川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

第1回うれしの天白縄文まつり開催される

2011-10-30 20:14:23 | 日記

  

           (祭りのにぎわい)                 (勾玉つくり体験)

 

縄文人のマツリの場として国史跡となっている松阪市嬉野釜生田町にある天白遺跡で「第1回 うれしの天白縄文まつり」が開催されました。この祭りは今年の4月に天白遺跡の整備が完成したのを受け、昨年まで嬉野ふるさと会館前公園で行われていた嬉野ドングリまつりが場所を移して行われたもので、NPO法人みえ自然・文化財保護サークル(粕谷忠代表)が主催しています。

 

まつり会場には3つのステージに分けられ、歴史体験ステージでは子どもたちが勾玉つくり、火おこし体験、土偶つくり、土笛つくりなどの挑戦していました。また食の体験・地域交流ステージでは縄文鍋、もちつき、焼きいもなどが販売され、民族芸能ステージだは縄文太鼓やオカリナ演奏などがありました。

 

   

             (天白遺跡)                     (配石遺構)

 

【天白遺跡】

 天白遺跡は縄文時代後期中頃(約3500年前)から晩期(約2300年前)にかけて縄文人のマツリの場として造られたもので、平成12年4月に国史跡指定を受けています。平成4年に行われた発掘調査では、石を円形にならべた配石遺構が30ヶ所、土器を埋めた穴26ヶ所と、使っていた土器、石器、人の形をした土偶、石刀・石剣、勾玉、丸玉、また男性器を形取った石棒などが出土しました。

 縄文時代の配石遺構がこれほどまとまって見つかることは少なく、西日本最大の縄文配石遺構遺跡として注目を集めています。

 

 今日のまつりにスタッフの一員として参加されていた、以前松阪市文化財センター勤務時にこの遺跡の発掘調査をされ、現在飯南教育事務所勤務の和気清章さんの話では、この時代はだんだんと気温が下がってきており、食糧が確保しにくくなってきて、困った時の神頼みとして、このような祭事場が造られたのではないこということでした。

 またこの天白遺跡は中村川の流域にあるいくつかの村で管理されていたのではないかと考えられ、中村川沿いの天白遺跡から2㎞上流にある下沖遺跡、少し下流にある井上遺跡も、同じ時期に造られたものと考えられるということでした。

 

天白遺跡

所在地    三重県松阪市嬉野釜生田町1549~1560番地

総面積    14,226

指定年月日 平成12411日に国史跡指定

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市展第2部を参観

2011-10-30 05:28:08 | 日記

10月29日から松阪市外五曲町の市文化財センターで始まった第52回松阪市美術展覧会を29日、妻と見学しました。今月8日から行われた第1部に続き、今回は第2部(写真、書道)です。写真の部では入賞14点、入選64点。書道の部では入賞11点、入選51点の作品が展示されています。

 

芸術はなかなか奥が深く、入選作品や入賞作品を見ても、納得することもあれば、何でこの作品が?と思うところもあります。またこの程度なら自分でも書けるかな?と思うこともあります。いつも展覧会などを見る時に、「この中のどれか1つを持って帰っていい」と言われたらこの作品にすると、自分の一番気に入った作品を探しながら見ることもよくあります。

 

松阪を代表する芸術家たちが醸し出す『美の世界』を多くの市民の皆様も堪能していただきたい。この美術展覧会は11月6日まで行われています。

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休日・夜間議会について

2011-10-28 08:27:46 | 日記

私たち議会に携わる者にとっては、たくさんの市民の皆様に議会を傍聴していただくことはありがたいことです。しかし実際、日頃の松阪市議会においての傍聴者は数人です。しかもいつも傍聴されるのは同じような人たちです。時として多くの傍聴者が来場されることもありますが、お目当ての議員の質問が終わると、さっと帰られ、あとは閑散とします。

 

特別な場合を除いて通常、議会は午前10時に始まります。早く終わる時もあれば、定時の午後5時に終わらず延長され、午後7時とか8時頃までかかることがあります。かつての駅西再開発事業の審議の議会では、延長による延長で23時間連続して行われ、終わったのが午前9時ということもありました。ただこれは極めて稀なケースです。

 

少しでも多くの市民に傍聴していただくために、休日や夜間に議会を開催するのも一つの方法です。山中市長の議会改革への要請のほかにも、今年から傍聴席に設けられた市議会への意見の中にもありました。

 

市議会議員の仕事はどこまでが公的で、どこからが私的か区別がつきにくいという話は、以前このブログで書きましたが、平日も休日も昼間も夜間も区別なく仕事が入ってきます。そのため休日や夜間に議会を開くことには何の抵抗もありません。少なくとも私には。

 

ただ行政側は大変だと思います。通常、議会に出席する部長級は20数名ですが、議会うしろの控室で次長級、課長級の職員約50人が待機しており、議会での成り行きを聞いています。議会事務局の職員を含めて多くの職員が休日や夜間に出勤することになります。これらの職員の扱いをどうするか、別な日に代休を取ってもらうのか、手当を出すのか。はたまたサービス残業になるのか。

 

夜間の場合、始まる時刻は午後6時ごろになるだろうか。傍聴者は午後5時あるいは5時半に仕事を終え、食事して議場に駆けつけるとなると、少し忙しい気もするが。終わるのは何時頃がいいだろうか。午後10時ごろには終わらなくてはならないだろう。一般質問のように時間が決まっている議会はいいが、議案審議のように時間の定まらない議会では12時、1時となる場合もでてくるのでは。

実際に休日議会や夜間議会を実施している自治体もあるので、これらのハードルは越えられるはずである。

 

問題は休日・夜間議会にどれだけの市民が傍聴に来てもらえるかです。勤め人が1日の仕事を終え家路につく前に議会を傍聴してもらえるだろうか。せっかくの休日、議会に足を運んでくれるだろうか。自治体議会改革フォーラムの2008年の調査では172の議会が以前行っていた休日議会・夜間議会を取りやめています。傍聴者が増えないからです。ただ1度実施してみてもいいとは思うが。

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プリントゴッコが廃版に

2011-10-27 21:22:46 | 日記

年賀状などの印刷機として一世を風靡した理想科学工業の家庭用簡易印刷機「プリントゴッコ」が、来年12月28日で事業終了となることを同社が発表しました。1977年に発売以来一千万台以上を販売したということですが、パソコンなどの普及により売り上げが低迷していたということです。私も年賀状の印刷では随分プリントゴッコの世話になり、今でも押入れの奥にこの印刷機が入っています。

 

私たちの子どもの頃の印刷はガリ版が主流でした。小学校、中学校、高校、学校のテストなども全てガリ版刷りでした。今の若い人にとって「ガリ版」は死語に近い言葉ではないかと思います。平たいヤスリの上に専用のパラフィン紙を敷き、鉄筆と呼ばれる筆記具で文字やイラストを書くと、その部分のパラフィンがはげ落ちます。ロールにインクをつけてパラフィン紙の上を転がすと、下に置かれた用紙に印刷ができるというものです。

 

青年時代になってもガリ版は印刷の主流で、ペン習字ならぬ「ガリ版習字」も本格的に習ったことがあります。当時は年賀状もガリ版刷りでした。いろいろ工夫して、1枚の年賀状に何色かの色で印刷する多色刷りもしました。しかし手間もかかりました。

このような時に出てきたのがこのプリントゴッコでした。一度の印刷で多色刷りができる便利な印刷機で、手作りの味もありました。我が家の押入れの中にもプリントゴッコがあるはずです。

 

今の年賀状はパソコン印刷が主流です。かつて印刷会社で印刷してもらったような美しい印刷が家庭で手軽にできることになりました。しかしその分、ガリ版刷りやプリントゴッコのような味わいはなくなりました。今後、プリントゴッコのような手作りの味わいのある新たな印刷機も考えられるのではないかと思います。

来年12月というとあと1年余りです。プリントゴッコ、お疲れさん。

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松尾神社式年遷宮で福島県物産販売

2011-10-23 22:08:41 | 日記

   

 (稚児練り行列) 

 

三重県松阪市立野町の松尾神社(岡村行道宮司・岡村昌男神社総代)で20年に一度の式年遷宮奉祝祭が10月23日に行われました。松尾神社ではこの遷宮に合わせて4年ほど前から「松尾神社御造営委員会(古市武巳委員長)」を結成しての準備に取り組んできました。

同社には標高113mの山頂にある本殿、霊社、絵馬殿、山のふもとにある霊拝所、社務所、手水所のほか、鳥居、階段、駐車場、便所、倉庫など多くの施設があり、新築や改築が行われました。

   

  (祭礼)                       (浦安の舞)

 

心配された前日の雨もあがり、からりと晴れわたった秋晴れの下、予定通り午前9時から稚児行列が行われました。稚児行列に参加したのは松尾地内及び松尾地内の親戚筋の0才から小学生6年生の児童約180人で、松尾小学校の体育館を出発した行列は、丹生寺町、立野町地内を練り歩き、約40分後松尾神社に到着しました。岡村宮司によるお祓いがなされ、班別に記念写真を撮りました。

 稚児行列は造営委員会にとっても準備や募集に多くのエネルギーを使います。また保護者にとっても我が子の晴れの舞台です。『稚児行列って、歩いて写真撮るだけなの?』写真撮影を終えた子どものこんな声がありました。大きくなってからいい思い出になればよいのではと思います。

 

午前11時から本殿前で行われた祭礼には多くの来賓を迎え、松尾神社の岡村宮司、花岡神社の奥出克尚宮司、大石神社の中山清治宮司により厳かにとり行われました。また松尾小学校6年生女児による浦安の舞が奉納されました。

 

   

    (福島県物産販売)             (小学生によるキッドビック)

 

 テントのバザーではうどんや焼きそばが販売され、お酒や甘酒が無料で振る舞われました。またお茶席が設けられ、立野町の女性有志でお茶が立てられ、来場者は祭りの賑やかさを離れて、静かなひと時を過ごしていました。

またこの日会場では東日本大震災で大きな被害を受けた福島県の物産販売が行われました。この企画は岡村宮司の強い思いで実施されたもので、福島産のりんご、ラーメン、お酒が販売されました。日本各地で福島県物産への拒否が話題になっており売れ行きが注目されたのですが、全て完売しました。

 

 

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松尾神社式年遷宮のご案内

2011-10-21 01:55:56 | 日記

 

(松尾神社の本殿)

 

 神社の遷宮は伊勢神宮のような大きな神社から、地方の小さい神社まで20年に一度行われ、珍しいものでもありませんが、遷宮に携わる関係者にとっては数年前から多くの時間と多額のお金を費やす一大イベントです。

 

3年ほど前から準備を進めてきた松阪市立野町の松尾神社の式年遷宮奉祝祭が、いよいよ明後日10月23日にとり行われます。私も御造営委員会(古市武巳委員長)の副委員長という中心的な立場で取り組んできました。造営委員は氏子総代・自治会長の現職及び経験者、我々のような一般造営委員など約60名で構成されています。2千200万円の造営予算でスタートしましたが、実際は3千万円の費用がかかることになりました。

 

◆松尾神社 

松尾神社は松阪市立野町の標高113mの山の頂上にあり、本殿まで408段の階段が続きます。頂上付近になると急な階段が120段続き、ようやく本殿に到達します。本殿のある山頂からは中部国際空港などが眺められ、また伊勢神宮、熱田神宮、橿原神宮、明治神宮、靖国神社の礼拝所も設置されています。

 

 松尾神社はもともと立野神社または立野明神と呼ばれ、神社がある立野は、平安時代の930年代に成立した「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に飯高郡に属する郷としてあげられています。その立野郷の産土紙(うぶすながみ)(生まれた土地を守護する神)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祭ったのが立野神社であり、康保4年(967)に施工された「延喜式」(法律の施行細則)神名帳にも記載されています。

 北畠の家臣水谷刑部がこの立野に砦を構えたとき神領を寄進し、徳川宗貞も享保9年(1724)来松の節、社領四石七斗六合を免除しています。

 

 明治時代に1村1社を原則に神社合祀が進められ、明治40年・41年当時の松尾村村内の神社を立野神社に合祀し、名前を立野神社から松尾神社に改称されました。祭ってあるのは大山咋命を主神に29柱の神です。

昔は京都の松尾神社と同様に酒造の神と崇められたということから、酒を醸造する人たちが信仰する神社でもあります。毎日参拝する人や、三重県内はもとより県外からも多くの参拝者が訪れます

 

(参道入口 、社務所、手水所)

 

◆松尾神社奉祝祭のご案内

奉祝祭は次の日程で行われます。

 

◎御遷座祭

月日 平成23年10月22日(土)午後7時30分より

 御神体を仮殿から本殿にお移する行事です。

 

◎奉祝祭

月日 平成23年10月23日(日)

  9:00  ○稚児練り行列出発(松尾小学校体育館より)

 10:30  ○祭礼手水

 11:00  ○祭礼・浦安の舞 

     ○バザー開始

     (うどん、焼きそば、甘酒(無料)、酒(無料)、物産展)

     ○獅子舞奉納(13:00まで)

     ○お茶会

13:00   ○1回目餅まき

13:10   ○アトラクション

       カラオケ

       三川ゆり歌謡ショー

       キッドビック

16:00頃  ○2回目餅まき(行事修了時)

 

200台収容の駐車場を用意しています。皆様是非お越し下さい。

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「氏郷の遺したもの」-はにわ館で特別展

2011-10-19 06:57:52 | 日記

松阪市外五曲町の松阪市文化財センターはにわ館で、10月9日より特別展「氏郷の遺したもの」が開催されています。この特別展は、松坂城跡国史跡指定記念・氏郷まつり50周年記念して行われているもので、18日に見学させていただきました。

 

蒲生氏郷が松坂に居たのは6年間。この短い間に松坂城を築き、城下町を松坂と命名し、多くの商人を育てて、商都松阪の基礎を築きました。今から420年もの前の出来事ですが、今の松阪市にも大きな影響を与えています。

 

この特別展に展示されているのは、氏郷や千利休自筆の書やその写真、氏郷が大河内城攻めの初陣で使ったとされる具足や、利休七哲の筆頭と言われる氏郷所有の伝承がある竹茶杓、織田信長が発令した楽市楽座制札、松ケ島城跡や松坂城跡から出土した金箔瓦など貴重なものす。

 

これらの資料は本居宣長記念館や松阪市教育委員会所有のもの、個人が所有されているもの、また氏郷ゆかりの岐阜博物館、安土考古館、馬見岡綿向神社所有などからお借りしたものです。

この特別展は12月4日まで開催されています。

 

松阪市文化財センター/はにわ館

 松阪市外五曲町1

 ℡ 0598-26-7330

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本居宣長翁の奥墓で墓前祭

2011-10-17 00:10:18 | 日記

前日の雨もすっかり上がり爽やかな秋空が広がる10月16日、松阪市山室町の妙楽寺山頂にある本居宣長奥墓で本居宣長墓園祭が行われました。この祭は山室山観光協会が主催して毎年この時期に行われており、宣長翁の霊を慰め、功績を讃えるために1901年(明治34年)から続いています。

 

妙楽寺は樹敬寺の隠居寺で、宣長は生前しばしばこの寺を訪れ、この山室山の山頂を自分の墓所と定めていました。享和元年(1801)11月5日宣長が亡くなると、遺言書にもとづきこの地に葬られました。墓石の「本居宣長之奥墓」は宣長の自筆で、かたわらには宣長が好んだ山桜が植えられました。

 

宣長没後210年後の今年の墓園祭には地元観光協会、自治会の人たちを始め、関係者また国会議員、県議、市議を始め多くの来賓が訪れました。祭事のあと三宅明山室山観光協会会長のあいさつ、来賓のあいさつなどがありました。

墓園祭のあと妙楽寺の境内で山室幼稚園園児による踊りや、もちまきが行われました。

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三重県ご当地グルメ大会開催

2011-10-15 13:28:39 | 日記

(三重県ご当地グルメ大会のにぎわい)

 

三重県のご当地グルメが松阪市に集結する「第5回三重県ご当地グルメ大会」が今日10月15日、松阪市平尾町のゆめの樹通りを歩行者天国にして開催されています。この催しは「Doit!まつさか」が主催し、松阪市、三重県、松阪市観光協会や松阪市商店街連合会が後援して行われているもので、三重県の有名なB級グルメ7つが出店していました。

 

この日出店したのは次の7つの地区のグルメです。( )は事業主体です

四日市とんてき(四日市とんてき協会)

亀山みそ焼きうどん(亀山みそ焼きうどん本舗)

津ぎょうざ(津ぎょうざ協会)

熊野さんま寿司(熊野さんま寿し保存会)

鈴鹿おこげめん(鈴鹿おこげめん振興会)

名張牛汁(隠(名張)牛汁鵜飼)

松阪鳥焼き肉(Doit!まつさか)

 

この内、四日市とんてき、亀山みそ焼きうどん、津ぎょうざ来年のBI―グランプリに出場するということです。

この日はあいにくの雨でしたが、午前10時30分から販売がはじまった各ブースには長い列ができて、三重県を代表する当地グルメを買い求めていました。私もいろいろなものを食べたかったのですが、列に並ぶのは苦手で買えませんでした。

 

この日はご当地グルメ大会に合わせて平尾町商店では「百円商店街」も開催され、来場者は各商店の軒先で100円ショップを楽しんでいました。

グルメ大会は午後2時30分まで開催されますが、売切れ次第終了するということです。

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松尾神社の神様の名前

2011-10-13 23:04:02 | 日記

(松尾神社29の祭神名の看板)

若い時に書道を習ってから、展覧会に出したことは一度もありませんが、もっぱら実用習字で頼まれたものは何でも書いています。催し会場入り口の看板や舞台上の看板はおそらく何百枚も書いていると思います。以前の会社では設計図面の表紙や、測量図面の表紙もよく頼まれて書きました。またのし袋もよく頼まれました。

表彰状や感謝状、推薦状、また結納の目録や命名祝い、卒園式などの式次第、卒園証書の名前、自治会の総会などの式次第、お寺の永代教など頼まれれば何でも書いてきました。

 

その中で緊張するのは木の表札や集会所の看板です。紙に書くのであれば失敗したり、気に入らなかったときは書きなおしができますが、木に書くときは一発勝負で失敗は許されません。それでも頼まれた集会所の看板を間違えて、大工さんに削ってもらったこともありました。

 

こんど絶対失敗の許されない書きものを預かりました。今月遷宮が行われる松尾神社の本殿前に掲げられている神様の名前です。松尾神社は明治時代に松尾地区内にあった29の神社が合祀してできています。その29体の神様の名前を、大工さんが作った枠付きの白木の看板に書きなおすので、緊張するところです。岡村行道宮司から間違ったら大工さんに削ってもらったらよろしいが、と言ってもらって、少し気が楽になったところです。

 

松尾神社には筆書きのものがたくさんあり、遷宮を機に新しく書き直します。20年前の遷宮の時は岡村宮司のお母さんで、書道の先生をしてみえた岡村いつ子さんが健在でしたので全て書かれました。今回はほとんどいつ子さんの教え子の女性が書かれています。私も遷宮の記念にと、1枚だけ書かせていただくことになりました。

10月10日、何とか無事仕上げることができました。松尾神社にお越しの折には400段の階段を上がった所にある本殿前に掲げられますので、見て下さい。

 

松尾神社祭神

大山咋命 (おおやまぐいのみこと)

倉稲魂命 (うがのみたまのみこと)

五十猛命 (いたけるのみこと)

伊弉那岐命 (いざなぎのみこと)

伊弉那美命 (いざなみのみこと)

建速須佐之男命 (たてはやすさのうのみこと)

櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと)

天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)

天穂日命 (あまのほひのみこと)

天津彦根命 (あまつひこのみこと)

活津彦根命 (いくつひこのみこと)

熊野久須毘命 (くまのくすびのみこと)

多紀理姫命 (たきりひめのみこと)

多岐津姫命 (たきつひめのみこと)

狹依姫命 (さよりひめのみこと)

猿田彦命(さるたひこのみこと)

金山彦命 (かなやまひこのみこと)

岩長姫命 (いわながひめのみこと)

大山津見命 (おおやまつみのみこと)

木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)

大帶比賣命 (じんぐうこうごう)

足仲津彦天皇 (ちゆうあいてんのう)

虚津比賣命 (そらつひめのみこと)

彌津波能比賣命 (みつはのひめのみこと)

品佗別天皇 (おおじんてんのう)

仁徳天皇 (にんとくてんのう)

物部建彦連公 (もののべたけひこのむらじ)

菅原道眞公 (すがはらみちざねこう)

菊理姫命 (くくりひめのみこと)

 

 注 伊弉那岐命、伊弉那美命の「弉」の字は上に草冠があります。

 

 

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小林副市長の被災地派遣について

2011-10-12 16:35:51 | 日記

松阪市の小林益久副市長が東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の復興支援のため、8月から3ヶ月間の予定で派遣されています。10月3日に行われた松阪市議会運営委員会で、小林副市長の派遣終了後の11月11日に、現地での活動報告を聞く「(仮称)小林副市長の陸前高田市復幸支援活動報告について」の全員協議会が開催されることになりました。

 

◆小林副市長の陸前高田市への派遣

 小林副市長は8月1日から立ち上がった陸前高田市復幸(ふっこう)応援センターのセンター長として、10月末まで3ヶ月の予定で派遣されています。民間やボランティア団体と前高田市のマッチングや、被災地が求めている支援と企業の特色を生かした支援のマッチング、また被災地の状況を伝えるなどが主な仕事ということです。

陸前高田市の災害ボランティアセンターは別にあり、副市長のブログから同復幸応援センターは側方支援のような役割ではないかと思われます。

 

◆市民から疑問の声

小林副市長が長期にわたって松阪市を離れていることに対して市民からも「長すぎるのではないか」「なぜ副市長なのか」「仕事の内容が見えてこない」など、疑問の声が上がっていると、夕刊三重紙は報じています。

 小林副市長が松阪を離れている時に、彼の役割がそのまま穴があいていたのではいけません。この問題は9月議会の一般質問でも取り上げました。小林副市長の抜けている穴は市長や副市長が補うべきではないかと。

 

 しかし被災地では「藁をもつかむ思い」です。小林副市長が松阪市で果たす役割以上の重要な役割を、被災地で果たせるのであればいいのではないかと思います。

 中日新聞の特集に岩手県遠野市の後方支援の記事がありました。一般質問の時にも話しをしたのですが、最後時間が足りなくて詳しく話せませんでした。

 

◆遠野市の後方支援の取り組み

 柳田国男の「遠野物語」でおなじみの遠野市。私たちも視察で一度訪れたことがあります。内陸部にあり、都会化されていない、河童や天狗が出てきそうな静かな町でした。

 遠野市の本田敏明市長は元県職員で消防防災課長の時、津波の恐ろしさを再認識したということです。郷土遠野市は海岸線まで遠く、津波の心配はまずない。近隣の大船渡や宮古、釜石などが大きな被害を受けた時には、遠野市は後方支援の基地としての役割があるのではないかと、これまで準備を進めてきました。

 

 東日本大震災発生後、遠野市では食糧や日用品を「つけ」で買い集め被災地に送り、同市の公園は自衛隊や警察の基地となり、遠野市の144ヶ所施設をボランティアに開放し、これまでに3万6千人ものボランティアを、同市を拠点に被災地に送り込んだということです。

 また市税収入22億円の同市が被災地支援に3億円もの持ち出しをしています。松阪市の市税収入が約200億円ですので、それに比べるとその多さがわかります。

 

◆東海地震等の3連動地震が発生すれば

東海から四国にかけての太平洋沖にある東海地震などの3連動地震の発生が近づいていると言われています。この地震が発生すると松阪市も地震や津波の被害を受けることも考えられ、ハード・ソフト両面での防災の取り組みが行われています。

この地震でもし松阪市が大きな被害を受けた時には今度は逆の立場になり、多くの自治体から支援を受けるということになります。だから今回の大災害で支援できることはすべきです。小林副市長の長期派遣に松阪市民も我慢すべきところは我慢すべきです。そして困ったときはお互いさまです。

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歴史民俗資料館特別企画展「藩札と羽書」始まる

2011-10-11 17:30:47 | 日記

松阪市殿町の松阪公園内にある松阪市立歴史民俗資料館で特別企画展「藩札と羽書 松阪のエコマネー」が10月1日から始まっています。

 

江戸時代に諸藩が発行した藩札の中でも紀州藩札は信用力の高さで有名です。一方羽書(はがき)は商人が発行した私札で、「端書(はしがき)」が訛ったものとか、羽根のように飛び回ることから付けられたと言われています。

 

この特別展で展示されている山田羽書、宇治羽書、松坂羽書、射和羽書、中万羽書、丹生羽書のうち山田羽書は日本最初のエコマネー(地域通貨)です。

この特別展は12月11日まで開催されています。

 

問い合わせ

 松阪市立歴史民俗資料館

  三重県松阪市殿町1539(松阪公園内)

    電話 0598-23-2381

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四五百之森コンサート開催される

2011-10-10 06:25:00 | 日記

(平安桜のオカリナ・三味線演奏)

 

松阪市殿町の四五百之森(よいほのもり)にある松阪神社の秋季例大祭に奉納する、四五百之森コンサートが10月9日松阪神社(波多瀬秀之宮司)の境内で行われました。

 このコンサートは松阪神社奉賛会(稲垣京祐会長)が主催して毎年この時期に開催されるもので、今年で14回目を迎えます。

 

 神社の木々に夕闇がせまる午後6時から演奏が始まりました。会場にはかがり火が焚かれ、場内の照明は極力抑えられ、虫の声が聞こえる中でのコンサートでした。この日は伊勢神宮の神職で絵師の榊原匡章さんのシンセサイザー演奏、琴修会中部支部「チアーズ」の大正琴や松阪太鼓、男性合唱団の「がまの会」、また9年連続しての出場の「アレグリア」は軽快なフラメンコやベリーダンスを披露した。今年のとりはオカリナと三味線のコンビで、世界で活躍するの「平安桜」。オカリナの澄んだ音色が境内の闇の中に響きました。

 

 (アレグリアのフラメンコ)

 

 稲垣会長の話では、このコンサートは平成8年に遷宮が行われたのを機に始まったもので、奉賛会・総代会・演奏者・また協賛していただいたスポンサーなど、多くの人たちに支えられ運営されており、準備にもたくさんの若い人たちが手伝っていただいたということです。

 今年は東日本大震災への支援ということで、募金が行われ、またバザーの売上金や協賛金の一部も義援金にまわされるということです。

 暑くもなく、寒くもなく、風もなく、絶好の演奏会日和で、会場に詰めかけた約300人の来場者は秋の夜長を、四五百之森に繰り広げられる演奏の音色に浸りました。

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松阪市美術展覧会始まる

2011-10-08 12:16:16 | 日記

第52回松阪市美術展覧会(市展)が松阪市外五曲町の松阪市文化財センターで今日10月8日から始まりました。市展は2回に分けて開催され、今日からは第1部絵画と彫刻・工芸の部が展示されています。私も市展は毎年見学に行っていますが、特に気にいった作品に巡り合うと嬉しくなります。

 

今年の絵画の部では128展が出品されその中から、入選100点、入賞17点、計117点が展示されています。また彫刻・工芸では50点が出品され、入選40点、入賞10点の計50点が展示されています。

作品の審査委員による合評会は次のように開催されます。

絵画10月16日 午後1時00分~

彫刻・工芸 10月16日 午後1時30分~

 

 第2部の書道、写真部門は10月29日(土)~11月6日(日)まで、松阪市文化財センター開催されます。

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文教経済委員会で原田二郎邸見学

2011-10-07 20:03:56 | 日記

松阪市殿町にある改修中の原田二郎旧宅を10月7日、文教経済委員会委員で見学しました。原田二郎旧宅は平成19年12月26日、財団法人原田積善会と松阪市間で寄付することに合意調印されたもので、同法人からの寄付金などで改修工事が行われていました。このほど建物の改修が終わり、今日7日文教経済委員会終了後、委員で見学しました。

 

平成20年から測量、建物調査、修理方法の提案、平成21年歴史建物痕跡調査、実施設計委託、平成22年度~23年 建物修理と整備が進められてきて、このあと来年度には外溝・庭園整備を行い24年10月から一般公開される予定です。

 

この建物は幕末に造られた武家屋敷で面積等は次のようです。

敷地面積 1185.94㎡、

居宅  1階143.63㎡、2階21.42㎡ 延べ165.05㎡

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