川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

日馬富士の引退を惜しむ

2017-11-29 21:11:22 | 日記
 大相撲の横綱日馬富士が暴行事件の責任をとって引退した。小気味よい取口で白鵬らとともに長い間、日本の相撲界を背負ってきた日馬富士がこのような形で引退することは、大相撲ファンの私にとっても大変残念な気がする。暴行は誰が加害者であっても、誰が被害者であっても悪いに決まっている。なぜこのようなことが起きたのか。

 最近の大相撲は何か変だ。この九州場所では白鵬が、勝負が決まったあと土俵の下から、また土俵の上から抗議する場面があり、批判を受けた。まさに見苦しい行為だった。後でビデオを見て納得したというが、土俵の上には行事がおり、土俵下にも勝負審判が5人いて勝負の行方を見守っている。ルール違反の抗議は、白鵬の奢りだろう。確かに最近の大相撲は白鵬を中心に廻っている。しかしそういう時こそ謙虚にならなくてはならない。

 この場所では白鵬が40回目の優勝を果たした。まさに前人未踏の偉業である。しかし優勝インタビューでした万歳三唱はおかしかった。何のための万歳なのか、なぜ白鵬があの場面で万歳の音頭をとるのかわからない。私もいろいろな催しで万歳三唱をしたことがあり、万歳三唱の音頭を取ったこともあるが、万歳三唱はあらかじめ、いつどのような形でするか、誰が音頭をとるか決まっている厳粛なる儀式である。相撲の優勝インタビューでするものではない。

 今回の暴行事件で被害者である貴ノ岩がなぜ出てこないの。貴乃花親方はなぜかたくなに口を閉じているの。よくわからない。
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第9回松阪史跡めぐり開催される

2017-11-26 05:34:57 | 日記
                      (北畠館跡での集合写真)

 松阪史跡探訪会主催の第9回松阪史跡めぐりが平成29年(2017)11月25日に行われました。今回は北畠氏最後の武将・北畠具教(きたばたけ とものり)ゆかりの地・大台町周辺を探訪しました。
 この日は前日までと違い、暖かく穏やかな秋空が広がりました。折しもこの日は、北畠具教の命日に当たると言うことで「大台町ふるさと案内人の会(代表 上野進)」の皆さんや、お寺の住職さんからお話をお聞きし、参加した市民37名は北畠氏の史跡を堪能しました。

 大河内城を拠点とする北畠氏は240年の間、伊勢の国司として君臨しました。永禄12年(1569)織田信長5万ともいわれる大軍が大河内城を攻め、一方守る北畠具教・具房軍は1万といわれる。難攻不落の大河内城はさすがの信長も落とせない。後から到着した織田の猛将滝川一益の魔虫谷(まむしだに)からの総攻撃も失敗し、血が川のように流れたという。45日間の戦いにも攻略できずに、ついに信長は攻撃を諦め北畠と和睦を結ぶこととし、次男茶筅丸(後の信雄(のぶかつ))を養嗣子として大河内城に入れた。この時具教は三瀬の館に、具房は阪内城に移ることになった。大河内城に入った茶筅丸には20人を超える織田の屈強な武士が付いてきて、北畠氏は城の中から崩されていくのである。

 今回の史跡めぐりは具教が大河内城から移り、北畠の再興を願ったという三瀬の北畠館跡、北畠の家臣・三瀬氏の砦跡、北畠ゆかりのお寺などをめぐりました。

✦宝泉寺(案内 山口恵照住職)
 立石山宝泉寺は浄土宗のお寺で、境内には「善光寺報恩堂」があり、長野の善光寺からいただいた神輿の形をした御厨子(みずし)が祀られています。今日は山口住職さんから、このいきさつを詳しくお聞きしました。

 信州信濃の国(現在の長野県)の善光寺は檀家のないお寺で、天台宗と浄土宗で管理していましたが、お寺を維持していくにもお金が集まりにくい。そこでご本尊の分身を御厨子に納めて全国を廻り、寄付を受ける出開帳(でがいちょう)が7年に1回行われていました。勧進帳の弁慶が背中に背負っている御厨子にも仏像が入っており、まさにそれが出開帳です。
 明治9年、出開帳のため熊野地より大台町付近にさしかかったとき、三重県各地で発生した伊勢暴動に遭遇しました。松阪市の七見から始まった暴動は一晩のうちにこの地方まで入ってきて、身の危険を感じた僧俗は御厨子を当地の墓地に置いて長野へ逃げ帰ってしまいました。暴動が鎮静後、宝泉寺の当時の住職・山口快聞和尚はこの御厨子を開扉してこれが一光三尊善光寺如来と断定し、善光寺に引取依頼の手紙を送るも返事がありませんでした。そこではるばる善光寺まで出向いて引取を申し入れましたが、「明治9年に出開帳の制度が終わったので、そちらの寺でお祀り下さい」ということであった。分身であれご本尊を無料でいただくのも恐れ多いと、当時(明治15年)のお金で10圓を志納して帰郷しました。この時の受領書が今も宝泉寺に保管されています。
 その後快聞和尚は村内を廻り募金を集め報恩堂を建設しました。明治19年(1886)堂宇落慶入佛開眼法要が三昼夜行われました。善光寺関連のお寺は全国各地にありますが、神輿型の御厨子は2つしか確認されていないということです。


        (浄土宗宝泉寺の本堂)                   (三瀬砦跡)

✦三瀬砦跡(案内 大台町ふるさと案内人の会 谷田敬一さん)
 三瀬砦は北畠の家臣でこの地の豪族・三瀬氏によって室町時代に築かれた城砦(じょうさい)です。約2,500㎡の敷地が宮川本流と大谷川の合流地点で天然の要塞となっています。内部は高さ3mほどの土塁に囲まれ、井戸も残っています。この砦から北畠館跡の近くの茶臼山(ちゃうすやま)が一望でき、昔は狼煙などで連絡を取り合ったと考えられます。昭和50年に県の史跡に指定されました。

✦慶雲寺
 浄土宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来。慶長10年(1605)三瀬左京佑によって三瀬氏の菩提寺として建立されました。左京佑が大阪夏の陣に出陣するときに「自分が戻らなかったら三瀬家の土地は慶雲寺に寄贈する」といって行ったが、討ち死にし、現在のお寺は三瀬家の土地に建てられています。
 毎年8月14日には三瀬左京佑の供養のための「下三瀬羯鼓(かんこ)踊り」が行われています。

 
         (浄土宗慶雲寺)                      (浄土宗永徳寺)

✦永徳寺(案内 大台町ふるさと案内人の会)
 浄土宗萬福山永徳寺は、伊勢国司北畠第3代当主満雅が造ったお寺です。ご本尊の薬師如来は平安時代の作で、大台町の文化財に指定されています。現在の建物は190年位前に建てられました。
澤 正昭住職さんとは下見の時にお会いさせていただいたのですが、この日は急に所用ができ、お話をお聞きすることができませんでした。奥様と息子さんがお茶を出していただきました。

 
           (北畠館跡)                          (胴塚)           

✦北畠館跡・胴塚(案内 大台町ふるさと案内人の会)
 北畠館跡は国道42号(熊野街道)の北側の山のふもとにあり、現在は公園となっています。春には桜、秋には紅葉が美しく、ひっそりと昔を忍ぶことができます。
 北畠氏最後の武将となる具教は、織田信長との和睦のあと元亀3年(1572)三瀬御所(館)に移り住み、この地で北畠家の再興を願っていました。しかし、信長の刺客が具教や北畠一族を暗殺する「三瀬の変」が発生します。天正4年(1576)11月25日密かに信長の命を受けた滝川雄利、柘植三郎左衛門、加留左京進らが三瀬館を訪れ、お茶を立てようとしていた具教を襲って殺害しました。同時に田丸城などでも北畠一族が殺害され、240年続いた伊勢北畠は滅亡しました
 胴塚は、殺害された具教の胴体が埋葬された塚で、首は具教の家来が津市美杉町の多気の菩薩寺に葬ろうと馬を走らせたが、敵方の追っ手が厳しく、途中の松阪市飯高町の野々口に埋葬しました。ここに現在でも首塚があります。

 
  (奥伊勢フォレストピア近くの公園で昼食)              (瀧原宮自由参拝)

✦瀧原宮
 それぞれ自由参拝しました。

 今回の史跡めぐりに協力していただいた「大台町ふるさと案内人の会」顧問の上野進さん、案内をしていただいた同会書記の谷田敬一さん、浄土宗宝泉寺さん、浄土宗永楽寺さん、大台町産業課など多くの皆さんのお世話になり、ありがとうございました。また安全運転でマイクロバスを運転していただいた小林岩雄さん、梶間弘功さんありがとうございました。
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中万市60年ぶりに復活!!

2017-11-19 18:43:16 | 日記
                     (中万市のまちなかの賑わい)

 古くから水銀産業で栄え、江戸時代に多くの豪商を排出した松阪市中万町で11月19日に、「中万市(ちゅうまいち)」が約60年ぶりに復活しました。中万市は室町時代から昭和の中頃まで櫛田川の河原で毎年開催され、大変な賑わいがあったということですが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風の水害とその後の河川改修の影響で途絶えていました。

 
            (特別公開された豪商の歴史的建造物 小林家(左) 竹口家(右))

 今回「豪商の里 現代の中万市」として復活させたのは、松阪市中万町自治会(西村篤史自治会長 約180戸)と「中万まちなみ保存委員会(小林孝章委員長)」で、現在も残る豪商宅の庭園や乳熊寺(ちくまんじ)の本堂などが特別公開されました。また中万発祥の「ちくま味噌」の販売、農産物の販売、鍬などの農機具などの販売がありました。そのほかスタンプラリーや手品ショー、抽選会など楽しい催しが企画されました。

 
                   (現代の中万市も賑わいを見せました)

 復活された中万市は古くからこの近隣地域では最大級の市で、昭和初期に取られた写真には、多くの出店や人々により賑わう様子、また渡し船で来場する様子が写し出されています。今回は街中を中心として企画され、この日は天気もよく、多くの来場者が特別公開された豪商の邸宅を見学したり、3つの会場で復活した現代の「中万市」での買い物を楽しみました。

  

 
                    (昭和9年の中万市で賑わう様子)

 射和地区の豪商というと、両郡橋近くの竹川家や国分家のイメージが強かったのですが、この中万にもこれだけの豪商があったのを初めて知りました。
 西村自治会長に今後についてお聞きしましたら、「せっかく60年ぶりに復活したのだから、できれば来年も続けたい」と言われました。始めるのも続けるのも大変なエネルギーが必要ですが、できれば来年も見に来たいです。
中万市は私のブログ「松阪の祭り100選」に掲載しました。
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私の展覧会の見方

2017-11-14 04:07:16 | 日記
                  (展覧会がよく行われる松阪市文化財センター)

 松阪市文化財センターで行われる展覧会をよく見に行く。写真展などもよく案内をいただき、市展などもほとんど毎年見に行きます。私の展覧会の見方は独特で、もしこの作品の中から1つを持って帰っていいと言われたら、どの作品にするかと考えながら見るのです。もちろん持って帰ることはできないが、私好みの作品を探すのです。賞を取っている作品もあれば、全く賞に関係のない作品もあります。

 最近の写真展はつまらない。以前は持って帰りたい作品が何枚かあったが、最近はあまりない。プロ好みの写真が多くて、私ども素人好みの写真が少ないことかも知れない。そのような中で、市展で見た、鳥が木の実をついばんだ瞬間の写真は素晴らしかった。またニッコール写真展での女性の周囲に水しぶきがあがっている「シルエット」という写真は素晴らしかった。まさに持って帰りたい作品だった。合成写真も出ていたが、やはり写真はその場所で、その瞬間を捉え、何も足さない、何も引かない、ありのままが好き。
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第9回松阪史跡めぐり詳細のお知らせ

2017-11-08 07:11:40 | 日記
               (第8回の集合写真 明和町 斎宮歴史博物館前で)

 松阪市内及び周辺の名所旧跡を探訪する第9回松阪史跡めぐりを次のように開催します。今回は、北畠最後の武将・北畠具教(きたばたけ とものり)ゆかりの地、大台町周辺をめぐります。詳細が決まりましたので報告します。会員以外の方でも参加できます。

 大河内城を拠点とする北畠氏は230年の間、伊勢の国司として君臨しました。永禄12年(1569)織田信長7万ともいわれる大軍が大河内城を囲んだ、一方守る北畠具教・具房軍は8千といわれる。難攻不落の大河内城はさすがの信長も落とせない。後から到着した織田の猛将滝川一益の魔虫谷からの総攻撃も失敗し、血が川のように流れたという。信長は北畠と和睦を結ぶこととし、次男茶筅丸(後の信雄)を養嗣子として大河内城に入れ、この時具教は三瀬の館に、具房は阪内城に移ることになった。大河内城に入った茶筅丸には20人を超える織田の屈強な武士が付いてきて、北畠氏は中から崩されていくのである。

 今回の史跡めぐりは具教が大河内城から移り、北畠の再興を願ったという三瀬の北畠館跡などをめぐります。案内は「大台町ふるさと案内人の会(代表 上野進)」の皆さんにお願いします。

○月 日 平成29年11月25日(土) (雨天決行)
○集 合 鈴の森公園(集合午前8:00)、松尾神社(集合午前8:00)
○会 費 2,200円(マイクロバス、保険含む)(当日徴収します)
○定 員 50名程度 (定員になり次第締切ります)
     早めに申し込んで下さい(キャンセル可) 
○コース 大台町周辺めぐり
               
出発地――国道42号経由――三瀬砦跡、慶雲寺――(北畠ゆかりの)永徳寺――(徒歩散策)――北畠館跡(集合写真)、胴塚――さくらの里公園(昼食)――霊符山大陽寺――瀧原宮(自由参拝)――道の駅奥伊勢おおだい――帰途(出発地)(到着午後5時頃)
                (見学コースは変更することがあります) 

○その他 ・弁当、飲み物など各自持参して下さい(朝スーパーに寄ります)
○問合せ・申し込みは 川口保まで連絡下さい
(電話自宅 0598-58-2948、携帯090-8738-7959 申込み締切11月20日)
○主 催 松阪史跡探訪会(代表 川口保)
○参加申し込みされた方には、後ほど詳しい案内を届けます。
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DeNAまさかの大逆転日本一ならず

2017-11-05 07:47:54 | 日記
 プロ野球日本シリーズ第6戦でソフトバンクホークスが延長11回サヨナラ勝ちし、対戦成績を4勝2敗として日本一となった。
 今年の日本シリーズは、パリーグがペナントレース優勝のソフトバンクに対し、セリーグはペナントレース3位のDeNAが戦った。本来はセ・パ両リーグ優勝同士が戦うべきものであろうが、特に今年のようにトップのチームが2位との差を大きく開けてしまうと、早々と興味が薄れてしまうことからこのようなかたちになったのだろう。

 今年のDeNAはペナントレースでは最後まで巨人と3位争いをしたギリギリの3位である。それがクライマックスシリーズ(CS)では2位阪神を、そしてダントツ優勝の広島カープを撃破した。短期決戦ではこのようなことが起こりうる。「42.195㎞のマラソンを走ったあと、上位3人で100m走により決着をつけるようなもの」と例えた人がいたが、賛否両論があろう。何はともあれ、もしかするとセ3位のDeNEが日本一になる可能性もあった。

 祝勝会でホークスの工藤監督から「明日からはオフ、明日からは野球をやらなくてもいい、今日は大いに楽しもう」という意味の挨拶があったが、プロ野球ファンにとってはさみしい「オフ」に入る。今年の我が中日はいいところがなかったが、来年は少なくともCSに絡んでほしい。
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第56回氏郷まつり開催される

2017-11-03 19:28:43 | 日記
 平成29年11月3日、さわやかな秋晴れの下、松阪開府の祖で、松阪の礎を築いた蒲生氏郷を偲ぶ「第56回氏郷まつり」が、松坂城跡および中心市街地で開催されました。この氏郷まつりは、祇園まつり、初午大祭と並ぶ松阪三大祭りの1つで、一般社団法人 松阪市観光協会(佐藤光宏会長)が主催して行われました。

 
             (冬 姫)                        (甲 冑 隊)

 祭りのメインイベントである武者行列は、松坂城跡の天守からスタートし、今回初めて市民病院前を通り、街中に繰り出しました。今年の蒲生氏郷役は公募により大阪府の会社員中村雅俊さんが、冬姫役は妻の会社員さやかさんが選ばれ、初めてご夫婦が選ばれました。

 行列の両側には見学する多くの市民立ち並び、また多くのカメラマンが盛んにシャッターをきっていました。
 いつも氏郷まつりの行列を見ていて思うのは、氏郷役は沿道に人々に手を振って愛嬌を振りまくより、もっと凜々しく振る舞ってほしい。また馬を引く足軽役も、もう少し引き締まった顔で進んでほしい。せっかく氏郷を写真に収めても足軽がとぼけた顔をしていては写真が台無しである。冬姫役は沿道に知り合いがいても個人的な対応やめてほしい。氏郷も冬姫も庶民(市民)から見れば雲の上の存在、威風堂々の姿を演じてほしい。
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おくやみコーナーの新設を喜ぶ

2017-11-02 08:55:19 | 日記
 松阪市は市民の死亡により遺族が市に提出する書類の簡素化をはかるため、11月1日から市役所1階の戸籍住民課に「おくやみコーナー」を開設しました。これまでは家族の死亡により遺族が年金や保険、相続などの手続きで各課を廻ることが必要でした。
 私も父や母が亡くなった時、手続きで各課を廻った経験があり、市民であれば家族の死亡により同じような経験をされたことと思います。

 今回設置されたおくやみコーナーは、これらの手続きをできるだけ1カ所でできるようにしたもので、遺族の負担を少なく、スピーディーにするため専属職員3人を配置しました。このような取り組みは、全国的にも珍しく、三重県では初の取り組みということです。このコーナーは行政の側からの都合ではなく、まさに市民目線にたった取り組みといえます。

 死亡者によって必要な書類が異なるため予約が必要で、届け出の前に戸籍住民課に電話することを呼びかけています。
      松阪市市役所 戸籍住民課  電話 0598-53-4481 
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