川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

竹上げ神事行われる

2019-07-28 18:09:48 | 日記
 松阪市伊勢寺町の堀坂山山頂に竹を突き立て、雨乞いをする「竹上げ神事」が令和元年7月28日に行われました。この行事は伊勢寺町自治会(朽木正弘 会長)、与原町自治会(長谷川裕実会長)、勢津町自治会(宮脇清一会長)の3つの自治会が主催して毎年7月の最終日曜に行われる。
 
 伊勢寺町では朝から係の人たちが集会所に集まり準備に取り掛かり、地区内の祠の周辺の草刈りや掃除し、しめ縄の飾りつけを行います。別当長の加藤和久さんの話しでは以前は前日から堀坂山に登り、山頂で泊まり行事に臨んだが、十数年前から当日登るようになったということです。また以前は7月の月末に行われていましたが今は最終日曜に行われています。
 朽木正弘伊勢寺自治会長さんの話しでは、以前は3つの地区が持ち寄る竹の太さを競いましたが、最近は高齢化で太い竹を担ぎ上げるのが大変で、その慣習もなくなったということです。

 事前にそれぞれの地区で準備に取り掛かります。伊勢寺地区では別当長2人と12名の役員を決め、係の人が竹を用意し、当日の午後1時に集会所をスタートし、町内の祠を拝みながら午後1時半ごろ堀坂峠に差し掛かかります。峠から竹を担いで登山道を登り、途中の「大宮神」「中宮」「裏権現」など拝みながら山頂に達します。
 山頂で与原、勢津、伊勢寺が合流して3本の竹を束ね、天を突きさすように立てるのは竹で天を突きさし雨を降らせるという願いが込められています。別当長の加藤和久さん、水野五夫さんの先達で般若心経を唱え、五穀豊穣、無病息災、家内安全、家内円満を祈りました。

 この行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に記載してあります。
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射和祇園祭始まる

2019-07-13 21:33:34 | 日記
               (伊佐和神社から出発した神輿は町内を練り歩く)
 
 古くは伊勢白粉の産地として栄え、多くの豪商を排出した松阪市射和町で江戸時代から続いている射和祇園祭が、7月13日、14日に行われています。この祭りは射和祇園祭保存会(河合憲一会長)が主催し、射和町自治会(河合憲一会長)が協賛して行われるもので、13日の宵宮と14日の本日にかけて神輿や屋台(山車)が町内に繰り出します。私も久しぶりにこの祭りを拝見しました。
         
 射和地区は昔、丹生鉱山から産出する水銀を原料とする伊勢軽粉(白粉)の産地として栄え、冨山家、竹川家、國分家などの豪商を排出しました。また大淀三千風や竹川竹斎などの偉人も輩出している地域です。射和の祇園祭はこの歴史あるまちで、約300年(400年とも)前の元禄時代(1688~1704)から続く伊佐和神社の神事です。平成15年(2003)に松阪市の、平成17年(2005)に三重県の無形民俗文化財に指定されました。

 射和町の祇園祭は、香椎(かしい)組(上之町)、高砂組(御蔵町)、三栗(みくり)組(中之町)、八雲組(下之町)、素鵞(そが)組(裏町)、宮本組(新出町)と6つの町内に6つの組があり、各組ごとに、幟(のぼり)と大屋台1基、小屋台1基を持っています。
 この中で三栗組の大屋台は安永9年(1780)~天明元年(1781)に製作され最も古く、屋台の中には三国志でおなじみの関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)の人形が飾られています。香椎組の屋台は寛政5年(1793)に製作され、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おおじんてんのう)、武内宿禰(たけのうちすくね)の人形が飾られています。一方、小屋台は江戸末期のものが4基、明治7年のものが1基(宮本組)、昭和初期のものが1基(素鵞組)あります。また神輿は伊佐和神社に元禄時代に作られたものと、明治時代に更新されたものが保管されています。

   
               (大日堂の御旅所に勢ぞろいした大小12基の屋台)

 祭りは宵宮と本日の2日間にわたって行われます。宵宮の朝からそれぞれの組では幟を立て、屋台が組まれます。午後1時に各組の小屋台が國分家前の集合し、伊佐和神社まで引かれ参道に勢揃いします。
 神社では祭礼が行われ、同神社の主祭神である建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)を神輿に移す「御神移し」が行われ、午後2時頃神事を終え、神霊を遷した神輿2基が、まちに繰り出します。町内を練り歩き御旅所(おたびしょ)(大日堂)に納まると神饌が供えられます。夕方には、大人、子どもたちに引かれた各組の大屋台、小屋台が笛、太鼓、鉦を鳴らし、提灯を揺らしながら御旅所に集結し、大小12基の屋台が勢ぞろいして宵宮のクライマックスを迎えます。

 明日の本日には午前9時から神輿、屋台が町内を練り歩きます。

 忙しい中いろいろ教えていただいた河合憲一会長さん、大平勇議員さんや地元のみなさんありがとうございました。
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東黒部虫おくり開催される

2019-07-12 20:12:28 | 日記
 松明を焚いて稲につく虫を焼いて退治する「東黒部虫おくり」が7月12日、東黒部町の中川(なかのがわ)の赤溝樋門近くの広場で行われました。この行事は東黒部協議会(西浦正清会長)が主催してこの時期に行われるもので、地区の人たち約百人が参加しました。
 この行事は東黒部の奥浜地区、川原地区、南出地区の3つの地区約220戸が行うもので、午後5時に軽トラで太鼓を叩きながら地区に行事の開催をふれ回ります。
 行事に用いる松明は小字に1本ずつ計14本あり、竹を芯にして麦わらを巻きます。この時1年の月数と同じ12本の荒縄で縛ります。松明には桃の枝を添えますが、なぜ桃の枝を添えるか誰もわからないということでした。
 当地区の元自治会長で、「長老」、あるいは「生き字引」と地区の人たちから呼ばれている世古實さんの話しでは、戦前もあったようだが近年復活したのは40年くらい前で、明和町の上村の虫送りを見に行って参考にしたということでした。

 この行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。

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