川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

射止神事行われる

2019-02-17 19:16:29 | 日記
                (選ばれた射手が自治会長とともに的に矢を射ます)

 松阪市上七見町で、2月17日に弓を射て家内安全・五穀豊穣・子孫繁栄を祈る「射止め(いとめ)神事」が行われました。この行事は上七見町自治会(高畑敏彦自治会長 戸数約40戸)が主催して行われましたが、私も初めて見せていただきました。

 上七見地区には奈々美神社がありますが、この行事は同神社の神事ではなく、地区の行事として行われています。古くから行われていた行事ですが、戦後中断していました。ただこの時期に地区の成人を祝う行事として寺で会食だけが行われていました。昭和の後期にこの行事復活のしようとする動きがあり、多くの反対を受けながら昭和38年(1980)ごろに復活されたということです。復活に携わった山路邦夫さんのはなしでは、復活のとき一番のネックとなったのが竹の槍の先につける男性器と女性器を模した大根で作られたものでした。教育上よくないということで大反対にあったそうですが、何とか説得をして行事が復活されました。この男女性器の模型は子孫繁栄を願ってのことだそうです。

         
                 (的の裏に書かれた「鬼」を刀で突きさし退治します)

 奈々美神社の境内に竹で編んだ的が造られ、裏側には「鬼」と墨書きされた紙をはり、選ばれた射手が的に向かって矢を射ます。射手には20歳までの男子が努めますが、今年の射手には朝見小学校2年生の橋本貴稀君が選ばれました。紋付き袴姿の射手が弓矢を射て的に当たれば、的の裏側に回り、自治会長とともに鬼と書かれた紙を刀で刺しぬきます。

 
(「やっこらさ」と唱えながら里中を練り歩きます)        (リアルに作られた模型)


 そのあと行列を組み「やっこらさ」と唱え、竹やりを突き上げながら里中を練り歩きます。松阪市史によると行列の本来の姿は、『射手となった若者が神刀と白扇を持ち、次に主に次男が裃袴を着用して露払いを勤め、二人の草履を持参する。そのあとに年長者1人、はさみ箱(竹行李)を持った中年二人が続き、最後にヤリモチの若衆が面を付け、男女の性器に似せた大根を青竹にさして持ち続く』ということですが、現在では省略されているところもあります。

 「射止神事」とインターネットで検索しても上七見地区のこの行事しか出てきません。日本で唯一の行事をいつまでも続けてほしいと思います。取材に協力していただいた、高畑自治会長さんをはじめ地区の皆さん、行事の復活に尽力され、話を聞かせていただいた山路邦夫さんありがとうございました。
 この行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。
コメント

梅の花とエビ

2019-02-14 05:07:44 | 日記
 我が家には梅の木が何本かあり、白梅が2本、紅梅が2本、しだれ梅が1本、そして最近植えた南高梅が1本、少し前から咲き始めています。

 昨日、その中の白梅の枝に3cm位のエビが刺してあるのが見つかりました。我が家では節分に鰯の頭を柊(ひいらぎ)にさして玄関に飾り、厄除けにする習慣があるので、家内に「エビも刺したの?」聞いたが、家内ではないようです。

 どうやら鳥の仕業ではないかと思います。鳥はとらえたトカゲなど枝に刺しておいて、保存しておくと聞いたことがあります。しかし人間でも硬い殻のエビを枝に刺すのは難しいそうですが、うまく刺してありました。
コメント (4)

松尾神社例大祭開催される

2019-02-12 04:30:58 | 日記
                 (松尾小学校女児による華麗な浦安の舞の奉納)

 松阪市立野町の松尾神社(岡村行通 宮司)で平成31年2月11日、同神社最大の行事例大祭が行われました。この例大祭の行われる日は例年寒い日が多いのですが、この日は曇っていましたが、風も少なく、この時期にしては比較的暖かい日となりました。祭礼は約400段の階段を登った山頂の本殿でおこなわれました。

 今年の祭礼には、来賓として県議、市議、地元松尾各町の自治会長、松尾まちづくり協議会代表、氏子総代、敬神婦人会代表、同神社崇敬奉賛会の代表、鳥居奉納者などが参列しました。竹上市長は祭礼前に来てあいさつと餅まきをしていただきました。
 本殿前で行われた舞姫による「浦安の舞」の奉納では、松尾小学校6年生錦俐衣奈さん、5年生福田和花さん、宇田一葉さん、川口温花さん、青田理湖さん、岡村心愛さんの6人の舞姫が、練習の成果を発揮して華麗な舞を披露しました。

 
    
           (2回行われた餅まきには多くの来場者が歓声を上げていました)

 ふもとの広場では獅子舞の奉納やカラオケ大会、また松尾神社専属(?)歌手による「三川ゆり歌謡ショー」などがあり、来場者には甘酒が振る舞われました。また午後0時ごろからと午後4時ごろから行われた2回の餅まきには、多くの来場者が歓声をあげながら餅を拾っていました。

◆松尾神社のあらまし 
 松尾神社は松阪市立野町の標高113mの山の頂上にあり、本殿まで400段の階段が続きます。頂上付近になると急な階段が120段続き、ようやく本殿に到達します。本殿のある山頂からは中部国際空港などが眺められ、また伊勢神宮、熱田神宮、橿原神宮、明治神宮、靖国神社の礼拝所も設置されています。
 
 松尾神社はもともと立野神社または立野明神と呼ばれ、神社がある立野は、平安時代の930年代に成立した「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に飯高郡に属する郷としてあげられています。その立野郷の産土紙(うぶすながみ)(生まれた土地を守護する神)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祭ったのが立野神社であり、康保4年(967)に施工された「延喜式」(法律の施行細則)神名帳にも記載されています。
 北畠の家臣水谷刑部がこの立野に砦を構えたとき神領を寄進し、徳川宗貞も享保9年(1724)来松の節、社領四石七斗六合を免除しています。

 明治時代に1村1社を原則に神社合祀が進められ、明治40年・41年当時の松尾村村内の神社を立野神社に合祀し、名前を立野神社から松尾神社に改称されました。祭ってあるのは大山咋命を主神に29柱の神です。
 昔は京都の松尾神社と同様に酒造の神と崇められたということから、酒を醸造する人たちが信仰する神社でもあり、また歯の神様でもあります。
コメント

のろし実験行われる-白米城から

2019-02-07 10:43:25 | 日記
                    (白米城から上がる狼煙(写真の中央))

 松阪山城会が2019年2月7日午前9時に、阿坂城(白米城)跡から狼煙(のろし)実験を行いました。
 松阪山城会(松本薫会長 会員34人)は平成28年5月に結成された会で、松阪の山城を後世に残す活動をしています。松阪地区でもいくつかの山城を新しく発見しています。
 阿坂城は北畠氏の重要な出城の1つで、この実験は中世における情報伝達の手段であるのろしがどの範囲まで見えるか、また北畠氏の拠点である大河内城に伝達できるかなどをさぐるものです。
 今回私は山城会から依頼を受けて松阪市西野町の白山城跡(西野工業団地ののり面の上)から確認しました。肉眼ではかすかに見える程度でしたが、写真にははっきり写っていました。
コメント (2)

初愛宕大祭開催される―愛宕山龍泉寺(愛宕町)

2019-01-24 14:52:35 | 日記
                          (賑わう愛宕市)

 松阪市愛宕町の愛宕山龍泉寺(岡本祐璋住職)で新年恒例の「初愛宕大祭」が1月24日、25日の両日に開催されています。この祭りは毎年この両日を「初愛宕(愛宕市が立つ)」と称し、火防安住(火の用心)、勝運隆盛、良縁招福の大祈祷会が行われています。私も24日に行ってきました。

 愛宕山上福院龍泉寺(あたごさんじょうふくいんりゅうせんじ)の開創は、聖武天皇(在位724~749)が行基に勅命し、一志中郷村滝野川(現 松阪市嬉野滝乃川町)の深山に建立したのが始まりとされ、滝野川寺と称しました。多気の国司・北畠の庇護を受けていたことから、織田信長が攻めてきたとき焼き討ちにあっています。その後松ヶ島平尾に移し瀧川寺(りゅうせんじ)と称し、蒲生氏郷の開府8年前の1580年に現在地に移転しました。
 ご本尊の愛宕大権現は、弘仁年中(810~824)に弘法大師が、鎮護国家、万民決楽のために天弓愛染明王とともに彫ったものです。
 龍泉寺の山門は松阪市内の木造建造物では最古ものと言われ、県指定文化財になっています。妻造り、本瓦葺きの一間一戸(いっけんいっこ)の薬医門で、松ヶ島城の裏門を移したものとも、松坂城の門を移したものとも言われています。

   
                 (三重修験道会の行者による柴燈護摩供養)

 岡本住職の話では、この祭りがいつごろから行われているかは定かではないが、江戸中期ごろに始まったのではないかということです。
 大祭には本殿で9時30分から法要が始まり、午前10時から境内では三重修験道会(福森實峯 会長)の8人の行者による柴燈護摩供養が行われました。境内には愛宕市(道具市)がたち、鍬・鎌・鋏などの農具、包丁・まな板などの家庭用品などが売られ、また昨年からは食べ物の店として、愛宕町で人気のある飲食店のスペシャルフードが出店し、それらを買い求める参拝者で賑わっていました。私も、愛宕さんの近くの「創牛料理はまにく」が提供していた牛汁をいただきましたが、安くてとてもおいしかったです。

 龍泉寺の初愛宕大祭は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。
コメント

どんど火 嫁しば 行われる

2019-01-14 21:39:26 | 日記
 松阪市内各地で小正月の恒例行事「どんど火」が1月12日~14日にかけて行われました。どんど火はしめ縄など正月飾りを焼き、その火で餅を焼いて食べ、無病息災を願う行事です。
 同市岩内町でも集落東側の空き地で1月13日にどんど火「嫁しば」が行われました。この行事は岩内町自治会(松田晃芳自治会長 65戸)が主催して毎年1月14日に近い日曜日に行われ、町内で嫁入り、婿入りのあった家がどんど火に「しば」をくべ、そのあと餅を焼いて無病息災を願うものです。
 
 岩内町では、以前は正月の2日にみんなで山に行って、同町内にある泉住寺に奉納するしばを刈りました。この時、この1年の間に町内に嫁入りした家や婿入りした家はしばの周囲にウラジロ巻いて出しました。これを「嫁しば」、「婿しば」といい、嫁しばは6束、婿しばは8束奉納したということです。

 当時はかまどで煮炊きしたので、しばは貴重な燃料であったと思われます。現在はしば刈りには行かなくなりましたが、嫁しば・婿しばの習慣だけ残っています。どんど火はどこでも行われますが、嫁しば・婿しばの習慣はこの地域だけで、嫁入りしたり婿入りしたことを地域に人たちに披露する意味があったのではないかと思われます。
 この行事がいつ頃から行われるようになったかはわからないということです。また嫁入り・婿入りが全くない年には自治会の役員がしばを刈りに行くということです。

 岩内町のどんど火「嫁しば」は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。
コメント (2)

御火試・御粥試行われる

2019-01-13 18:39:09 | 日記
  
                        (御火試・御粥試の様子)

 松阪市小阿坂町の阿射加(あざか)神社(松本明徳 宮司)で、1月12日に御火試・御粥試神事が行われました。御火試(おんひだめし)は1年の月数を書いた樫の木の先端を囲炉裏で焼き、その燃え具合で月毎の天候を占います。御粥試(おんかゆだめし)は小豆粥釜に竹筒を入れ、筒に入った小豆や米粒の入り具合でその年の米の豊凶作を占います。

 この神事は、以前は1月14日に行われていましたが、現在はかんこ踊りやどんど火と同じ日の1月14日近い土曜日に行われます。神社境内の「庁屋」と呼ばれる建物の中に作られた囲炉裏(いろり)端で2つ神事が行われました。

 御火試は長さ40センチほどの1月から12月の月数が書かれた樫の木の割木を、囲炉裏の熱灰に一定時間差し込んで、その焼け焦げ具合で各月の天候を晴・半晴・雨と判定します。またこの日風が吹くと台風のある年になるといわれています。

 御粥試では鍋の中に米・小豆を入れた粥を囲炉裏で焚き、竹筒を粥に入れます。この竹筒には「早生・中・晩」の印がつけられ、煮え上がったところで松本宮司がこの竹筒を取り出し割って、粥の入り具合の多少によって、その年の稲作の早生、中生、晩生の出来が「大々豊作」、「大豊作」、「豊作」、「凶作」など豊凶を占います。今年は早生が大豊作、中生が大大豊作、晩生が大大豊作と判定されました。判定後来場者に粥が振る舞われ、私もいただきました。
コメント

小阿坂かんこ踊り開催される

2019-01-12 21:39:16 | 日記
 松阪市内で行われているかんこ踊りの1つ、小阿坂かんこ踊りが1月12日に阿射加神社(松本明徳 宮司)で行われました。
 小阿坂かんこ踊りは、「鼓(こ)踊り」とか「御神楽踊り」とも呼ばれ、毎年1月14日に近い土曜日に行われます。かんこ踊りの呼称は、胸に吊して踊る太鼓の「羯鼓(かっこ)」が訛って、カンコと呼ばれるようになったといわれています。
 松阪市内の八地区に伝わるかんこ踊りの多くは、初盆供養踊りですが、小阿坂かんこ踊りは、豊年祈願や農耕への感謝のために神社に奉納してきた神事踊りで、小阿坂町自治会と小阿坂かんこ踊り保存会が主催して行われています。

 小阿坂かんこ踊りがいつ頃から始まったかは定かでありませんが、天明3年(1783)の唄本があることから、それ以前から踊られていたことになります。天明3年は、江戸時代(1615~1868)の中頃ですが、唄の内容から江戸時代初期までさかのぼることができるといわれています。小阿坂かんこ踊りは昭和48年(1973年)3月31に県の無形民俗文化財に指定されました。
 かつてはこの踊りは雨乞いのため夏に踊られていたことが多かったようですが、後には収穫を迎えた秋祭りとして10月20日に踊られました。また豊作の年は必ず踊りましたが、凶作の年には踊らなかったこともあると伝えられています。近年は同じ阿射加神社で行われるどんど火や御火試・御粥試とともに1月14日に近い土曜日に行われています。

 踊りは子供たちが中心となって、神への感謝とその年の豊作を祈願する踊りです。中央の大太鼓はベテランの長老が打ち、その周りを子どもたちや大人の踊り子が輪になります。踊り子は法被にタスキがけ、ハチマキをして、首から下げた羯鼓を打ちながら踊ります。その外側には女の子たちが赤い浴衣に手拭いを首からかけて、うちわを回しながら踊ります。一番外側には地域の大人たちが采(ざい)を持って輪になり、赤采を採る采持ちが踊りを先導します。また踊りの周辺ではベテランが唄を歌い、法螺貝(ほらがい)を吹きます。

 小阿坂かんこ踊りの唄の曲目は、勢子入り・悦び・世ノ中・花見・登牟田・牛若・忍ビ・・松虫・小原妓・中入り勢子入り・和歌・長崎・じんやく・鐘巻・陣立・綾・鮎釣・鐘鋳・帷子・御寺の二十曲あり、現在はこの中から勢子入り・世ノ中・花見・牛若の四曲が踊られています。
コメント

中高齢者のパソコン講座折り返し

2019-01-09 03:48:12 | 日記
 松阪市丹生寺町の松尾公民館で開催中の「中高齢者のパソコン教室 第14期」は昨年9月に開講し、これまでワードを中心として勉強してきましたが、1月8日からエクセルに入りました。

 この講座はあまりパソコンになじみのない中高齢者の初心者を対象に14年前に始まったもので、「ゆっくり 楽しく」をもつとうに進めています。現在の受講生は初心者に「留年組」も含めて約30人が悪戦苦闘しています。
 使われているパソコンは公民館の備品である「年代物」から最新式のものまでまちまちで、「先週保存したファイルが出てこない」、「突然パソコンが動かなくなった」、「打っていた文字が消えてしまった」など毎週トラブル続出で、6人の講師が対応しています。
 
 講座は毎週火曜日の午後7時~9時まで、途中入講ができます。受講希望の方は川口まで連絡ください。
 川口保 ℡ 自宅0598-58-2948  携帯090-8738-7959
コメント (6)

明けましておめでとうございます

2019-01-01 08:25:20 | 日記
                 (西野町八王子より見た2019年の初日の出)

晴れた、穏やかな新年を迎えました。
2019年、平成31年、明けましておめでとうございます。

慣れ親しんだ平成から新しい年号に移る御代替わりの年を迎えました。
皆様、本年もよろしくお願いいたします。
コメント (3)

三重海軍用地の石柱集積碑お披露目会開催される

2018-12-23 17:16:15 | 日記
                        (関係者による除幕式)

 現在の松阪市岡山町付近に72ヘクタールとうい広大な三重海軍航空隊練習場がありました。この航空隊は終戦と同時に撤退しましたが、この時の「海軍用地」と書かれた石柱が当地にいくつか残っており、歴史を後世に伝えるため、この石柱を集めた集積碑が岡山町集会所前に建立されました。そのお披露目会を兼ねた竣工式が、今日平成30年12月23に同集会所で開催されました。

 一志郡香良洲町(現津市)に駐在した三重海軍航空隊(昭和17年から終戦までの3年間に38,000人が入隊)の飛行予科練生の隊員が、終戦間近い昭和20年2月に岡山の訓練場に配置され、半地下式のカマボコ型の兵舎を建てました。配置されたのは20歳前後の若い補習生で近くの民家などに民泊しました。古市仁前公民館長の話では前館長の家にも泊まりに来て、彼らは土間にむしろを敷いて寝たそうです。
 終戦後はこの用地は開拓団により開墾され、現在の農地になっています。

 
      (出来上がった石柱碑と案内板)           (私も感謝状をいただきました)

 三重海軍航空隊の分遣隊が残していった「海軍用地」と書かれた石柱(境界杭)が6基残っており、松尾まちづくり協議会では松阪市の元気応援事業で石柱碑を作り、今日のお披露目会となりました。
 石柱碑の除幕式のあとの竣工式では村田善清会長のあいさつ、竹上真人市長の祝辞などがあり、感謝状が授与されました。私も石柱碑の石積みを手伝ったことから感謝状をいただきました。
 竣工式のあと懇談会があり、昔を偲んで「すいとん」や「雑炊」をいただきました。
コメント

岡本の火祭り開催される

2018-12-15 21:20:39 | 日記
              (松明が大火の周囲を廻ると祭りはクライマックスを迎える)

 昔、村に出没した大蛇を、松明を焚いて退治したとうい言い伝えから続けられている「岡本の火祭り」が、平成30年12月15日に松阪市岡本町の明神社跡の山の山頂で行われました。この祭りは岡本町自治会(伊藤良幸 自治会長)が主催して行われるもので、今年は土曜日ということもあってか、いつもより多い約200人の人が地元から、また市内から訪れました。いつも寒い日が多いのですが、この日は風がなく、大火の火の粉が真上に上がる絶好の火祭り日和でした。


 松尾郷土誌百話(松阪市立松尾公民館 発行)によると、岡本は昔堀坂山から山続きになっており、堀坂山に住みついていた大蛇が尾根伝いに岡本に現れて村人を呑んだり、危害を加えたりしていた。このとき村人の老人の夢枕に神のお告げがあり「大蛇を退治するには村人全員が松明作って、真夜中(丑の刻)に集まり、その松明を大蛇にめがけて一斉に投げつければ、大蛇は間違いなく退治できる」と告げられた。老人はこのことを村人に伝え、村人全員で実行したところ大蛇を退治できた。そこで村人は大蛇を退治できた陰暦11月1日(現在では太陽暦12月15日)に火祭が行われるようになったということです。市内にある多くの祭りや神事が、地区の人が出やすい休日に開催されるように変わってきましたが、この祭りは、同じ日に開催されています。

  
    (広場の中央に大火が焚かれます)      (煎餅餅が円盤のように来場者に撒かれます)

 午後7時ごろ山頂の広場の中央に積まれた薪に火がつけられ、神前にお神酒と各家から持ち寄った煎餅餅(薄くのばし直径20~30cm位もある餅)を供えます。みんなでお神酒を酌み交わし、この餅が来場者に撒かれます。
 祭りの最後は「むかしのしんまい たーつがしんまい おーとこやーまの みーねがとやまの すーりはやーし すーりはやーし(昔のしんまい たつがしんまい 男山の峰がとやまの すりはやし)」「ドンドコドン(太鼓)ドンドコドン(太鼓)」という音頭とともに太鼓が鳴らされ、火のついた松明をもった地区の人たちが広場の周囲を三回廻り、最後は大蛇に見立てた中央の大火に松明が投げ込まれます。
 この祭りは戦時中昼間行われたことはあっても中断されることなく続けられてきましたが、明治41年の合祀の際に一度中断された年がありました。するとこの年に岡本で火災が発生し、「これは家を焼いて火祭りの代わりにされたのだ」と恐れ、火祭りを再開することになり、その後は中断されることなく続けられています。岡本町ではその後この火事以外の火事は記録がないと言われています。

 昭和初期の頃は花火が打ち上げられおり、また煎餅餅も戦前には各戸24枚ずつ持ち寄りましたが、太平洋戦争勃発後、花火が中止になり、餅も12枚になり今日に至っています
 松阪市内のいろいろな祭りを見学していますが、火渡りや、どんど焼きなど大火を焚く祭りは多くありますが、「火祭り」と名の付く祭りは、この祭りしか知りません。いつまでも続けてほしい祭りです。
 この祭りは私のブログ「松阪市の祭り100選」に掲載してあります。
コメント

猟師地区で山の神

2018-12-09 19:30:54 | 日記
              (子ども達は八柱神社で竹内宮司からお祓いを受けます)

 松阪市猟師地区(猟師町、町平尾町、新松ヶ島町)(鳥羽谷時男連合自治会長 子ども約90人))で12月9日「山の神」が行われ、私も初めて見せていただきました。例年は12月の第1日曜日に行われますが、今年はその日が他の行事と重なったため、この日になりました。
 猟師町の八柱神社(竹内一将宮司)に各自治会長が集まり、大火が焚かれ、子ども達が来るのを待機します。

 午前10時頃になると子どもたちやその保護者達が神社にやって来ます。猟師地区は10の小字(①東中町、②旭町1、③旭町2、④新町、⑤高須、⑥浜町1⑦浜町3、⑧北浜1.2、⑨北浜3、⑩北浜4)に分かれており、各小字毎竹内宮司からお祓いを受けます。お祓いが終わると、各字の番屋の家に場所を移し、お菓子を食べながら懇談します。

 山の神は子ども達を中心とした行事ですが、多くの地区でなくなってしまいました。猟師地区でも以前はもっと盛大に行われていたが、だんだんと簡素化してきているとのこと。それでも昔から続いている行事が行われるは素晴らしいことです。
 なお、大人たちは3つの班に分かれて、場所を料理屋に移して懇親会がもたれるということです。

 
コメント

西野向林地区で山の神行われる

2018-12-05 19:24:50 | 日記
 我が西野町向林地区(11戸)で平成30年12月2日、毎年恒例の「山の神」が行われました。詳しい由来や、いつ頃から始まったのかは分かりませんが、昔から「子供の神」と言われるように、子供のための行事であります。これまでは各家持ち回りで番屋をしていましたが、今年は同町の観音寺で行いました。

  
                 (地元の宮さんにお参りして、お神酒で乾杯)    
 
 この行事は、昔は各地区で行われていましたが、多くの地区で廃止され、残っているところは少なくなりました。我が地区でも数年前に廃止の話しも出ましたが、何とか今まで続けています。昔の開催日は12月7日と決まっていましたが、今は12月の第一日曜日に行われています。

 我が地区では、以前は朝から晩まで食事がありました。朝早くから女性の人達が番屋に寄ってきて、ごはんを焚いたり、おかずを作ったりします。そして山の神の名物「ぼた餅」をつくり、各戸に配って用意ができたことを知らせます。そうすると各家から子どもから年寄りまで家族中が集まってきました。
しかし準備する女性軍が大変だと言うことで昼と晩だけになり、そして昼だけになりました。そして2年前からはパック料理になりました。山の神と言うと「ぼたもち」がつきものでしたが、今はそれもなくなりました。
                             
  
             (お寺で食事、1才の幼児から高齢の人まで、全住民が対象です)

 一時期、我が地区から子どもが1人もいなくなったこともありましたが、今は子どもが増えてきて、にぎやかな山の神となりました。
 この日午前11時から地元の宮さんにお参りしたあと、各家の赤ちゃんからお年寄りまで家族中がお寺に寄ってきて、みんなで談笑をしながら食事をしました。
冬の山の神は、春の焼肉パーティーと並び、我が地区の人達が一堂に会する行事なので、いつまでも続けていきたいものです。
 
                          
コメント

中万市開催される

2018-11-28 05:55:43 | 日記
                      (にぎわう現代の中万市)

 昨年約60年ぶりに復活した松阪市中万町の「中万市(ちゅうまいち)」が11月25日に開催されました。私も午前中は地元神社の行事があったため午後に出かけました。

 古くから水銀産業で栄え、江戸時代に多くの豪商を排出した中万地区の櫛田川の河原では、室町時代から昭和の中頃まで「中万市」が毎年開催され、大変な賑わいがありました。しかし昭和34年(1959)の伊勢湾台風の水害とその後の河川改修の影響で途絶えていました。

 昨年、中万町自治会(西村篤史自治会長 約180戸)により「豪商の里 現代の中万市」として復活され、現在も残る豪商宅の歴史的建造物の公開や、乳熊寺(ちくまんじ)の本堂などが特別公開されました。また中万市では中万発祥の「ちくま味噌」をはじめ、農産物・海産物やその加工品などが販売されました。その他「まちなみ スタンプラリー」など楽しい催しが企画されました。
コメント