川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

劇団「ほてい葵」旗揚げ20周年記念公演行われる

2015-05-31 18:18:18 | 日記
                       (水が来て喜ぶ村人達)

 5月31日(日)に、多気町に本拠地を置く劇団「ほてい葵(中西眞喜子 団長)」の旗揚20周年記念公演が、多気郡多気町相可の多気町民文化会館でありました。
 今回の演目は20年前の旗揚げ公演と同じ「わしらの村に水がきた!!-立梅用水と西村彦左衛門(脚本・演出 小林典子)」で、江戸時代後期、丹生の里は広い土地がありながら水がないため田が作れず、貧しい生活をしている農民を救おうと地士・西村彦左衛門と庄屋・長谷川周八が立梅(たちばい)用水の建設と新田開発に取り組み、多くの人達の労苦の末に完成させる史実に基づいた物語です。

 立梅用水は今から192年前の文政6年(1823)、丹生村の地士・西村彦左衛門や庄屋・長谷川周八らの努力と、紀州藩直属工事により、工事費12,600両と人夫述べ247,000余人を投じてつくられた農業用水です。現在の松阪市飯南町粥見のリバーサイド茶倉の近くにある立梅井堰(たちばいいせき)から取水し、延長が7里20町(約30㎞)、かんがい面積は470町(約470ha)に及びます。
 この工事に彦左衛門自身も私財1,000両(現在価格で3億5,000万円)をつぎ込んでおり、また共に歩んできた庄屋周八の死もあり失意の時期を乗り越えての工事となりました。

 劇団ほてい葵団長の中西眞喜子さんは前多気町議会議員で、議員としてのお付き合いもありました。また彼女は私の高校の同級生の奥様でもあり、ほてい葵の公演ではいつも連絡をいただき見せてもらっています。
 中西団長は始めの舞台挨拶の中で、20年間皆さまの暖かいご支援でここまでやってくることができましたとお礼を述べ、また立梅用水が昨年9月に日本の国「登録記念物」や世界「かんがい施設遺産」に登録されたことを報告しました。
 また脚本・演出の小林典子さんは、21年前に勢和の5人の女性が地域を明るく元気にするために、私たちも演劇をやりたいと申し入れがあり、準備期間を経て20年前に旗揚げしたことを述べました。

 今回はキャストも大幅に変わり、脚本にも加筆されたということで、数年前に見せていただいた同じ演目の芝居より、さらに進化した素晴らしい「わしらの村に・・・・」を見せていただきました。
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松阪市体育協会懇親会開催される

2015-05-30 22:21:22 | 日記
                      (挨拶を述べる大西信行会長)

 恒例の平成27年度の松阪市体育協会の懇親会が5月30日、松阪市中町の和田金で開催され、私たちスポーツ振興議員連盟の会員も来賓としてお招きしていただきました。
 松阪市体育協会(大西信行会長)は、『健全なアマチュア精神にのっとり、体力増進と選手強化をめざすとともに、より一層のジュニア世代育成事業の推進を図る。また事業等を通して選手間の交流を深め市民スポーツの普及振興を図り、青少年健全育成の一翼を担う』ことを目的として結成されているもので、現在28競技が加盟しています。

 加盟種目は軟式野球、バドミントン、ラクビーフットボール、弓道、剣道、山岳、アーチェリー、クレー射撃、ゲートボール、サッカー、スキー、スポーツバトン、ソフトテニス、ソフトボール、レスリング、バレーボール、ボウリング、バスケットボール、少林寺拳法、水泳、卓球、自転車、相撲、柔道、陸上競技、テニス、日本拳法、ゴルフの28競技です。



 この日の懇親会には、各競技の選手・監督・コーチや役員、松阪市体育協会の役員、そして来賓としてお招きを受けた私たちスポーツ振興議員連盟の会員など約80名が参加しました。この日の参加者の最年少は20才台のスポーツバトンの選手、最年長は来月90才を迎える参与で剣道の大倉行生さん。市議会議員では水谷議長、大平議員・大久保議員・濱口議員・川口の5人が参加しました。

 あいさつに立った大西信行会長は、2020年のオリンピックや2021年の三重国体を迎えることを述べ、スポーツの果たす役割の中で、松阪市の青少年がスポーツを通じて健全に育ってほしいと述べました。このあと田村代議士、後藤県議があいさつを述べ、懇親会に入りました。
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第4回松阪史跡めぐり開催される

2015-05-25 09:13:42 | 日記

                  (三重県総合博物館のミエゾウの前で集合写真)

 松阪史跡探訪会主催の第4回松阪史跡めぐりが、平成27年5月24日行われました。第1回の和歌山街道めぐり、第2回の嬉野方面めぐり、第3回の櫛田川流域めぐりに続き、今回は三重県総合博物館(Miemu)と伊勢街道めぐりでした。
 この日は松阪市内から50人の参加があり、2台のマイクロバス(定員28人)分乗して、それぞれの場所で説明を聞きました。

 松阪史跡探訪会(会員43名 代表川口 保)は平成25年11月に設立された会で、松阪市内の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り、神事、食、名産などの歴史的・文化的遺産などを訪ねていくものです。会費が1000円/年という以外は、会則も総会もありません。史跡めぐりの回数は10回、訪ねる史跡は100ヶ所を当面の目標にしています。

 今回の史跡めぐりは次のコースで探訪しました。

鈴の森公園、松尾神社(集合)―→三重県総合博物館(Miemu)―→松浦武四郎記念館―→波氐神社・鵲橋―→六軒追分・三渡橋―→忘井―→俵万智短歌―→伊勢街道市場庄―→舟木家―→旧長谷川邸―→駅前商店街散策―→出発地  

1)三重県総合博物館(Miemu)(津市一身田)
  (案内 三重県総合博物館 中川良平学芸員 、岸田早苗学芸員)
 三重県総合博物館は、これまでの三重県立博物館がリニューアルして平成26年4月19日に津市一身田にグランドオープンしました。「ともに考え、活動し、成長する博物館」を基本理念として、三重の自然・歴史・文化に関する42万点の資料を展示・収納しています。1週間前の5月17日に来館者が40万人を突破しました。

 

 参加者はまず、3階のレクチャールームで岸田学芸員から博物館全体の説明を受け、その後それぞれが展示を見学しました。今回の参加者では初めてきた人がほとんどで、短い時間でしたが、博物館を堪能しました。

2)松浦武四郎記念館 (松阪市小野江町)
  (案内 松浦武四郎記念館 山本命 学芸員)
 松浦武四郎記念館は平成6年に当時の三雲町が建設したもので、平成26年に20周年を迎えました。彼の生まれ故郷の松阪市小野江町にあるこの記念館では、武四郎の関係資料の収集、調査研究、展示公開、教育普及などの博物館活動を行っています。

 
                      (山本命学芸員から説明を受ける)

 松浦武四郎(1818~1888)は幕末から明治維新にかけて蝦夷地を6回に渡って探検した探検家で、北海道の名付け親です。大変な筆まめで、作家や出版社の顔もあり、その他、画家、書道家、詩人、歌人、学者の顔も持ち、松尾芭蕉、本居宣長とならび三重県3大偉人の一人です。講座室で山本学芸員より武四郎の功績について説明を受け、また展示場内でも説明を受けました。この記念館も初めて来た人が多かったようです。

 
      (鵲橋での七夕まつりなどの説明)             (波氐神社の見学)

3)波氐神社・鵲橋(松阪市星合町)
   (案内 川口 保)
 毎年8月7日に松阪市星合町の波氐(はて)神社と鵲橋(かささぎばし)を中心として「鵲七夕まつり」が行われます。文政年間(1818~1830)の群馬県の旅人の紀行文に、この鵲地区の七夕祭りを見たとの記述があるということから、約200年の歴史がある事がわかります。
 「鵲橋」は七夕伝説の架空の橋です。鵲橋の両側に立った織姫と彦星は、川を渡れず途方にくれます。そこに鵲が飛んできて、橋を架け二人は再会することができたという話しです。
 当地の鵲七夕まつりの主人公の彦星は鵲小学校の男児が、織姫は女児が扮し、この鵲橋の上で再開します。鵲橋の近くにある波氐神社(現 星合神社)には「多奈波太姫命(たなばたひめのみこと)」が祀られています。
 朝鮮半島や日本では九州にしか生息していない「鵲」という地名がなぜ当地区に付いたのか、また当地区と七夕伝説の関わりなど、私が話しました。

4)三渡橋、六軒追分 (松阪市六軒町)
   (案内 川口 保)
 江戸時代の伊勢街道(参宮街道)は、伊勢神宮に参拝する人で大変な賑わいをみせました。何度か起きたおかげ参りには爆発的に参拝者が伊勢に向かいました。多い時には日本の人口が3000万人の時代に、年間500万人もの人が伊勢を目指しました。
 六軒追分は伊勢街道と初瀬(はせ)街道の分岐点で、三渡橋のたもとには道標があり、「大和七在所順道」「やまとめぐりかうや道」「いがごえ追分」と書いてあります。

 「三渡」という地名は三渡川に橋がない時代に川を越えるとき、潮の干満によって下流、中流、上流と渡る位置を変えたところからつきました。
 鴨長明が文治2年(1186)に記したとされる『伊勢記』に三渡川の地名の由来に関する記述があり、最も潮が引いた時は、「こなたのさき」より「かなたのすさき」へとあります。これは固有の地名ではなく、こちら側の崎(岸)から向こう岸の「洲」や「崎」へという意味に解釈されます。次に潮が半ば満ちたときには「めぐりて松崎と云所」とあり、今の松ヶ崎から渡り、最も潮が満ちた時は「いちは」とあり今の市場庄と考えられます。

 
        (三渡橋、六軒追分の説明)                 (忘井の見学)

5)忘井 (松阪市市場庄町)
   (案内 川口 保)
 平安時代の天永元年(1110)の斎王群行に随行した官女甲斐がこの忘井を通った時、都をはるばる離れて伊勢の地に来て望郷の念で涙ながらに詠んだ歌「分かれゆく都の方の恋しきにいざ結びみむ忘井の水」が石碑に刻んであります。

6)俵万智さんの短歌(松阪市市場庄町)
   (案内 川口 保)
 ~街道を俳句あんどんで照らそう「参宮街道夢おこし」~の活動をしている、「光れ街道夢おこしの会(前川幸敏代表)」に歌人の俵万智さんから短歌が寄贈され、大正時代に建設された、旧米ノ庄村役場跡に設置をされています。同会の前川代表から聞かせていただき、見学しました。

 
        (俵万智さんの短歌)                  (伊勢街道の屋号の表札)

7)伊勢街道市場庄 (松阪市市場庄)
   (案内 川口 保)
 かつては伊勢街道はもう少し海岸よりを通っていたのを、蒲生氏郷が松坂に城を築いた時、今の場所につけ替えました。小野江付近で雲出川を渡り、六軒で三渡川を渡り、六軒追分で初瀬(はせ)街道と合流し、中林町の月本追分で奈良街道と合流します。
 この道を諸大名から庶民にいたるまで多くの人々は行き来し、市場庄も大変賑わいました。市場庄地区の伊勢街道沿いには、全国的にも珍しい妻入り(つまいり)連子格子(れんじこうし)の街並みが今も残っています。
 また市場庄の多くの建物には昔の店の屋号を書いた表札が掲げられています。


        (市場庄の街並み)                     (舟木家の長屋門)

8)舟木家長屋門 (松阪市久米町) 
   (案内 川口 保)
 舟木家は南北朝から室町・江戸時代から続く名家で、久米村惣庄屋、津藩無足人となり、その後紀州藩主より「津領地士」としてお目見えをゆるされた家柄です。
 舟木家の格式を示す長屋門は寛政6年(1794)に建設され、天保5年(1834)に改修されました。門の正中央より下の部分に施された海鼠壁(なまこかべ)が特徴です。今も舟木家の子孫が住んでみえます。

9)松阪商人 旧長谷川邸(松阪市殿町・魚町)
   (案内 市教委文化課  家城和秀さん、中西士典さん )
松阪の生んだ豪商の1つ松阪商人長谷川治郎兵衛家旧宅は、松阪市魚町、殿町にまたがる4688.40㎡の敷地に、主屋1棟、大正座敷1棟、離れ1棟、神祠1棟、土蔵5棟の9棟の建物があり、また周囲に配置された庭園など豪商の旧宅らしく、派手さはないが落ち着いた造りになっています。



 旧長谷川邸は平成25年4月1日長谷川家から松阪市に寄贈され、同5月10日松阪市文化財保護審議会開催、答申、5月20日教育委員会が開催され松阪市の文化財に指定(252件目、史跡では38件目)されました。
 昨年3月9日、歴史民俗資料館が行う展示のための資料を表蔵で探していたところ、一階の棚の上奥から「長谷川」「長福」と書かれた千両箱が見つかり、中から大判小判などの古銭が発見されました。
 この日は松阪市教育委員会文化課の家城和秀さん、中西士典さんから長谷川家の建物・庭園の話しや、蔵から発見された千両箱や大判小判の話しなど説明を受けました。また長谷川邸が松阪市に寄贈されるまで長谷川の社員としてこの建物を管理してみえた、柳瀬實さんも挨拶をしていただきました。

10)駅前商店街散策
 長谷川邸の見学を終え、徒歩で駅前などの商店街を散策しました。ぜんざいを食べる人、コーヒーを飲む人、ソフトクリームや鯛焼き・まんじゅうなど買う人、まつさか交流物産館で土産物を買う人など、それぞれ散策を楽しみました。


-お世話いただいた皆さんありがとうございました-
 この日は心配された雨も降らず、朝8時から午後4時30分位までの間に10箇所位を見学する強行スケジュールでしたが、参加者の皆さんは史跡めぐりを楽しんでいただきました。

 今回の第4回の史跡めぐりの開催に当たり多くの皆さまにお世話になりました。
 三重県総合博物館の見学のお世話をしていただいた野呂昭彦名誉館長(前知事)さん、松井一明同館副館長さん、天野秀昭広報・利用者サービス課課長(学芸員)さん、また当日案内をしていただいた中川良平学芸員さん、岸田早苗学芸員さんありがとうございました。

 松浦武四郎記念館の見学に際しお世話になった中野恭館長さん、当日案内をしていただいた山本命学芸員さん、また旧長谷川邸の見学でお世話になった松阪市教育委員会文化課の皆さん、説明をしていただいた市教委文化課文化係の家城和秀さん、中西士典さん、柳瀬實さんありがとうございました。

 三雲地域のいろいろな情報をいただいた前川幸敏市議さん、見学地の資料をいただいた三雲振興局さん、松阪市観光協会さんありがとうございました。

 また安全運転でマイクロバスを走行していただいた立野町の小林岩雄さん、藤之木町の梶間弘功さんありがとうございました。
                                  
-次回の第5回史跡めぐりの案内-
 次回の第5回史跡めぐりは11月下旬を予定しています。松阪史跡探訪会会員には往復ハガキで案内を差し上げます。入会を希望される方は、川口保まで連絡下さい。

 松阪史跡探訪会 代表 川口 保
   松阪市西野町1867-1
   ℡ 0598-58-2948 携帯090-8738-7959
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松阪あさりまつり開催される

2015-05-23 13:57:49 | 日記
                   (挨拶する大橋純郎松阪漁業協同組合長)

 松阪市松名瀬町の松名瀬海岸で第4回あさりまつりが開催され、私も来賓として出席させていただきました。
 この催しは松阪漁業協同組合(大橋純郎代表理事組合長)の松阪あさりまつり実行委員会が主催して、同組合が設立10周年を迎えた3年前から行われています。地域で生産される水産物のPRと海の環境への理解を深め、水産業界の活性化することを目的としています。
 第1回目猟師漁港で、2回目以降は松名瀬海岸で開催されています。

 
   (来場者にあおさ汁が振る舞われました)       (会場で買った貝や魚を焼くコーナー)

 第1回、第2回の時はあさりが大豊作でしたが、昨年と今年は一転して大不作でした。昨年は愛知県産のあさりを取り寄せ、あさり汁を提供しましたが、今年はそれも無理で、あおさ汁が来場者に振る舞われました。

 開会式で大橋会長は、このことにふれ、「祭りの開催を見合わせることも考えたが急きょ実施を決めた」と述べ、また今回振る舞われたあおさ汁の「あおさ」について、全国の6割を三重県で生産している三重の特産物であることも紹介されました。あさりの不作の原因は天候などにもよるが、若干回復のきざしがあり、小さい貝が少しずつ増えているということでした。

 この日、親子参加者には乗船体験をしながらあさりの漁場見学をする企画もありました。また会場では県内各地の水産物特価品の販売、市内の農産物の試食・販売などがありました。
 
 この祭りは私のブログ-松阪祭り100選-に掲載してあります。
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大阪都構想の住民投票否決に思う

2015-05-18 20:41:12 | 日記
 大阪市をなくし、五つの特別区を新設するという、とんでもない政治の変革を地方の1政治家が提案して、実現に向けて突き進んだ「大阪都構想」。この是非を問う住民投票が5月17日に行われ、僅差で否決された。
 大阪都構想を推進しようとする維新の党と、それに反対する自民党から共産党までの他党との間で激しい論争が行われたが、ここに決着を見た。この住民投票がもし維新の党の前身の大阪維新の会や橋下氏の絶頂期の前々回の衆議院選のころであったら、違う結果が出たかも知れない。

 テレビ番組の「行列のできる法律相談所」で一躍脚光をあび、大阪都知事に、そして大阪市長になって「大阪都構想」をぶちまけた。歯切れのよい語り口は小泉元首相を彷彿させ、短期間ではあったが一つの時代築いた。
 橋下氏は今回の住民投票の結果を受け入れ、12月までの任期を全うし、政界からの引退を表明した。彼の口調同様、大変歯切れの良い、いさぎよい決断である。辞める辞めると言いながら何時辞めるか分からない、どこかの市長とは大違いである。
 
 橋下氏のカリスマ性で引っ張られてきた維新の党は、彼の引退でどうなるのだろうか。みんなの党のように「親亀こけたら皆こけた」ということにならないように願いたい。
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松阪市議会5月20、21日に臨時議会開催

2015-05-16 07:48:39 | 日記
 松阪市議会では5月20日、21日の両日に臨時議会が開催されます。
 会議の内容は次の通りです。

1)平成27年度松阪市一般会計補正予算(第1号)
2)松阪市会場アクセス旅客ターミナル条例の一部改正について

 内容については、海上アクセス松阪ベルラインのダイヤ改正によるターミナルの使用時間の変更と、松阪市から津エアーポートラインに貸出している2隻の高速船のうち、不要になった「まつかぜ」の廃船、売却にかかる予算などが審議されます。
 
 なお今臨時議会から議場の議長席に、卓上型の国旗・市旗が設置されます。

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松尾神社で御田植祭開催される

2015-05-10 22:56:59 | 日記

 松阪市立野町の松尾神社(岡村行通 宮司)で、5月10日に御田植祭がありました。この行事は4年前から始まったもので、今年で5回目となります。この日は神社の氏子代表や奉賛会会員、また地元の立野地区の(昔の)早乙女の皆さん達、そしてJA大足店の職員、みえこどもの城の関係者など約60人が参加しました。

 神殿前で祭礼を行ったあと、お祓いをした苗が垣本長生禰宜(ねぎ)から藪谷源司田長(たおさ)に手渡され、河合健自耕作長(JA大足店店長)など約20人が、5.9aの水田に入って、餅米苗を植えました。
 田に入って植える人に対して、外からの見学者が、幅が狭いとか広いとか歓声をあげながら見守っていました。参加者たちはドロドロになりながら約30分かけて植えました。また岡村宮司や立野町の大福寺の堤康雄住職も一緒に田に入って植えました。

 
     (祭壇に苗を供えお祓いをしました)        (大福寺の堤住職(左)と岡村宮司(右))
 
 この水田の代掻きや育苗などの準備はすべて、丹生寺町の東海農産(薮谷源司代表)さんに奉仕していただきました。
 このような神社の御田植祭が行われるのは、松阪市内ではこの松尾神社だけということです。この日植えた苗が実った9月には、稲穂を抜き取って神様に供える抜穂祭が行われます。また収穫された餅米は例大祭の餅まきの餅などに使われます。
 松尾神社の御田植祭は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に記入しました
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文教経済委員会協議会で小学校教職員現金窃取事件を報告

2015-05-08 23:24:56 | 日記
 5月8日に行われた文教経済委員会協議会(川口保委員長)で、4月に発生した松尾小学校長が同小学校の金庫から現金を窃取した事件について教育委員会より報告があり、東博武(ひがしひろむ)教育長が謝罪した。

 この事件はすでに新聞やテレビなどで報じられているように、松尾小学校長が校長室にある耐火金庫から保護者から集金した教材費・給食費などの中から現金213,000円(以前に219,500円と発表されたがこの金額が正確)を窃取したもので、同校事務職員が4月15日(水)に金庫の現金を銀行に預けようとしたところ、行員から金額の不足を指摘されたことで、現金がなくなっていることが判明した。

 この件に関して、4月17日(金)に松阪市教育委員会に匿名の電話があり、翌4月18日(土)に教育長が教育委員会事務局に校長を呼んで聴き取りを行ったところ、校長本人が金庫から現金を窃取したことを認めた。校長は4月19日(日)市教委学校支援課長を通じ窃取した現金全額を返済した。校長は4月20日(月)から学校を休んでいる。
 教育委員会は、4月20日(月)松尾小学校で保護者会を開き、保護者に事情を説明して謝罪した。翌4月21日(火)の朝、全校集会を開き、教頭が、全児童へ説明した。

 市教育委員会が4月22日(水)に校長から聴き取りを行ったところ、前年度まで校長として勤務していた鎌田中学校でも委託金の一部を窃取した疑いが判明し、県教育委員会が校長から聴き取りをしたところ240,000円を窃取したことの事実を認めた。校長は4月23日(木)市教委学校支援課長を通じて窃取した委託金を全額松阪市に返済している。
 教育委員会は5月7日(木)鎌田中学校の窃取された委託金の関係者やPTA役員に対しても事情を説明し謝罪した。

 松尾小学校は私の地元の学校です。私の母校でもある松尾小学校は、山あり、川あり、そして田園の風景がある環境に恵まれ、地域の人達との結びつきも深い、すばらしい学校です。これまで卒業式や入学式には地元の代表の人達と一緒に来賓として参列させていただいています。その学校でこのような事件が起きました。
 同校長は4月1日付けで松尾小学校に校長として就任して、私の家にも挨拶にも来ていただいた。6日の入学式で新入生を前に挨拶をし、わずか4日後の4月10日(金)に金庫からお金を窃取している。何の抵抗もなかったように。
 子ども達にも、保護者にも、私たち地元の者にも理解しがたい、やりきれない事件であった。

 校長の任命は県教育委員会で行われ、任命責任があるとすると県教委になります。市教育委員会は監督責任ということになります。県教委で校長の処分が決まって退職するまでは、松尾小学校に新しい校長を迎えることができません。その間女性の教頭が学校を切り回さなければならない。新しい校長が決まって就任するまで、子どもたちも保護者も、他の先生方も、そして地域の人達も落ち着かない。
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松阪蒲生氏郷公顕彰会、日野祭を楽しむ

2015-05-03 23:44:52 | 日記
 


 琵琶湖の東の滋賀県蒲生郡日野町の馬見岡綿向(まみおかわたむき)神社で毎年5月3日に行われる「日野祭」に、今年も松阪市の蒲生氏郷公顕彰会主催のツァーで参加させていただきました。同ツァーにはほぼ毎年参加させていただいていますが大変な人気で、今年は60人乗りのバス満杯の57名が参加しました。

 蒲生氏郷公顕彰会(高島信彦会長)は6年前の平成21年(2009)4月に、松阪開府の祖として崇められている蒲生氏郷公の偉大な業績を顕彰し、市民の郷土意識の高揚に努め、松阪市のさらなる発展を願いうために設立されたもので、私も設立当初から入会させていただいています。同じ名前の会が蒲生氏郷公ゆかりの滋賀県日野町と、福島県会津若松市にもあります。

 日野祭は800年以上の伝統を持つ馬見岡綿向神社の春の例大祭で、湖東地方最大の祭です。日野町は人口22,000人の小さな町ですが、同神社には各町内から次々と曳山が到着し、また祭を楽しむ人達であふれました。曳山の上からは笛・太鼓・スリ鉦などの囃子が鳴り響き、祭の雰囲気が盛り上がります。また町内の道路も行き交う多くの人達で賑わっていました。
  
 

 日野祭の曳山は全部で16基現存していますが、かつての近江商人たちから寄贈され、江戸時代中期から末期に製作されたもので、約150年から200年が経過しています。今年はこのうち12基の曳山が引き出されました。これらの曳山はそれぞれの地区で保存されていますが、20戸くらいの小さな町内もあるということです。

 日野祭には同顕彰会の他にも、松阪からもいくつかの団体が訪れており、松阪観光協会の皆さんや、小林副市長や水谷議長、永作副議長など松阪市・松阪市議会の関係者なども訪れていました。  

 午前11時すぎに渡御と呼ばれる行列が神社を出発します。このとき境内の曳山から一斉に祭囃子が演奏され、威勢のいい掛け声がかけられ、祭は最高潮に達します。行列は神調社と呼ばれる裃姿の一団が2列になり、1m程の細竹を引きずりながら道路の両端を進みます。列の中央には3人の神子と呼ばれる稚児が神調社に護衛されながら進み、御旅所であるひばり野に向かいます。
                      
 蒲生氏郷公顕彰会の一行は、蒲生家の菩提寺である信楽院など日野のまちなかを散策し、土産物などを買って、祭会場を後にしました。その後東近江市の「あかね古墳公園」で天乞山古墳を見学したあと昼食し、竜王町の苗村(なむら)神社、湖南市の善水寺を見学しました。
 参加定員45名をはるかに越える57名の参加でバスの中は少し窮屈でしたが、和気藹々楽しい旅でした。
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御衣奉織行事始まる-神服織機殿神社・神麻続機殿神社

2015-05-01 19:55:49 | 日記


 絹と麻を織って伊勢神宮に奉納する御衣奉織行事が5月1日、松阪市大垣内町の神服織機殿神社と同市井口中町の神麻続機殿神社で始まりました。神様の衣を「神御衣(かんみそ)」といいますが、この行事は両神社で毎年春(5月1日~13日)と秋(10月1日~13日)に絹(和妙 にぎたえ)と麻(荒妙 あらたえ)を織って奉納するもので、それぞれの神社で4人の織子がこの任務にあたります。

◆神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)(松阪市大垣内町)
 神服織機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「下館(しもだち)さん」「下機殿(しもはたでん)」と呼びます。
 神服織機殿神社は伊勢神宮の神御衣の内、和妙(にぎたえ-絹のこと)を奉織する機殿(八尋殿 やひろどの)の守護神を祀っており、毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する和妙を織る行事が行われます。
 この地方は古くから紡織業と関係が深く、神様に絹や麻を奉織する服部神部(はとりかんべ)という人が住んでいたといわれています。現在も下御糸、上御糸、中麻績(なかおみ)機殿、服部などの紡績に関する地名が残っています

 同社の境内の林の中に農業用水路が横断している。この水路は飢饉続きで農民が苦しんでいる慶安3年(1650)5月20日、見るに見かねた代官福井文右衛門が、境内に農民に命じて1晩で掘らせたもので、次の日の朝、水が流れて農民たちが喜ぶとき、福井文右衛門は責任を取って切腹しました。それから毎年、5月21日の文右衛門の命日には、出間の人々は神福寺に集まり供養続けているということです。
 
      (お祓いを受ける上機殿の織子)          (お祓いを受ける下機殿の織子)

◆神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)(松阪市井口中町)
 神麻続機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「上館(かみだち)さん」「上機殿(かみはたでん)」と呼びます。
 神麻続機殿神社は神御衣の内、荒妙を織って伊勢神宮に奉納します。毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する荒妙を織る行事が行われます。
 この地方も古代から紡績業が盛んで、同社は荒妙を奉織した麻績氏の祖神・天八坂彦(あめのやさかひこ)命を祀ったと伝えられています。

 
   (下機殿で機を織る織子の田中京子さん)      (上機殿で機を織る織子の池田寿さん)

◆機を織る織子
 御衣奉織行事では、巾0.3m、長さ12.5mの布を、織子が手と足で操作する機織機を使って織り上げます。上機殿では「荒妙(あらたえ)」と呼ばれる麻の布、下機殿では「和妙(にぎたえ)」と呼ばれる絹の布が織られていることと、織子が上機殿が男の人、下機殿が女の人である以外は2つの神社でその様子は変わりません。
 
 両神社の祝部(はふりべ)の中川慶次郎さんの話では、下機殿では、以前は大垣内の女の人が織子をしていましたが、戸数が少ない大垣内では、後を継ぐ人がなく、現在は東黒部全体から出てもらっているということです。また上機殿の織子は、井口中町(戸数30戸)の家が順番で当たっています。サラリーマンにとって2週間近い休みを取るのは大変ですが、自治会の証明書をもって休みの許可をもらっています。どうしても休みが取れない場合は、変わりの人を出すことにしているそうです。
 織子は、実際に機を織る織子2名と見習い工2名の4名で構成され、今年の下機殿の織子は田中京子さん、関守たか代さん、見習い工は松本文子さん、山崎真由美さんです。上機殿の織子は池田寿さん、桐田雅行さん、見習い工は西川高良さん、小楽崎博一さんです。

◆神御衣の奉納と神御衣祭
 織子は斎館(社務所)行って風呂で身を清め、白衣と白袴に着替え、下機殿では午前8時より、上機殿では午前9時から、伊勢神宮の禰宜さんから任命書を受け取り、お祓いを受け、八尋殿に入って機を織ります。
 神御衣は1週間で仕上げ、その後1週間乾燥させて、5月13日に内宮に護送され、翌日の5月14日に行われるの神御衣祭(かんみそさい)に奉納されます。

                   (麻糸産後継者養成講座のみなさん)

 神社の祭りというと地元などから大勢の人が訪れますが、この祭には地元の人は関係者以外誰も来ない珍しい行事です。私のように写真撮影に来た人が数人と、遠くから17人のグループが来ていました。このグループは「ちいろば企画(榎本祐子代表)」のツァーで訪れた、東京都自由が丘の「麻糸産(あさいとうみ)後継者養成講座(主催 嶋みずえ)」のメンバーで、北海道から九州までの人達が参加者しているということでした。

 御衣奉織行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に記入しました
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