川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

うきさとむら夏祭り

2010-07-31 22:51:16 | 日記
 夏祭りたけなわの7月31日、松阪市柚原町の「うきさとむら」で「うきさとむら夏祭り」が行われました。近くを流れる川の上に特設舞台が設けられ、舞台の前には水しぶきが飛び散り、舞台の後ろには木立は広がり、清涼感あふれる演出の中でバンド演奏、ジャズ演奏、太鼓演奏、そして若い女性たちのフラメンコに来場者は酔いしれました。

 
 うきさとむらの会場内にはやきそば、から揚げ、モロヘイヤうどん、かき氷、飲物などなどの各種バザーの店が並び、買い求める人々で賑わっていました。普段静かな「むら」は夜遅くまで活気にあふれていました。
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松尾ユニカール大会開催される

2010-07-30 18:28:12 | 日記
 7月29日、松阪市丹生寺町の松尾市民センターで松尾まちづくり協議会(今村勇会長)主催のユニカール大会が行われました。昨年までは松尾老人会主催で開催されていましたが、今年からまちづくり協議会の生活環境部会(中村伸太郎部長)が主催して行われました。

 ユニカールは冬季オリンピックでおなじみのカーリングとよく似た競技で、マットの上を、ストーンを滑らせて中心円に近いチームの得点となります。ユニカールはオフシーズンでも楽しめるカーリングとして、1979年にスウェーデンで考案され、「ユニバーサル・カーリング」(みんなのカーリング)を略してユニカールと名付けられたということです。日本には1980年代に紹介されました。子どもから高齢者まで、また初心者でも一緒に楽しめる競技です。

 この日会場には10チーム約50人が参加してカーリングを楽しみました。私も西野チームの一員として競技に参加させていただききました。
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ホイアンの七郎兵衛展始まる

2010-07-27 08:15:48 | 日記
 松阪市殿町の松阪市立歴史民俗資料館で7月18日から角屋七郎兵衛生誕400年記念企画展「ホイアンの七郎兵衛」が始まっています。

 角屋家は戦国時代から江戸時代にかけて伊勢の大湊に拠点を置く国内有数の廻船問屋でした。天正10年織田信長が本能寺で倒れたとき、わずかな手勢を引き連れて堺見物をしていた徳川家康は明智軍や土民から逃れ、伊賀越えをして伊勢の海から船で三河にたどり着きました。この時持ち船で家康を送ったのが角屋家でした。この功績により、領国内の渡航自由の朱印状が与えられました。天正16年(1588)蒲生氏郷の松坂城築城ともに本拠地を松坂に移しました。この時にできた町が今も松阪に残る湊町です。その松坂で慶長15年(1610)角屋七郎兵衛は生まれました。

 21才の時安南(ベトナム)に渡った七郎兵衛は、ホイアンの日本人町の商人として活躍し、国王一族の娘と結婚しました。
 ところが母国日本では鎖国令が発せられ、日本には二度と戻れなくなりました。その後七郎兵衛はホイアンの日本人町の頭領になり、また五行山の洞窟内に観音像を寄進したり、日本人町と中国人町の間に松本寺を建立しました。
 寛永12年(1672)62才で没した七郎兵衛は松本寺に葬られています。

 この記念企画展は角屋七郎兵衛生誕400年にあたり、彼の足跡を辿るととともに、今のホイアンの様子を紹介します。この企画展は10月17日まで催されています。
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三重緑友会松阪支部総会開催される

2010-07-26 07:46:58 | 日記
 7月24日、平成22年度三重緑友会松阪支部定期総会がフレックスホテルで開催されました。「三重緑友会(中林博会長)」は県立久居農林高校の卒業生で組織され、会員は約2万人。
 久居農林高校(宇田克巳校長)は平成16年に創立100周年を迎え、今年が106年目となります。松阪支部(旧松阪市 浅井栄二会長)は会員数約2200人で、同会の支部の中でも最大の会員数を擁します。また松阪市内の嬉野、三雲、飯南地区にはそれぞれ支部があります。

 この日は松阪支部の役員70名が出席しました。総会は浅井支部長の挨拶に始まり、来賓として迎えた久居農林高校長谷川博文教頭、緑友会笹井嬉野支部長、前川三雲支部長、中野飯南支部長、また緑友会本部から出席した幾世副会長から祝辞がありました。
 議事は浅井支部長を議長として、平成21年度の事業報告・決算報告、平成22年度の事業計画・予算計画について審議されました。
総会のあと懇親会がありました。

 緑友会の会員は市内全域に、また各界に散らばっており、松阪市議会の中にも私を含め、6人の議員がいます。
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あたごさん火祭行われる

2010-07-25 08:45:36 | 日記
 「あたごさん」でおなじみの松阪市愛宕町の愛宕山龍泉寺(岡本祐璋(ゆうしょう) 住職)で7月24日、江戸時代中期から続く、火防・開運招福を祈る「火祭」が行われました。この日は紫灯護摩供養(さいとうごまくよう)があり、午後8時から護摩の焚かれた後の火の上を素足で歩く「火渡り」が行われました。

 愛宕山上福院龍泉寺は高野山真言宗の古刹で、本尊の「愛宕大権現」は空海(弘法大師)の作といわれています。この寺の山門は桃山時代のもので、松阪城内の裏門を移転したのではないかといわれており、松阪市内で最も古い建物です。龍泉寺はもともと檀家のないお寺でしたが、昭和に入って檀家が増えてきたということです。

 この日、三重修験道会(向井朋範会長 会員約40名)の山伏9名が、ほら貝の鳴り響く中、四方に向かって矢を射る儀式を行い、その矢を拾うと縁起がいいということで、参加した市民が先を争って拾っていました。
 広場の中央に積まれた護摩に火が付けられ、火が残る木の上を素足で歩く火渡りが始まりました。山伏の後に続いて、小さい子どもからお年寄りまで、参加者が次々と火の上を渡りました。女性の方で大丈夫だろうかと心配していた人も意を決して渡っていました。私も参加者とともに火渡りをしました。
 この火渡りは火災の防止、無病息災などの効果あるということです。

  愛宕山龍泉寺
   三重県松阪市愛宕町1-4
   TEL:0598-21-2931

 愛宕山火祭は私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に記録させていただきました。→クリック

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鈴の森まつり開催される

2010-07-24 22:19:17 | 日記
 松阪市外五曲町の鈴の森公園で7月24日、「納涼鈴の森まつり」が行われました。この催しは橋西自治会連合会と橋西公民館主催して毎年この時期に開催されています。以前は近くの駐車場で行われていましたが、この芝生広場に場所を変えて、今年で9回目となります。

 午後4時からスタートしましたが、まず松江幼稚園・みどり保育園・西保育園園児たちによる「うんとこ よさこいソーラン」があり、その後西中ブラスバンドの演奏、松阪高校ダンス部によるヒップホップダンス、鈴の森太鼓演奏、フラダンス、しょうがいソーランなどが披露され、午後8ごろから手踊りがありました。

 広場の周囲のテントではフランクフルト、かき氷、焼きそば、たこ焼きなどが販売され、また遊びゾーンとして、くじ引きコーナー、輪投げコーナー、つりコーナー、ナーフストライカーなど子供たちで賑わっていました。
 啓発ゾーンでは交通安全啓発コーナー、防災啓発コーナー、資源物分別コーナーなどもあり、パトカーや白バイも展示されていました。
 会場には地元の人たちを始め、多くの市民が参加して祭りを楽しんでいました。

 鈴の森まつりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に記録させていただきました。→クリック
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松阪駅前モニュメント考

2010-07-23 07:29:36 | 日記
 現在の松阪駅前にあるモニュメントは本居宣長にちなんだ鈴のデザインで造られています。元々は噴水でしたが、水を節約するためか、電気代を節約するためか、止められたままになっており、今はポンプも故障していると聞いています。噴水でも出ておれば存在感はあるのですが、水が出ていないと地味で目立たない存在です。

 今年度からスタートした松阪まちなか再生プランの、松阪駅前のリニューアルの中に「松阪市としての玄関口にふさわしい景観として、モニュメントのリニューアルを図る」とあります。モニュメントは松阪を訪れた人が初めて目にする造形物で、駅前の風景とともに重要なものです。

 6月議会の一般質問で中心市街地の活性化について質問しましたが、その中でモニュメントについても取り上げました。「JR松阪駅前広場ワークショップ」の中でも、若い人より「何で鈴なんだ!」という意見がだされ、牛とか本居宣長とか蒲生氏郷などの意見が出されたそうです。
 しかし、私はもっともっと発想の転換をしていかなくてはならないと思います。牛とか本居宣長とか蒲生氏郷は、松阪市の市民目線から見たモニュメントです。駅前のモニュメントは、市民はもちろんですが、もう一方、観光客をはじめ松阪市を訪れる多くの人たちが楽しむものです。
 モニュメントだけでも観光客が呼べるような、松阪に行ったらあのモニュメントの前で写真を撮らなくてはいけないと言われるような、斬新な、あるいは奇抜なデザインがいいのではないかと思います。

 松阪市が何か新しいことをするときには、よく公募をかけます。モニュメントのデザインも、もし公募をかけるとすると、たくさんの作品が応募されます。その時一番の問題はその作品を審査する審査員です。よく各界の代表が審査員になることがありますが、せっかく応募の中にいい作品があったとしても、審査員にセンスや感性がなければ、しょうもない作品が選ばれます。

 以前の観光行政の一般質問でも指摘しましたが、これまで松阪市では新しい施設などができた時のネーミングに、何でもかんでも「鈴」とか「ベル」を付ける風習がありました。ベルタウンに始まって、鈴の森公園、プラザ鈴、鈴の音バス、ベルファーム、ベルライン、ベルランチ。市民だけが利用する施設などは、まあいいとして、市外からの観光客に利用をしてほしいベルファームやベルラインは、なぜこんなネーミングをしたのか不思議です。どこの観光施設でも、いかに多くの人が来てもらえるように、ネーミングには最大の精力を使います。名前を聞いただけで行きたくなるような、ワクワクするようなネーミングがなされます。本居宣長になじみの深い松阪市民であっても、他市・他県に「ベル」の付く観光施設があったとすれば、行こうと思いますか。

 最近、松阪市の学校給食センターに「ベルランチ」という名前が付けられました。なぜ学校給食にベルなのでしょうか。もっと子供たちの未来の夢を育むようなネーミングができなかったのでしょうか。これらのネーミングにはこれらの名前を選ぶ選任者や審査する人のセンスが問われます。
 松阪市のマスコットキャラクターの名前も公募され、応募作品の中から審査がありました。またどうせ「鈴なんとか」「ベルなんとか」などの名前が選ばれるのではないかという私の予想が見事はずれ、「ちゃちゃも」という名前が付けられました。これは松阪市にとって画期的なことです。松阪市の夜明けです。少し大げさですが。

 少し話しが逸れましたが、モニュメントも公募したときは、その作品選別する審査員がいかにいい作品を選ぶかが問題です。応募作品の中から一番優れた作品を選ぶべきですが、審査員に能力がないと、いい作品が見えません。その審査員を選任する人のセンスも問われます。
 モニュメントは市民みんなで作り上げるのも1つの方法ですが、公募せず優れた作家にデザインを依頼するのも、1つの方法です。

 松阪駅前に新しく創るモニュメントは、松阪市民目線だけではなく、観光客など市外・県外の人たちの目線も意識して、話題性のあるものを。他所から来た人たちの意表を付くような、それでいて松阪駅を利用する私たち市民が飽きないものを。松阪市が未来に向かって躍進していくような迫力のあるものを。20年、30年経ってもデザインが色あせないものを、心して創っていただきたい。
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水の恵みとゆくえ展開催中

2010-07-21 21:49:24 | 日記
 松阪市外五曲町の松阪市文化財センターで、平成22年度 三重県立博物館 移動展示「水の恵みとゆくえ くらしと自然の関わりから考えてみよう!」が開催されています。この企画は三重県立博物館、財団法人自治総合センターが主催し、松阪市などが共催して7月17日から8月22日まで開催されています。

 この地方の伊勢平野では櫛田川や祓川など伊勢湾に注ぐ大小河川からもたらされる「水」の恵みを受けて人々の生活が営まれてきました。この展示会はこのような河川環境の中での人々の暮らしや、周辺の田んぼや水路などに棲む魚や生物の生態が紹介され、自然への人間の関わり方を考えていく催しです。

展示では
 序 章 ようこそ!平野の視線自然とくらしへ
 第1章 900年前の台風と現在の洪水
 第2章 田んぼと水路のできかたと自然
 第3章 河畔林の残る川と自然
 第4章 これからの平野の自然と関わり方
 エピローグ 伊勢平野と海のつながり

に別けて示されており、櫛田川の氾濫の歴史や、伊勢平野の60年前の航空写真、祓川の名前の由来となった川の役割など、興味深い展示がありました。
 また2014年(平成26年)の開館を目指して計画が進められている、三重県の新博物館の紹介もありました
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松阪祗園祭りの思い出

2010-07-18 21:55:17 | 日記
 松阪祗園祭りも昨日の宵宮の主役は三社みこしを始めとする神輿でありましたが、本日の今日は、しょんがいソーラン、松阪鈴おどり、しょんがい踊りなど市民が中心の祭りとなりました。

 私が子どもの時には、祗園祭りなどの祭りには大黒田の母の実家からすしが届けられました。今のすしとは違い、しぐれやしいたけ、ほごし、のりまき、いなりなど素朴なものでしたが、すしなどあまり食べない時代、美味しかったことを覚えています。

 祗園まつりのことで、平成11年7月29日付けの夕刊三重紙の「発言」に投稿したことがあります。三社みこしの復活に尽力された元JCの久保雅文さんが亡くなられた時でした。当時の新聞の切り抜きから発言の内容を拾いました。

『久保さん空からみこし眺める
 私は祭りが大好きで、松阪の初午、氏郷、祇園の三つの祭りには、ほとんど毎年出掛けている。
 いつも行く時刻がまちまちなため、氏郷まつりで武者行列に出合ったり、祇園まつりで御輿(みこし)や太鼓の演奏に出合ったりすると、何か得をしたような気分になり、うれしく思う。
 先日の祇園まつりの宵宮(よみや)では、たまたまいつもより遅く出掛けたため、日野町交差点付近で行われた三社みこしの競演に出くわすことができた。三つの御輿が大きく揺れながら、ぶつかり合い練り合う様子は、まさに祭りの醍醐味(だいごみ)であった。
 後で友人に聞いたところ、このようなことは毎年行われているということであるが、私には初めて目にする光景であった。三つの御輿が織りなす活気と熱気と激しさは、宵宮のフィナーレを飾るにふさわしい演出であり、体中がしびれるような感動を覚えた。
 毎年この祭りを企画、準備、運営をされている皆さま方、この祭りに協賛されている皆さま方、そして祭りを直接動かしている担ぎ手の皆さま方には、心より敬意を表したい。
 今年の祭りを前にして、この三社みこしの復活に尽力された、元青年会議所理事長の久保雅文さんが亡くなられた。松阪を愛し続け、松阪のためにいろいろ功績のあった彼の死は、本当に惜しまれる。
 だが、今年の祭りでは、久保さんが空の上から御輿の様子をニコニコしながら見られているような気がした。これからも祇園まつりを、松阪の町を見守っていてほしいと思う。彼のめい福を心より祈りたい。
  (松阪市西野町 川口 保)      』
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松阪祗園まつりと蘇民将来

2010-07-17 15:13:38 | 日記
 7月17日、前日まで梅雨の終わりの不安定な天候が続いていましたが、この日は晴天に恵まれ、夏の日差しの中で松阪祗園まつりが始まりました。松阪祗園まつりは初午祭り(2月)、氏郷祭り(11月)と並ぶ松阪の3大祭りの1つで、宵宮の17日には三社みこしや小若みこしが市内で練り歩き、本日の18日にはしょんがい音頭や、松阪鈴おどりなどが行われます。

 祗園祭りは初午祭りと同様に厄除け、厄落としを願う信仰の祭りで、「松阪の文化財案内(市教育委員会発行)」の冊子には『平安時代京都で始まった御霊会(ごりょうえ)に由良し、牛頭天皇(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祭りが松阪に波及したもので、以前は旧暦の7月14日、15日に八雲・雨竜・御厨・八重垣の四天王社が行った祗園会であったが現在は松阪・御厨・八雲神社の祭礼としてとり行われている。』と示されています。
 
 松阪祗園まつりは、蘇民将来伝説に支えられた夏祭りで、もともと雨竜神社のみで行われていたものが、ほかの神社でも行われるようになったものです。雨竜神社(雨竜天王)は蒲生氏郷が入城以前からあった古い神社で、もともとの位置は現在の殿町のカトリック教会付近にあり、明治41年に松阪神社に合祀された時には魚町にありました。また八重垣神社(毘沙門天王)は西町にあり、同じく明治41年に松阪神社に合祀されました。
 
 牛頭天皇はスサオウノミコトのことです。蘇民将来伝説とはスサオウノミコトが旅の途中、ある村で宿を請うたところ、金持ちの弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は「家が貧しいから」と断ったが、貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は「汚い家でよかったら」と泊めて親切にもてなしたということです。翌日スサオウノミコトは身分をあかし、「疫禍あれば茅の輪を作り門に懸けよ」と教えました。その後疫病が流行った時、蘇民将来は茅の輪を掲げ、一家は災禍から逃れることができ、子孫の代まで栄えたということです。一方の巨旦将来の子孫は皆、絶えてしまったそうです。

 この蘇民将来伝説の舞台となったのが、伊勢市二見の蘇民の森・松下社です。この地方ではしめ縄には「笑門」ではなく「蘇民将来子孫家門」と書かれたものを飾ります。また「蘇民将来子孫家門」と書かれたお札もよく見かけます。「岩手県で1000年の歴史のある蘇民祭もこの蘇民将来を祀る祭りです。
 松阪祗園まつりの神輿もこの「蘇民将来」を掲げて町を練り歩きます。
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甚目町の「虫送り」行われる

2010-07-12 08:00:56 | 日記
 7月11日、松阪市甚目町で手力男神社の「虫送り」が行われました。虫送りは田植えの後、たいまつを焚いて稲の虫を退治し、人々に付く悪霊を追い払おうとするもので、約300年前の江戸時代の中期から始ました。戦時中から約20年間中断していたものを昭和40年(1965)に、甚目手力男神社虫送り保存会(大井兵衛会長)が結成され行事が再開されました。
 毎年7月の第1日曜日に子供たちだけの虫送りがあり、同第2日曜日に大人の虫送りが行われます。

 この日、午後6時半ごろ、たいまつを焚き、行列が今年の当番家の斉藤政行さん宅を出発しました。行列は太鼓や鐘を打ちながら、ほら貝の鳴り響く中、田んぼ沿いの道を進み、途中2ヶ所で踊り太鼓が披露され、手力男神社に到着しました。神社では音頭に合わせて一の鳥居の前で太鼓を打ち鳴らし、次いで境内の鳥居の前で太鼓を打ち、最後に拝殿前で勇壮に太鼓が打たれました。
 太鼓は小学6年生の子供たちが1週間練習をして、交代をしながら打ち下ろします。虫送り音頭には“世の中よ~オて風吹かず 年のまわりかあ~りがたや 百年この方 世の中で 早生も晩生も穂に穂がさいて 畦に穂枕さては見事な世の中よ”と続く「世の中踊り」と、“征夷将軍頼朝公は 日本名高き御大将で 富士の巻狩りなされそろう”と続く「巻狩踊り」があり、大人たちが歌います。

 私も初めて虫送りを見せていただきました。保存会の大井会長さんには行事の最中でしたがいろいろと教えていただきました。素朴で昔から続いている伝統行事をいつまでも続けてほしいと思います。

 甚目の虫送り神事は私のホームページ「松阪市なんでも10選」の「松阪市のまつりごよみ」に登録しました→クリック
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射和祇園祭始まる

2010-07-10 23:39:48 | 日記
 松阪市射和町で古くから行われている祇園祭が、今日7月10日から始まりました。当地区の祇園祭は、これまで松阪の祇園まつりと日が重なっていましたが、今年は一週間早く開催されました。
 宵宮の10日の午後7時には6つの地区から出発した大屋台が本宗寺前の道路に集結しました。屋台には子供たちが乗り、笛や太鼓の鳴り響く中、大勢の大人たちに引かれて町内を練り歩き、射和寺に到着しました。
ここに集結した小屋台6基と大屋台6基は香椎組(上ノ町)、高砂組(小倉町)、三栗組(中ノ町)、八雲組(下ノ町)、素鵞組(裏町)、宮本組(新田)の6つの地区の6つの組からなり、大屋台の制作年代や形などは異なります。

 射和の祇園祭は元禄時代から続く、300年の伝統を持つ伊佐和神社の神事で、2003年に松阪市の、2005年に三重県の無形民俗文化財に指定されました。
 11日の本日には朝9時に神輿が射和寺を出発し、町内を練り歩き、夜10時まで当地区は祭り一色となります。
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みくもの七夕笹かざり開催される

2010-07-07 22:22:29 | 日記
 7月7日、松阪市甚目町の雲出橋付近で「みくもの七夕笹かざり」が開催されました。この催しは毎年この日に松阪北部商工会(会員約600人 松村仁造会長)が主催して行われるもので、平成5年から始まり、今年が第18回目になります。以前は旧の小野江橋付近で行われていましたが、新しい雲出橋ができたのを機に会場を今の場所に移して行われています。新しい雲出橋が造られる時に、当時の市川三雲町長がこの七夕笹かざりができるようにと、歩道を広く取ったそうです。今日は午後6時よりオープンセレモニーがあり、まつりがスタートしました。

 会場には笹かざりを持った子供たちが家族に連れられてつめかけ、雲出橋の上のかざり台には子供たちの思い思いの願いが書かれた、たくさんの笹かざりが立てられていました。笹かざりは地元三雲・嬉野地区の幼稚園の園児のほか、旧松阪、飯南からも持ち込まれるということです。
 地元園児たちの笹かざりには市長や振興局局長、商工会から賞が贈られました。受賞したのは中川幼稚園が流れ星賞、豊田幼稚園が織り姫賞、中原幼稚園が彦星賞、豊地幼稚園がキラキラ賞、三雲南幼児園が七夕賞、三雲北幼児園には天の川賞がおくられました。

 この日笹かざりに書かれた子供たちの願いが叶うようにと、星合神社の今井宮司による祭礼が行われ、また今年から設けられた仮設舞台では鵲公民館で活躍するさわやかスマイルグループによるミュージックベルの演奏が行われました。
 まつりの主催者である商工会の方の話しでは、最近の祭りはどうしても日曜日などに行われることが多く、この祭りは平日なので準備など大変なところもあるが、7月7日にこだわって催しているということでした。

 私は早めに会場を後にしましたが、その時にも笹かざりを持った子供たちが続々と会場に向かって行きました。
 
 みくもの七夕笹かざりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に登録させていただきました。→クリック
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松阪市水防訓練開催される

2010-07-04 14:44:07 | 日記
 7月4日、松阪市早馬瀬の櫛田川河川敷で平成22年度松阪市水防訓練が開催されました。この訓練は、出水期に当たり、水防体制の万全を期するため、実践に即応した各種水防訓練を実施して水防体制の確立を図ることを目的として実施されているものです。
 この日会場には市内の消防団を始め、松阪警察署、三重県防災航空隊、松阪地区広域消防組合、中部電力(株)松阪営業所、漕代まちづくり協議会、てい水まちづくり協議会、松阪市など552名が参加して行われました。

 開会式の後、土のうを使った訓練として、土のう拵え工、積み土のう工、改良積み土のう工、シート張工、築き廻し工、月の輪工などが行われました。また中部電力による災害復旧仮設工の訓練、ヘリコプターによる水難人命救助訓練、松阪警察署や広域消防、松阪市などによる避難誘導訓練などが行われました。

 この訓練は松阪市が主催して、2年に1度開催され、会場は今回の櫛田川河川敷と雲出川河川敷において交互に行われます。市議会議員は議長、副議長を始め約半数の議員が参加していました。
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