店の前にある、少し形の悪い野菜の無人販売で、本来の金額を入れずに1円を入れて野菜を持っていく人があるというものを嘆く内容でした。

 私も無人販売所の話しは、いろいろな機会によくします。無人販売ほど、売る側と買う側の信頼関係の上に成り立っている販売方法はないのではないかと思います。この販売方法は日本特有のもので、外国では成り立たないと聞いたことがあります。もし無人販売をすれば品物も持っていかれ、お金まで持っていかれるということです。

 オリンピック招致のプレゼンで、キャスターの滝川クリステルさんが言った「お・も・て・な・し」は有名ですが、もう1つ彼女が言った「日本では落とした財布が戻ってきます」という話も記憶に残っています。
 また外国では災害や暴動が発生するとよく略奪が起きます。東日本大震災のあと外国人から見て日本という国は不思議に映ったと言うことです。「こんなに大きな災害が起きたのに、日本ではなぜ略奪がおきないの」。
 これらは日本の中で昔から培われてきた日本人のまじめさ、正直さを表すものであり、日本人としての誇りでもあります。

 無人販売所で本来のお金を払わず品物を持っていくのは犯罪です。しかしそれ以前の問題として、無人販売は日本人の正直さを表す日本特有の文化です。どんなに苦しい時代でもこの販売方法が続けていけるよう、守り、育てて行きたいものです。
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松阪祇園まつり開催される

2014-07-19 18:23:32 | 日記

 松阪の夏の風物詩「松阪祇園まつり」が7月19日、20日の両日、松阪市の市街地で開催されています。今日19日の宵宮は断続的に降る夕立のなか、三社みこしが街に繰り出し、威勢のいい掛け声が響き渡りました

 松阪祇園まつりは、初午祭、氏郷祭りと並ぶ松阪三大祭りの1つで、宵宮の19日には、八雲神社、松阪神社、御厨(みくりや)神社から若衆に担がれたみこしが「ちょうさや ちょうさや」の掛け声とともに街を練り歩きました。午後4時前、日野町交差点に集結した4基の三社みこしは練り込みを行い、祭は最高潮に達しました。
 このあと午後8時過ぎにも日野町交差点に三社みこしが集結し、宵宮のフィナーレを飾ります。

 

 明日の本日にも、今年は三社みこしが担がれ、また松阪しょんがいソーランや松阪鈴おどり、松阪しょんがい音頭と踊りなど、いろいろな催しが行われます。
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もう1つの祇園祭り「柿野神社 祇園祭」開催される

2014-07-13 21:07:57 | 日記
 

                          (横野の子どもみこし)

 松阪市内の祇園祭りは、松阪祇園祭りや射和祇園祭りは有名ですが、もう1つ松阪市飯南町横野の柿野神社(氏子約700人 常山和哲 宮司 小椋悦生 総代長 )に古くから続いている祇園祭りがあります。
 柿野神社祇園祭は、7月の中旬の土曜日、日曜日の2日間にわたって行われます。宵宮では子ども中心の手踊りや、大人の飯南しょんがい音頭踊りが行われ。本日には子供神輿が各地区を練り歩きます。

 柿野神社は100年程前にいくつかの神社が合祀されたもので、この頃からこの祭りが始まったとされています。昭和30年代までは子ども御輿と、青年団が担ぐ大人の御輿もありましたが、今は子ども御輿だけです。

 
         (上仁柿の子どもみこし)                (下仁柿の子どもみこし)

 7月13日の本日には、柿野神社管内の上仁柿、下仁柿、横野地区各1基、深野地区2基の、合計5基の御輿が柿野神社に集結しました。出発式では、各御輿に常山宮司が神社の分礼を移して、それぞれのみこしが柿野神社の名代として地区内を廻ります。
 子どもが多いところではみこしを担ぎますが、子どもが少ない地区ではみこしを台車に乗せて廻ります。それぞれの地区ではみこしが廻りながら、子ども達が一軒一軒廻って、柿野神社の御札を配ります。

 この祇園祭には数年前に来たことがあるのですが、今日久し振りに見せていただきました。取材に協力していただきました常山和哲宮司さん、小椋悦生柿野神社総代長さん、各御輿の関係者の皆さんありがとうございました。
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多気町議選無投票

2014-07-10 07:50:25 | 日記
 7月8日に告示された多気町議選は、同日午後5時に立候補届出が締め切られ、定数13人に対して立候補の届出が13人であったため、無投票となった。無投票は町村合併後始めてということです。
 多気町の立候補者が少ないという話しは早くから聞いていたが、選挙の1ヶ月前時点でも立候補予定者が、定員より2人少ないと報じられており、告示日までに何とか定数が確保された。

 立候補者が少ないのは多気だけではない、次回の松阪市議選でも同じようなことが起きる可能性がある。前回の松阪市議選では30才台が2人、40才台が1人の若い議員が誕生した。喜ばしいことである。
 しかし今後若い人たちが市議会議員に身を投じようとする事は益々難しくなってくるだろう。会社勤めであればある程度安定しているが、議員は退職金もなければ失業保険もない、また議員年金もなくなってしまった。そして一生懸命まじめに議員活動を務めていても、4年に1回の選挙に当選できる保障もない。

 かつては労働組合出身の市議会議員が多くいた。セントラル、JR、松下、NTT、中電、松阪可鍛など。今は組合の組織力が弱まっていることもあるが、組合から市議会議員に立候補しようとする人はほとんどなくなってしまった。
 市議会議員はいろいろな世代、いろいろなジャンルの人達で構成されるのが望ましい。誰もが立候補できるかたちを考えていかないと。
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松浦武四郎記念館開館20周年記念式典開催される

2014-07-06 16:02:05 | 日記
 

                       (講演する佐々木利和教授)
 北海道の名付け親で探検家の松浦武四郎の功績を展示する、松浦武四郎記念館(小野江コミュニティセンター)の開館20周年の記念式典が7月6日、松阪市小野江町の小野江小学校で開催されました。
 山中市長のあいさつのあと、来賓として来場された北海道アイヌ協会理事長の加藤忠さんが祝辞を述べ、またこれまで記念館の開館・運営に尽力された、黒宮哲之(開館当時の三雲町長)ら6人に感謝状が贈呈されました。

 
        (6人に感謝状が贈呈された)           (小・中学生による学習発表)

 記念講演では記念館の開館当時から展示指導をされてきた、北海道大学客員教授佐々木利和さんが「松浦武四郎の資料の保存と公開を振り返る」というテーマで、開館当時の展示指導の様子を話されました。
 また松阪市立小野江小学校の6年生や同三雲中学校2年生による学習成果発表。伊勢管弦楽団・三重大学室内楽団によるミニコンサートがありました。
 会場には約250人の市民や来賓などが来場して、松浦武四郎記念館の20周年を祝いました。


松浦武四郎歌碑の除幕式行われる


                          (松浦武四郎の歌碑)

 記念式典のこの日、記念館の玄関横に松浦武四郎の歌碑が建てられ、除幕式が行われました。この歌碑は松浦武四郎記念館友の会の人達が昨年12月に北海道を訪れたとき、北海道には松浦武四郎に関する銅像や歌碑が60ヶ所もあり、松阪の地にも歌碑が欲しいと、原田積善会から補助を受けて建てたものです。
 歌は武四郎の393首の中から、他に書かれていない『陸奥の 蝦夷の千島を開けとて 神もや我を 作り出しけむ』で、地元の書道家安休美千代さんが書かれました。
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