川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

議案の賛否、市議会だよりで公表

2010-08-31 07:47:27 | 日記
 松阪市議会での質問内容や審議、議決の様子を市民の皆様に報告する「市議会だより」は、市議会だより編集委員会で編集され、年4回(1月、3月、6月、9月)発行されます。
 内容は一般質問、常任委員会での質疑応答、意見など審議の様子、議会での議決の様子など織り込まれています。

 この市議会だよりの9月1日号から、議会での採決において賛否が分かれた場合、賛成した議員名、反対した議員名の表示をすることになりました。これは松阪市議会に議会改革委員会が発足して、その中で決められたもので、議会の様子をより市民の皆様に知っていただこうとするものです。
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松阪薪能開催される

2010-08-28 22:23:50 | 日記
 8月26日、松阪公園野外音楽堂で第23回松阪薪能がありました。この催しは松阪能楽連盟(観世流、喜多流 会員約60名)が主催し、松阪市などが後援をして行われました。私も雨天のためコミュニティー文化センターであった薪能は見たことがあるのですが、松阪公園での薪能はいつも何かと重なって、今回初めて見せていただきました。午後6時から始まった薪能は途中から名前のように薪が焚かれ、幽玄な雰囲気の中で舞が進められました。

 能は今から650年も前に生まれた現在世界最古の古典演劇で、しかも地謡、衣裳、楽器、舞など当時のまま伝えられてきており、ユネスコの世界無形遺産にも登録されています。一方狂言は14世紀頃の室町時代に現れた、日本最古の喜劇です。今のコントのようなやりとりで客を笑わせようとする演劇で、将軍家に庇護された能と違い大衆娯楽のような存在でした。

 今回の狂言は「棒縛」と言って、主人の留守に太郎冠者、次郎冠者がいつも酒を無断で呑むため、主人が2人を縛って外出をします。ところが2人は縛られたまま工夫して酒を呑み、帰って来た主人に叱られるといったストーリーでした。このように狂言はあらかじめ内容がわかっていると、見ていても少しは理解ができるのですが、能の方は難しく、理解するのには少し時間がかかりそうです。

 今日は会場の松阪公園には約500人(私の目安)の市民が来場して、古くから伝わる日本の古典芸能を楽しみました。来場者の中には三重大学のドイツ留学生の15人の皆さんもみえました。舞台が終わってから留学生の1人、カトリン・ヘルマンさんにお話を聞きました。彼女は能や狂言を見るのは今回が初めてで、「内容については少しわかりました。また能の日本語も少しは分かりました」と言われていました。また彼女は能が世界最古の古典芸能であるということも知ってみえました。
 歴史的な松阪公園の石垣の下、来場者は古典芸能の世界を満喫しました。

 松阪薪能は私のホームページ。「私が選んだ松阪市何でも10選」の「まつりごよみ」に登録してあります。→クリック
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日本と韓国(2)「辛い・新鮮・安い! 韓国料理」

2010-08-27 23:02:34 | 日記
 仕事で韓国に行って、国民性の違いや習慣の違いに戸惑いながらも、いろいろな新しい発見もありました。韓国に住んでいてよかったのは、韓国料理が美味しかったことです。ビビンバ、プルコギ、クッパ、サンゲタンや冷麺、テンジャンチゲ、ジャジャン麺。特にテンジャンチゲは美味しかった。
 キムチは韓国の国民的な食べ物で、世界に広がっていきました。日本でも漬け物の消費量が数年前にキムチがたくあんを抜いて1位になったと聞きました。私もキムチは好きですが、なかなか日本では周りを気にして昼間は食べられないのですが、韓国では朝から食べることができました。

 韓国料理にはこのキムチに代表されるように辛い食べ物が多い。もちろん辛くない食べ物もあるのですが。
 韓国では生の細長いピーマンに味噌を付けてばりばりと食べます。ほとんどの食堂やレストランで付き出しに出てきます。前述の渓流沿いのパーティーでも持ってきていました。韓国人が食べているのを見て、私も食べてみたのですが、これがものすごく辛い。隣の日本から来た同僚に「これ食べてみ、すごく辛いよ」「ほんとですな、辛いですな」「見てみ、彼ら平気な顔して食べているよ」。この時韓国人はなんと辛いものを平気な顔して食べる人種だと思ったのでした。ところが後で分かったのですが、たまたま私が食べたピーマンだけが辛かったのでした。韓国人も辛いものは辛い。

 韓国料理のもう1つの特徴は新鮮であるということ。周囲を海に囲まれていて魚介類は豊富です。韓国では海の魚を始め、うなぎ、あなご、貝、たこ、イカ、かに、エビなど全て活き作りです。どこの店でも生け簀があり、注文を受けてからその場で料理します。

 韓国では犬を食べる習慣があります。犬というと、日本人はけげんな顔をするのですが、韓国では普通の食べ物です。日本では馬刺しなど馬を食べる習慣がありますが、韓国では馬は食べないと聞いています。その国その国の食文化の違いです。私も韓国で犬料理を食べたことがあります。
 もう1つ日本にはない食べ物で「ポンテギ」があります。蚕のサナギを蒸したものです。店の付きだしにも出てきます。私も食べてみたのですが、ちょっと虫を食べるのには勇気がいりました。これも韓国では貴重なタンパク源として普通の食べ物です。観光地にも売っていますし、子供たちが紙コップに入れてポップコーンのような感じで食べていました。韓国に行ったときにはこれらの食べ物を是非食べてみて下さい。

 もう1つ韓国に行ったら是非食べていただきたいのは、宮廷料理の「韓定食」です。何十種類の料理が、これでもかこれでもかと、どんどん出てきます。比較的安く、私たちが食べたときは日本円で2000円位でした。韓国には独特の食文化があります。韓国旅行では是非「食」を楽しんで下さい。
                   (つづく)
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松阪市でも事業仕分け

2010-08-25 20:29:33 | 日記
 民主党政権で実施され話題になった事業仕分け。全国においても事業仕分けを行う自治体が出てきましたが、松阪市においても10月に事業仕分けをすることが、今日の総務生活委員会協議会で報告されました。
 この事業仕分けは、外部の視点で検証することにより、最少の経費で最大の効果を目指しより効率的な行政運営を推進するとともに、職員の意識改革を図ることなどの目的で実施されます。

 松阪市の一般会計予算では1000の事業があり、その中から3年間で約100の事業を仕分けします。今年の仕分け概要は次の通りです。

日 時  平成22年10月30日(土)・31日(日)
      午前9時30分~午後5時00分

場 所  松阪市役所本庁舎(市議会)2階
      第一会場  第1・2委員会室
      第二会場  第3・4委員会室

班編成  2班で行います。1つの班構成は次の通りです。
      ・コーディネーター(進行役)   1人
      ・仕分け人             5人
        支援事業者選定仕分け人  3人
        市民仕分け人          2人
      ・書記(市職員)          2人

対象事業数  32事業(8事業×2班×2日間)
   
仕分け区分 仕分けは次の6つの区分に分けます。
①不要
②民間が実施すべき
③国又は県が実施すべきもの
④市の実施が適当だが民間委託等の検討を要するもの
⑤市の実施が適当だが内容等の見直しを要するもの
⑥現行のとおり市で実施すべきもの

仕分け対象外事業としては、100万円未満の事業、国・県補助事業、人権費、災害復旧費、一般管理費などです。

 市民仕分け人は8月2日~8月20日に公募して、17人の応募がありその中から選ばれます。また仕分け人の名前は当日発表されます。これは仕分け人に対するいろいろな働きかけを防ぐためです。

出席した委員からは次のような質疑が出されました。
 ・財政削減目標はあるのか。
 ・松阪市も仕分けしていますという、パフォーマンスにならないか。
 ・これだけの時間で仕分けできるのか。
 ・行政側が言いにくい事を仕分け人に言わせることにならないか。
 ・仕分け事業にかかる費用は。
 ・議会で議論して可決された予算を仕分けするのは議会軽視ではないか。

 これに対して理事者側は、「削減目標は設けない。パフォーマンスにならないように中身が伴ったものにしたい。仕分け人には事前に事業内容を知らせておく。かかる費用は1,837千円。仕分けで出た結果は次年度以降の予算編成に生かしていきたい、その時には議会に諮らせていただく」などの答弁がありました。

 松阪市をはじめ市単位の事業仕分けは、国の仕分けのようにバッサバッサというわけには行かない。予算の使い道が細かく示されていて、無駄な使い道は少ないと思われる。ただ違う視点でみれば無駄と映る場合も出てくるかも知れない。この仕分けにかかる費用は180万円ほどであるが、職員の負担もあり、「松阪市もやっています」というパフォーマンスだけにならないように願いたい。
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日本と韓国(1)「儒教の国 韓国」

2010-08-24 23:04:54 | 日記
 今年の8月22日で、日本が朝鮮半島を植民地支配した日韓併合から100年を迎えました。これに先立ち、菅首相が談話を発表し「痛切な反省」を表明し、朝鮮王朝時代の「朝鮮王室儀軌」の返還を決めました。かつて近くて遠い国と言われた日本と韓国、経済分野や文化面での交流が進んでいます。特に韓流ブーム起きてからは、日本人の韓国に対する意識が高まった気がします。

 私はサッカーワールドカップの日韓共催の年、2002年7月から9月まで約2ヶ月釜山に、12月に約1ヶ月金海に仕事で行っていました。ヨン様の韓流ブームが起きる少し前の事です。短い期間でしたが、この時少しだけ韓国の事情や韓国人の気質にふれることができました。日本にないものが韓国にはあったり、あるいは日本ではすでになくなってしまったものが、韓国に残っている事を感じました。

 釜山は朝鮮半島の先端部にある人口約400万人の韓国第2の都市です。ソウルが日本の東京とするなら、釜山はさしずめ大阪といった感じの町です。ソウルのような清廉さはありませんが、大変活気のある町でした。
 釜山を流れる大河洛東江は市街地の少し上流で2つに別れ、多くの水を湛えながら海に注いでいます。この2つの河の中州の先端部を埋め立てた、広大な土地での地質調査の管理が、私たちの仕事でした。会社から派遣されたのは私と、日本人の同僚1人、韓国人の金氏の3人でした。

 釜山に着いた次の日、金氏のお兄さんの友人達が渓流沿いでバーベキューをしていて、私たちも仲間に入れてもらいました。夫婦ばかり10名余りのグループでした。私たちが行くと、まず、この中の最年長はこの人ですと紹介されました。日本では何かの会であれば会長を、会社であれば社長を紹介されますが、最年長の人を紹介するという習慣はありません。韓国は儒教の国です。年上、両親、先生など目上の人を敬います。私たちはまず最年長の人に挨拶をして、ほかの人たちに挨拶をします。帰る時もまず最年長の人に挨拶をして、ほかの人たちに挨拶をしました。

 日本では女性に年を聞くと失礼にあたりますが、韓国では一向にかまわない。それは相手が自分より年上か年下かで接し方が違ってくるからです。
 これより以前に会社の旅行でソウルを訪れた時、路線バスに乗ったことがありました。私たちがバスに入っていくと、それまで座席に座っていた小学生くらいの子供たちが、いっせいに立って、私たちに席を譲ってくれたことがありました。
 目上の人を敬う。日本では薄れつつあることが、韓国にありました。
              (つづく)
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第1回三雲ええやん祭開催される

2010-08-21 21:02:28 | 日記
                    ええやん祭を運営するサムライたち

 「ええやん」。標準語でいえば「いいではないの」あるいは「いいじゃないの」と表されるのだろうか。8月21日、松阪市曽原町のハートフルみくもスポーツ文化センターで「第1回三雲ええやん祭」が開催されました。この祭りは三雲ええやん祭実行委員会(遠藤大輔実行委員長)が主催して行われました。

 三雲地区では、16年前まで三雲商工会祭りが行われていました。あの頃の祭りのよさを、今の子供たちにも味合わせたいと、三雲中学校1993年度の卒業生や、市内小津町でカメラ屋を経営する遠藤大輔実行委員長の友人達56人で、ええやん祭実行委員会を結成して、今回の祭りに取り組みました。
 遠藤実行委員長の話しでは、皆から「ええやん」と言われる様な祭りに、そしてしがらみのない三雲全体の祭りにしていきたいということです。また嬉野のおおきん祭りを越える祭りにしていきたいという抱負を述べられていました。

 午前10時30分から開会式が行われ、松阪太鼓の演奏、ライブイベント、よさこい、また幼児園園児達によるすいか割りや盆踊り、子どもから大人まで参加してのしょんがい踊りなど行われました。会場には焼き鳥、チヂミ、焼きそば、かき氷などの食べ物や輪投げ、金魚すくいなどの屋台も出て、子ども連れの家族などで賑わいました。今回朝10時のオープンからよる8時までの長丁場の祭りですが、スタッフも含めて、みんなで楽しみたいということでした。

 ええやん祭は私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に登録させていただきました。→クリック

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「仏教開花 花開く仏教文化」展開催中

2010-08-19 21:59:48 | 日記
                        写真は天花寺廃寺跡 

 松阪市外五曲町の松阪市文化財センターはにわ館で「仏教開花 花開く仏教文化」の特別展が開催中です。今回の展示には飛鳥・白鳳の古代寺院、東海・東国の古代寺院、伊勢地方の古代寺院、松阪市内の古代寺院の出土物などが展示されています。

 松阪市内には奈良時代の古代寺院が12ヶ所あったといわれています。この内、天花寺廃寺(嬉野天花寺町)、上野廃寺(嬉野上野町)、一志廃寺(嬉野一志町)、嬉野廃寺(嬉野町・嬉野権現前町付近)、伊勢寺廃寺(伊勢寺町)、ヒタキ廃寺(阿形町)、丹生寺廃寺(丹生寺町)などから出土した瓦や塼仏が展示してあります。
 塼仏(せんぶつ)は片面が平で、もう一方に片面に仏像が浮き彫りしてあるものです。天花寺廃寺の発掘調査では、国内唯一の菱形塼仏が出土しています。

 現在松阪市内には「寺」のつく町名が5つあります。嬉野天花寺町、嬉野薬王寺町、伊勢寺町、丹生寺町、蓮花寺町です。これらの町名になった寺の由来を調べたことがあるのですが、天花寺町、伊勢寺、丹生寺に関しては今回展示がしてあるように、歴史がよく分かりました。また薬王寺は大正時代に現在同所にある善福寺に合祀されたと聞きました。
 全く分からなかったのが東黒部の方にある蓮花寺町の由来となった「蓮花寺」です。地元の方に聞いてもよく分からないと言うことです。この寺のことが分かる方は教えて下さい。

 この特別展を私も今日見学しましたが、9月26日まで開催されています。
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阿久根市議会開催決まる

2010-08-17 23:03:59 | 日記
 市長と議会が対立し、議会が開かれない状態が続いていた長崎県阿久根市の竹原信一市長が臨時議会の開催を決めました。
 竹原市長は就任以来、市職員の給与明細を公開したり、ブログで不人気議員アンケートを実施したりして、特異な行動で注目を集めてきましたが、今年の3月議会では嫌いなマスコミがいるとして議会を欠席したり、また6月議会も開催されませんでした。この間に予算や市職員の賞与半減、議員の報酬の日当制、副市長の選任など重要案件を、議会での議論や承認なしの専決処分で決めてしまいました。

 松阪市においても専決処分はあります。専決処分は本来、議会の議決を経なければならない案件について、首長が地方自治法に基づき議決の前に実施して、後に議会に報告されます。しかし松阪市の場合、軽微な案件で、予算や副市長の二人制、市職員の報酬削減など重要な案件は、全て議会の承認を得ています。

 議会は行政をチェックする役割があり、民主国家では国も地方も、議会で激しい議論を戦わせながらもの事を決めてきました。この歴史の中で民主主義が少しずつ成熟してきたといえます。阿久根市のように、もしそれが市民にとって、とても良いものであったとしても、市長が議会の承認なしに独断的に決めてしまうやり方のツケは、結局最後には市民に回ってくるのではないかと思います。今回人口2万人余の小さな町での出来事ですが、このような事がもし国で起きれば、その国は独裁国家となります。初めは国民に対していかに甘い言葉を発しても、独裁国家で幸せになった国民はいません。

 今回、阿久根市議会が開催できなかったのは、議会の招集権は市長にあるからです。この部分が地方自治法の欠陥であり、議長にも議会の招集権を与えるべきであると言われています。しかしこの法律を作ったときには、このような事態が予測できなかったのではないかと思います。このようなことが起きないように、議長名で議会の開催ができる通年制をとっている自治体もあります。

 阿久根市ほどひどくはないのですが、名古屋市の河村市長のやり方にも疑問を感じます。市議会と対立する河村市長が、議会の解散目指したリコールの署名活動への協力を呼びかけています。議会を解散して自分の言うことの聞く候補を立て、議員の半数以上を市長派で占めようとするものです。もしこのことが実現すれば、名古屋市政は恐ろしい気がします。なんでも河村市長の思うままです。

 地方議会では二元代表制がとられています。首長も議員もそれぞれ住民の選挙で選ばれ、役割や権限の違いはありますが、ともに住民の代表です。その一方の代表がもう一方の代表を気に入らないからリコールを進めるというのは、二元代表制を否定するものです。議会のリコールは、議会が住民の意に添わない場合に、住民によって起こされるべきものです。

 「減税」「職員の報酬削減」「議員の定数削減・報酬削減」などは住民にとって大変耳障りのいい言葉で、拍手喝采で迎えられます。しかしそれを決めるのは地方自治の、また民主主義のルールーにのって決めるべきです。
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西野子踊り行われる

2010-08-15 15:11:22 | 日記
 松阪市西野町で古くから伝わる「子踊り」が8月14日行われました。午後1時過ぎに強い雨が降り、天候が心配されましたが、その後はよく午後4時から始まりました。
西野の子踊りは「「鼓踊り」または「かんこ踊り」とも呼ばれ、和歌山県川部町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。
 昔は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、現在合併して広くなった松阪市内でも7ヶ所しか残っていません。かんこ踊りの多くは、初盆供養踊りですが、西野の踊りは神事踊りに属するもので、雨乞いや豊年祈願の踊りです。

 西野子踊りの資料の中に次のようなものがありましたので写します。戦後約30年中断されていましたが、復活してから書かれたものです。

『西野の子踊
起源
 不明である。然し阿坂のカンコ踊りが18種類あり、その内13種類が西野の子踊りの目録と同一であること、それに加えて松ヶ崎のカンコ踊りも21種類中の4つの踊りが同じ踊り名がついている。これらがどうも関係がありそう。
 また阿坂の歌本の一番古い物が天明3年(江戸初期)だから約215年前のもの。
 松ヶ崎の踊りはもう一つ古く蒲生氏郷が松ヶ島城を松阪城に移された天正16年、その時の石挽きにはこの歌が唄われたという。歴史的な記述があるから丁度今から410年前となる。
 猟師の踊りも天正年間と言われているから、松ヶ崎と同じ頃から踊りつがれているのでは・・・・と思う。これらを総合すると最低でも200年前、もっともっと古くから踊りつがれてきたのではないか・・・・、400年も前から・・・・(※)。
 然し海浜部の花笠踊系の念仏踊と、山間部の太鼓踊りを同一視することに疑念を抱かざるを得ないのではあるが・・・・。
(※ 西野村誌によると秀吉の検地帳の記述あり、又松阪城吉田重勝の領域だった記述も・・・・ある)

其の後の経緯
 先人の方々の言いつたへによると少なくとも太平洋戦争勃発(昭16)までは連綿と踊りつがれてきた。終戦後(昭和20年)から昭和27、28年頃までは一旦復活したが、昭和30年頃から又途切れ、昭和47、48年頃から松尾地区体育祭参加という意味で、小学校運動会で一踊り披露したが、それがきっかけで復活の機運が高まり、昭和56年歌本を印刷、西野中配布することとなり、それ以来毎年踊りつがれ、今日に至っているのである。

子踊りの由来と目録
 踊りの「曰く」については一口では説明し難い。子踊りは勢子入りから花見まで17種類の踊りで構成されている。敢えて分類すれば
1)神踊り畏れ(おそれ)尊び感謝しそして豊年万作を祈念するもの
  世古入、神楽、世の中
2)農業をいとなむ生活(生きざま)を喜び、楽しみ、子どもも大人も一緒になって、情緒豊かに且体一ぱいで踊る
  小原木、飛田、綾、忍、神役、お寺、雉子突、鹿狩り、唐人、花見
3)伝説、物語りを伝承する
  鐘鋳(かねい)、長崎、鐘巻、陣立』
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美濃田町で30年ぶりの盆踊り

2010-08-13 21:58:50 | 日記
 8月13日、松阪市美濃田町で30年ぶりの盆踊りが行われました。この日、盆踊りが始まる頃には雨も上がり、会場となった美濃田公民館隣の広場には、子ども達からお年寄りまで大勢の人たちが集い、盆踊りを楽しみました。

 美濃田の盆踊り。私も大変懐かしく思いながら参加し踊らせていただきました。私が20代の頃には松阪市青年協議会(略して「松青協」)に所属していて、松青協に加入していた青年団や青年サークルの地元の盆踊りには、毎年のように参加させていただきました。
 夏になると車に浴衣とゲタが常備してあり、毎日のように市内の盆踊りを廻っていました。多いときには1日に5ヶ所くらいハシゴことがあります。
 当時の美濃田町でも盆踊りが盛大に行われ、私も毎年のように行きました。

 今年復活した美濃田の盆踊りは、20代、30代の若い人たちが中心となり、美濃田盆踊り実行委員会(井上隆実行委員長)を結成して行われました。井上実行委員長さんは、「このような時代ですので、地域の人達のつながりをもち、子供たちから老人まで世代を越えた関係をよくしていきたい」ということで、この盆踊りの復活をされたということです。またこの盆踊りの復活には「若い人たちが夫婦で準備していただき、同町自治会や美濃田営農組合、老人会などに協力していただいた。また西田憲人さんには何かと相談に乗ってもらった」ということでした。

 かつて盆踊りが行われていた頃、美濃田町には「美濃田青年おさらぎ会」という若い人たちのサークルがありました。私もこのサークルの松青協への加入の勧誘に何度も足を運びました。そして松青協に加入してもらってから、美濃田の盆踊りにはよく行きました。当時美濃田青年おさらぎ会を中心的にやってみえたのが西田憲人さんです。
 井上隆実行委員長さんは、私は他所からこちらに移ってきたので、30年前の美濃田の盆踊りは知りませんが、私の故郷でも盆踊りは行われており、何とか復活したかった。これからも毎年続けていきたいと言われていました。
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松阪市議会新役員、会派の構成

2010-08-13 09:04:57 | 日記
 松阪市議会平成22年8月11日現在の三役、各種委員会委員、各議会議員、会派の構成は次の通りです。

議  長    田中  力
副議長    山本登茂治
監査委員  佐波  徹

〓常任委員会委員 (◎委員長 ○副委員長)〓
◆総務生活委員会 7人
 ◎山本 節、○野呂一男、中村良子、今井一久、野口 正、田中 力、前川幸敏

◆環境福祉委員会 8人
 ◎川口 保、○川口寿美、堀端 脩、大平 勇、佐波 徹、永作邦夫、中森弘幸、松田千代

◆文教経済委員会 8人
 ◎大久保陽一、○中瀬古初美、山本芳敬、松田俊助、山本登茂治、小林正司、久松倫生、中出 実

◆建設水道委員会 7人
 ◎濱口高志、○植松泰之、田中祐治、海住恒幸、中島清晴、西村友志、水谷晴夫

〓組合・連合議会議員〓
◆松阪地区広域衛生組合議員 13人
 議長 野口 正
 植松泰之、中瀬古初美、川口寿美、堀端脩、中村良子、濱口高志、佐波徹、中島清晴、今井一久、
 田中力、今井一久、水谷晴夫、中出実

◆松阪地区広域消防組合議員 13人
 議長 松田俊助
 野呂一男、山本芳敬、田中祐治、山本節、川口保、大久保陽一、永作邦夫、山本登茂治、中森弘幸
 小林正司、久松倫生、田中力

◆松阪飯多農業共済事務組合議会議員 10人
 中村良子、山本芳敬、川口保、佐波徹、永作邦夫、中島清晴、山本登茂治、西村友志、松田千代、
 水谷晴夫

◆多気町松阪市学校組合議会議員 3人
 中瀬古初美、大平勇、中出実、

◆宮川福祉施設組合議会議員 2人
 大久保陽一、永作邦夫

◆香肌奥伊勢資源化広域連合議会議員 2人
 大久保陽一、水谷晴夫

◆三重県後期高齢者医療広域連合議会議員 1人
 田中力

〓市議会だより編集委員会委員(◎委員長 ○副委員長)〓
 ◎久松倫生、○中村良子、川口寿美、野呂一男、中島清晴、

〓特別委員会委員〓
◆ごみ処理施設建設調査特別委員会委員(◎委員長 ○副委員長)
 ◎今井一久、○大平勇、川口寿美、堀端脩、中村良子、山本芳敬、川口保、大久保陽一、永作邦夫

◆議会改革検討委員会
 ◎中森弘幸、○久松倫生、中瀬古初美、山本芳敬、田中祐治、山本節、大平勇、海住恒幸、永作邦夫、中島清晴

〓議会選出各種委員〓
◆交通安全対策委員会委員
 川口寿美、中村良子、大久保陽一、松田俊助

◆松阪港振興協議会理事
 植松泰之、野呂一男、山本芳敬、田中祐治、大平勇、松田千代、田中力(議長)
 
◆都市計画審議会委員
 山本節、濱口高志、今井一久、小林正司、水谷晴夫、中出実

◆社会教育委員
 西村友志

◆鈴屋遺跡保存会理事
 中瀬古初美、海住恒幸、田中力(議長)

◆文化財保護審議会委員
 川口保、久松倫生

◆土地開発公社理事
 堀端脩、永作邦夫、中島清晴、中森弘幸、前川幸敏

◆土地開発公社監事
 野口正

〓会派一覧(◎は幹事長)〓
◆真政クラブ 10人
 ◎野口正、野呂一男、山本芳敬、大平勇、大久保陽一、濱口高志、佐波徹、山本登茂治、 中森弘幸、水谷晴夫

◆市民民主クラブ 6人
 ◎中出実、川口保、永作邦夫、松田俊助、中島清晴、田中力

◆あかつき会 5人
 ◎田中祐治、中瀬古初美、堀端脩、中村良子、小林正司

◆日本共産党 3人
 ◎久松倫生、今井一久、松田千代

◆公明党 3人
 ◎山本節、川口寿美、西村友志

◆会派に所属しない議員
 植松泰之、海住恒幸、前川幸敏
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新議長に田中力議員

2010-08-11 15:44:20 | 日記
 8月11日、松阪市議会8月臨時議会の2日目が行われ、役員選挙の結果、新議長に田中力議員(市民民主クラブ)が、副議長には山本登茂治議員(真政クラブ)が選任されました。また議会選出の監査委員には佐波徹議員(真政クラブ)が選任されました。


議  長    田中  力
副議長    山本登茂治
監査委員  佐波  徹

(各委員会委員や組合議会議員は、会派の構成などとともに次回のページにまとめました)

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西野かんこ踊り総合練習始まる

2010-08-09 17:00:25 | 日記
 松阪市内の7つの地区に残るかんこ踊りの1つ、我が西野町の「西野かんこ踊り」の総合練習が8月から始まっています。
 西野かんこ踊りは「子踊り」または「鼓踊り」と呼ばれ、松阪市内で行われる7つのかんこ塾の1つです。子踊りと呼ばれるように、踊りの中心は小学生の子供たちです。しかし以前と違い最近は子どもの数が少なくなってきています。昨年からは中学生も踊りの輪に加わっています。また幼児もおもちゃの太鼓をさげて踊っています。
 6月からの「かんこ塾」は大人の練習でしたが、8月からの練習は子供たちも含めた総合練習です。

 西野かんこ踊りは8月14日(土)午後4時より、西野公民館前広場で行われます。
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鵲七夕まつり行われる

2010-08-07 23:58:45 | 日記
 8月7日、松阪市星合町の波氐(はて)神社と鵲橋(かささぎばし)を中心として「鵲七夕まつり」が行われました。この祭りは松阪市立鵲小学校管内の小舟江町、笠松町、星合町、五主町地区で行われるもので、鵲地区福祉会まつり実行委員会(高瀬良弘実行委員長)が主催して実施され、本年から松阪市が後援をしています。

 この七夕祭りは、もともと星合地区で昔から行われていました。文政年間(1818~1830)の紀行文に、この七夕祭りの記述があるということから、百数十年の歴史があります。6年前に星合地区の子供たちが少なくなってきて、祭りの存続が難しくなってきたため、5年前から鵲地区全体の祭りとかたちを変えました。また4年前からみこしが登場しました。
 現在鵲地区では住民協議会の設立に向けて準備が進められており、来年3月までには設立されることになっています。この祭りは、今年までは実行委員会が主催していますが、来年からは新しくできる住民協議会の主催となります。またこの祭りは、以前は午前中に行われていましたが、七夕だから夕方がよいのではということで、今年から夕方行われることになりました。

 波氐神社に集合した子供たちは、みこしの出発地点である東西の神社に分かれます。東は五主町の綿積神社、西は小舟江町の八雲神社。祭りの主人公の織姫、彦星は鵲小学校の6年生から選ばれます。今年の織姫は田中世梨菜さん、彦星は楠良舞君です。波氐神社でお払いを受けた織姫は綿積神社から、彦星は八雲神社からみこしと共に出発します。そして夕暮れが近づく午後6時40分、みこしは鵲橋に到着します。橋の両側に立った織姫と彦星は、川を渡れず途方にくれます。そこに鵲が飛んできて橋を架け二人は再会することができたという話しです。鵲の織姫と彦星もめでたく鵲橋の上で会うことができ、祭りはクライマックスを迎えます。

 この鵲橋のたもとの石碑に大伴家持の歌が書かれています。
『鵲の王多せ類はし耳おく霜乃志ろき越みれ盤夜曽更丹希流(鵲の わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける)』

 古くから伝わる祭りに、新しい形を織り込んで、地区を上げての祭りにされました。今日は約250人の人たちがこの祭りに参加されていました。
 私もこの祭りを見せていただくのは初めてですが、今日は祭りの初めから終わりまで見せていただきました。そして多くの人たちからいろいろな話しを聞かせていただきました。
 話題になったのはこの地がなぜ「鵲」なのかと言うことです。私が仕事で韓国に行ったとき鵲をよく見ました。日本のカラスくらいの大きさの鳥で、いたるところで見かけました。日本ではカラスは縁起の悪い鳥ですが、鵲は羽根を広げると黒い羽根の中に扇の様に白い羽根が見え、韓国では大変縁起のよい鳥です。日本では九州の方にいるということです。
 何も文献はありませんが、中国あるいは朝鮮から渡来した技能集団の人たちが、住みついたところではないかという説を、言われた方もみえました。

 祭りの忙しい中で協力をいただいた、鵲地区福祉会まつり実行委員会の高瀬良弘実行委員長さん、田中正明鵲地区自治会長さん、安野日出男鵲公民館長さん、辻田一雄鵲小学校校長さんなど、多くの皆様ありがとうございました。

 鵲七夕まつりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に登録させていただきました。→クリック
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岡寺さんの四萬六千日

2010-08-05 20:31:23 | 日記
 8月9日から10日の早朝にかけて「岡寺さん」でおなじみの、松阪市中町の岡寺山継松寺で四萬六千日(しまんろくせんにち)が行われます。この日にお参りすると、四萬六千日分参拝したことと同じ功徳があると言われています。 

 岡寺山継松寺は3月に行われる初午大祭のお寺としても有名です。当寺の歴史がHPには次のように書かれています。
 『当山に伝わる『継松寺儀軌』によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建しています。聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。後に洪水によりお堂は流失しますがその際に海中よりご本尊を拾い上げた二見の漁師であった三津五郎右衛門正信が弁財天のお告げを聞いて出家し継松法師となりお寺を再建したことから継松寺と名付けられるようになりました。
 また弘法大師空海が当山に逗留した折に本尊の両脇に不動尊と毘沙門天を造り安置したと伝えられています。
 元は石津にありましたが、慶長17年(1612年)松阪城主古田重治により現在地に移されています。』

 「四萬六千日」の行事は全国各地で行われており、「四万六千日」と表されるところもあります。四萬六千という数字の由来は不明ですが、一升の米粒が四萬六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると言われています。46000日を年数になおすと、約126年になり、この位無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられています。
 この日は山門前には竹灯ろうが並べられ、幻想的な雰囲気がかもし出されます。またミズ・ネットワーク主催の灯りコンサートでは箏曲、バイオリン、フルートなどの演奏があり、また柏木文雄住職の講話もあります。
 私も毎年お参りしていますので、無病息災、貧乏暇無しでやっています。

 岡寺山継松寺
  〒515-0083三重県松阪市中町1952
  TEL 0598-21-0965
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