川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

第22回西黒部町民凧揚げ大会開催される

2017-01-28 16:05:58 | 日記
 平成29年1月28日、第22回西黒部町民凧揚げ大会が、松阪市高須町の櫛田川河川敷のモーターグライダー滑空場で開催されました。
 この催しは西黒部公民館(小川祐治館長)を中心とする西黒部町民凧揚げ大会実行委員会(小薮助次右衛門委員長)が主催して開催されました。

 
   (挨拶する小薮助次右衛門大会委員長)          (大勢の市民が来場しました)

 開会セレモニーでは小藪委員長の挨拶、竹上市長など来賓の祝辞があり、凧揚げコンテストに入りました。まず幼稚園・小学生の部の凧揚げがありました。この部ではまず西黒部小学校の子どもたちが作った連凧が揚げられ、そのあとエントリーした約80人の児童が班ごとに分かれて凧を揚げました。今年は上がるか、上がらないかで採点されましたが、よく上がる凧もあれば、なかなか上がらず苦戦する児童もありました。中には買い物袋で作った凧を揚げる子もいました。

 
(太陽に向かって上がる西黒部小学校の連凧)(買い物袋の凧、揚げる方も、見ている方も疲れました)
   
                       (子どもたちの凧揚げ)             
 
 子ども凧揚げの後、部門別に分かれての競技がスタートしました。凧はそれぞれの個人やチームが手塩にかけて作ったもので、よく揚がるようにいろいろな工夫がされており、審査は凧のデザインと飛行性で行われました。
 順調に揚がって凧もあれば、くるくる廻りながら急降下する凧もあり、つめかけた来場者はハラハラしたり、拍手や歓声をあげながら見ていました。

 この日会場には多くの市民が来場して、恒例の凧揚げ大会を満喫しました。また来場者には主催者側から豚汁やしるこが無料で振る舞われました。この大会のために準備をされた地元の皆さん、凧揚げに参加された皆さん、来場された皆さんご苦労さまでした。
西黒部町民凧揚げ大会は、私のブログ「松阪市内のまつり 祭り 祭100選」に記載してあります。
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わが家の梅の開花宣言

2017-01-26 16:45:21 | 日記
2017年1月26日
昨年とほぼ同じ時期にわが家の紅梅が開花しました。この梅は数十年前伊勢寺町に行ったとき、枝をもらって来て挿し木したのでした。そのうち2本が付いてわが家に植わっています。幹回り60cmくらいになって花を咲かせ、多くの実をつけます。
極寒の中であまり目立たず花を咲かせる梅は、けな気な気がします。
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待ちに待った稀勢の里の優勝

2017-01-21 19:21:44 | 日記
トランプ氏が米大統領に就任した日、日本の大相撲初場所で大関稀勢の里が優勝を決めた。
稀勢の里の優勝と横綱昇進は大相撲ファンの長年の悲願であったが、
日本人力士の10年ぶりの優勝は琴奨菊に、
日本人力士の20年ぶりの全勝優勝は豪栄道に先を越された。

昨年は最多勝という素晴らしい記録を獲得しながら、
最多勝で優勝が1回もない初めての不名誉な記録も獲得した。
いったいいつになったら優勝できるのやら、
いつになったら横綱になれるのやらというヤキモキが長いこと続いた。


私は稀勢の里がこれほど注目される前からファンであった。
北の湖を彷彿させるような、ふてぶてしいしぐさが好きであったが、
いつも型どおり見事に期待を裏切ってくれた。

私がテレビで相撲を観戦した日は稀勢の里はよく負けるような気がする。
琴奨菊に負けた日も、遠藤に危ない相撲を取った日もテレビ観戦したので、
ここ数日はテレビを見ないことにしていた。
今日もテレビが見える位置にあったが、あえて見なかった。
そのおかげかどうかは知らないが、稀勢の里が見事優勝を決めた。
一度優勝を経験すると、一皮むけるような気がする。

この次は日本人力士としての久しぶりの横綱昇進であるが、
あまり期待しない方がよいかもしれない。




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いよいよトランプ大統領

2017-01-17 04:23:49 | 日記
 2017年1月20日、いよいよトランプ氏が米大統領に就任する。選挙期間中話題を振りまき、大方の予想に反して当選し、当選してからもいろいろ物議をかもし出し、米国民も、世界も、期待と不安の中での大統領の就任となりそうである。

 ツイッターでのつぶやきに世界中が振り回されている。車をメキシコなど海外で生産せずにアメリカ国内で生産すれば、雇用が創出できることは誰もが分かっている。日本でも多くの企業が海外に工場を持っている。これらの企業が日本国内で生産すれば、雇用の創出は計り知れない。しかし人件費など、企業の国際競争力などの問題でそんなに単純なことではないだろう。メキシコの人件費はアメリカの6分の1という。アメリカで造った車にその人件費を転嫁するわけにはいかないだろう。

 トランプ氏は当選後初の記者会見で、一部メディアの質問を拒否した。日本でも退任の記者会見で、記者が会場から追い出される例はあったが、就任前からでは先が思いやられる。

 これまでは次期大統領という立場で気楽につぶやいていればよかったが、大統領に就任してからはそうはいかない。国内的にも、国際的にも、あらゆる問題に対処していかなくてはならない。そのときトランプ氏の本当の実力が試される。トランプ新大統領には大いに期待したいが。
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小阿坂かんこ踊り、御火試・御粥試開催される

2017-01-14 20:30:17 | 日記
                    (3歳から80歳まで一緒に踊ります)

 松阪市小阿坂町に古くから伝わる「かんこ踊り」と「御火試(おんひだめし)・御粥試(おんかゆだめし)」が平成29年1月14日、阿射加神社(松本明宮司)で行われました。

 小阿坂町のかんこ踊りは、鼓踊りとか神楽踊りとも言われ、松阪市内の8地区に伝わるかんこ踊りの多くは初盆供養踊りですが、このかんこ踊りは豊年祈願や農耕への感謝のために神社に奉納してきた神事踊りです。小阿坂町自治会(小林千春自治会長)と小阿坂かんこ踊り保存会(小林千春会長)が主催して行われます。
 戦前は秋祭りとして10月20日に踊られていましたが、冬のどんど火や御火試・御粥試と同じ日に開催されることに変わり、以前は1月14日に行われていましたが、今は14日に近い土曜日に行われています。

 
        (踊りの中心は子ども達)                (中央太鼓は長老が)

 小林会長にいただいた資料によると、踊りが行われる阿射加神社について次のように書かれています。
『阿射加神社は伊勢神宮より8年古い紀元前13年の創建でありまして、今から1100年前の醍醐天皇の時代には、皇大神宮、豊受大神宮と並ぶ立派なお宮さんでありました。また阿坂は鎌倉時代には小倉百人一首の撰者である藤原定家の領地でありました。かんこ踊りについては江戸時代初期から今日まで受け継がれているわけでありまして、阿坂小学校の校歌にうたわれているとおり当地は歴史は古く豊かな地であります。』

 
         (挨拶する竹上市長)              (この日どんど火も行われました)

 小阿坂のかんこ踊りのいつ頃から始まったかは定かでありませんが、松阪市史によると天明3年(1783)の唄本があり、それ以前から踊られていたことになり、唄の内容から江戸時代初期までさかのぼることができるとしています。

 唄の曲目は、勢子入り・悦び・世ノ中・花見・登牟田・牛若・忍ビ・松虫・小原妓・中入り勢子入り・和歌・長崎・じんやく・鐘巻・陣立・綾・鮎釣・鐘鋳・帷子・御寺の20曲あり、この日はこの中から勢子入り・世ノ中・花見・牛若の4曲が踊られました。

 我が西野の子踊り(かんこ踊り)も神事踊りで、小阿坂のかんこ踊りとは兄弟踊りといわれており、曲目や節もよく似ています。両方とも和歌山県日高川町の安珍清姫伝説で知られる道成寺の流れをくむ踊りです。
 小阿坂かんこ踊り保存会の小林千春会長は西野とは兄弟踊りとして、これからも交流を深めていきたいと語っていました。

   
      (御火試でその年の天候を占う)       (御粥試でその年の作物の出来ばえを占う)

 かんこ踊りが終わると、やぐら状に組んだどんど火に火がつけられ、庁屋の囲炉裏では神主により御火試・御粥試が行われました。
 御火試神事は月数を書いた樫の木の先端を囲炉裏で焼き、その燃え具合で月毎の天候を占ない、粥試神事は小豆粥釜に竹の筒を入れ、筒に入った小豆や米粒の入れ具合でその年の米の豊作を占うものです。御粥試で占う今年の御年試では、作物の出来は早生及び中生が「大々豊作」、晩生が「大豊作」という結果がでました。また来場者にはその粥が振る舞われ、私もいただきました。

 なお、小阿坂かんこ踊り、御火試・御粥試の様子は、3月4日(土)東海テレビ朝11時25分から放映されます。また同祭りは、私のブログ「松阪市内のまつり・祭り・祭100選」に記載してあります。
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残念な成人式での乱暴騒ぎ

2017-01-11 09:20:42 | 日記
 1月8日に松阪市立野町のさんぎんアリーナ(松阪市総合体育館)で行われた松阪市成人式で、式の途中にのぼり旗を持った若者が壇上に乱入する騒ぎがあったことを新聞で知って、青年時代に成人式の運営に携わってきた私にとって、大変悲しく、残念な出来事である。

 当時は松阪市の青年協議会が成人式の運営を任されていて、青年がほとんど全ての企画運営をしてきた。市側から見ると大変危なかっしい運営であったと思うが、腹を据えて任せてもらった。そして当時の新成人たちも私たちの企画にのってくれた。もちろん大声を出したり暴れたりする新成人は一人もいなかった。

 成人式の運営から離れて約40年余経つが、成人式のことは今でも気になっている。一時期全国的に荒れる成人式が問題になったが、最近は少なくなってきた。松阪市の成人式では、数年前に壇上に上がって大暴れする、目に余る行動があったが、ここ数年平穏な成人式を迎えていた。今の成人式を運営している市職員など関係者は、企画や準備に多くの労力を費やしている。そして成人式に参加される新成人の皆さんは、希望と新鮮な気持ちで臨まれているものと思う。その厳粛な式を台無しにしようとする乱暴はゆるせない。

 成人式は、成人となった喜びを祝い、大人としての自覚や責任を感じるための式典ではないのか。成人式での大人になりきらない幼稚な行動には、何のための成人式かと思う。

 人には誰もが、目立ちたい、人から注目を集めたいという気持ちがあると思う。それは私たちが人生において人間として成長していくための大事な心の糧でもある。「人より目立ちたい、人から注目されたい」という気持ちは、学業でも、スポーツや趣味の世界でも、仕事など社会においても、精進していく上で大変大事なことである。
 しかし、人より目立つということ、人から注目されるということは、長く地道な努力の積み重ねすえに花開く結果である。成人式での一部の新成人たちの傍若無人ぶりは、単なる軽薄なパフォーマンスにすぎない。悲しい限りである。

 しかし、このような荒れる成人式においても、決して目立たずとも、足を地に着け、自分の将来をしっかりと見すえた、多くの新成人たちがいたことを忘れてはならない。私たちは彼らに松阪市の将来を、日本の将来を託したい。

                                松阪市議会議員  川口 保
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嫁入り神事行われる-松阪市立野町

2017-01-08 22:34:48 | 日記
 松阪市立野町下出地区(18戸)に古くから伝わる山の神の「嫁入り神事」が1月8日に行われました。この日は少し小雨が降る日でしたが、無事神事を行うことができました。
 この行事は地区の南側の八王子と呼ばれる山の上で行われます。地区の役員である「年番」の人は藁を準備し、広場の中央の大火に火をつけます。大火が燃え上がるころ、地区の人たちが集まってきます。

 この神事は男女一対の山の神碑を中心に行われ、男の神には雑木で作った男根を形どった三ツ股を、女の神には同じく雑木で作った女陰を形どった二股を供えます。また男の神には「米十分」女の神には「麦十分」と書かれた紙を供えます。

 
         (男の神には「米十分」女の神には「麦十分」と書かれた紙を供えます)
 
 地区の人たちは年長の人たちの指導により藁で松明と、男を形どった人形、女を形どった人形をつくります。また広場の大火には残った藁を燃やして「寝床」を作ります。
 神事のクライマックスは、別の場所で火をつけられた松明を先頭に「嫁入りや 嫁入りや」と唱えながら場を半周して、最後には大火の寝床に松明を投入し、女の藁人形を仰向けに、続いて男の藁人形を下向きに重ねるようにして大火に投入して燃やします。
 以前はおかゆを炊いて、その中に餅をいれ、その餅を神に供えましたが、今は大火で焼いた餅を神様に供えます。
 
 
           (地区の人たちが手分けして、男と女の藁人形を作ります)

 大火の周囲に地区の人達が輪になって餅を焼きます。先の尖った竹に餅を刺して火にかざして焼くのですが、黒く焦げたり、餅が竹からはずれ火の中に落ちたり、ワアワア言いながら焼いていました。私も餅をいただき焼きました。

 男の神に供える「米十分」、女の神には「麦十分」の意味はわからないのですが、米が十分取れるように、麦が十分取れるようにとの願いではないかと言われています。また男の藁人形と女の藁人形重ねるようにして大火に投入するのは、子孫繁栄を願ってのことではないかと言われています。

 
     (男女の藁人形重ねて燃やします)        (最後に餅を焼いて神さんに供えます)
 
 この神事は以前7日に行われていましたが、最近はこの日に近い日曜日に行われています。また現在は地区の南側の八王子という山で行われていますが、中部台公園ができるまでは現在の中部台公園の管理事務所付近で行われていました。中部台公園の建設で立ち退きにあい、現在の場所で行われるようになりました。
 この神事がいつ頃から始まったかは定かでありませんが、地区のお年寄りが子供のときにはすでに行われていたということで、かなり昔から行われていたことになります。このような昔からの伝承神事はいつまでも続けていただきたいと思います。
 嫁入り神事は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に記載してあります。
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左義長行われる-松阪市飯南地区

2017-01-08 07:54:27 | 日記
                 (勢いよく燃え上がる深野東村組の夫婦の左義長)

 1月8日に三重県松阪市の飯南地区で行われた左義長(さぎちょう)を始めて見せていただきました。左義長は全国的に行われる行事で、松阪市内でも左義長のほか「どんど」「どんど火」「どんど焼き」など呼ばれ各地区で行われます。

 左義長(どんど火なども)は門松やしめ飾りなど正月飾りを燃やし、その火で餅をやいて食べるもので、元々は小正月の1月14日か15日に行われていましたが、15日の成人の日の祭日が第2月曜日に変わったことから、第2日曜日や月曜日に行われる所が多いようです。

 
 (年末に地区の人たちで左義長を組みます)      (子どもたちによって点火されます)

 飯南管内柿野地区の左義長は約25カ所で行われますが、今日は深野東村組自治会(山本宜生自治会長)で見せてもらいました。早朝暗いうちに、地区の人達が国道166号沿いの櫛田川河川敷に組まれた高さ4.5mの左義長に集まって来て、午前6時に子どもたちによって点火されました。同地区では夫婦として2つが組まれたものから、勢いよく炎があがりました。この炎でしめ縄などの正月飾りを燃やし、火勢が衰えたら餅を焼きます。

 左義長の起源をインターネットで調べると、平安時代の貴族の遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と呼ばれる杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬(だきゅう)」がありました。宮中では小正月の1月15日に毬杖を3本結び、その上に扇子や短冊など付けて焼く「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれる行事があり、これが民間に伝わり、現在の形になったとされています。

飯南地区の左義長は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
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賀詞交換会開催される

2017-01-04 21:42:27 | 日記
 
  (挨拶する谷川憲三松阪商工会議所会頭)        (会場は出席者でいっぱいでした)
 
松阪商工会議所主催の「平成29年 新年賀詞交歓会」が仕事始めの平成29年1月4日、松阪市高町の華王殿で開催されました。この日会場には、経済界に人たちを中心として、竹上市長、渡辺副知事、県議、市議、市幹部など約270人が出席しました。私もほかの議員とともに出席させていただきました。

 あいさつに立った谷川憲三松阪商工会議所会頭は、「景気は緩やかに上昇しているが、トランプさんがどういう政策をするのか、ヨーロッパがどうなるのか、中国がどうするのか、不透明なところはありますが、酉年はいろいろなものが熟成する年、経営が前に向かっていけるように元気に前進していきたい。また松阪商工会議所は創立70周年を迎え、これからも地域のために、商工会議所の役割を果たして行きたい。」と述べました。

 来賓として祝辞をした竹上真人松阪市長は、「昨年のリオオリンピックで土性沙羅選手が金メダルを獲得したこと、西野カナさんが有線大賞やレコード大賞を受賞したこと、そして伊勢志摩サミットで松阪肉が用いられたが、これもメス牛で昨年は女性が活躍した年でした。今年はさらに松阪を発展していきたい」と述べました。
 
 乾杯のあと懇談に入り約1時間、それぞれが新年のあいさつを交わしました。
 
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ごきげん行事開催される-大日山安養寺

2017-01-03 21:46:50 | 日記
           (「安養寺 牛玉 寳印」と書かれた紙で獅子頭を撫ぜ健康を願います)

 1月3日、大日山安養寺に伝わる「ごきげん行事」を見せていただきました。この祭りは飯高町粟野自治会(福山雅文区長)が主催し、濵田勲安養寺堂守が中心となって運営をして毎年1月3日の行われるもので、五穀豊穣や家内安全を願うものです。濵田さんや地区の人達からいろいろ教えていただきました。

◆安養寺の概要
 三重県松阪市飯高町粟野にある大日山安養寺(だいにちさん あんようじ)は真言宗の流れを組むお寺で、市教委の看板によると、「寛永17年(1640)小堂が建設され、その後享保3年(1718)、寛延3年(1750)再建され今日にいたる」とあります。

 
          (安養寺の本堂)               (退蔵寺の倉田如水住職による法要)
 
◆安養寺の効能
 安養寺の付近にあるくま笹を取って行って牛に食べさせると、牛が健康になるとして、昔は森や田引、また宮川の方からもお参りに来ていました。
 この地域は医者から遠いこともあり、昔は体が悪い時は「千願供養」と言って千人がお参りすると治るといわれました。実際は千人もお参りすることは無理なので、親戚など百人位の人に来てもらい10回のお参りをしたということです。

  
     (安養寺の牛の頭に似た獅子頭)            (「安養寺 牛玉(くす)寳印」)

◆安養寺に伝わる獅子頭
 安養寺の獅子頭は牛の頭に似た形をしており、この獅子頭は昔、櫛田川を乙栗子から流れ出たものが、粟野に流れ着いた。乙栗子の人たちが来てこの獅子頭を引き上げようとしたが上げられず、そのままここに置いていったものをこの寺に祀ったということです。この獅子頭はどの方向にしまっても、いつの間にか吉方を向いていると言われています。
 
   (赤ん坊も獅子に頭を噛んでもらいます)     (天狗が肩車に乗って本堂を3回廻ります)

◆ごきげん行事
 ごきげん行事の初めに法要があります。粟野地区にある退蔵寺と仙瑞寺の住職が交代で読経をあげます。この日は退蔵寺の倉田如水住職が般若心経を中心とした読経をあげました。
 その後箱から獅子頭が取り出され、地区の小林正弘さんが獅子頭をかぶり、参拝者は息がかからないように「しきび」の葉をくわえて、「安養寺 牛玉(くす)寳印」と書かれた紙で獅子頭を撫ぜ健康を願いました。また赤ん坊や子供は獅子に頭を咬んでもらっていました。
 また地元の池田龍生君が扮する天狗が肩車をされて本堂内を3回廻り、参拝者から体を揺すられていました。

 お世話をかけた堂守の濵田さん、福山区長さんを始め、いろいろと教えていただいた地区の皆さん、ありがとうございました。
 大日山安養寺のごきげん行事は私のブログ「松阪市のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
 
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曽原の獅子舞

2017-01-01 21:54:53 | 日記
 かねてより見たいと思っていた曽原の獅子舞を今日、平成29年1月1日に見せていただきました。松阪市曽原町の獅子舞は、江戸時代から続く伝統行事で、松阪市の無形文化財に指定されており、元日の朝、「曽原獅子舞保存会(坂下昭男会長)」によって同町の天白神社に奉納されます。
 神社では大火が焚かれ、保存会の人たちによりおしるこや甘酒が振る舞われます。
 この日坂下会長からいろいろなお話を聞かせていただき、また資料をいただきました。

◆起源と沿革
 曽原の獅子舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「伊勢大神楽」十二組の宗家の1つ、四日市市安倉川の石川源太夫組の流れを組んでいると伝わっています。
 獅子舞の起源は江戸時代中期とか後期と言われていますが、はっきりとした記録はなく、始まった年代は定かでありません。
 戦前戦後の混乱期の中断や、保存会結成後の中断があり、保存会結成後は平成18年、19年の中断を経て平成20年復活して現在に至っています。
 保存会は「誠友会」から現在の「曽原獅子舞保存会」に受け継がれています。

 
       (坂下昭男会長のあいさつ)           (地区の人たちが大勢詰めかけます)

◆現在の定例行事開催状況
 昭和三十年代には旧曽原村の村中の家々を廻って舞っており、元日から始めて終わるのが3日の昼頃までかかったということです。
 現在は元日の朝、氏神様である天白神社で奉納の舞の後、乳幼児の成長祈願、・厄年の人たちの厄払いの舞を行っており、新築された家の家運隆盛を祈願する舞を執り行っています。

◆雌獅子だけの曽原獅子舞
 現在曽原の獅子舞は雌(メス)獅子だけで舞われています。以前は雌雄一対で舞われており、舞によっては雌雄の相舞が行われていたということです。雄獅子は現在の雌獅子より一回り大きかったが、漆が塗られておらず、損傷が激しく、昭和35年頃まで練習に使われていました。坂下会長の話では、子どものころにはもう雄獅子は舞っておらず、練習に使われていた雄獅子は見たことがあるということです。

◆舞の演目
 現在行われている舞の種目は、門舞し、跳び鶴の舞、四方の舞、太刀の舞、乱の舞の5つで、笹の舞、扇の舞、神来舞の3つは途絶えています。坂下会長からいただいた「曽原の獅子舞説明」という資料によると舞の内容は次のようで、原文のまま掲載します。

✦門舞し(かどまわし)
 右手に御幣、左手に鈴を握り、さやさやと振り鳴らして、天照大神や八百万の神々の御神徳を、各家に授け、悪魔祓いのを行い祓い清める。
✦跳び鶴の舞(とびつるのまい)
 疲れて眠っている獅子の脇を、簓(ささら)をすり鳴らして天狗(猿田彦)がはね跳ぶ。獅子は時々目を開けるが、また眠ってしまう。天狗は獅子を起こそうとして、さらにはね跳ぶ。
✦四方の舞(しほうのまい)
 鳥兜(とりかぶと)をかぶった天狗(猿田彦)が獅子を誘導し、獅子と一緒になって悪魔を祓う。天地四方を祓い清める舞である。
✦太刀の舞(たちのまい)
 獅子の(御頭・おかしら)が宝剣を口にくわえ、同じく宝剣を持った天狗(猿田彦)と共に、天地四方を舞い清めて、宝剣で邪気を切り祓う。悪魔祓いの舞いである。
✦乱の舞(らんのまい)
 乱の舞は、天皇様が行幸で目的地に着かれた時や、相撲の勝負がついた時などに舞われたと、古文書に記載されている。締めの舞として執り行われる。
                                     
✦笹の舞(ささのまい)⇒昭和30年代半ば迄舞われていたが途絶えている。
 笹の枝葉に御幣を付けた忌竹を天狗(猿田彦)が持ち、悪霊や災危が襲って来ないように番をする。ところが天狗がまどろみ、眠ってしまうと隠れて様子をうかがっていた獅子が天狗に戯れかかる。最後に猿田彦は忌竹を左右左に振って祓い清め、獅子もその中を舞い清める。
✦扇の舞(おうぎのまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
 猿田彦が扇をひらひらさせて、獅子にじゃれかかる。獅子は扇が欲しくて猿田彦につきまとい。扇に向かって跳びあがったり、かみつこうとしたりするが、なかなか奪うことができない。修練を重ねた獅子に、ついに猿田彦は扇を与えてやる。獅子は大喜びして乱舞する。
✦神来舞(しぐるまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
 1年の祓いをするため、一月から十二月までの十二段で構成される。右手に鈴、左手に御幣を持ち、胸のあたりの舞布を巻いて左手中指の先にかけ、尾のほうも後持ちが舞布を巻いて持ち、美しくしっとりと舞う。左右左と清め祓う。

                   神と旅する太夫さん(北川 央氏 著)より
                     平成24年(2012年)12月25日

曽原の獅子舞は私のブログ松阪市のまつり、祭り、祭100選に掲載してあります。                                   
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2017年明けましておめでとうございます

2017-01-01 07:39:58 | 日記
                     (松阪城跡から見た初日の出)

風も少なく、晴れ渡った穏やかな正月を迎えました。
2017年、平成29年元旦。
皆様明けましておめでとうございます。
皆様ご健勝で新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
本年もよろしくお願いします。
 
朝5時から本居神社で行われた「朝起会の元朝式」に出席させていただきました。大勢の会員の皆様、来賓の皆様とともに新年を祝いました。

今年の初日の出は、松阪公園から拝みました。早朝から多くの市民が集まってきて日の出を待ちました。午前7時7分頃伊勢の方の山の上から空を赤く染めて初日が上がってきました。雲もなく素敵な初日の出でした。

このあと10時から行われる松尾神社の元旦祭に出席します。

        平成29年1月1日          
                                  松阪市議会議員 川口 保
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