(祭りのにぎわい) (勾玉つくり体験)
縄文人のマツリの場として国史跡となっている松阪市嬉野釜生田町にある天白遺跡で「第1回 うれしの天白縄文まつり」が開催されました。この祭りは今年の4月に天白遺跡の整備が完成したのを受け、昨年まで嬉野ふるさと会館前公園で行われていた嬉野ドングリまつりが場所を移して行われたもので、NPO法人みえ自然・文化財保護サークル(粕谷忠代表)が主催しています。
まつり会場には3つのステージに分けられ、歴史体験ステージでは子どもたちが勾玉つくり、火おこし体験、土偶つくり、土笛つくりなどの挑戦していました。また食の体験・地域交流ステージでは縄文鍋、もちつき、焼きいもなどが販売され、民族芸能ステージだは縄文太鼓やオカリナ演奏などがありました。
(天白遺跡) (配石遺構)
【天白遺跡】
天白遺跡は縄文時代後期中頃(約3500年前)から晩期(約2300年前)にかけて縄文人のマツリの場として造られたもので、平成12年4月に国史跡指定を受けています。平成4年に行われた発掘調査では、石を円形にならべた配石遺構が30ヶ所、土器を埋めた穴26ヶ所と、使っていた土器、石器、人の形をした土偶、石刀・石剣、勾玉、丸玉、また男性器を形取った石棒などが出土しました。
縄文時代の配石遺構がこれほどまとまって見つかることは少なく、西日本最大の縄文配石遺構遺跡として注目を集めています。
今日のまつりにスタッフの一員として参加されていた、以前松阪市文化財センター勤務時にこの遺跡の発掘調査をされ、現在飯南教育事務所勤務の和気清章さんの話では、この時代はだんだんと気温が下がってきており、食糧が確保しにくくなってきて、困った時の神頼みとして、このような祭事場が造られたのではないこということでした。
またこの天白遺跡は中村川の流域にあるいくつかの村で管理されていたのではないかと考えられ、中村川沿いの天白遺跡から2㎞上流にある下沖遺跡、少し下流にある井上遺跡も、同じ時期に造られたものと考えられるということでした。
天白遺跡
所在地 三重県松阪市嬉野釜生田町1549~1560番地
総面積 14,226㎡、
指定年月日 平成12年4月11日に国史跡指定