8月7日、松阪市星合町の波氐(はて)神社と鵲橋(かささぎばし)を中心として「鵲七夕まつり」が行われました。この祭りは松阪市立鵲小学校管内の小舟江町、笠松町、星合町、五主町地区で行われるもので、鵲地区福祉会まつり実行委員会(高瀬良弘実行委員長)が主催して実施され、本年から松阪市が後援をしています。
この七夕祭りは、もともと星合地区で昔から行われていました。文政年間(1818~1830)の紀行文に、この七夕祭りの記述があるということから、百数十年の歴史があります。6年前に星合地区の子供たちが少なくなってきて、祭りの存続が難しくなってきたため、5年前から鵲地区全体の祭りとかたちを変えました。また4年前からみこしが登場しました。
現在鵲地区では住民協議会の設立に向けて準備が進められており、来年3月までには設立されることになっています。この祭りは、今年までは実行委員会が主催していますが、来年からは新しくできる住民協議会の主催となります。またこの祭りは、以前は午前中に行われていましたが、七夕だから夕方がよいのではということで、今年から夕方行われることになりました。
波氐神社に集合した子供たちは、みこしの出発地点である東西の神社に分かれます。東は五主町の綿積神社、西は小舟江町の八雲神社。祭りの主人公の織姫、彦星は鵲小学校の6年生から選ばれます。今年の織姫は田中世梨菜さん、彦星は楠良舞君です。波氐神社でお払いを受けた織姫は綿積神社から、彦星は八雲神社からみこしと共に出発します。そして夕暮れが近づく午後6時40分、みこしは鵲橋に到着します。橋の両側に立った織姫と彦星は、川を渡れず途方にくれます。そこに鵲が飛んできて橋を架け二人は再会することができたという話しです。鵲の織姫と彦星もめでたく鵲橋の上で会うことができ、祭りはクライマックスを迎えます。
この鵲橋のたもとの石碑に大伴家持の歌が書かれています。
『鵲の王多せ類はし耳おく霜乃志ろき越みれ盤夜曽更丹希流(鵲の わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける)』
古くから伝わる祭りに、新しい形を織り込んで、地区を上げての祭りにされました。今日は約250人の人たちがこの祭りに参加されていました。
私もこの祭りを見せていただくのは初めてですが、今日は祭りの初めから終わりまで見せていただきました。そして多くの人たちからいろいろな話しを聞かせていただきました。
話題になったのはこの地がなぜ「鵲」なのかと言うことです。私が仕事で韓国に行ったとき鵲をよく見ました。日本のカラスくらいの大きさの鳥で、いたるところで見かけました。日本ではカラスは縁起の悪い鳥ですが、鵲は羽根を広げると黒い羽根の中に扇の様に白い羽根が見え、韓国では大変縁起のよい鳥です。日本では九州の方にいるということです。
何も文献はありませんが、中国あるいは朝鮮から渡来した技能集団の人たちが、住みついたところではないかという説を、言われた方もみえました。
祭りの忙しい中で協力をいただいた、鵲地区福祉会まつり実行委員会の高瀬良弘実行委員長さん、田中正明鵲地区自治会長さん、安野日出男鵲公民館長さん、辻田一雄鵲小学校校長さんなど、多くの皆様ありがとうございました。
鵲七夕まつりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に登録させていただきました。→
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