(斎宮歴史博物館で中井町長も一緒に集合写真)
松阪史跡探訪会主催の第8回松阪史跡めぐりが平成29年5月28日(日)行われました。
松阪史跡探訪会(会員50名 代表川口 保)は平成25年11月に設立した会で、松阪市内の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、廃寺、名木、祭り、神事、食、名産など歴史的・文化的遺産などを訪ねていく会です。今回は明和町内と玉城町内の探訪に39名が参加しました。
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(さいくう平安の杜 西脇殿の見学) (さいくう平安の杜 正殿の見学)
✦さいくう平安の杜(明和町)
(案内 いつきのみやガイドボランティア 乾茂子、田中瑛子さん )
史跡公園「さいくう平安の杜」には、9世紀の平安時代前期の建物「斎宮寮庁」三棟(正殿、西脇殿、東脇殿)が復元され、平成27年10月にオープンしました。この建物は、斎宮寮の長官が儀式や饗応に用いた古代建築を発掘調査された場所に実物大で復元されたもので、釘を使わず木材と木材で組み合わされ、本物の檜皮で屋根を葺かれています。
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(いつきのみや体験館で研究員から説明を受ける) (いつきのみや体験館で直衣の試着)
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(いつきのみや体験館で斎王輿に試乗) (斎宮の都全体の1/10の模型)
✦いつきのみや歴史体験館(明和町)(案内 )
斎宮が最も栄えた平安時代の体験ができる建物で、平安時代の貴族の屋敷「寝殿造」をモデルに造られたもので、三重県産の杉・桧を使用して、当時の建築技術を活かし、釘を使わず部材の組み合わせを行っています。館内では当時の年中行事や技術・文化を学べる体験講座のほか、十二単・直衣の試着や盤双六や貝覆いなど、古代の遊びも体験できます。参加者も直衣の試着や輿の試乗をしました。
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(斎宮歴史博物館) (あいさつする中井幸充明和町長)
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(斎宮歴史博物館の展示を見学)
✦斎宮歴史博物館(明和町)
斎宮とは、天皇の代理として伊勢神宮に仕えた皇女・斎王の宮殿と斎王に仕えた官人たちの役所「斎宮寮」のことです。斎王制度は7世紀後半に始まり、14世紀前半に廃絶するまで、長い歴史を刻みました。斎宮歴史博物館は、この斎王と斎宮の歴史を紹介する施設です。館内では発掘調査の模様や、斎王一行が京都から出発して斎宮に着くまでの5泊6日の群行の様子を映像で見せていただきました。
博物館の入館前に明和町の中井幸充町長が来ていただいてお話しをしていただきました。松阪の朝田の近くやいろいろな所に「斎宮」という地名があり、明和町に落ち着くまでに、ほかの場所にあったことも考えられること、発掘調査は昭和45年から始まっているが、現在までの調査区域は16%で、全部終わるのにあと100年かかること、また天皇陛下が斎宮にお越しになったときの話などしていただきました。
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(博物館の芝生広場でおべんとう)
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(村山龍平記念館では玉城語り部会のボランテァガイドから説明を受けた)
✦村山龍平記念館(玉城町)
玉城町では2つの班に分かれて、玉城語り部会の疋田武さん、西村隆夫さん、西村美幸さんから説明を受けました。
村山龍平は嘉永3年(1850)伊勢国田丸に生まれ、旧田丸藩に仕えた旧士族。明治維新後大阪に移住し、明治12年(1879)に朝日新聞社の創立に加わり、創刊第1号を発刊する。
村山龍平記念館は昭和17年10月に着工し、翌58年4月3日の村山龍平翁生誕133年祭の日に落成開館しました。
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(田丸城跡もボランテァガイドさんから説明を受けた)
✦田丸城跡(玉城町)
田丸城(築城当時の名称は「玉丸城」)は南北朝時代に南朝側の拠点として北畠房親、北畠顕信親子によって田丸山に砦が築かれたといわれる。
その後城主が変わっていくが、天正3年(1575)織田信長の次男・信雄によって堀をめぐらし、三層の天守を有する近代的な平山城が築かれた。その後稲葉氏、藤堂氏、久野氏と城主が変わり、明治2年に廃城となった。昭和27年三重県史跡に指定される。
✦おわりに
今回の史跡めぐりにご協力いただいた、斎宮歴史博物館、いつきのみや体験館、さいくう平安の杜の各施設の皆さん、明和町斎宮跡・文化観光課の皆さん、明和町観光協会のボランテァガイドの皆さん、大変忙しい中あいさつをしていただいた中井幸充明和町長さんありがとうございました。
また玉城町教育委員会の皆さん、村山龍平記念館、田丸城跡などを案内していただいた玉城語り部会の皆さんありがとうございました。
今回の史跡めぐりでマイクロバスを安全運転していただいた小林岩雄さん、梶間弘功さんありがとうございました。
✦余談
以前勤務していた会社で地質調査の仕事をしていましたが、今回見学した斎宮歴史博物館の地質調査の仕事にも携わりました。技術的に大変難しい仕事であったと記憶しています。これくらいの規模の建物であれば、コンクリートの支持杭を打って基礎を持たすのですが、この斎宮跡地には無数の遺構があり、遺構を壊す杭は打てません。そのため建物全体にコンクリートを敷き詰め、その上に建物を建てるベタ基礎工法がとられています。
今回の史跡めぐりの下見に、いつきのみや歴史体験館に行ったとき、倉田直純館長にお会いしたのですが、お互いに顔を見合わせ「どこかで会ったことがあるなあ」ということになりました。よくよく考えたら、東日本大震災があった2011年の7月に岩手県山田町に一緒にボランティア活動にいき、1週間同じ釜の飯を食った仲間でした。大変懐かしく思いました。
松阪史跡探訪会主催の第8回松阪史跡めぐりが平成29年5月28日(日)行われました。
松阪史跡探訪会(会員50名 代表川口 保)は平成25年11月に設立した会で、松阪市内の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、廃寺、名木、祭り、神事、食、名産など歴史的・文化的遺産などを訪ねていく会です。今回は明和町内と玉城町内の探訪に39名が参加しました。
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(さいくう平安の杜 西脇殿の見学) (さいくう平安の杜 正殿の見学)
✦さいくう平安の杜(明和町)
(案内 いつきのみやガイドボランティア 乾茂子、田中瑛子さん )
史跡公園「さいくう平安の杜」には、9世紀の平安時代前期の建物「斎宮寮庁」三棟(正殿、西脇殿、東脇殿)が復元され、平成27年10月にオープンしました。この建物は、斎宮寮の長官が儀式や饗応に用いた古代建築を発掘調査された場所に実物大で復元されたもので、釘を使わず木材と木材で組み合わされ、本物の檜皮で屋根を葺かれています。
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(いつきのみや体験館で研究員から説明を受ける) (いつきのみや体験館で直衣の試着)
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(いつきのみや体験館で斎王輿に試乗) (斎宮の都全体の1/10の模型)
✦いつきのみや歴史体験館(明和町)(案内 )
斎宮が最も栄えた平安時代の体験ができる建物で、平安時代の貴族の屋敷「寝殿造」をモデルに造られたもので、三重県産の杉・桧を使用して、当時の建築技術を活かし、釘を使わず部材の組み合わせを行っています。館内では当時の年中行事や技術・文化を学べる体験講座のほか、十二単・直衣の試着や盤双六や貝覆いなど、古代の遊びも体験できます。参加者も直衣の試着や輿の試乗をしました。
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(斎宮歴史博物館) (あいさつする中井幸充明和町長)
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(斎宮歴史博物館の展示を見学)
✦斎宮歴史博物館(明和町)
斎宮とは、天皇の代理として伊勢神宮に仕えた皇女・斎王の宮殿と斎王に仕えた官人たちの役所「斎宮寮」のことです。斎王制度は7世紀後半に始まり、14世紀前半に廃絶するまで、長い歴史を刻みました。斎宮歴史博物館は、この斎王と斎宮の歴史を紹介する施設です。館内では発掘調査の模様や、斎王一行が京都から出発して斎宮に着くまでの5泊6日の群行の様子を映像で見せていただきました。
博物館の入館前に明和町の中井幸充町長が来ていただいてお話しをしていただきました。松阪の朝田の近くやいろいろな所に「斎宮」という地名があり、明和町に落ち着くまでに、ほかの場所にあったことも考えられること、発掘調査は昭和45年から始まっているが、現在までの調査区域は16%で、全部終わるのにあと100年かかること、また天皇陛下が斎宮にお越しになったときの話などしていただきました。
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(博物館の芝生広場でおべんとう)
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(村山龍平記念館では玉城語り部会のボランテァガイドから説明を受けた)
✦村山龍平記念館(玉城町)
玉城町では2つの班に分かれて、玉城語り部会の疋田武さん、西村隆夫さん、西村美幸さんから説明を受けました。
村山龍平は嘉永3年(1850)伊勢国田丸に生まれ、旧田丸藩に仕えた旧士族。明治維新後大阪に移住し、明治12年(1879)に朝日新聞社の創立に加わり、創刊第1号を発刊する。
村山龍平記念館は昭和17年10月に着工し、翌58年4月3日の村山龍平翁生誕133年祭の日に落成開館しました。
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(田丸城跡もボランテァガイドさんから説明を受けた)
✦田丸城跡(玉城町)
田丸城(築城当時の名称は「玉丸城」)は南北朝時代に南朝側の拠点として北畠房親、北畠顕信親子によって田丸山に砦が築かれたといわれる。
その後城主が変わっていくが、天正3年(1575)織田信長の次男・信雄によって堀をめぐらし、三層の天守を有する近代的な平山城が築かれた。その後稲葉氏、藤堂氏、久野氏と城主が変わり、明治2年に廃城となった。昭和27年三重県史跡に指定される。
✦おわりに
今回の史跡めぐりにご協力いただいた、斎宮歴史博物館、いつきのみや体験館、さいくう平安の杜の各施設の皆さん、明和町斎宮跡・文化観光課の皆さん、明和町観光協会のボランテァガイドの皆さん、大変忙しい中あいさつをしていただいた中井幸充明和町長さんありがとうございました。
また玉城町教育委員会の皆さん、村山龍平記念館、田丸城跡などを案内していただいた玉城語り部会の皆さんありがとうございました。
今回の史跡めぐりでマイクロバスを安全運転していただいた小林岩雄さん、梶間弘功さんありがとうございました。
✦余談
以前勤務していた会社で地質調査の仕事をしていましたが、今回見学した斎宮歴史博物館の地質調査の仕事にも携わりました。技術的に大変難しい仕事であったと記憶しています。これくらいの規模の建物であれば、コンクリートの支持杭を打って基礎を持たすのですが、この斎宮跡地には無数の遺構があり、遺構を壊す杭は打てません。そのため建物全体にコンクリートを敷き詰め、その上に建物を建てるベタ基礎工法がとられています。
今回の史跡めぐりの下見に、いつきのみや歴史体験館に行ったとき、倉田直純館長にお会いしたのですが、お互いに顔を見合わせ「どこかで会ったことがあるなあ」ということになりました。よくよく考えたら、東日本大震災があった2011年の7月に岩手県山田町に一緒にボランティア活動にいき、1週間同じ釜の飯を食った仲間でした。大変懐かしく思いました。