川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

マノー祭りin三重開催される

2018-08-26 19:32:02 | 日記
       (芝生広場のモニュメントの周りで、カチン族の踊りを参加者みんなで踊りました)

 ミャンマーの少数民族カチン族の伝統的な祭りが披露される「マノー祭りin三重」が、2018年8月26日三重県松阪市飯高町波瀬の波瀬ゆり館(旧波瀬小学校)で開催されました。この催しはマノー祭り実行委員会(上村真由 実行委員長)などが主催して行われたもので、この日、在日ミャンマー少数民族カチン族の人達約90人、日本人運営ボランティア約50人、そして地元を始め松阪市内から多くの市民が参加しました。みんなが見守る中、厳粛なカチン族の踊などが披露されました。

  
       (厳粛なるカチン族の踊り)        (途中からは日本人も輪の中に入って踊りました)

 ミャンマーは小説や映画にもなった「ビルマの竪琴」でおなじみの旧国名「ビルマ」で、日本人にもなじみの国。1991年にノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチーさんの国でもあります。
 ミャンマーの人口が5500万人で、その9割が仏教徒。国の北部の山岳地帯に住むカチン族は人口100万人で、その9割がキリスト教徒。2011年から始まった政府軍とカチン独立軍との戦闘で約10万人が家を追われました。1年半の間に政府軍により60以上のカチン族の教会が破壊されました。世界の奇祭のひとつといわれているこの「マノー祭り」も内戦の影響でこの7年間実施されていません。

 マノー祭り前日に波瀬ゆり館にバスなどで来場した在日カチン族の皆さんは、見た目はほとんど日本人と変わらず、誰がカチン族か、誰が日本人ボランティアなのか分からない状態でした。芝生広場の中央にカチン族のモニュメントが作られ、飾り付けが行われました。
 26日の開会セレモニーでは、上村実行委員長のあいさつ、フォーアーゾーラカチン族代表のあいさつ、来賓のあいさつがありました。また9月17日に行われるミャンマー国内避難民支援チャリティーコンサートの出場歌手下垣真希さんも駆けつけ、日本唱歌を歌いました。

 
(みんなで地元飯高町の「飯高祭文踊り」を踊る)    (来場者にカチン料理が振る舞われた)

 カチン族の踊りは、民俗衣装に身を包み、お祈りのあと始まりました。カチンの皆さんによる厳粛なる踊りのあと、ボランティアや一般来場者の皆さんも輪に入って一緒に踊りました。また松阪市飯高地区に古くから伝わる盆踊り「飯高祭文踊り」も行われ、地元の人達の踊りに合わせカチンの皆さんも一緒に踊りました。
 踊りのあと、来場者には日本女性ボランティアがつくったカチン料理が振る舞われました。

 今回の催しを運営された実行委員会の皆さん、料理を作っていただいた女性ボランティアの皆さん、協力していただいた地元波瀬村づくり協議会(福本博行 会長)の皆さんご苦労さまでした。また来賓として来ていただいた中川正春衆議院議員(ミャンマー民主化推進議員連盟会長)さん、竹上真人松阪市長さんありがとうございました。
 私も実行委員の1人として一緒に、祭りを楽しませていただきました。


                                   
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笠松かんこ踊り開催される

2018-08-16 18:00:04 | 日記
 「盆の供養と村の安全を祈る」松阪市笠松町に古くから伝わる「笠松かんこ踊り」は、同町内の松養寺、海雲寺及び町内一帯で、8月14日に行われました。大勢の地域の人達が見守る中、若者たちによりからだ大きく揺らしながら勇壮な舞が行われました。笠松かんこ踊りは笠松自治会と笠松羯鼓踊保存会(松井幸則 会長)が主体となって催されます。

 笠松かんこ踊りの起源は今から300年ほど前と言われています。戦中・戦後は長く中断しましたが、昭和54年に「笠松羯鼓踊保存会」結成され、踊りが復活しました。
 かつては長男しか踊れませんでしが、子どもの数が減った現在では中学生以上の男子で、世代の近い4人で1番から6番の組をつくり踊ります。
 歌の曲目は全部で29曲あり、現在はそのうち25曲を踊ります。また以前は翌朝の15日の朝まで踊っていましたが、現在では翌朝の午前1時頃までに終わります。平成10年に松阪市の無形民俗文化財に指定されています。

 午後5時踊りがスタートする。「赤四手(あかしで)」と呼ばれる約6mの孟宗竹の上に5色の紙を付けた竹棒を先頭に、1番組が太鼓をならしながら在所廻りをします。約1時間廻ったあと松養寺に入り境内で踊る。音頭は地区の男衆が掛け合いながら歌います。午後8時頃場所を海雲寺に移し、ここで6番組まで踊ります。
 踊りの最後には「シデミジャキ」と呼ばれる儀式が行われます。2本の赤四手が倒され、十字に組まれ、見学者は「白四手」と呼ばれる先に白色の幣を付けた細竹で赤四手を叩き、邪気を祓います。

 笠松かんこ踊りは、現在松阪市内に残る8つのかんこ踊りの1つで、私は本郷のかんこ踊りを除く全てのかんこ踊りを見せていただきましたが、笠松のかんこ踊りはたくさんの地区の人々が来場し、市内のかんこ踊り中では、一番盛大に行われているように思いました。
 笠松羯鼓踊保存会の松井会長さんをはじめ、保存会の皆さんにはいろいろと教えていただきありがとうございました。

 笠松かんこ踊は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。
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曽原かんこ踊行われる

2018-08-15 16:28:09 | 日記
 松阪市曽原町に古くから伝わる「曽原かんこ踊」は8月14日から15日の未明にかけて、同町の法性寺と西光寺や地域一帯で行われます。この踊りは初盆と、先祖の供養や五穀豊穣を祈って毎年この日に行われるもので、曽原かんこ踊保存会(瀬古一彰会長)が中心となって伝承されています。

 曽原かんこ踊は今から約260年前に、浄土真宗高田派の末寺として、当地に法性寺(ほっしょうじ)が建立され、これを記念して、農民たちの要望で行われた盂蘭盆(うらぼん)踊りが始まりといわれています。江戸末期から明治時代には「若者組」という組織により伝承され、大正時代からは「誠友会」と改名して続けられてきました。

 昭和16年(1941)から昭和23年(1948)の戦中・戦後は中断を余儀なくされたが、昭和24年に復活しました。昭和26年には「盂蘭盆踊り保存会」が結成されました。平成10年(1998)5月に旧三雲町から無形文化財に指定され、保存会も「曽原かんこ踊り保存会」と改められました。松阪市と合併後は、松阪市無形民俗文化財の指定を受けました。平成18年(2006)に、踊り手となる子どもたちが十分集まらないということで一度中断しましたが、翌年に復活して今日にいたっています。
 現存する最古本に記載されている年号は江戸時代享和元年(1801)で、28曲の歌が掲載されており、また大正時代の天白郷土教育資料では24曲、現在使用中の音頭本には20曲が掲載されています。

 踊り手は小学校5年生から50歳代くらいまでで、4人1組で10組40人が踊る。踊り手の頭にはキジの羽を表すかぶりものを着け、紺木綿の衣装に脚絆を巻き、1番手は紺足袋にわらじ履きで、2番手以降は素足で踊ります。この、かんこ踊りの特徴は、胸の太鼓を打ちながら、ゆったりとした独特の足さばきを見せます。
 8月14日の午後5時に踊りがスタートし、まず1番打の小学5年生が法性寺境内で3曲踊ったあと、同町内の西光寺へ場所を移し、この境内で3曲踊ります。そして再び法性寺へ場所を移し、3曲踊って一番打は終わります。次いで小学6年、中学生、高校生、大人の順で、2番打、3番打と踊り手が変わり、15日の午前1時頃まで踊ります。

 踊りは「臨終正念するときは(するときは)、みだの光明あきらかに(あきらかに)、二十五菩薩においてある(おいてある)、弘誓(ぐぜい)の舟にうちのりて(うちのりて)」で始まる「世古入」から入り、以降「お寺おどり」、「念仏」、「巻狩(まきがり)」、「夜討」、「梅若」、「隅田川」、「筑紫(つくし)」、「刈萱(かるかや)」、「陣立」、「鎌倉」、「巡礼」、「花見」、「鮎釣」、「鶉(うずら)」、「雉子(きじ)」、「綾織(あやおり)」、「雪かき」、「世の中おどり」、「神世古入」の20曲あり、全曲踊ります

 曽原かんこ踊には地区の人達がたくさん集まってきて盛況でした。瀬古保存会会長さんにはいろいろと教えていただきありがとうございました。

 曽原かんこ踊は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。
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新屋庄かんこ踊り行われる

2018-08-14 22:57:24 | 日記
  松阪市嬉野新屋庄(うれしのにわのしょう)町(94世帯)に伝わる「新屋庄かんこ踊り」が、8月14日に同町内の称名寺で行われました。この踊りは初盆の霊や先祖代々の霊を慰める精霊踊りで、新屋庄かんこ踊り保存会(川合幹雄会長)が中心となって伝承されています。

 新屋庄かんこ踊りは江戸時代明和年間(1764~1772)から同安永年間(1772~1781)ごろ始まったとされます。踊りの起源は、7月14日の天王さん(現在の新屋庄神社)の夜に神社で「宮踊り」として始まったとか、あるいは称名寺の住職が始めたという説があります。
 昭和30年代に最も盛んだったといわれ、田植が終わる頃には各家々の二十歳前後の長男が集まり、およそ2ヶ月間毎晩練習をして本番を迎えました。当時はかんこ踊りを通して地域がひとつになり地区をあげての祭として盛況でした。しかし昭和40年代になると高度成長の時代を迎え、かんこ踊りに対する人々の意識も変化し、ついに途絶えてしまいました。
 平成の時代に入って地域の中からもう一度かんこ踊りを通して地域を盛り上げようという動きが出てきて、平成10年に「新屋庄かんこ踊り保存会(初代会長 南条幸行)」が結成され、再び復活しました。平成11年9月3日に嬉野町指定無形文化財に指定され、平成17年の松阪市への合併により松阪市指定無形民俗文化財に指定されました。

 新屋庄かんこ踊りの踊り子は4人1組で、頭に黒い羽根のついた「しゃぐま」と呼ばれるかぶり物をして、紺じばん、紺ばっち、紺のてっこう、脚絆で身を包み、草履はきで、肩から「羯鼓」と呼ばれる太鼓を吊して、両手にバチをもち、左右にからだを揺すりながら太鼓を打ちます。踊り子の周囲には側踊り(がわおどり)といって、地区の人たちが浴衣姿に菅笠をかぶり、シデを先端につけた棒を持って踊ります。
 19種類ある歌の中で現在踊るのは4曲で、踊りはまずお寺の外から御寺門入(おてらかどいり)をして、次に「御寺踊り」を踊ります。以前は御寺踊りのあと、初盆の家々を廻って踊る「施主踊り」「踊り込み」をしていましたが、現在は全て称名寺で踊る「式踊り」を行っており、踊りの途中で初盆を迎えた人の名前と戒名が読み上げられます。
 今年からかんこ踊りが終わってあと、育成会による花火遊びが行われました。

 いろいろ教えていただいた川合幹雄会長さんを始め保存会の皆さんありがとうございました。

 新屋庄かんこ踊りは私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。
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西野子踊り行われる

2018-08-12 07:10:00 | 日記
 松阪市西野町に古くから伝わる郷土芸能「西野子踊り」が平成30年8月11日(土)、西野公民館前広場で行われました。西野子踊りは西野夏祭りとして行われるもので、西野夏祭り実行委員会が主催し、西野自治会(福田幸則会長)、西野子踊り保存会(川口保会長)が中心となって、毎年盆前の土曜日に行われます。
これまでは午後4時から子踊りが、午後7時から盆踊りがありましたが、今年から盆踊りがなくなり、子踊りは午後6時スタートとなりました。心配された夕立もなくスムーズに踊りが行われました。

 「子踊り」と呼ばれるように、踊りの中心は小学生を中心とした子ども達です。かつては家持ちの長男しか踊れなかったのですが、最近は子供の人数が少なくなってきたので、次男、三男や女の子も踊りの輪に加わり、また未就学の幼児、中学生や高校生、大学生、大人の人たちも多く踊りに加わっています。
 踊りの輪の中央には大太鼓、その外側に大人の踊り子、さらにその外側に子ども達の踊り子が輪をつくります。踊り子は法被姿にはちまきをして、履物は雪駄。首から太鼓を下げ、バチで太鼓を打ちながら踊ります。一番外側には子ども達の母親や地区の大人たちが浴衣に鳥追笠をかぶり、竹の先に紙の房のついた「采(ざい)」をもって踊ります。来賓の皆さんも采を持って踊ってもらいました。

 
 


 西野の子踊りは「かんこ踊り」とも呼ばれ、和歌山県日高郡日高町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。
 現在松阪市内では西野を含めて8つの地区でかんこ踊りが行われています。昔は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、時代の流れと共に消えていき、現在8地区でしか残っていません。このため大変貴重な郷土芸能と言えます。8つの地区の内、猟師・松崎浦・曽原・笠松・新屋庄の5地区は初盆供養の仏事踊りです。西野と小阿坂、向粥見本郷(中断中)は雨乞いや豊年祈願の神事踊りです。

 戦後間もない昭和29年から中断し、約25年後の昭和54年8月に西野子踊り保存会(安濃田助生会長)が結成され、復活しました。この長期の中断が大きく、最近太鼓を踊れる人、歌を歌える人が少なくなってきました。このため平成20年6月から「かんこ塾(錦洋明塾長)」を開設して大人を対象に太鼓の練習を行っています。
 
  
      (竹上市長さん、中島議長さん 堀端副議長さん、野口県議さんも采を持って)

 歌は「世古入」、「神楽踊」、「世ノ中踊」、「小原木踊」、「飛田踊」、「鐘鋳踊」、「鐘巻踊」、「綾踊」、「忍踊」、「長崎踊」、「神役踊」、「御寺踊」、「雉子突踊」、「陣立踊」、「鹿狩踊」、「唐人踊」、「花見踊」と全部で17あります。この内現在は「世古入」、「神楽踊」、「世ノ中踊」、「小原木踊」、「飛田踊」、「鐘鋳踊」、「陣立踊」、「花見踊」の8曲が踊られています。

 西野の場合「子踊り」と称しますが、鞨鼓を持って踊ることから他地区の「かんこ踊り」と変わりません。他地区では「かんこ踊り」と称しているのに、西野だけなぜ「子踊り」と称するのかは分かりません。
 またこの踊りがいつ頃から始まったかは分かりません。歌の中に唯一出てくる年号が、鐘鋳踊の中の善光寺の鰐口に書かれた年号「元文四年五月三日」で、この元文4年(1739)は江戸時代(1603~1867)の丁度中頃になり、これ以降にこの歌が作られたことになります。



 西野子踊りと小阿坂のかんこ踊りは共通するところが多く、西野17踊りに対して小阿坂20踊りであるが、多少文句は違っていても14踊りも共通の踊りがあり、節もよく似ています。和歌山県の道成寺の案内板に西野と小阿坂の踊りが記されていました。また曽原のかんこ踊りや笠松のかんこ踊りは初盆供養踊りでありますが、西野とよく似た歌があります。

✦この日来ていただき、踊りを見てもらったり、一緒に踊っていただいた来賓の皆様。
 松阪市長 竹上真人 様

 三重県議会議員 後藤 健一 様
     同      中瀬古初美 様
     同      野口  正 様

 松阪市議会議長     中島清晴 様
 松阪市議会副議長   堀端 脩 様
 小阿坂かんこ踊り保存会元会長 松阪市議会議員 坂口秀夫 様
 松阪市議会議員    沖 和哉 様
     同         橘 大介 様

 松阪市産業文化部部長    村林 篤 様
 松尾幼稚園園長      竹内茂夫 様
 松阪市松尾市民センター長 青木佳奈美 様
 

✦祝いのメッセージをいただいた方
 衆議院議員 田村憲久 様

 皆様ありがとうございました。
                 西野子踊り保存会会長 川口 保
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岡寺山継松寺で四萬六千日行われる

2018-08-11 03:48:02 | 日記
 「岡寺さん」でおなじみの松阪市中町の岡寺山継松寺で、8月9日から10日の早朝にかけて「四萬六千日(しまんろくせんにち)」という行事が行われました。この行事はミズ・ネットワーク(東村佳子代表)が主催して行われ、この日にお参りすると、四萬六千日分参拝したことと同じ功徳があると言われています。

 岡寺山継松寺は3月に行われる初午大祭のお寺としても有名です。当寺の歴史がHPには次のように書かれています。
 『当山に伝わる「継松寺儀軌」によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建しています。聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。後に洪水によりお堂は流失しますがその際に海中よりご本尊を拾い上げた二見の漁師であった三津五郎右衛門正信が弁財天のお告げを聞いて出家し継松法師となりお寺を再建したことから継松寺と名付けられるようになった。
また弘法大師空海が当山に逗留した折に本尊の両脇に不動尊と毘沙門天を造り安置したと伝えられている。
 元は石津にあったが、慶長17年(1612年)松阪城主古田重治により現在地に移された。』

「四萬六千日」の行事は全国各地で行われている観世音菩薩の縁日のことで、「四万六千日」、「四萬六千日参り」とも表され、東京浅草・浅草寺の「あさがお市」や「ほおづき市」が有名です。
 四萬六千という数字の由来は不明であるが、一升の米粒が四萬六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると言われています。46000日を年数になおすと、約126年になり、この位無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられています。

この日継松寺の参道には灯ろうが並べられ、幻想的な雰囲気がかもし出されました。地元の友人の話しでは、この縁日は昔からあり、子どもの頃には多くの出店も出ていたという事です。寺の境内ではミズ・ネットワーク松阪主催のあかりコンサートや浴衣ショーなどがあり、また継松寺の柏木文雄住職の講話もありました。
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西野子踊り2018年8月11に開催

2018-08-07 03:00:21 | 日記
                     (西野公民館前広場で総合練習)

 松阪市西野町に古くから伝わる「西野子踊り(かんこ踊り)」が2018年8月11日に開催されます。
 松阪市内に伝わる8つのかんこ踊りの多くが初盆供養の踊りですが、西野子踊りは雨乞いや、豊年祈願の神事踊りで、踊りの中心は子どもたちです。
 7月には「かんこ塾」として大人が練習してきました。8月に入って総合練習として主人公の子ども達を中心として、お母さん方、大人の踊り子などみんなで練習しています。

 今年のこの踊りは次の様に開催されます。

✦日  時  2018年(平成30年)8月11日(土)午後6時から
         (途中2回ほど休憩を行います)
         
✦場  所  松阪市西野町 西野公民館前広場

✦雨天の場合は公民館の中で行います。荒天の場合は順延します。

✦問い合せ  西野子踊り保存会会長 川口 保まで
          電話 0598-58-2948
              090-8738-7959
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七夕まつり・鈴の音市開催される

2018-08-04 21:44:36 | 日記
                         (まちなかのにぎわい)

 夏本番の8月4日、松阪市の中心市街地で「七夕まつり・鈴の音市」が開催されました。この祭は松阪まちなか街づくりネットワーク(高島信彦 会長)と松阪七夕まつり実行委員会(服部善孝 委員長)が主催して毎年この時期に行われています。

もともと本町を中心として「七夕まつり」が行われていましたが、平成14年に市役所通りから国道42号の間の中心市街地の「鈴の音市」が加わり「七夕まつり・鈴の音市」となり、今年で第17回目となります。

 
       (響座和太鼓グループの演奏)      (ゆめの樹ステージのダンスパフォーマンス)

祭会場では豪商ポケットパークステージ、市民ステージ、ゆめの樹ステージなどが設けられ、演奏、歌、ダンス、踊りなどが披露されました。また食べ物を売るブースや、輪なげ、ジャンケン大会など子どもたちのお楽しみコーナーなどもありました。

                                  

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